51話 原初の碑文
立ち上がる。
歩き出す。
いくら解呪したとは言え、先の稲妻による影響は未だ甚大だ。
体内で荒れ狂った魔力はサラの魔法でも追いつかないほどの傷を残し、全身を異常な倦怠感と痺れが襲っている。感覚も薄い。
けれど、関係ない。
やると決めた。やれると信じた。ならば、歩みを止める理由は何処にも存在し得ない。
「──エル!」
「エルメス、さん」
向かってくるエルメスに気付いて、二人の少女が声を上げた。
同時にケルベロスが復活したエルメスを警戒して一旦攻撃を止め、カティアとサラが息をつく。
──やはり二人では厳しかったのだろう、向こうのその行動が無ければ今にも猛攻に押し切られそうだった。
ここにエルメスが加われば、とりあえずは互角に戻る。けれど決定打は存在せず、先程の魔法をもう一度放たれてしまえば敗北は必至。今までの魔法だけでは、勝ち筋は存在しない。
だから、彼は告げる。
「お二方。すみませんが……あと三分保たせてください」
「え──」
今にも崩れそうだった均衡を前に、非情とも言えるエルメスの要請。
サラは目を見開くが──一方のカティアは、対照的に落ち着きを見せて。
「……あいつを倒せる魔法が、あるの?」
「それを、今から創ります」
流石にこの返答には、カティアも微かに驚きを見せる。
しかし、すぐに思い直した。彼女は知っている、彼の最終的な目標が何なのか。彼が公爵家で語ったことも、彼の望みが何処に在るのかも。
だから、真っ直ぐに。真剣に、かつ絶対の信頼を込めた瞳で答える。
「分かったわ、あなたに賭ける。……サラ、悪いけれどもう少しだけ頑張って」
続いて案じるように告げられた言葉に、サラは一瞬戸惑いを見せた。
視線を彷徨わせてエルメスとカティアを見やり……そこで、感じ取ったのだろう。二人の間にあるもの。二人の間で今まで培ってきたものを。
「……はい。お二人を、信じます」
そして頷く。信頼と、隠しきれない憧憬と共に。
二人が向こうに向き直り、先程以上の気概でケルベロスに立ち向かう。
エルメスも二人なら耐え切ってくれると信じ、数歩下がって目を瞑り、息を吸って。
さあ、始めよう。
この魔法の真価。『創成』魔法と呼ばれている所以を、今ここで──解放する。
想いを乗せて、彼は唄う。
「──【相待せよ 傾聴せよ 是より語るは十二の秘奥】」
この魔法は血統魔法ではない。故に、血統魔法のように受け継ぐ際に封印せざるを得ない機能なんてものは存在しようはずがない。
だが、それでも尚ローズはこの機能、この魔法の真価を通常時は血統魔法と同じ形式で封印した。
何故か。
──強力すぎるからだ。
あまりにも強力で、凄まじく自由で、恐ろしく膨大で。
封印しなければ、この魔法を取得したものが取得した瞬間に壊れてしまうと悟ったからだ。
「【是は真実にして不偽 確実にして真正
タブラ・スマラグディナの名の下に】」
これは、それほどの御業だ。
遥かな昔、ひょっとすると神代と呼ばれるほどの頃に。
きっと自分たちより何倍も優れた魔法使いが、その生涯を賭してようやく作り上げた命の結晶、魔法使いとして生きた証。
今を生きる王国の人間たちが、神より与えられたものと勘違いするのも分かるほどの奇跡。
それと同じことを行おうと言うのだから、無謀と嘲笑われ、不遜と貶され──王都を追い出され、魔女の烙印を押されても仕方なかったのかもしれない。
「【太陽は父 月は母 風は鵠鳥 大地は乳母】」
けれど、彼女は諦めなかった。
足掻き、藻掻き、自分の見たものを時に疑いつつも、それでも大事なところはブレることなく突き進み。
遂に、掴んだのだ。魔法の真奥、その一端。
魔法は途方もなく深淵で、壮大で、けれど確かに人の足跡の果てにあるのだということを。
