26話 兵士たち
「……なるほど。事情は納得致しました」
北部貴族、ハーヴィスト伯爵の地位を剥奪、捕縛した後。
そのままエルメスたちは、伯爵直下の兵士たちが集まっている場所へと足を向けた。用向きは当然、伯爵と兵士たちの今後の扱いの件である。
「伯爵様が教会と繋がっていたことに関しては──まぁ正直、だろうなとは思っていましたとも。その件に関しては疑いませぬ」
そんな一向を出迎えたのは、トアと呼ばれている初老の男性。如何にも歴戦の戦士と言った風情の男で、老いを感じさせぬ鋭い眼光と威圧感はリリアーナが軽く怯えるほどである。
彼がここの騎士団長ということなので、その覇気も納得だろう。
そして彼、トアが事情を要約した後、口を開く。
「──で。伯爵様に変わってこれからは貴女様が我々の上に立つ、と言うことでよろしいか? リリアーナ殿下」
「そ、そうですわ」
静かな眼光に加え、それこそ大熊と小鹿ほどある体格差に圧倒されつつも、リリアーナが首肯する。
そんな二人を見ていた周りの兵士たちのうちから、一人の分隊長らしき人間が歩み出てくる。
「だ、団長。自分は……この方々は信用に足ると思います」
その容貌には見覚えがあった。
ここに来た直後。北部連合に追い立てられていた兵士たちの隊長だ。
そんな彼は、リリアーナ──の後ろに居るエルメスに視線を向けると。
「彼らは……圧倒的に不利な状況にあると理解しながらも、自分たちを助けてくださいました。だから、その──」
誠意を持って、そう直訴する。
先の戦いで得たものがここで生きた形だ。これならば兵士たちの説得もスムーズにいくか──と、思っていたのだが。
「──は。どーだか」
また別の方向から、声が聞こえた。
視線を向けると、また別の兵士。歴戦の風格と同時に、どことなく粗野な印象も漂わせる男がこちらを睨みつけていた。
その視線に信頼や感謝が欠片もないことは見るからに明らかで。
「所詮、王侯貴族様の気紛れだ。助けたのも単純に俺たちに取り入るのと、死なれちゃ困るって理由だけだ。命を尊ぶなんて高尚な感情あんたらはどうせ持ってないんだろ」
「おい、やめろ──」
「俺たちはなぁ!」
騎士団長の静止より前に、男が叫ぶ。
「モノじゃねぇんだよ。確かに俺たちは兵士だ、駒として扱うなとは言わねぇ。でも──あんたらの気紛れで弄ばれて、何もできずいたずらに命を散らすのはもううんざりなんだよ! これまでの領主は全部そうだった、お前らがそうじゃない保証がどこにある!」
「そうだ、これ以上好き勝手に振り回されてたまるか!」
「あんたたちは所詮、戦える血統魔法を持たない人間は塵屑としか思ってないんだろ!」
その糾弾に、周りの兵士たちも声を上げる。
同じ不安を、全員が持っていたのだろう。エルメスに直接助けられた隊の人間以外は全員それに追従し、止まらなくなって──
「──静まれ」
それを、騎士団長トアの一言が全て押さえつけた。
全員が直立不動で静止する。背後で聞いていたエルメスたちですら背筋が伸びる、凄まじい迫力だった。直撃を受けた兵士たちはひとたまりもなかっただろう。
そのまま騎士団長はこちらに振り向き直すと、一度頭を下げる。
「失礼致しました。部下たちには後できつく言っておきます──が」
その後、再度声をがらりと変え、鋭い眼光でこちらを射すくめると。
「正直に申しますと、私も一部には同感です。いくら尊敬できるところの全く無かった領主とは言え、一方的に我々の雇い主の爵位を剥奪してこれからは自分に従えと宣う。そんな貴方がたを──我々は、まだ信用できていない」
「っ──」
リリアーナが息を呑む。
それと同時に、エルメスたちも他の兵士たちを見回して……納得した。
彼らは、疲弊していた。
疲れ切って、ぼろぼろになって。突如として襲いかかった侵略者の外からの理不尽に加え、きっと兵士たちに対しても横暴に振る舞っていただろう領主による内からの理不尽。
更には──彼らは兵士。悪く言えば、有用な魔法能力を持てないから兵士にならざるを得なかった人たちだ。
きっと、この血統魔法至上主義の王国ではひどい扱いを受けることも多かったのだろう。今代の……ひょっとすると、それ以前の領主たちにも。
それらが積み重なった結果、信用できなくなってしまった。貴族というものを。血統魔法使いを、自分たちとは違う生物として。
「……失礼。だからといって貴方がたを排斥したいわけではございません」
言葉に詰まる一行を見やってから、改めて騎士団長トアは述べる。
「私が殿下に……貴方がたに問いたいことはただ一つ」
誇りと、誠実さを持って。真正面から彼らを見据えると。
「貴方がたは、このハーヴィストの地を。我々の家族が暮らし、愛着ある場所であるこの地を、きちんと守ってくださるのですか?
