44話 想いを魔法に
エルメスがやられた振りをしていることは把握していた。自分とアスターの一騎打ちを邪魔しないためにそうしてくれていることも分かった。
でも……故にその気になればいつでも助力に入れるはずの彼は、この絶体絶命の状況でも動く気配を見せず。
ただ、彼女を見ていた。
その視線は、どんな言葉よりも雄弁に彼の想いを語っている気がして。
自分ならできる、まだいける、と言われているような気がして。
「──そうね」
……我ながら、単純極まりないと思う。
でも、誰よりもその矛盾と闘い、その矛盾の否定を体現している彼にそう言外に言われたのなら。
自分も──と思えることは、きっと素敵なことのはずだ。
(……落ち着きなさい)
息を吐く。
アスターの急激なパワーアップに混乱していた心を立て直す。
彼が助けに入らないのなら、まだ何処かに勝ち筋は残っている。
彼だって因縁があるはずの相手。それを倒す役割を、自分に任せてくれた。
その信頼に、応えたい。
再度の意思の炎を灯して、もう一度カティアはアスターを見据える。
すぐに、分かった。
(殿下は──未だ私を倒せていない)
本来ならありえないことだ。
魔銘解放を経たアスターの魔法、その性能は桁違いだ。本来なら自分の抵抗など何の意味も成さず焼き払われているのが妥当。
でも、現実はそうはなっていない。
恐らく彼が遊んでいるのもあるだろうが、だとしても自分は攻撃を受けて動きが悪くなっている。もうとっくに捕まっていてもおかしくない。
なのに現在まで彼の攻撃を紙一重で交わし続けられているのは──
(殿下の動きも、悪くなっているんだわ)
その疑念をもとに観察すると明らかだ。明確に、魔銘解放をした直後と比べると動きが遅れている。右手に宿す大剣の輝きも心なしか落ちているように思える。
そこから導き出される結末は一つ。
アスターの肉体が、魔銘解放に耐えきれていない。
やはり早すぎたのだ。強引な覚醒の代償は、確実に彼の体を蝕んでいた。
そして、その事実が分かったのならばカティアのやることは一つ。
(耐える──!)
ひたすらに耐久する。
彼の肉体が限界を迎えるまで、あの猛攻を凌ぎ続ける。
その決意を宿して、カティアは再度幽霊兵を展開する。
「……ごめんなさい。多分あなた達には、もっと負担をかけてしまうと思う」
──いいよー。
──あの王子さま嫌い! 負けるのやだ!
──でもカティアさまは好きー。力になりたい!
──頑張っちゃうよー!
この上なく頼もしい返事を受けて、カティアも吹っ切れた。
「貴様──まだ抵抗するか!」
徐々に苛立ちを感じ始めてか、アスターが声を上げて更なる速度で斬りかかってきた。
けれど、もう恐れはない。
まずは彼の動きを読め。常に有利な位置取りを崩さず、幽霊兵を突撃させてコンマ数秒の時間を稼ぐ、これをひたすら繰り返せ。
自分の魔法もこの戦いの中で改善しろ。もっと魔力を効率的に、もっと幽霊兵の再生を素早く正確に。
アスターのような唐突な覚醒など期待するな。ひたすらに地道な進歩を繰り返し、一歩の蓄積だけで千里の差を埋めるのだ。
どれも彼がやっていたことだ。試行と研鑽、学習と進化。
彼の居場所に自分も行きたい。彼の隣に立ってみたい。
ならば自分もこれくらいのこと、できなくてどうする!
