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45話 奥の手

 初手から飛ばす。

 大司教のアドバンテージを考えれば、それ以外に道はない。


 故にエルメスは、一息に。最短で敵陣奥深くにいるヨハンまで辿り着くべく──



「術式再演──『無縫の大鷲(フレースヴェルグ)』」



 空を飛ぶ魔法。切り札の一つを解放する。

 瞬時に浮き上がる彼の体。大司教への道を阻む一切合切を踏み倒すべく、この場で彼だけが辿り着ける領域まで自身を運ぶ──


 ──前に。


「ッ!!」


 一瞬の閃光が、エルメスの目を灼いた。

 咄嗟に空中で体を捻ると、直後に彼の体を掠める熱線。


 狙撃、されたのだ。


(だろうね……!)


 だがエルメスとしても、これくらいは想定内だ。

 いくら現状予知が不完全な状態だとしても、エルメスが最も読まれやすいことに変わりはない。

 エルメスが取る手段くらいは、当然のように把握されているだろう。


 加えて、これは『無縫の大鷲(フレースヴェルグ)』──と言うよりエルメスの弱点だが。


 彼は、複数の(・・・)血統魔法を(・・・・・)同時に(・・・)扱えない(・・・・)

 つまり現状空を飛んでいる間は、他の血統魔法を使えず。それどころかこの魔法ほど複雑な再現だと強化汎用魔法の使用すら制限される。


 結論──今の大司教のように、何かしらの魔道具による空中狙撃手段を持っている相手には、むしろ良い的となってしまうのだ。

 それが届かない高度まで上昇できればその限りではないが、それを相手が許してくれるはずもない。このままではなす術なく撃ち落とされるのが関の山。


(仕方ない)


 即座に思考を切り替える。

 元よりこれは駄目で元々、ならば正面からの突破に切り替えるのみ。

 その意思と共に魔法を解除、兵士たちに隠れて大司教までの道を踏破するため、地に足をつけた──その瞬間。


 彼の降り立った地面が光り輝き、そこから複数紫の茨のような鞭が生えてきた。

 それらは凄まじい速度で、エルメスを絡め取ろうとしてくる。


設置罠(トラップ)──!)


 例の『神罰』のからくりと同じだ。

 予知によってエルメスの行動を時間単位で把握し、ピンポイントで効果を発揮する類の魔道具を的確に仕込んでくる。

 それによって今回も、魔法を解除しての着地の瞬間、最も無防備なタイミングで最大の罠を差し込んできたが──


 ──その手をもう一度食らってやるほど、エルメスも甘くはない。


 彼とて、ただの魔法使いではない。

 凄まじい身のこなしで襲い来る茨を躱す。その後も執拗に追ってくるそれをひたすらに回避し、稼いだ時間で魔法を詠唱。そして、



「術式再演──『火天審判(アフラ・マズダ)』」



 一挙に、焼き払う。

 最大火力の一つを惜しみなく使い、設置された罠の一切合切を吹き飛ばす……どころか、周りの敵兵たちもその余波で追い払い、次の手を打つ隙を強引に作り出す。

 その空隙を逃さずエルメスは次の詠唱を開始し、少しだけ近付いた大司教に指を向け。



魔弾の射手(ミストール・ティナ)──属性付与(エンチャント)雷電(エレカ)



 狙撃返しだとばかりに、最速の魔弾を撃ち放つ。

 初めての効果的な反撃は、狙い違わず大司教の元へと瞬時に到達して……


「……は」


 大司教が掲げたまた別の魔道具。そこから発生する、オレンジの壁によって阻まれた。


(……そっちも、そう甘くはないか)


 恐らく、以前ローズがエルメスと戦う時に使ったものと同種の魔道具だろう。

 だとすれば、遠距離攻撃は意味をなさない。警戒されている限りでは、『流星の玉座(フリズスキャルヴ)』でも防がれると思った方が良いだろう。


 しかし結果に歯噛みしている余裕はない。エルメスは威嚇射撃を繰り返しつつ、ならばそれごと叩き潰せる距離に近づく──最初の狙いに戻るだけだと。

 汎用性の高い『魔弾の射手(ミストール・ティナ)』を起動したまま突撃を再開し……同時にエルメスは考える。


 ──やはり強敵だ、と。


 当初最大の脅威だった『神罰』はからくりを解明したことで無効化したとは言え……それでも尚、今見せたあまりに豊富な攻撃手段。

 当然だ、奴は教会のナンバーツー。王国各地から集められた有用な魔道具をいくつも所持していることは疑いようがなく、恐らくは古代魔道具(アーティファクト)すら複数含まれているだろう。


 加えて……大司教は、その魔道具全てをきちんと(・・・・)使い(・・)こなして(・・・・)いる(・・)