我々に──故郷を守らせてくれるのですか?」
率直に、真摯に。そう告げた。
長年、この地を守り続けてきただろう人間の重みある問い。それに対し、
「そ、それは……」
「──それは。言葉で示せることではないでしょう」
言葉に詰まるリリアーナに変わって、エルメスが答えた。
「……師匠」
「ほう」
リリアーナがエルメスを見上げ、騎士団長トアはエルメスに興味深い視線を向ける。長年の感覚で、エルメスの実力について朧げに察したのかもしれない。
「僕たちが、この地を守れるかどうか。守れると断言しても、貴方がたは納得しないでしょう。では──行動で。守り切るという結果で示す他無いかと」
静かな説得力のある言葉に、全員が聞き入る。その静寂をトアが破ろうとした、その瞬間。
「──敵襲!」
話し合いの場を破る、不穏の報告が聞こえた。
全員が声の方向に目を向ける。伝令らしき兵士が息を切らせながら走ってきて、
「北部連合の兵士が、砦の西側から攻めてきます! 既に目視できる距離にまで!」
「っ、数は」
「おおよそですが──500人。血統魔法使いも最低3人!」
それを聞いて、兵士たちに絶望の声が上がった。
当然だろう。500人──今ここに居る兵士たちの総数と同じだ。そしてここの兵士たちは全員疲労困憊、加えて血統魔法使いまで居るとなればその有利不利は誰にだって明らかだ。
一応、籠城戦に徹すれば守りきれなくはないが……それでも終わりの見えない戦いを強いられることは間違いない。騎士団長も難しい顔で判断を下そうとしたその時。
「──丁度良いですね」
一切の気負いなく、エルメスがそう告げてから。
「トア団長。騎士団の皆様も。今回は休んでいてください。
──僕たちだけで、追い払います」
その言葉に。
さしものトアも瞠目し──そして彼の周りの人間を見て、更なる驚愕に襲われる。
「エル、いけるの?」
「はい。規模からして主目的は威力偵察、あわよくば大打撃を与えられたら儲けもの──と言ったところでしょう。魔力の感じからするにルキウス様もニィナ様もいませんし」
「誰が出る?」
「僕と、カティア様と、アルバート様。回復は恐らくいらないと思うので、サラ様は負傷した兵士さんたちの治療に回ってください。リリィ様と公爵様はその付き添いを」
「は、はい」
「わ、わかりましたわ!」
「それが妥当だろうね、了解した」
信じられなかった。
敵が兵士たちだけ、と言うのならばまだ分かる。強い血統魔法使いは一人で百人以上の兵士に匹敵することも珍しくないからだ。
だが、今回は向こうにも血統魔法使いが居る。戦いの必須条件と言える兵力と個人戦力を、きちんと向こうは揃えてきているのだ。
にも関わらず、たった三人で挑むと言うのは……彼の今までの感覚からすれば、あまりに無謀に過ぎた。
子供の戯言と止めるかどうか真剣に悩む騎士団長の前で、エルメスは笑いかけると。
「そちらの危機を喜ぶのは少し躊躇われますが、こちらにとってはある意味で好機です。──どうか、信用を得る機会をお与えいただけますか?」
その、あまりにも堂々とした態度と──口調とは裏腹に、凄まじい修羅場をくぐり抜けて来たことが察せられる立ち居振舞いに、それ以上騎士団長は何も言えず。
堂々と戦場に向かう少年少女を見届けて。
そして。
「……嘘、だろ」
とある兵士は驚愕していた。
彼は、最初にエルメスたちに噛み付いた兵士である。エルメスたちの言う通り、度重なる貴族たちの横暴に嫌気がさし、一切の信用をするものかと意地になっていた人間だった。
そんな彼にとって、貴族は嘲弄の対象だった。
確かに強力な血統魔法を持ってこそいる。だが、大抵の人間はその力に溺れるだけの連中で、言うほど大したものと思えなかったのだ。
