23話 現状分析
「皆の者、勝鬨を上げよ! ヨハン大司教猊下と、英雄ルキウス殿の凱旋である!」
とある北部の砦。
つい数日前までは平和そのもので、つい先日まではここを領地に持つ貴族の兵士たちが運営しており。
そして、たった今。持ち主が北部連合に代わったこの砦にて、ある兵士の声に合わせて──わぁっ、と。砦の人員が一挙の歓声を上げた。
それに迎えられて入ってくるのは、二人の男。
まずは、白髪に赤銅の瞳を爛々と輝かせる初老の大司教ヨハンが前に躍り出て。口を開いた。
「──背教者どもは、一人残らず撤退した」
途端に、場が静まり返る。
声の抑揚、服装、身振り。それら全てが人の注目を効率よく集めるよう計算されている。『人に物事を説く』ことに慣れ切った人間の振る舞いだ。
その効果は抜群で、誰もが彼の言葉に耳を傾ける。
「奴らは小賢しくも援軍の魔法使いを呼んだが……それらもルキウスの武勇に手も足も出ず。終いは我が神罰に恐れをなして逃げ帰った。──我々の完勝だ」
期待の空気が、兵士たちの中に膨れ上がる。
それに応えるように、ヨハンは両手を天に掲げて。
「残る拠点は一つ。それで北部の伯爵以下は全て我ら北部連合の軍門に下る!
これも全て星神の加護による賜物だ。誇りを持ち、祈りと信仰を捧げよ。さすればこれからも、これまで通り──永遠の勝利と繁栄が其方らに与えられよう!」
再度、歓声が爆発する。
続いてヨハンの後ろを歩くルキウスも、歓声を止めないまま声を張り上げた。
「今回の勝利は無論星神より賜ったものだが……同時に貴殿らの奮闘の成果でもある。よくやった、我が精鋭たちよ。今は英気を養い、これからも力を貸してくれ!」
文言は洗練されていないものの、彼には圧倒的な実力がある。それ故に兵士たちの人望も厚く、同量の歓声が与えられる。
北部連合の、中枢とも言える二人の人物。その人気は、このように一切の翳りを知らなかった。
そして。
そんな二人に引き続き、銀髪の可憐な少女。
ニィナ・フォン・フロダイトが砦に入った瞬間──
「──出たな。淫魔」
ざわめきの質が、変わった。
好意と信頼、崇敬から……悪意と厭悪、軽蔑へと。
「数多の家を渡り歩き、取り入っては潰してきた悪魔めが」
「全く、見目だけは無駄に愛らしい。それで油断を誘い、どれだけの相手を破滅させてきたのやら」
「それで今度はフロダイト家に入り、ルキウス様まで毒牙にかけようとしたのでしょう?
ああ、なんて身の程知らずな!」
そうして、彼らは噂をする。ニィナの背景を──『大司教ヨハンよりそう説明された』経緯を、疑うことなく信じ込んで。
「けれど、ルキウス様は一向に惑わされなかった。流石ですわね!」
「ああ。加えて大司教猊下も、そんな邪悪な存在を処罰するのではなく更正させようとしているとか! やはり大司教ともなれば慈愛の心もお持ちでなければならないのだな」
同時に、ルキウスとヨハンへの好意を、崇敬を高める。ニィナを利用して、思惑通りに信仰を強固なものにする。
「……しかし俺は疑問だね。本当に更正なんてできるのか?」
「私も無理だと思いますわ。だって……あんな魔法でしょう?」
「そうだな。魅了の魔法──『気に入った相手を誑かす』ための魔法。そもそもそのような血統魔法を持った時点で、魂から穢れているに違いない」
「性根から腐っているのさ。どれほど大司教猊下の御心が素晴らしくとも、当人がその様子では仕方あるまい。全く、ああはなりたくないものだ──」
徹底的にニィナを軽蔑する言葉が、そこかしこから聞こえてくる。
それを、誰も止めない。ルキウスも、そしてヨハンも。むしろそうすることを推奨するような気配すら漂わせて、ニィナを見せつけるように。
対照的な感情をぶつけられたまま、三人はゆっくりと歩みを進めていくのだった。
「──人心を統一するには、二つの要素が必要だ」
兵士たちが集まっている広間を通り過ぎ、人気の無い廊下へと三人が差し掛かったタイミングで──再度、大司教ヨハンが口を開いた。
「まずは崇拝の対象。疑うことなく己の心を預けられるものがあってこそ人は意思を統一できる……否、それに縋らなければ惰弱なる人間は立ち行けないのだ」
淡々と、けれど神職の人間にしてはひどく毒の強い言葉で。
「そしてもう一つは──軽蔑の対象」
ヨハンが振り向く。侮蔑的な薄目で、ニィナを見据える。
