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38話 彼と彼女の想い

 幸いだったことも、いくつかあった。


 まずは、村人たちの避難先がすぐに見つかったこと。

 村の比較的近くに、トラーキア家の派閥に属する貴族の屋敷があるそうだ。カティアの名前を出せば悪いようにはしないだろうとのこと。一先ずはそこに庇護を求めて、後々のことは一旦その貴族及びユルゲンに任せることにする。


 そして──村人たちの誰一人、カティアを責めなかったこと。

 ちゃんと理解してくれていた、悪いのは明らかに村を理不尽な理由で焼き払ったアスターの方だと。

 理解してくれていても原因の一つが彼女であることは確かだったので、多少は恨みを向けられるかとも思ったがそれも無かった。本当に、驚くほどに良い人たちだった。


 ……でも。

 彼女自身が抱いている罪の意識だけは、如何ともし難くて。


「……」


 村人と離れ、テントに戻ってきたカティアが焚き火の前で、沈鬱そうな様子で膝を抱える。

 自分のせいで、彼らを巻き込んでしまった。

 村人たちはそうであることを少なくとも表には出さなかったし、そもそもあの村に寄ることを提案したのはエルメスだ。


 でも、彼女は責任感が強い。

 きっと今の事実を告げたことで彼女の心の痛みが和らぐことはないのだろう。それはカティアの美徳だが、今はただひたすらに痛々しく。


 だから、彼は聞きたいと思ったのだ。

 この少女が、どうして貴族の在り方に拘るようになったのか。今まで聞く機会がなく、なんとなく聞くこと自体も避けていたその問いを。


 そしてカティアは、やがて囁くようにぽつりと。


「……お母様のように、なりたかったの」


 昨日監獄の中で聞いた言葉と同じ始まり方で、けれどあの時よりも少しだけ詳しい、彼女の原風景を。

 ゆっくりと、語り始めたのだった。




 ◆




「……なるほど」


 大まかなところは、理解した。


 エルメスの朧げな幼少期の記憶の中に、カティアの母親も何度かは登場している。

 流石に細部までは覚えていないが、とても優しい人だったことと、カティアがその母親のことをとても慕っていた印象だけは残っていた。

 その母親が、魔物に立ち向かって命を落とした。その在り方が焼きついたからこそ、彼女は誇り高い貴族として在ろうと思った。


 いや──そうせざるを得なかったのだ。


 あれほどに慕っていた母親の突然の死があまりに悲しすぎて、幼かった彼女には耐えられなくて。

 だから母親と同じ姿を目指し、母親の在り方を自分自身に宿すことで悲しみを受け止めようとした。

 母の面影を追い続けることで、心に空いた穴を埋めようとしたのだ。

 きっとその穴は、今も埋まる気配を見せないのだろう。だから彼女は、あれほどまでの拘りを見せていた。


 それをエルメスは理解し、エルメスが理解したことを確認した上で。

 彼女は、泣きそうな顔でこう告げた。



「でもね。もう──疲れたの」



「!」

「すごく、辛かったわ。どれほど頑張っても成果が出ず、誰にも認められないのは。全ての努力を無駄にされ、魔法という一点だけで何もかもを否定される。……それでも、お母様なら挫けなかったはずだと言い聞かせて、ひたすらに耐えてまた頑張ったの」

「……」

「そしたらあなたが来てくれて、一番欲しかったものを与えてくれた。これでようやく報われる。これできっと、なりたかった自分になれるって──でもっ!!」


 慟哭が響く。


「私のやってきたことは、私の理想とは真逆だった! 殿下に全て任せておけばこの国はうまくいく、国を混乱させているのは私の方で!」

「……それ、は」

「私のわがままでお父様は疲れ切って、私が巻き込んだせいでサラも大怪我をした! そして今回もそう! 国が揺れて、そのせいで各地の魔物が活性化しているとも聞いたわ。今この瞬間にも、どこかに強力な魔物が現れて民の命を奪うかもしれない。それもこれも、全部……ッ!」


 考えすぎだ、とは思った。

 でも、それを言ったところで慰めにはならないだろう。その考え方こそ、彼女が今嘆く主因なのだから。


「頑張れば頑張るほど、憧れには届かないどころか真逆の方向に遠ざかっていく。だから、もう私がこの国のためにできること──それはね、今すぐこの場で死ぬことなのよッ!」

「ッ」

「……でも、できない。死にたくなんて、ないの……私は……」


 落ち着いたのか、ただ嘆くことに疲れたのか。

 一息をついたカティアは、最初のように静かな口調で告げる。


「……すごく身勝手なことを、言ってもいいかしら」


 頷いて先を促すと、彼女は自嘲気味に笑って。


「このままでもいい、って思ってるの」

「え?」

「このままあなたと二人で、何もかも放り捨ててどこか遠くへ。生活は今より不便になるかもしれないけれど、あなたとなら──きっと、どこでもなんとかなる気がするし、どこでだって楽しいだろう──」

