14話 対策
最後の関門として立ちはだかった、浅からぬ因縁を持つ灰髪の男、ラプラス。
既に臨戦体勢であることを魔力から察したエルメスは、合わせて腰を落とし、踏み出す──前に。
「ラプラス……あの、人が……!」
「っ、リリィ様?」
リリアーナが、険しい面持ちでエルメスの一歩前に出てきて。
そのままラプラスを睨みつけ、叫んだ。
「──お兄様に、何をしたんですの!?」
その美しい碧眼に怒りと敵意を漲らせ、彼女は続ける。
「あなたが何かをお兄様にしたんでしょう、でなければあのお兄様が、こんなこと……っ!」
リリアーナはラプラスがどういう立場の人間か、そして第一王子ヘルクに取り入っていることも知っている。
故に、当然の感情であり当然の疑問。それを受けてラプラスは、リリアーナの噛みつきように微かに目を見開いた後。
「──何も?」
それでも、愉快そうに唇を歪ませ、答えた。
「強いて言うなら、教えて差し上げただけですよ」
「教えたって、何を──」
「この国がいかにヤバいか。現状見えるところ、見えないところも含めてどれだけ追い詰められているか、放っておけばどんな結末を辿るか。教えただけです、国を憂う愛国の士として、ねぇ」
恐ろしいほどわざとらしい口調で後半を締め括ると、ラプラスは抉るように笑みを深め。
「そうしたら、責任感の強いあの王子サマはすぐにでも行動を起こしてくださいましたよ? ええ、こちらの予想通り。その結果がこの結末だ。ご理解いただけましたかい、引きこもりの第三王女殿下」
「そんな──っ、でも、こんなにあっさりお父様が……」
予想していたとはいえ、改めて告げられるとショックが大きかったのだろう。
リリアーナはしばし視線を彷徨わせた後、思いついたように。
「そうですわ、そう簡単に王宮を陥とせるものですか! お父様はこういう時のために、自らお選びになったこの国でも選りすぐりの魔法使いの部隊を個人的に──!」
「ああ、国王直属の魔法部隊のこと?」
しかし、その僅かな反論も踏み潰すように、ラプラスは酷薄な視線を向けて。
「それ。さっき俺が一人で全滅させてきたところです」
「────」
「それがこの場に遅れた理由ですよ。逆にそうじゃなきゃ、一番の脅威がいるここに即座に駆けつけないわけがないでしょうに」
「……そん、な」
「むしろ驚きましたよ。この国でも選りすぐりの魔法使い? ははッ、あれが? あの程度でこの国の何を守るって言うんだ。平和ボケの代名詞として後世の辞書に残したらどうだい、まぁ後世なんてないんだけど」
衝撃を受け、後ずさるリリアーナ。そんな彼女の様子を見て多少は満足したのか、
「さて、それじゃあ第三王女殿下。こっちも長くおしゃべりできるほど暇じゃないんで……さっさと御退場頂きますよ、っと!」
地を蹴り、魔力を漲らせてこちらを攻撃すべく詠唱を始めた。
それに対しエルメスも、忘我の表情を浮かべるリリアーナの前に立ち。
リリアーナにとあることを囁き、はっと正気を取り戻したリリアーナを下がらせて、詠唱を終え突撃してきたラプラスを正面から迎え撃つ。
「──やっぱアンタが最難関だよな、エルメス。けどいいのかい、お姫様を守りながら俺と戦えるとでも?」
「どうぞやれるものなら。それに……個人的には、色々と言いふらしてくださった借りも返しておきたいので」
そうして、挑発と戦意の言葉を交換して。
エルメスとラプラス、二度目の激突が始まったのだった。
お互い、全てではないがある程度手の内を把握した者同士の戦いだ。
故に戦闘は双方の予想通り──エルメスの防戦一方から幕を開けた。
「っ──」
「悪いが、そっちの弱点は把握してる」
ラプラスの血統魔法、『悪神の篝幕』。
その詳細は原因不明の感覚により解析できないが……それでも分かる事はある。
今、エルメスの周りに次々と展開される黒い壁。
あれに、捕まったら終わりだ。
よってまずは紙一重での回避に専念する。否──それしかできない。
何故なら、エルメスの弱点。詠唱をさせる間も無く攻め続けられると反撃が難しい。
従来ならば強化汎用魔法である程度対応できるのだが、それでも応じきれない物量や実力、技術を持った相手には対応が一気に困難になる。
故に、現状は凄まじい実力に加えて『一度捉えられたら終了』という恐ろしい魔法を持つラプラスの攻勢に成す術はない──
──だが。
「…………」
「……チッ、しぶとい」
それでも、エルメスは冷静に捌き続ける。
一度のミスも許されない回避を精密に、正確無比にこなす。時に誘導や相殺すら狙って決定打を与えない。
それを可能にしているのは、彼の桁外れの技術に加えて──
「──おい」
遂にラプラスが、その疑念に気付いて声を上げる。
しかし、彼は答える様子を見せない。それを見て、ラプラスの中でますます疑念が深まり──その内容を心中で呟いた。
(どういうことだ。こいつ……お姫様を守る素振りが無いぞ?)
