4話 深奥
(……流石、師匠)
次々と襲い来る強化汎用魔法──エルメスのそれよりも遥かに高性能な魔法の数々を捌きつつ、彼は心中で呟く。
魔法自体は同じだが、出力が圧倒的。完全なる力負けだ。
ならば技術では勝てているかと言われると……実はそうではない。
確かにエルメスの方が細かい技を駆使してはいる。だが、ローズとて何も考えず魔法を撃っているわけではない。
常にエルメスの次の手を警戒し、ある程度意識に余裕を残している。彼の反撃を受けるリスクを最大限減らすタイミングを見計らい、かつ魔法自体の威力は微塵も手を緩めることがなく。
彼が今まで相対してきた血統魔法使いのように、それしか能が無いから単調に魔法を放つのではなく。
魔法の技術を突き詰め、余計なものを削ぎ落とした結果生まれた真っ向からの力押し。
磨き抜かれた槍のような戦術。だからこそ、生半な搦手では崩せない。エルメスの揺さぶりにも一向に動じない。
あまりにも、隙がない。
改めて、師の強さを再確認する。
同時に、だからこそ思う──今は一度で良い、一瞬で良い。この人に何かを届かせたい、と。
そう、勝とうだなんて思える領域に今の自分がないことは百も承知の上。
挑む側である自覚を持って、師への敬意を込めて。自分の全てを、この人にぶつけよう。
「!」
ローズが目を見開いた。
それもそうだろう。ローズが今まさに魔法を撃とうとしたタイミングで、エルメスが迎撃のために下がるのではなく、逆──突撃を仕掛けたのだから。
戸惑いつつも、容赦はせずに魔法を放つ。当然距離を詰めている以上完全に当たる状況だ。
最早できることは、今からでも魔法を展開して可能な限り被害を抑えること。だがそれすら、エルメスはしない。
全力で体を捻る。襲い来る魔法の射線から外れるべく全身体能力を駆使して回避行動を取る。
当然、その程度で避け切れるほど甘くはない。彼女の放った魔法、雷の矢が肩口に突き刺さる。強烈な熱と痺れが肩を中心に広がるが──
「──まだっ」
逆に言えば、その程度。戦闘不能にも行動困難にもならない。
敢えて魔法を使わずに受けたダメージとしてはむしろ軽い部類だ。そして……それによるメリットは、今眼前に広がっている。
魔法を撃った直後で硬直するローズに、今まさに魔法を撃とうとしている自分。両者の距離はほんの数歩分。
ならば、この瞬間だけは──限りなく、状況はエルメスに有利。
そう確信して、エルメスは捨て身の突貫を仕掛ける。右手に風の砲弾を生み出し、勢いのままローズにぶつけようとして──
「狙いは良いけどな」
「っ!」
間一髪、寸前に展開した光の壁に阻まれる。
反応して出せるタイミングではなかった。つまり想定していたのだろう、エルメスが何らかのやり方で自分の攻勢を抜けてくるくらいのことは。
……だが。
ここまでは、こちらも想定内。
阻まれたことを確認したエルメスが、右手の先にある風の砲弾を──弾けさせる。
「!?」
全方位に突風が吹きすさぶ。突撃の勢いに押されて体が浮いていたローズが飛ばされ、そしてエルメスも同様逆方向に吹き飛ぶ。
当然ローズにダメージは無い。むしろ防御をしていなかったエルメスの方が多少の傷を受けたくらいだ。
だが、問題ない。これこそが、距離をとることこそが彼の目的。
何せ、距離があれば──詠唱をする時間が貰える。
「なるほどっ」
エルメスの魔力が高まるのを確認し、狙いに気付いたローズが楽しげに笑う。
いいだろう、とそのまま向こうの相手を見据え、ローズも同様に魔力の奔流を放ってから。
「「【天地全てを見晴るかす 瞳は泉に 頭顱は贄に