真正面から戦えば確かにその血統魔法のごり押しで勝てるだろうが、正直なところ──仮に領主と対立したとしても、自分たちなら勝てる。
そんな、強いことは強いがその気になれば問題ない。頼りにならない、侮っても良い相手だったのだ。
なのに、どうだ。
あの──砦の頂上から眺める光景。向こうで大量の兵士と血統魔法使いを相手に戦っている、三人の魔法使いは。
蹴散らしていた。
意にも介さなかった。
僅かな抵抗すら許していなかった。
何よりも驚愕すべきは──『同じ』なのだ。
向こうの兵士たちと、向こうの血統魔法使いの扱いが。
彼らにとってはいずれも同じ……『取るに足らないもの』として対応していた。兵士たちも、兵士たち百人以上に匹敵する血統魔法使いも。彼らにとっては等しく蹴散らす対象として扱い、実際にその通りの戦果を上げていた。
紫の少女が、無数の冥界の兵士を呼び出して単独で一軍を易々と押し留め。
風の少年が、その血統魔法で戦場を縦横無尽に飛び回り、敵を撹乱して砦への侵入を阻み戦場を調整する。
そして、あの銀髪の少年が。
明らかに血統魔法クラスの──否、一部分ではそれに留まらない魔法を自在に操り、魔法を一つ撃つたびにごっそりと大量の兵士を戦闘不能に追い込んでいた。
──勝てる気がしなかった。
あの三人、特にあの銀髪の少年には。仮に自分たち騎士団が全員で掛かったとしても敵うビジョンがまるで見えなかった。
ことここに至っては、認めざるを得ない。
あの魔法使いたちは。自分が今まで見てきた血統魔法使いとは。貴族とは、何かが──
「……きっと、今まで貴族の方々にひどい目に遭わされてきたんですね」
そこで、背後から声。
振り向くと、ブロンドの髪を靡かせた美しい少女が居た。今まで兵士たち、仲間たちに──これも驚くほど真摯に、献身的に凄まじい治癒の魔法を捧げ続けていた少女が。
痛ましそうに、気遣うような表情を浮かべて再び口を開く。
「それに関しては、わたしたちにはどうしようもありません。……同じ貴族として申し訳ない、と謝りたいところですが……それはきっと自己満足で。貴方たちが救われるわけではないでしょう」
そこで一息つくと、決意を宿した瞳でこちらを見据えてきて。
「だから……エルメスさんの言う通り、行動で示します。
どうか……目を逸らさずに見ていただけると助かります。エルメスさんたちの……わたしたちの、想いを、違いを。──これからも、裏切りませんから」
その碧眼から放たれる意思の光に、負けるように兵士は目を逸らす。
……彼自身、どこか期待してしまっていたからだ。
どうしようもない戦場だと思っていた。
兵の数も質も、魔法使いの最大値も向こうの方が圧倒的で。このままあの無能領主の元で、すり潰される未来しか見えない戦いだと思っていた。
けれど、彼らがいれば。
あの畏怖さえ覚えるような強さの少年が居れば、ひょっとすると。光明が見えるのではないかと──
──そんな期待を、悟られたくなくて。
兵士はその後も、サラの方を見ることなく。
けれど戦場からは目を逸らさず、完勝した三人が戻ってくるまで見届けたのであった。
こうして、向こうの襲撃を僅か三人で退けたエルメスたち。
自分たちの力と態度を示す機会は絶好の形で幕を閉じた──と、思われたが。
最後に、一つ。
重大な……と言えるかどうかは判断の難しい事件が起こった。
「──た、大変です!」
北部連合の先兵を退けて、騎士団長の所に帰還したエルメスたちの元に。
あたかも先ほどと同じように、息を切らせた報告の兵士が駆け込んで。
こう、告げたのだった。
「さ、先ほど、領主の間に侵入者が居る形跡を発見しまして!