確信した。なら、自分にも同じことができるはずだと。
「【此方に得るは万象の栄光 彼方に払うは一切の無明
流転と円環を言祝ごう】」
そうしてこの魔法は完成し……すぐに彼女は絶望した。
分かってしまったのだ。血統魔法は祝福ではなく呪いで。あまつさえ三重に呪われている自分では、せっかく生み出すことのできたこの魔法を十全に扱ってあげることができないと。
だから探した、この魔法を受け継いでくれる人、自分の弟子となる人を。血統魔法に呪われておらず、けれど魔法の才能はあって。
好奇心が旺盛で、固定観念に囚われず素直で──何より、魔法が大好きな人間を。
「【生まれるは全てを凌ぐ力 あらゆる精妙に勝るもの 遍く堅固を穿つもの】」
そして、見つけた。
神童と呼ばれるほど魔力が多く、けれど血統魔法が無く出来損ないと呼ばれ、それでも尚進み、鍛え続けた少年。
彼女の理想そのもののような、素直で強く、可愛らしい男の子。
一目惚れした。共に過ごすうちにもっと好きになった。自分に親バカの才能があるとは思わなかったほどに溺愛した。
この子になら、自分の全てを受け継がせていいと思ったのだ。
「【観照 分離 統合 適応 夢幻の果てに完成を識り
然して残るは数多の願い】」
唯一の欠点は、魔法を扱う上で重要な心の力が弱いことだった。
生来の弱点であったところに、家族からの手酷い扱いを受けた影響が重なってしまったのだろう。
これではきっと、魔法の真価を引き出すことはできない。
故に彼女は、一通りのことを5年かけて叩き込んだ後、彼を王都に送り返すことにした。
自分が癒してあげられなかったことは悔しかったし……あと、彼女自身彼と離れるのはものすっっっごく嫌だったけど。絶対一ヶ月くらい毎夜涙で枕を濡らすんだろうなと確信するくらいだったけど。
それでも、それ以上に彼の魔法の先を見たかったから。自分では辿り着けない場所に彼が行くことが、一番の喜びだと考えたから。
最後にはちゃんと、彼を送り出した。……自分の最高傑作を、一番の贈り物として。
「【斯くて世界は創造された 無謬の真理を此処に記す
天上天下に区別無く 其は唯一の奇跡の為に】」
それは遥か遠い昔、魔法すらない時代に在ったはずの技術。
世界の仕組みを分析し、世の理を解明し。人の叡智で、神の御業を再現しようとした不遜な挑戦。
名を、錬金術と云う。
ローズは敢えて、それを魔法にした。
天の産物と信じられている魔法を分析し、解明し、再現する──魔法の錬金術を為す魔法であれと、願いを込めて。
伝説の錬金術師が遺した、十二の秘奥が刻まれし碑文。今も世界の何処かにあると言われる石碑の名を、言葉の形にした。
故に、この魔法の銘は──
「『原初の碑文』──魔銘解放」
その魔法は、創成魔法。
通常時の能力は魔法の解析と再現。そして解放時の能力は名の通り、魔法の創造だ。
魔銘解放は、数階の詠唱によって行われる。
通常は三位階。優れたものは四位階で、伝説級に強力なものは五位階──だが。
『原初の碑文』はそれすら超える、規格外の七位階。
詠唱を唱え切ったエルメスの前で、翡翠の文字盤が──弾けた。
それは無数の微細な光片となり、エルメスの周りを飛び回る。
これら全てが、魔法の欠片。
この世の魔法を構成する叡智の結晶。今から自分はこれを組み合わせて……あの怪物を倒す魔法を創り上げる。
遂に、やってきたのだ。
王都に来た彼の真の目的。幼い頃から抱いていた彼の願いを一つの形にするときが。
これまで培ってきたものと、ここで得たもの。
取り入れたあらゆる魔法を種に、積み上げた遍く経験と知識を水に。
──彼だけの、魔法の花を咲かせよう。
決意と共に、エルメスは手を伸ばした。