「ッ!?」
アスターも、自分の動きがどんどん落ちていることにようやく気付いたようだ。
先ほどまで以上の焦りと共に、先ほど以上の魔法出力を発揮してやたらめったらに剣を振り回してきた。
「往生際が悪い! いい加減諦めろ、どうせ俺に勝つことなどできないのだから!」
「諦めるもんですか! 証明するのよ、力が足りなくても、生まれ持たなくてもできるって! 望んでいいんだって!!」
そう、もっとだ。
もっと──想いを。想いを燃やし、己の魔法の燃料とするのだ。
憧れた、あの姿を体現したい。
助けてくれた男の子に。信じてくれた女の子に。
支えてくれた家族に、慕ってくれた民達に応えたい。
立派な貴族になりたいし、その上で自分も幸せになりたい。
矛盾しているかもしれない想いも全て呑み込んで。私は、私を証明したい。
「だから──負けるわけにはいかないのよッ!!」
抗う。耐え忍ぶ。
ひたすらに魔力を回し、全ての想いを伝えて冥府に協力を仰ぎ、助けてくれる魂をもっともっと呼び込む。
現世と冥界の境が曖昧になる。あまりの負担に思考がスパーク。脳裏に火花が散り、視界の端がどんどん白く染まっていって。
やがて、何もかもが真っ白になった世界で。
声が、聞こえた。
──大丈夫、できるわ。カティア、あなたなら。
だってあなたは、私の──
「──あ」
意識が現世に回帰する。
……それが、本物だったのかはわからない。ひょっとするとカティアの想いが、冥府の何処かに届いたのかもしれない。あるいはそれも希望的観測で、ただの幻聴だったのかもしれない。
でも、聞こえたそれだけは、間違いようもなく。
彼女が最も聞きたかった、声だった。
「──お、かあ、さま」
見守ってくれていた。
自分を信じてくれる人が、ここにもいたんだ。
彼女は、そう思うことにした。一筋の涙が頬を伝う。
一瞬棒立ちになった彼女を隙だらけと判断したか、アスターが一気呵成に斬り込んでくる──が。
「な、に……!?」
受け止められた。
彼の剣戟が、この戦いが始まって初めて。
見ると、カティアの周りには先程の更に倍するほどの霊魂が。
それらが力を合わせ束ねて、アスターの一撃を止め切っていたのだ。
「くッ!」
止まった隙を見計らって他の幽霊兵が殺到。この位置ではまずいと感じたアスターが、初めて自分から距離を取った。
そんな彼をカティアは、涙を拭って真っ直ぐに見据える。
迷いが消え、覚悟を決めた、鮮烈かつ美しい顔で。
「な──にを得意げになっているッ!!」
その顔に言いようのない苛立ちを刺激されたアスターが、再び突撃を開始。霊魂を次々と斬り払い焼き払い、カティアがそれをいなしながら逃げ続ける。先ほどまでと同じ構図だが……
「ばか……な……ッ」
少しずつ、アスターの優位が消えていく。
幽霊兵を一撃で焼き払えず、向こうの攻撃も躱すことができなくなってくる。
アスターの体への負担がどんどん増えて加速度的に動きが悪くなっていることに加えて──カティアが幽霊兵を補充する速度が戦いの開始以降変わっていないのだ。
疲労による精度の低下を考慮するならば、むしろ速くなっていると言える。それはこの戦いを通して生み出した、紛れもないカティアの研鑽の成果だった。
アスターの動きは更に鈍くなり、カティアは更に幽霊兵を増やして優位を拡大し。
その、果てに。
……原因は、いくつかあったのだろう。
アスターが魔銘解放を初めて使い、習熟していないかつ不完全だったこと。アスターの取った戦術があまりに稚拙だったこと。そもそもカティアの血統魔法が、高い防御力を誇る幽霊兵による耐久に特化しており相性が良かったこと。
だが、それら諸々に関係なく、今は。
「……私の勝ちです、殿下」
「な……ぜ、だ……」
魔銘解放が切れ、翼と光輪、大剣を失って座り込むアスターと。
その周囲を取り囲む幽霊兵を従え、立って彼を見下ろすカティア。
魔銘解放を使う相手を、魔銘解放抜きで打ち破った。
この光景が、何よりも雄弁に決着を物語っていた。
アスターvsカティア、決着。