「あらゆる神話には、神と悪魔が存在する。何故か? ──それが必要だからだ。
善き存在の僕となり、悪しき存在を攻撃し、こき下ろし、排斥する。その儀式を通して、『そうやっている自分たちは正しいのだ』と安心する。これこそが古来より続く由緒正しき信仰の保ち方だ。だろう?」
そう。先程の兵士たちの反応。
彼らにとってはそれこそが、ヨハンの言う儀式。正しきものを崇敬し、邪悪なるものを蔑視する、そうして自分たちは正しいと信仰を強固なものにしている。『ああはなりたくない』と今の立ち位置に縋ることに躍起になる。
だからこそ、兵士たちのあの反応をヨハンは一向に止めない。むしろ推奨さえしている。ルキウスは崇拝され、ニィナは軽蔑される。それこそが、ヨハンに強制された北部連合における自分たちの役割なのだから。
そうやってこの男は──ある日突如としてフロダイト家に踏み込み、全てを塗り替えていったこの大司教は。
恭しく、けれど嘲弄に満ちた笑みでニィナを見据えて告げたのだった。
「感謝するよ、フロダイトの兄妹。英雄と悪魔、信仰に必要な両面を備えた極上の偶像たちよ。貴様らのおかげで──また地上に神の楽園を築くことができそうだ」
「──光栄です」
「……」
ニィナが黙り込み、ルキウスが礼を告げる。
そんなルキウスに……ここまで言われているにも関わらず一切の反論をしない義兄に、ニィナは声をかけようとして。
「お兄ちゃん──」
「──ああ、済まない、ニィナ」
けれど。ルキウスはそれを拒絶するように手を突き出して。
「──邪悪なる存在とは不必要に喋るなと大司教猊下に言われている。だから妹であろうと無駄な会話はできないのだ」
そう、告げた。
なんの疑いもなく──『何も疑うことを許されていない』口調で。
「……うん。そうだね。ごめん」
「そういうことだな、ニィナよ。貴様も──余計なことは言ってはならんぞ?」
それ以上は無駄だと、よく分かってしまっているから。
ニィナは黙り込み……なんとかしようとして、結局どうしようもなっていない、全てこの忌々しく強大な大司教の思い通りになっている現状を見て。
念を押しほくそ笑むヨハンを睨みつけ、歯噛みするのだった。
◆
同刻、別の拠点。
あの時庇った兵士たちに案内され、逃げ込んだ拠点の一室。
「それでは──あの遭遇戦で分かったことを整理します」
命を救われた恩もあったのだろう。
身分と立場を明かしたところ、全力で謙られた兵士たちに疑われることなく拠点の中に入れられ、それなりの広さの一室を貸し与えられた。
そうして領主を待つ間、第三王女派の人間が注目する中。
エルメスが、口を開いた。
「何から話すかは迷いますが……まずは、確定ではありませんが極めて確度が高く、真っ先に共有すべきことを」
カティア、サラ、アルバート、ユルゲン、リリアーナ。
五人の目線を受け止めた上で、彼は一息。
「大司教ヨハン。彼は──『洗脳』の血統魔法を持っています」
全員が、驚愕を顕にした。
「……確かかい?」
「少なくとも、あの時得た情報からはそうとしか説明できません。順を追って説明しますと──」
違和感を持ったのは、ルキウスとの対峙の際だ。
戦った時間は短かったが、彼の性格や性質は良く分かった。如何にも武人らしく公明正大、自分の中で時間をかけて醸成された確かな価値観を持っているタイプ。
そう、つまり──『妄信』とは一番程遠い類の人間だ。
にも関わらず、星神信仰に関しては明らかな思考停止の雰囲気を見せていた。戦う際に覚えた違和感の正体はそれだ。
そこからルキウスを注視すると、彼の中に何か奇妙な魔力が存在することを確信できた。その質の分析と、魔力の内容があの時登場した大司教ヨハンと同質のものだったことから考えれば……その結論が最も確度が高い。
「まとめると、大司教ヨハンの血統魔法は洗脳……少なくとも、何かしら思考を操作する類のものである。そしてそれに──ルキウス殿がかかっている、と?」
「はい」
「……なるほど。それなら納得がいくわ。あのルキウスさんの言動も……そして、ニィナの態度も、ね」
ユルゲンのまとめにエルメスが頷き、同時にカティアが納得の声を上げた。
「つまりニィナ嬢は──実質的に兄を人質に取られている状態、という事か?」
「……です、ね。しかもただの人質ではありません。ただ囚われているだけでなく、洗脳の結果──『人質が向こうに協力的』ということになります、よね」