我が位階こそ頂と知れ】!」」
唱えるは、先と同じように全く同じ文言のシンクロ。
「術式再演──」
「血統魔法──」
お互いそれを分かっていたように淀みなく、鏡合わせの如く左手を天に掲げ。
魔法の銘を、叫んだ。
「「──『流星の玉座』!」」
斯くして上空二方向から、光の雨が降り注ぐ。
それは両者の交点でぶつかり合い、喰らい合い、そして。
「……まぁ、ですよね」
流星が収まった土煙の中で、エルメスは呟く。
彼の周囲の地面には、大小無数の穴。この数だけを見ても、今の撃ち合いでどちらに軍配が上がったかは容易に分かるだろう。
直撃はしていないが、それはローズが直撃を避けてくれただけということも当然理解していた。
だが──
「やるじゃないか」
反対側から、師の声が響いた。
土煙が晴れる中、やはり彼女は無傷。しかしその顔に浮かぶのは、紛れもない賞賛の色だ。
「宣言通り、血統魔法を使わされた。いい魔法の使い方だ、強くなったなエル。でも──」
だが、そこで。ローズはくすりと笑って。
「──まだ、何かあるんだろ?」
「!」
「察するに、これ以上の大技。今回みたいにうまく隙を作って──なんてこともできないくらいに溜めか詠唱が必要とみた。違うか?」
「……完璧に、仰る通りです」
驚いた。どこからそこまで読み取ったと言うのだろうか。
「魔法を合わせて、顔を見ればそれくらいは分かるさ。可愛い弟子となれば尚更な」
ローズは答えると、笑みを穏やかかつ高揚したものに変えて。
「──いいぞ、撃ってきな。待ってるから」
「え」
「戦いは、十分見させてもらった。あとはお前が得た魔法、この王都で何を学んだかを見せて欲しいんだ」
……正直なところ、これを見せるかどうかは迷っていたところだったのだ。
確かに一つの成果ではあるが、あまりにも不完全かつ不恰好で。魔法に精通した師に見せるのは気後れする思いもあったから。
けれど、そこまで──純粋に期待するような、希うような。
ただただ、自分が未だ知らない魔法を見たい。そんな瞳を向けられては、同じ想いを持つものとして応えるしかないだろう。
「……分かりました、では」
告げて、エルメスは自身の魔法に意識を集中させる。
思い出すは、かつて創成した魔法。
一度作った以上設計図は既にあり、魔銘解放抜きでも起動は可能。
……だが、詠唱は無い。そもそも詠唱というコンパクトな起動手段に落とし込めるほどに魔法を洗練しきれていないから。
だから、頭の中で一つ一つ。丁寧に魔法の欠片を組み上げて、以前創った魔法を再現する。
恐らくは、たっぷり一分ほどの作業だっただろう。
その果てに、彼は組み立て終える。以前の決戦で創り上げた、願いの結晶をもう一度。
「術式再演──『灰塵の世界樹』」
かくして現る、紫焔の剣。
ローズが再度瞠目する。感じ取ったのだろう、剣の内に在る莫大なエネルギーを。そして……きっと、どういうふうにしてこの魔法が出来たのかも。
「それは……そうか。創ったのか、お前が」
「はい。……今の僕ではこんな不恰好なものが限界でしたが」
「おいおい、何を言ってるんだ」
少し申し訳なさげに告げたエルメスに対し、ローズは笑顔でかぶりを振る。
「確かに荒削りだが──良い魔法だよ。あたしには作れない、紛れもないお前だけの魔法だ。……それに、強いんだろ?」
「! ……はい。それだけは、保証できます」
その肯定に、エルメスはほっとした様子で頷く。
あとはもう、やるべきことは決まっている。それを確認して、エルメスは剣を振りかぶった。
……が、そこではたと気付く。
(……えっと。撃っていいんだよね……?)
