56話 始まりの場所で
「──ワシが間違っていたッ!」
あの騒動から一週間後、フレンブリード家の執務室にて。
かつて追放を言い渡された場所に5年ぶりに立ったエルメス。そんな彼の前で──父、ゼノスが土下座をしていた。
「すまないエルメス、これほどまでに才能に溢れたお前を追い出すような真似をしてしまって! ワシの目が節穴だった!」
「……」
「だが仕方なかったのだ、アスター殿下に言われてしまえば逆らえるはずなどないではないか! ワシとて不本意だったのだぞ、愛する息子であるお前にこのような酷い仕打ちを与えるのは!」
「……流石にそれは無理がありますよ、父上」
無感情に、エルメスは返す。
「僕が心情的に、到底この家に戻る気なれないことは理解していますね?」
「そんなことを言うな息子よ! ほら、この通りだ!!」
平伏し謝り宥めすかし、けれど拒絶だけは断固として許さない。それがありありとわかる態度で、あの手この手で彼を引き止めようとしてくる。
「次期当主の座も勿論確約する! あんな出来損ないのクリスなんぞよりお前の方がよほど相応しい! 名門侯爵家の次期当主になれるのだぞ、いや、お前の今回の功績を加味すれば公爵家に返り咲くことも不可能ではない! 何の不満があると言うのだ!?」
ゼノス自身の欲望が漏れ始めている。
「な、何が不満なのか言ってみてくれ! ワシに出来ることなら何でもする! だから──」
「……そうですね。では、一つだけ」
予想通りの態度に、エルメスは予め考えておいた提案をすることにした。
態度の軟化を感じ取ってか、ゼノスが露骨な猫撫で声に変化する。
「おお、何だ! さあ遠慮せずに──」
「貴方の立場を剥奪させてください」
ゼノスが固まった。
「……な、なに?」
「貴方の立場の剥奪、です。貴方をフレンブリード家から追放し、今後一切この家に関わることを禁じます」
「そ──そんな横暴な! そのようなこと、出来るわけが」
「出来ますよね? 5年前貴方が僕にしたことと同じ……いえ、貴族としての権利まで剥奪しない分それより簡単なはずですが」
「ぐ──ッ」
ゼノスが唇を噛み、歯軋りの音が響く。
横暴どころか、エルメスの立場からすれば妥当な判断だと思う。むしろゼノスのしたことを考えればこれでも安いくらいなのではないだろうか。
「お、お前だって困るはずだ! 5年間貴族社会から離れていたお前がワシのサポート無しに侯爵家を回すなど……」
「その辺りは問題ありません。そうなった場合はトラーキア家にアドバイスを求めるつもりですので」
「なッ、トラーキア家の傘下に入るつもりか!? お前は独立貴族としての誇りは無いのか!?」
「誇りですか。無意味とまでは思いませんが──それを振りかざすあまり人間同士で対立し、民を脅かす魔物の対処が疎かになるなら無い方がましだとは思いますよ」
むしろ、そういった領地経営が得意な家に任せて自分たちは魔物の討伐に集中する、という分担を取る方が建設的だ。
勿論全てのことがそう単純だとは思わないが、少なくともこのケースに関しては、眼前のゼノスよりもトラーキア家の方がよほどうまくやれるだろう。
「し、しかしだな。ワシがいなければ……その……」
「……あまり言いたくはないのですが。もういい加減素直に仰ったらどうです?」
ゼノスは尚も言い訳を捻り出そうとするが、そこでエルメスは凍てつくような目線とともに一気に切り込む。
「──『今回の僕の功績を我が物にして、また貴族社会の中心に返り咲いて威張り散らしたい』と」
「な──そ、そんなわけがないだろう! ワシはお前のためを思って……」
「そうですね。『侯爵家に戻ってくれれば確実に自分に利益を与えてくれる存在』である僕の為を思って言っていますね。多分それは、私欲の為と言って差し支えないと思いますよ」
でなければ、『戻ってもいいがお前はフレンブリード家に関わるな』と言ったエルメスにああまで激甚な拒否は示さないだろう。
「まとめましょうか。僕がフレンブリード家に戻る場合、貴方をフレンブリード家から追放します。貴族としての立場は残しますし、新しい派遣先も用意はできるでしょう。……どうします?」
「そ──それは──ッ!」
ひどい懊悩の表情で頭を抱え、俯くゼノス。
エルメスの態度を見て、これ以上の条件はどうやっても引き出せないと判断したのだろう。