「ええ。だから仮にニィナが大司教の隙を突いて逃げ出したとしても……ルキウスさんが一緒に逃げてくれない。加えて──更に保険として他の家族も幽閉されててもおかしくはないわ。……あの子が八方塞がりになるのも納得よ」
アルバート、サラ、カティアの順に整理する。流石にこの辺りは王都最高峰の学園に通う生徒たちだ、非常に高い理解力で情報を共有してくれた。
「ニィナ様は、フロダイト家──今の家族との仲は良好と聞いていました。恐らくはあの大司教にそこをつけ込まれ、ルキウス様や他の家族を人質に言うことを聞かされている……もしくはもっと直接的に、何かしらの制約をかけられていると思われます」
「制約って……エル、それも向こうの魔法?」
「いえ、恐らくは魔道具によるものかと。そういうものがあると師匠に聞いたことがありますし、その類の魔力も薄らとですがニィナ様から感じ取れました」
「……教会は、国中から集めた多数の魔道具を所持することでも有名だ。そこも納得はできる。一先ずはエルメス君の見立てを基準にして良いだろう」
ユルゲンの言葉で、フロダイトの兄妹が置かれた状況に対する推測は一旦終了して。
「……ちょ、ちょっと待ってくださいまし!」
そこで、今まで黙っていたリリアーナが口を開いた。
注目が集まることを確認してから、彼女が続ける。
「その、ニィナさんと言うのは……あの銀髪の綺麗なお方ですよね。わたくしはその方についてはよく知らないので、そこは皆さんにお任せしますわ。ただ──」
「ただ?」
「……ヨハン大司教の血統魔法は洗脳。師匠はそう仰いましたね」
その言葉で、次にリリアーナが言う内容は大まかに想像がついた。
「じゃ、じゃあ……あの『神罰』は……何なんですの……?」
予想通り、である。
「……丁度次にそれの推測も述べようと思っていました」
エルメスが静かに告げ、今度はアルバートが口を開いた。
「真っ先に考えるのは、あの大司教が二重適性ということだが」
「……多分、それは違うと思います」
その妥当な疑問には、同じ二重適性であるサラが答えた。
「サラ嬢、何か知っていることが?」
「……わたしは、昔教会と関わっていたことがありました。
その際にヨハン大司教猊下の噂も聞いたのですが……あの方が二重適性である、という話は全く聞きませんでしたので」
「隠していた……というわけでもなさそうだね。だとしたら今度は、あの状況で明かす理由がない。お披露目ならもっと良いタイミングで行うはずだ」
ユルゲンが捕捉する。その前提を共有した上で、エルメスはその『神罰』についての推測を開始した。
「まずそもそも、あの魔法──仮に『神罰』と呼称しますが──あれは血統魔法の範疇にはありません。威力や性能を総合すると、明らかに血統魔法だとしても異常な性能になりますから」
彼はおそらく、血統魔法に関してはこの国では一番詳しい。だからこそ分かる。
ローズの『流星の玉座』、彼の知る限りで最強の血統魔法。それ以上の威力を持って自在に撃ち落とせる術式など──あり得ない、と。
「ど、どういうことですの?」
「何かからくりがある、ということです。リリィ様」
結論を、エルメスは告げた。
ルキウスの『魔法を斬る』という技術。あれは恐らく彼独自の技術によるもので、特殊な仕掛けがないタイプのものだ。
対してヨハンの『神罰』は、そうではない。そうエルメスは直感する。
「からくりがある、血統魔法ではない……ということは、これも魔道具によるものかな?」
「恐らくそうだと思ってはいるのですが……」
ユルゲンの推測に、同意しつつもエルメスが言い淀む。それを見てとったユルゲンに促され、エルメスは続けた。
「──まず、一つ経験則による前提を述べておきます。
魔道具は基本的に、血統魔法以上のことはできません。仮に古代魔道具であってもです」
「初耳だが……そうなのかい?」
「ええ。無論理屈と確信があるわけではないのですが、少なくとも今まで知っている魔道具でその例に漏れたものはありません」
その前提を共有した上で、エルメスが再度口を開く。
「その上で考えたのですが……例の神罰術式。恐らく上手く魔道具を組み合わせれば、あの威力の砲撃を撃つこと『だけ』ならできます」
「だけ、ということは……」
「ええ。ただし──それをあの時僕たちを狙ったように、自由自在に場所を照準して撃ち落とす。そこだけは……僕の知る魔道具と推測する魔道具の性能をどう組み合わせても不可能なんです」