この魔法は、端的に言えば火力のみに極特化したものだ。威力だけならば先程の『流星の玉座』すら遥かに上回る。
いくらローズとは言え、真正面から迎え撃つのは分が悪いのではないか──
──との思いは、次の瞬間にかき消されることとなる。
「……これは、あたしもちゃんと応えないとな」
眼前で燃え上がる紫焔の剣。その脅威を正確に理解した表情で、ローズは呟いて。
先程よりも尚魔力を高めて、深い呼吸を一つ。そして目を閉じ、己の魔法だけに集中して。
唄う。
「──【□□□□□ □□□□ □□□□ □□□□□】」
「…………え?」
一瞬、魔法の発動中であることすら忘れてエルメスは呆けた。
詠唱だ。今ローズが発した文言は、紛れもなく魔法の詠唱であったはずだ。
なのに。
何を言っているのか、分からない。
発音として入ってはくるのだが、微塵も意味が理解できない。
彼の知らない言語──などという次元ではないように思えた。まるで異界の言葉のような、或いは意味が重なりすぎて理解の領域を遥かに超えてしまっているような。
そんな、何かのスケールが一つ上にあると思わせるような異次元詠唱。
かと言って、手を止めることは出来ず。
流れのままに──ひょっとすると、彼女の詠唱によって導かれたかのように彼は紫焔の剣を振り下ろす。
迫る炎。されどローズは一切動じることはなく、ゆっくりと目を開いて。
今まさに自身を焼こうとする紫炎の前に手をかざし。
その銘を、告げる。
「血統魔法──『□□□□□』」
それは、三重適性である彼女が持つ三つ目の血統魔法。
他二つと比べれば滅多に使わない、されどその性質は確実に一線を画す。
『空の魔女』ローズの、正真正銘の切り札。
──聞き取ることすらできない、規格外の何か。
「…………な…………」
呆然と、エルメスは呟く。
今、眼前で起こったことを機械的に表現すると。
まず、ローズの手のひらから透明な『何か』が放射されて。
それがエルメスの放った炎と衝突──するまでもなく、触れた側から消し飛ばして。
尚も飽き足らず、炎を逆に辿って元である紫の剣まで跡形もなく焼失させる。
そのまま放射は続き、何故かエルメスだけはなんの影響も与えずに素通りして。
背後にあるオレンジの壁、結界すらも喰らい尽くし。
近くにある木々を縦に半分ほど削り取ったところで、ようやく止まった。
「……」
何もかもが分からない。ただ一つ分かるのは。
あの魔法が──途轍もなく強く、圧倒的で、美しいものということだけだ。
「分かんなかったか? まぁ仕方ない、実はあたし自身使っておきながらよく分からないんだ、この魔法。今のでまだ一番基本的な使い方に過ぎないんだから」
呆けるエルメスに、ローズが苦笑と共に歩み寄ってきた。
「だから普段は封印してるんだがな。……あの魔法になら、使う価値はあると思ったんだ」
彼の手の中で唯一残っていた剣の柄部分が崩れ、空気に溶けて消える。
……今の自分が積み上げてきた最高の魔法ですら、あっさりと凌いでしまう魔法がこの世には存在する。
ああ。それは、とても──
「なぁエル。魔法ってさ、すごいだろ?」
「……はい」
とても、喜ばしいことだ。
同時に憧憬を抱く。自分も、あそこまで辿り着きたいと。
エルメスの返事に満足したか、ローズは無邪気に笑って。
「よーし終わりっ! いやー楽しかった、本当に物凄く強くなったんだなぁエル! すごいぞ! というかごめんな、仕方ないとは言え結構今回は怪我させてしまって」
「い、いえ。というか何故回すので……?」
初めて会った時のように傷をすぐに癒し、エルメスを持ち上げてくるくると楽しそうに回す。
エルメスは戸惑い、とりあえずされるがままになっていたが──ふと気付く。
「っ、し、師匠。その、お顔が──」
彼女の頬に、軽く赤い傷のようなものが付いている。
見たところ、火傷だ。恐らくは先程の『灰塵の世界樹』によるものだろう。
自分の魔法が、微かではあるが彼女に届いた。それ自体は喜ばしくもあったが……女性の顔に傷をつけてしまったことは確かなので、すぐに彼も強化汎用魔法でローズの傷を治す。
「おお? 別にそこまでしてもらわなくても、後で適当に治すぞ?」
「いやだめです。傷つけてしまった僕が言うのも何ですが、お顔は大事になさってください。……その、せっかく、お綺麗なんですから」
「…………はっはっは、そんな言葉であたしが喜ぶと思ったら大正解だぞ我が弟子ぃ!」
感極まってか照れ隠しか、再度エルメスをきつく抱きしめるローズ。
その様子で流石にもう終わったと判断できたのか、二人の元にトラーキア家の住人たちが駆けつけてきて。
こうして、唐突に始まった師弟対決は終了したのだった。
次回、カティアとローズのお話。




