184話 いちばん綺麗な想いの衝突
「ふッ──」
エルメスが、拳を繰り出す。
彼の基本となる打撃を中心とした格闘術。これによって彼は、強化汎用魔法も加えて魔法使いの根源的弱点である『寄られたら弱い』をある程度克服している。
ローズに仕込まれたこともあってその練度は年齢にそぐわず非常に高い。全体重を乗せた十分な威力の拳がクロノに迫り……
「──」
「!?」
ぐるりと、いなされた。
受け止める直線の動きではなく曲線の動き。エルメスの拳を一歩で躱すと、そのまま横合いから手首を絡めとるように力を逃し、体勢を崩したエルメスに反撃の拳。
それはなんとか紙一重で避けたものの、続け様にハイキックが迫り来る。それは避けられないと判断し辛うじて腕を挟み込むも、尋常ではない衝撃にガードごと吹き飛ばされた。
「ぐ──!」
……やはり、間違いない。
クロノも、何かしら近接戦闘の技術を修めている。しかも見たことのないものを、今のエルメスに近いレベルの練度まで。
なので素直に、エルメスはそれを問いかけた。
「……なんの技術ですか? それは」
「ユースティアではない東方の国のものさ。この国を離れていた期間も多かったのでね」
納得する。道理で全く知らないわけだ。
その後も曲線的なクロノの動きや打撃に翻弄される。気づけば防戦一方になっていたエルメス、どうにか一連を捌き切った彼に対し、一息つきながらクロノが告げる。
「創ってもらった身で言うのはなんだけど……魔法を禁止するのはやり過ぎだったのではないかな?」
「……そうですね、僕も今若干そう思ってます」
「魔法を禁止されれば、必然肉体のみを使った勝負になる。私たち魔法使いは魔力操作である程度身体能力を底上げできるが、限界は存在する」
勝負を楽しむように、その上で事実を突きつけるように。
「故に、魔法での戦いではないに等しい差が浮き彫りになる。──体格の差だ」
「……」
「私は成長が止まっているとはいえそれでも大人の男。対して君はまだ十五歳、しかも年齢の割に体格的にはやや華奢だ。これは大きいよ、多少の技術の差など簡単に覆してしまえるほどに」
「ええ、仰る通りです。でも──」
クロノの言い分は認めた上で、それでも、と。
以降は言葉ではなく、行動で。クロノの拳を避けたエルメスは、そのままクロノの踏み込み足の膝を踏み台にして跳躍。
「!?」
空中に跳んだ勢いのまま回し蹴り。先刻のお返しのようにクロノの側頭部を狙い、ガードごと吹き飛ばす。
今し方の返答のように、『身軽であるからこそできる技』を返したエルメスは、着地と同時にこう告げる。
「このように。そういう『生まれつきの差』を覆すために、叡智と技術があるのです。それは、魔法に限った話ではないでしょう?」
「……ああ、その通りだ」
「貴方の使う技、不思議な動きで多少手間取りましたが──なんとなく分かってきました。そろそろ反撃してよろしいですか?」
生意気な物言いにも、むしろ望むところとばかりに笑みを返して。
……いつの間にかクロノから丁寧語が消えていることに、両者気がつきながらも言及しなかった。それが親交の証であることを言葉にせずとも共に感じ取っていたから。
そのまま、エルメスは楽しそうに。クロノもまた、生まれて初めてなんのしがらみもなく体を動かすことを楽しむように。
野蛮なはずの殴り合いを、されど友と遊ぶように。拳の応酬を続けていった。
……それは、或いは。
この王国が始まってから初の、そして唯一の。魔法を介しない想いのぶつけ合い。
片や王国の新しい形での存続を。片や王国の純粋な破滅を。
貴賤もなく上下もない、対等なその想いたちを。拳に乗せて、彼らはぶつけ合う。
そんな中で。
魔法を封印する領域の中だからか、またはその魔法に込めた願いの副作用か。
曖昧に、けれど確実に。拳から、クロノの想いが伝わってくるような気がした。
気のせいではないと信じ、エルメスの返す攻撃に想いを乗せる。今度は先ほどよりも明確に、問いかけの形にして。
──そう言えば、聞きたいことがあったのですが。
──なんだい?
明確な答えが返ってきた。
それにエルメスも、そしてクロノも驚きつつ。
けれど両者、細かい理屈は無視してそれに乗っかると決めたのだろう。不思議な、ささやかな奇跡のような対話を殴り合いに合わせて続ける。
──貴方はどうして、この国を恨むようになったのですか?
──ああ、そういえば言っていなかったね。
演舞のように突きと受けを繰り返しながら、クロノが想いを語る。
──他の三人の幹部のように、そこまで特別な事情があったわけではないんだ。
──そう、なんですか?
──ああ。どちらかといえば、積み重なっていった感じかな。例えば……
そこから、一挙の連撃に乗せて。
──私の弟が、ラプラスと同じ『悪神の篝幕』の血統魔法を持って生まれたせいで、それだけで家族に『なかったこと』にされたり。
──!?