あの威力を再現しようとすれば、どう足掻いても丁寧に時間と手間をかけた上での固定砲台が彼の知る魔法技術では限界なのだ。
逆に、自在に狙って打てるような術式となるとどう足掻いても威力が落ちる。その両立こそが難題であり、それこそがエルメスが『流星の玉座』を最強の血統魔法と定義する所以でもあるのだ。
だからこそ──と、エルメスは最後の懸念を述べる。
「先程と矛盾するようですが……そこに関しては。以前公爵様が述べたような何か──『人智を超えた得体の知れない技術』が絡んでいる可能性も、否定しきれません」
「……」
ここで改めて、一同が今相手にしている相手の強大さを思い知る……が、そこで。
「色々と話してくれたところ悪いけれど……」
ユルゲンが、どこか苦笑気味に口を開いて。
「もう一度、今までのことを整理しないかい? ──そろそろ殿下のキャパシティが限界のようだ」
「うぇっ!?」
突如話題に上がったリリアーナが驚きと羞恥で変な声をあげた。
「だ、だだだ大丈夫ですわ! わ、わたくしの頭脳ならまだ全然複雑な話でも──」
「殿下、そこで強がってもいいことはありませんよ」
ユルゲンにたしなめられる。……実際にリリアーナが今にも頭から煙を出しそうな様子だったのは確かだったので。エルメスは反省して、再度全体をまとめにかかる。
「まず……大司教ヨハンの血統魔法は『洗脳』であり、ルキウス様がその影響下にある。それによってニィナ様もこちらに敵対せざるを得ない。
そして向こうの『神罰』術式に関しては、恐らく魔道具によるものだが何か……僕たちの想像を超えるギミックが仕込まれている可能性がある。
大別すると、問題はこの二点ですね」
……まとめてみると、思った以上に未解決の点が多い。子供組が五者五様に唸る、が──
「それでも、ある意味での朗報も存在する」
その上で、ユルゲンがきっぱりと述べた。
「──ヨハンさえ倒せれば全て解決する、ということだ」
……まぁ、それは、確かに。
ある意味ではシンプルな結論に全員が頷いたのを確認すると、ユルゲンが続けて。
「それに、あの状況でそこまで分析してくれただけでも大したものだ。現状全てを理解する必要はないし、これだけ分かれば今後の方針を立てる上では十分だよ」
彼の分析力を素直に称賛し、これからの話に移行する。
「『大司教ヨハンの打倒』。北部反乱を収めるにあたり、これが絶対条件と分かった。ならば今後はその目標に向けて動こう。
一先ずは現状この拠点にある兵士たちをまとめて、打倒のための作戦を練る。並行して向こうの戦力を把握し、向こうの魔法──『洗脳』と『神罰』に関する詳細をより把握、推測して対策を打ち立てる。
前者は旗印であるリリアーナ様を中心に、後者はエルメス君を中心に。……こんなところかな。エルメス君に改めて感謝だね。初戦何も分からず負けたにしては、随分前進したじゃないか」
非常に端的で、今後の動きも分かりやすい。
……この辺りはやはり、多くの人たちと話し取りまとめてきた経験の差が出ているのだろうか。
「……未熟を恥じますわ、お父様」
「はは、勿論君も今後は期待したいが、流石に現時点で娘にここまでされては当主の立場がないからね」
カティアの言葉に、ユルゲンは軽く笑うと。
「──時間はたっぷりある、とはこの状況では言えないけれど。できることを、きちんと確実に行うことだ。そうすれば、君たちなら大丈夫だよ。
差し当たっては──」
大人の貫禄とでも言えるものを見せた後、ユルゲンは扉の向こうに目を向ける。
すると、丁度折よくこんこん、とノックの音が響いて。
「……どうやら、この領地の領主様の用意ができたようだ。
まずは、そちらと話し合って兵士たちを味方につけるところから、だね」
ユルゲンの言葉に、子供たちが頷いて。
北部反乱を収めるために、険しいけれど確かに見えた道筋に向かって、彼らは改めて進み始めるのだった。
現状分析と説明会となりました。思ったより複雑になってしまったかも……!
今回の敵、向こうの魔法の謎、自分たちの現状等は今後も出た時に説明していくので、今はとにかく『ヨハンが悪い』くらいの認識でも多分大丈夫です……(笑)
大体の敵の把握は済んだので、次回は味方フェイズに入ります。
領主との話し合い、果たして上手く行くのか。次回もお楽しみに!