 類い稀な判断力と、明晰な頭脳で。多すぎる手札に振り回されることもなく、的確なタイミングで的確な手を打ってくることは今の一瞬でも良く分かった。


 更には、予知。

 今しがたの設置罠を見て確信した。大司教にとって──この状況は、まだ予知の範囲内なのだと。

 確実に綻びは出ているのだろう。にも関わらず、エルメスの行動は未だ恐ろしく高い精度で把握しているのだ。


(……いや違う)


 それだけではない──とエルメスは突撃を続けつつ、視線を横にやる。

 そこではリリアーナの指揮のもと、彼女の魔法によって血統魔法を扱えるようになり、規格外の総合力を誇る兵士たちの奮闘と──


 ──それにしっかりと対応し始めている、北部連合の騎士たち。


 ショックから立ち直るのが、明らかに早すぎる。それが意味するところは一つ。


(……読んでいたんだ、大司教が。リリィ様の行動は予知できなくても、どういう類の戦術や魔法が飛び出してくるくらいは)


 リリアーナ自身の予知は不可能でも、それ以外の情報からあたかも影絵を浮かび上がらせるように。加えて、大司教自身の経験からくる推測によって。

 予知を崩されても、焦ることなく。予知ばかりに頼りきりになることもなく。



 そうして、大司教ヨハンは。徹底的に執拗に、ある種狂的なまでに──

 ──全てを、自分の思い通りに動かそうとする。



 ……盤上遊戯(ボードゲーム)を彷彿とさせる、とエルメスは思った。

 頭脳と、能力と、魔法と──ありとあらゆるものを使って。

 あの男は、自分達に『駒であること』を強要するのだ。


 そして実際に奴は、それが完璧に遂行できるだけのものを持っている。

 アスターとは違う、血統ではなく能力と才覚でそれを成してきた、生まれついての支配者。

 奴の前ではエルメスも未だ掌の上、戦場の操り人形の一つに過ぎないのだろう。


(──上等)