それを理解して頭を上げたゼノスの顔には……不満と恨みの感情が、ありありと現れていた。
「なぜだ……ワシが、このワシがここまで誠心誠意謝ってやっていると言うのに……!」
「……本当に誠心誠意謝る人は、謝って『やっている』とは言わないと思いますが」
「黙れッ! お前は、お前はワシに恩があるはずだ! 7歳になるまでお前をこの上なく大事に育ててやったのは誰だと思っているッ!」
「ええ、同様に恨みもありますよ。7歳になってから僕の心が壊れるほどにひどい扱いを与えたのは誰だと思っているんですか?」
そっくりそのままの論調で返され、またゼノスが黙り込む。
エルメスを睨む恨みがましげな目線に、彼も透明な視線を返す。
特別感情を乗せているようには見えない、だからこそ見る側の印象をそのまま返す瞳。
ゼノスには──自分の落ちぶれようを嘲笑い、見下しているように見えた。逆の立場なら、間違いなく自分が向けていただろう目線。
きっと最後は、それが我慢ならなかったのだろう。
「~~ッ、もういい! お前に温情を与えようとしたワシが馬鹿だった! 一生平民のまま、どこへでも行くが良いッ!!」
何が温情なのかはさっぱり分からないが、それは間違いなく向こうからの拒絶の言葉。
「……分かりました。では」
エルメスは一礼し、背を向けて扉の方を見て。
──扉の前で待っているだろう人物に向けて、声をかけた。
「──公爵様。お待たせいたしました」
「おや、もういいのかい?」
「…………は?」
涼やかな返答があり、ゼノスの素っ頓狂な声が響き、扉が開かれる。
そこから現れたのは、紫髪を整えた細身の男。
「とっ、トラーキア!?」
「やぁ。久しいね、フレンブリード侯爵」
「な、何の用だ! 今は親子での話を」
「その話が終わったとエルメス君が判断したから来たんだけど?」
男──ユルゲンは、いつも通りの飄々とした態度でゼノスに歩み寄り。
「それで、用件だったね。……それは当然、貴方を裁きに来たのさ。法務大臣ユルゲン・フォン・トラーキアがね」
「!!?」
一転、触れれば切れそうな目線を真っ向から突きつけて。ゼノスが息を呑んだ。
「さっ、裁くだと!? 一体何が」
「おいおい、全く心当たりが無いとは言わせないよ? 横領に散財、職権濫用に違法商売。これまで第二王子殿下の権力を笠にやってきたことの数々に──挙げ句の果ては、ハルトマン男爵令嬢を傷つけ、その罪をカティアになすりつけようとしたことまで」
「ッ!! そ、それは殿下が──」
「残念、その殿下も現在罪に問われている真っ最中。そもそもあの方に以前のような発言力はもう無い、君も逃げられないと思いなさい」
エルメスがカティアと逃げ回っている間も、ひたすら裏で動いていたユルゲン。
そこで得た全ての成果を手に、彼はゼノスを追い詰めて行く。
「エルメス君、その顔を見れば大体分かるけど──君はこの家に戻らないことでいいんだね?」
「はい」
「そっか、じゃあ遠慮なく。……ついて来てもらおうか、フレンブリード侯爵。君の犯した罪の数々、到底許されることではない。まず間違いなく領地は没収、多分君自身も爵位、そして貴族の権利を全て剥奪。どころか犯罪者として収監もあり得ると思った方が良いよ、少なくとも私はそうする気満々だ」
「!!」
「エルメス君が戻るのならば、彼の功績を加味して貴族の立場までは取られなかっただろうけど……まぁ、私個人としてはそうならなくて良かったと心から思うよ」
ここで、ゼノスはようやく理解する。
先ほど、エルメスが提示した条件。それこそが彼なりの最大限の温情だったことに。
「まさか、気付いていなかったのかい? そもそも自分が罪に問われるだなんて思っていなかったのかな」
「え、エルメスッ! わ、ワシが悪かっ──」
「はいはい、今更助けを求めるのは反則だよ。君ならそうすると分かってたから、彼の方の用事を先にさせたんだ」
エルメスに縋りつこうとするゼノスを、その細身からは想像もできない怪力で易々と抑え込むユルゲン。
「ほら、エルメス君。ここから先の醜い処理は大人の仕事だ。表に馬車を待たせてある、君はもう行くと良い」
「……はい。ありがとうございます」
彼は自身に助けを求める父親の情けない表情を、最後にちらと一瞥してから背を向け、扉を閉める。
かつて追放された家に、かつて追放された場所で。エルメスは今度こそ、別れを告げるのだった。