そこのエルメス殿たちが拘束していたはずの、伯爵様が──!」
同刻。
「は、はは、はははははは!」
覆面をした北部連合、教会の兵士たちに連れられて。
高らかに笑い声を上げるのは──ハーヴィスト伯爵。
「馬鹿め、油断したなあの小僧どもが! やはり実戦経験に乏しいと見える、あの兵士たちは所詮陽動よ。本命は『私の救出』にあったとは気付かぬ愚か者どもめが!」
問答無用に拘束された屈辱と、その相手に対する復讐心、そして野心を漲らせて。
アスラク・フォン・ハーヴィストは叫ぶのだった。
「気に食わないと、それだけの理由で私を排除したとんでもない悪党どもめ! 覚悟していろ、教会と共に貴様らと、ことあるごとに私に楯突いてきた兵士たち諸共葬ってくれるからなぁ──!」
◆
そして、捕らえたはずの伯爵が消え去り、恐らく最初から繋がりのあっただろう教会に保護された頃合いで。
「それじゃあ……聞かせてくれるかしら、エル」
奇しくも持ち主がいなくなった領主の間にて、集ったリリアーナ派閥の面々。
そこで、カティアが確かめるように口を開き問いかけた。
「どうして──わざと伯爵を逃がしたの?」
他の四人も驚かない。何せ相当前──それこそ戦場に出るより前にエルメスが察知しており、その上でカティアの言う通り『わざと逃がす』判断をしていたからだ。
それに対する当然の疑問を投げかけられたエルメスは、冷静に。
「理由はいくつかあります。まず単純に、伯爵の救出に向かった戦力を考えるとそちらにも人員を割くのは多少のリスクがあったこと。加えて仮に逃したとしても、あの伯爵に大したことはできないと踏んでのこと。
ですが、最大の理由は──」
そこまで述べてから、一同を見渡して一言。
「──『向こうの出方を確かめる』ためです」
「向こうの、出方……ですか?」
リリアーナの素朴な疑問に頷いて、彼は続ける。
「はい。先ほど伯爵と話し合う前にも告げた通り、向こうの──ヨハン大司教の扱う魔法や手段については、未だ不透明な部分があります」
「得体の知れない技術とやらが関わっているというあれか」
「そうです。そこからずっと推測を続けているのですが……やはり向こうのやり方には、色々と不自然というか異常な点が多い」
現在騎士団長トアを始め、身内でない人間はここには居ない。それ故にエルメスも躊躇なく重要な情報を語り続ける。
「今回伯爵を救出した点だってそうです。──そもそも、何故わざわざ助けたのか? あの伯爵はそこまで有能ではない、使い道があるともとても思えない。
……にも関わらず、わざわざリスクを払ってまで救出に向かった。あの大司教は義理や情で動くタイプではない──ならば、必ず何か狙いがある」
無論、その『狙い』とやらはこちらに有効なものなのだろう。そう考えると逃してしまったことは悪手だとも考えられるが……
「そのリスクを負ってでも、僕は向こうの手段──『得体の知れない技術』に関するヒントを得る方が重要と判断しました。
……と言うより、既にいくつか目星はついています」
「!」
その一言には、流石に一同もざわめく。
「本当!? なら、その推測だけでも」
「……すみません、カティア様。それはできないんです、何故なら──」
しかしカティアの食いぎみの問いかけに、エルメスは申し訳なさそうにしつつも、きっぱりと……信じがたい一言を告げた。
「今、ここで僕が話すこと自体が不利に働く可能性があります」
──身内以外が一人もいない空間で。念のために音が外に出ない結界をサラに張ってもらっているにも関わらず。
エルメスは、そう言い切った。
にわかには信じがたい内容だが……エルメスの真剣な表情と、ここにいる全員は知っているこれまでの彼の功績を加味して。
そして何より、彼への揺るぎない信頼でもって。
「そういうことなら、エルメス君。君に任せる──だが」
「はい。確信が持てた折には、必ず話します」
ユルゲンが代表して、そう言った。
エルメスの返答を聞き届けて頷くと、続いて場をまとめにかかる。
「ともあれ、狙いがあってのことなら私も責めはしない。……正直言うと、私も伯爵に大したことができるとは思えないからね。
私たちのやることは変わらない。兵士たちの信頼を得ることと、向こうの分析。ある意味で今回は二つとも完璧ではないが前進こそしただろう」
確かに。
兵士たちの態度は予想外だったが……考えてみれば当然と言えば当然だし、決してあの伯爵のような悪意あるものでないということも確かめられた。今後、繰り返し自分たちの立場を証明していけば良いだろう。
だからこそ、やることは変わらない。
兵士たちを纏め、相手を把握し、北部連合を打倒する。今回も色々あったものの、確かな一歩を共有して。一同は次のやることへと向かうのだった。
兵士たちとの信頼構築と、向こうの謎解き。
並行して進めつつ、次回教会サイドも含めお話が動く予定です。お楽しみに!