──家族ぐるみで付き合いのあった少女が、それを庇ったという理由だけで教会に異端認定されて殺されてしまったり。私によくしてくれた父の妾が、優秀な血統魔法の子を産めなかったがために母に酷い扱いを受け自ら命を絶ったり。
それは。淡々と語るには、あまりにも重すぎる羅列で。けれど、クロノはそれを。
──そんな、『この国ではよくあること』が重なった結果。私は自然と、この国を何もかも破壊したいと思うようになってしまった。そんな程度の話さ。
よくあること、だと。この国では、よくあってしまう話だと語る。
……それを聞いて、エルメスは理解した。彼のことを、その想いごと。
──そうですか、貴方は。
──うん。
──貴方は……ずっと正しく真っ当であり続けたのですね。このおかしな国で、おかしなことが良しとされてしまう国で。貴方は最後まで、人としてちゃんとした大事な価値観を見失わなかった。だから、そうなったのですね。
この国は、おかしい。血統魔法という存在や人ならざるものの干渉によって、きっと最初からなるべくしておかしくなっていた。
エルメスだってそうだ。幼少期の経験から一度感情を失った結果、自分でももうどこか歪だと自覚できる価値観が形成された。
……けれど、クロノは。彼だけは。そんな中でも、人であることを見失わなかった。流されも歪まされもせず、持ち続けるべき想いを持ち続けたから。
だからこそ、この国は滅ぶべきという。それも一つの正しい答えを持って、破滅をもたらす組織のトップとなれたのだ。
それは、きっと素晴らしいことだ。誇るべきことだ。
そんな想いを受け取ったクロノは、一瞬虚を突かれたように動きが止まり……そこに、エルメスの拳がクリーンヒットしてしまう。
──あ。
──っ、はは。いや、今のは君は悪くないよ。気を抜いてしまった私のせいだ。でも……ああ、そうか。
対してクロノは体勢を整えた後、再び拳を繰り出して。
──そう言ってくれるのか。君は、私のことを。
今までと比べて、どこか穏やかな想いが伝わってきた。
けれど、だからと言って手を抜くことはお互い一切なく。
それ以降は明確な会話の形にはならず、されど互いの譲れぬ想いを乗せた拳の音が、静謐な地下に響き続けた。
そこからは、二人とも消耗が重なって。
最早防御の余裕はなく。至近距離でひたすら拳を繰り出し、それが全て当たる。
殴られた分だけ殴り返し、仰け反る体を意地で前に持っていってまた殴った。
あまりにも野蛮で原始的で、けれど誰も割って入ってはいけない。そんな神聖な原初の喧嘩が、そこにはあった。
想いが、伝わってくる。
クロノの拳から、込められたあまりにも大きく強い想いが。
この国は、間違っている。これからも、間違った在り方が生み出され続ける。だから滅ぼす、そうするのが正しいと信じているし、そうせずにはいられないから。
それは、確かに正しい。この国を全て見た上で浮かんでくるアンサーとしては間違いなく模範に近い。明確に否定する材料は、見当たらない。
……それに、数十年積み重ねてきたものに対抗できるほどではないのかもしれない。
けれど、エルメスにも想いはある。
この国は、確かに間違っているのかもしれない。
でもそんな中でも、素晴らしいものはある。美しいもの、残すべきもの、繋ぐべきものはある。これまでエルメスが出会った人や魔法たちから、彼は心からそう思う。
だから、存続させる。間違ったものは廃して、良きものを繋いで。長い時間と大きな手間はかかるだろうが、それでも確かに変える。自分たちが、変えていく。
その想いを込めて、エルメスも拳を返し続ける。
……想いに貴賎はなく、願いに上下はない。
だからこそ、人が人である以上時にそれはぶつかる。争いとなる。
それは、人間である以上必然の業なのかもしれない。だからこそ、今も自分たちは古代から変わらず、こうして性懲りもなく殴り合っている。
でも、それでも。そうすることに、きっと意味はあって。
同時に。破滅を、破壊を願う想いと、存続を、守護を願う想いと。
対等なそれらが、多くのそれらがぶつかった時……それでも。
きっと、ほんの少しだけ。守る想いが、続く願いが多くなるようにできている。そうであると、エルメスは信じる。
それを、証明する時がやってきた。
最早限界をとうに超えた両者の拳が交差し、お互いの顔面に直撃する。
ぐらりと、エルメスの視界が歪む。クロノも同様に体が崩れ、傾く。
膝が折れ、倒れかける。そのままエルメスが天を仰いで倒れ伏そうとした時──
──目が、合った。彼らの戦いを、見守っている人たちと。
カティアの、本当に心配をしながらも確かな意思を宿した瞳があった。
サラの、祈りを捧げるように軽く伏せながらもそれでも逸さなぬ瞳があった。
ニィナの、眩しいものを見るような憧憬と信頼を持った瞳があった。
アルバートの、真っ直ぐに目指すものとして自分を見据える瞳があった。
ローズの、本物の慈愛を持って愛弟子の道行と選択を静かに見守る瞳があった。
そして、リリアーナの。つい先刻、目を覚ました彼女の。
何故ここにいるのか分からないながらも、それでも。
ただただ純粋に、自らの師を。最も信頼する臣下を。信じる瞳があった。
それらを、見て。エルメスの力尽きかけた体に、ほんの僅かな力が再び蘇って。
その全てを使って足に力を入れ、地面を踏み締め、踏み込み。
「────!!」
乾坤一擲。自分の、そして自分以外の全部を懸けた最後の拳が。
──クロノの胸の中心、心臓の場所に、美しく突き刺さった。
三章の旅を通して得たエルメスの想いを、一番熱い形でぶつけました。楽しんでいただけたら幸いです!
次回、決着の後。『組織』を作って駆け抜けた彼らのお話。ぜひ読んでいただけると!