 だが、その上で。エルメスは心中で宣言する。

 それもこれまでだと。崩す布石は既に打った。実際に綻びも見え始めている。

 今読まれていても、この先はそうとも限らない。不確定要素が僅かでもあればそれで十分だ。


 最初に宣言した通り……止められるものなら止めてみろと。

 再度そう決意し、もう一度大司教を見据え。突撃を再開したのだった。




 ──そこから先の戦線は、熾烈を極めた。

 多種多様、十重二十重。先読みし先回りし、一瞬でも気を抜けば即座にやられるような初見殺しのトラップの数々。殺意に満ちた攻撃が、容赦なくエルメスに襲い掛かった。

 完璧に読まれた上での、完璧に待ち構えられた罠。実際それらは的確に魔道具を扱っており、エルメスを十回殺してもお釣りが来るほどだっただろう。


 ……しかし、エルメスは。


「──次」


 その全てを、捌いていった。


「それは見た」


 生半な狙撃は全て焼き払った。圧倒的な物量の攻撃は身のこなしで躱しきった。

 毒や幻覚の類の罠は起きた瞬間、或いは起きる前に察知して風で飛ばすか結界で閉じ込めた。

 加えて罠を回避するごとに、それらの傾向を掴んで更に対策を早めていった。


「それも、もう知ってる」


 一瞬でも気を抜けばやられるのなら、一瞬たりとも気を抜かなければ良いだけだとばかりに。

 対応し、適応し──極め付けは罠を敢えて踏んだ上で発動前に潰すという荒業までやってのけて。


 魔道具は原則、血統魔法以上のことはできない。

 故に、それらで大火力を出そうと思ったら基本的には今回エルメスに行ったように、数による物量作戦しか有り得ない。


 ──エルメスに対しては、それが悪手。

 彼の武器は対応能力。そんな彼に対してこうまで馬鹿正直に数のごり押しを行うなど……対策してくれと言っているようなものだ。


 後半は、もはや彼の立ち回りに危なげは欠片も無く。

 熾烈さを増していったはずの罠の数々も……彼にとっては、時間稼ぎにしかならなかった。



 かくして、宣言通り。

 あらゆるトラップ、致命の嵐を全力で踏破したエルメスは。


「次──は、ありませんか」


 遂に、残る距離数十歩。大司教の姿を目視できるところまできた。

 無論、彼も無傷とはいかない。全身に無数の小さな傷が刻まれ、出血量も馬鹿にはできないだろう。


 しかし──その翡翠の眼光にだけは翳りなく。爛々と、倒すべき敵手の姿をその視界に捉えていた。

 辺りに漂う魔力の気配から罠の残弾はないと判断し、エルメスは構えをとる。


 当然、まだ油断はできない。大司教のことだ、ここからでも隠し球の一つや二つ持ち合わせているのは疑いようがない。

 特に警戒すべきは、未だ全容が知れない大司教の血統魔法、洗脳の魔法。大司教に近づく今こそ、最大限に警戒する必要はあるだろう。


 ……だが、それはもちろん突撃を躊躇う理由にはならない。

 時間を稼いでくれているリリアーナたちのためにも、早く決着をつける必要があるのは紛れもない事実なのだから。


 故に、躊躇なく。エルメスは力強く踏み込んで、大司教に続く最後の道を全力で踏破しようとして──

 そこで。




 大司教が、嗤った。




 瞬間。

 エルメスの動きが止まった。


「──え」


 突如として、強制的に静止させられたエルメスの行動。

 大司教に何かをされたわけではない。現在エルメスの警戒は全て大司教ヨハンに向けられている、奴に何かをされたなら彼が気づかないはずがない。


 そう、故に。同時に彼は理解させられる。

 後ろを振り向き──否、振り向かされて。否応なしに視界を埋めさせられる存在、彼の動きを止めたのは……


「──やぁ」


 ニィナ・フォン・フロダイト。


 彼女の持つ、エルメスには絶大な威力を誇る魅了の魔法に他ならない。

 その彼女が、いつも通り。可憐な微笑みを浮かべたまま、エルメスの動きを封じていた。




 ──早すぎる。

 真っ先に抱くべき疑問はそれだっただろう。


 ニィナは、サラが足止めしていたはずだ。いくら直接的に戦うことに向かない彼女とは言え高い魔法能力を持つ二重適性、加えて魔法の相性も良く、ニィナが全力を出せない今の状況であれば十分な時間稼ぎが叶うはずだった。


 その見立ては、間違っていなかっただろう。サラが油断をするような性格でないことも確かで、何か別方面から加勢があったわけでもない。

 ならば。ここまでの短時間でニィナがサラを突破し、ほぼ止まることなく突撃していたエルメスに追いついて止められた理由は一つ。



 ──ニィナが(・・・・)本気を出した(・・・・・・)。サラに相対する彼女が、一片の手心も加えなかったからに他ならない。



 じゃあ、と次の疑問。何故彼女はそうしたのだ。こちらの勝利を望んでいたはずの彼女がそのような行動に及んだ理由はなんだ。


 その答えは──すぐに明らかになった。

 ニィナを見る……否、ニィナ以外を見ることを既に禁じられたエルメスが。彼女を観察し──以前相対した彼女の首筋にあった、鎖のような紋様が消えていることと。

 そして何より、彼女の僅かな、そして何より決定的な魔力の変質が全て物語っていた。


 それらの情報から……既に緩やかに甘く痺れ始めていた彼の思考の中で、答えを導き出すのと同時に。

 ニィナは、ふわりと。彼の思考を完全に奪い、全てを虜にするような愛らしい魔性の微笑と共に。


「エル君、好きだよ」


 甘やかな声で、蕩けるような告白で。彼の意識を奪い尽くすための言葉に続けて。

 こう、告げた。




「──だから(・・・)殺すね(・・・)?」




 ニィナが(・・・・)洗脳(・・)されている(・・・・・)


 それが、結論。

 ニィナがこんな行動をした理由は、この状況に落ちいた理由は。それ以外に有り得ない。



 大司教の、未だ全容が見えない洗脳の魔法。

 それが牙を剥いたのは──エルメスにではなかったのだ。


 エルメスは以前、大司教の魔法についてこう話した。


『そもそも、思考改変系統の魔法は基本そこまで便利なものではありません。本人の認識や意識を著しく変えることは不可能なはずなんです』


 そう、思考操作系の魔法に関する特徴の三つ目。『対象の性質や性格を著しく変えることはできない』だ。

 大司教の洗脳魔法は、何故かそれを貫通するとエルメスは語っていた。


 ならば、同様に。

 思考操作系の魔法に関する特徴の一つ目。『同系統の魔法持ちには基本効かない』。



 ──それは貫通しないと、何故言い切れる。



 そこを見誤ったのが、エルメスたちの致命的なミスだと。

 そう言わんばかりに、大司教は。ニィナに見えず、自分には見えていた未来が寸分違わず実現する光景を目前に嗤って。


「──やれ」

「うん」


 大司教の指示に、何の疑いもなくニィナが頷いて。

 一切の容赦ない、致命の刃が──ほとんど動けなくなっていたエルメスに、襲い掛かったのだった。

次回、ニィナ回になる予定。お楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[一言] 「ニィナは大丈夫」という内容が結構あったのに洗脳されていて、予想をしていなかったので今後の展開がとても気になります。 次回の更新を楽しみにしてます。
[気になる点] 灰塵の世界樹を前回のラストで展開→今回の冒頭で無縫の大鷲を発動→エルメスは同時に複数の魔法を使用できない? この部分の説明が欲しいです。普通に意味が分からなかった
[一言] 確かに、 エルメスの死が避けられないなら、 自分でその光景を作り出すのが手っ取り早い訳で。 で、もし仮にそうであるなら、 ニィナもエルメスと同じ結論に至った、という事に。
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