「……」

「──なんて考えてしまっている自分が、どうしようもなく嫌だわ」


 嫌悪するように、苦しむように顔を歪める。


「もう、嫌なのよ。私の勝手で、あなたを縛ろうとしている自分が。お母様の面影に縋って、でもお母様には届かないと分かってしまう自分が。それでも望みは捨てられなくて、追いかける事が辛くて、疲れて……あんなに大好きだったはずのお母様を嫌いになってしまいそうな自分がっ! もう、何が正しくて、どうすればいいのか……わからないのよ……」




 ……彼女は、言った通り分からなくなっているのだろう。

 理想と現実の板挟み。追いかける事に疲れ切った果ての逃避を望む心。


 それを、否定しようとエルメスは思わない。

 彼女が何を望むかは彼女の自由。何を願いに据えようと、彼はそれを肯定する──

 ──つもり、だった。


「……僕は、嫌です」


 でも。

 エルメスの口からこぼれたのは、この言葉だった。


「……え?」

「僕は──貴女に、追いかけ続けてほしいと思う。かつて抱いたものに、真っ直ぐであり続けてほしいと思う」


 彼女が目を見開く。

 ひょっとすると、彼女が望んでいたエルメスの答えとは真逆だったのかもしれない。


「……なんで、そんな、ひどい……」

「ひどい──ですか。……そうですね。僕は今、恐ろしく残酷なことを言っているのでしょう」


 夢を追うこと。願いに向かうこと。

 響きは甘美だが、成すだけの力が伴わないとその道程は地獄と化すのだから。

 それを理解した上で、けれど彼はこう言った。


 自分の都合で、他者の心を捻じ曲げる。

 それは彼が嫌悪するアスターとある意味では同じ所業。だからエルメスは今まで頑なに避けてきた。他者の意思を極端に尊重した。想いを学ぶ自分がそのような真似をするなど烏滸がましいと思っていた。


 けれど、今初めて。

 エルメスの前に、その主義に反してでも守りたい想いがある。


 だから、彼は彼の想いに従って。

 今から──彼女を地獄に(・・・・・・)叩き込もう(・・・・・)

 その手始めとして、まず彼は。


「カティ。君は、人の心の力を甘く見ているよ」


 かつての口調で、以前サラに喋ったことと同じことを告げる。


「いきなり、何を……」

「人の想いが人を育み、世界を発展させ──そして、魔法さえも想いによって生み出された」

「!」


 しかし今回は以前とは違う。

 言葉だけでなく、きちんとした証明も用意する必要があるだろう。


 ならば、使おう。

 彼の師に禁じ手とされた魔法。でも──真に必要だと思ったならば使っても良いと言われた魔法を。

 彼が再現に成功した、はじまりの血統魔法を今。彼女に見せる時だ。


 それに、今なら時間的にも丁度良い。

原初の碑文エメラルド・タブレット』を起動させ、息を吸って、詠唱を開始する。



「【私は翼を定義する 見えざる巨人に叡智の(くびき) 世界の果てまで解き放て】」



 またも知らない詠唱を聞いて驚く彼女に、手を伸ばす。

 首を傾げつつもその手を掴んでくれた彼女に微笑みかけ、彼は魔法の銘を告げた。



「術式再演──『無縫の大鷲(フレースヴェルグ)』」



「え──ッ!?」


 カティアが驚くのも無理はない。

 何せ、唐突にふわりと二人の体が浮き上がったのだから。

 そのまま留まることなく上昇を続け、遂に森の木々より高いところに辿り着いてなお上昇を続ける。


「え、エルッ!? これは一体!?」

「『無縫の大鷲(フレースヴェルグ)』。見ての通り、空を飛ぶ(・・・・)血統魔法だよ」

「空を、飛ぶ……ッ!? 待って、それは、まさか──!」


 彼女も気付いただろう。

 エルメスが師匠にこの魔法を禁じられた理由。それは単純明快──一発で師匠の正体がバレるからだ。

 それほどまでに有名になり、彼女を表す代名詞ともなった魔法と共に、


「そう。僕の師はかの『空の魔女』ローズ」


 彼は明かす。




「またの名を、ローゼリア・キルシュ・フォン・ユースティア。先代の第三王女であり、歴代最高にして伝説たる『三重適性』の魔法使い。あまりに規格外すぎて、それ故に王都を追い出された──でも、僕にとっては世界で一番尊敬する魔法使いだ」

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