そうなのだ。
彼はこの戦いで今まで、一切リリアーナを気にする様子を見せない。
ラプラスへの対処にだけ全神経を注いでいる。だからこそここまでラプラス相手に戦えているのだが──言うまでもなくそれは、最も守るべきものを無視するという愚行に他ならない。
(……仕方ない。こういうのは趣味じゃないんだが……)
なら当然、そこを突くべきだろう。
個人的に上回りたい気概もあるが、私情を優先していいレベルの相手ではない。
それを正確に理解した上で、ラプラスは意識を切り替える。
対峙するエルメスの後ろ。無防備に佇むリリアーナに向けて魔法を起動。
黒い壁が箱のようにリリアーナを囲み、成す術なく彼女を捕らえ──
──られない。
「な──ッ」
ここで初めて、ラプラスの表情が明確に変わった。
何故なら起動した魔法、黒い結界が狙いをつけたはずのリリアーナ……その横。僅かに、されど決定的にズレた座標に出現したからだ。
操作ミスではない。ラプラスに限ってこんな状況でそのようなヘマはしない。
エルメスの仕業でもない、彼の動きには細心の注意を払っていた。
ならば、この現象の原因は──と思い、そこで気付く。
リリアーナの手元。そこに、エルメスが持っているものと同じ翡翠の文字盤があることに。
「……どういう、ことだおい」
冷や汗と共に、ラプラスは呻く。
「無能のお姫様じゃなかったのかよ、何が起こってやがる──!?」
◆
「……すみません、リリィ様」
戦う前、リリアーナがエルメスに言われた台詞はこうだ。
「ラプラス卿は強敵です。僕でも……貴女様を守りながらでは厳しいでしょう」
「そんな──っ」
国王直属の魔法使いを単騎で全滅させたことと言い、どこまでの化け物なのだあの男は。そうリリアーナの思考が絶望に支配されるが──
「だから、問います」
そんな中でも、凛と。落ち着いた彼の声がリリアーナを射抜く。
そのまま彼は、はっきりとした意思を込めた声で。
「ラプラス卿の攻撃から、リリィ様の魔法で。ご自身を守ることはできますか?」
「──」
あの男の脅威を説明した上での、この言葉。
普通に考えれば、即刻無理だと首を振るところ、だけれど。
彼の言葉と、そして視線には──確かな信頼と。
何より、期待があった。
今まで誰にも向けてもらえなかった感情が、今一番向けて欲しかった人から、はっきりと向けられていた。
それを自覚した瞬間──リリアーナの中で、何かが燃え上がる。
「お任せくださいまし、師匠」
気付けば答えていた。
思った以上の強い口調。少し驚き気味になるエルメスに照れ臭くなったリリアーナは、それを誤魔化すように可憐な照れ笑いと上目遣いで。
「その代わり……上手くいったら、たくさん褒めて欲しいですわ」
その言葉を聞き届けると、彼は軽く笑って。
詠唱を終え、突撃してきたラプラスを迎え撃った。
そして、予想通りラプラスは途中こちらに向けて恐ろしい魔法を放ってきた。
凄まじい強敵との言葉に偽りがないことは、彼に発動阻害を行う時点で察せられた。
エルメスを除けば、今まで対峙した誰よりも精密で、隙のない魔法だった。今までのリリアーナであれば僅かな阻害すらも不可能だっただろう。
けれど今は、師から貰った翡翠の魔法。より深く魔法を理解するための力があり。
加えて何より──宣言通り、自分を一切気にすることなく戦ってくれた師匠の信頼と期待がある。
──それに応えられずして、何が弟子だ。
自らの力で誇りたいと、先程確かに芽生えた彼女の想い。
その想いを燃やし、過去最大の集中力で、恐らくはトップクラスの強敵の魔法にすら干渉することに成功したのだ。
……分かっている。成功したのはラプラスが自分に対しては油断していたことと、意識の大部分がエルメスに割かれていたからだということは。
もう二度は通じない。本気で来られたら成す術はない。
今の自分では、これが限界。たった一度、足手纏いにならないだけで精一杯だ。
──けれど、いつか、必ず。
誇れる弟子であるために、あの場所を目指す。
その決意と共に、リリアーナはエルメスを見据える。今度は彼女が、師に対する揺るぎない信頼を見せて。
◆
「お見事」
心からの賞賛を、エルメスは告げる。
対するラプラスは、予想外のリリアーナの抵抗に流石に一瞬の動揺を見せる。
──彼にとっては、それで十分。
「うちの愛弟子を舐めないでいただきましょう」
「っ、しま──」
攻守が逆転する。
今度はエルメスがラプラスに体制を立て直す暇を与えず、現在の血統魔法を最大限使って攻め立てる。
……しかし、相手もさるもの。
即座に攻勢に対応すると、状況を膠着に戻す。その黒い壁を今度は防御に使い、エルメスの血統魔法を完璧に防ぎ切ってくる。
どころか、何かを思考する薄笑みすら浮かべ。再度状況をひっくり返すべくエルメスの魔法の起動に合わせ、先ほどとは雰囲気の違う黒壁を展開し──
だが、そこで。
「ずっと考えていたんですよね」
エルメスは、起動した魔法を──敢えて放たず。
起動をフェイントに使って、更にラプラスとの距離を詰める。
「貴方の魔法は、どう考えても結界型。なのに以前の学園で、僕はその魔法に多大な手傷を負わせられた」
そのまま格闘戦に持ち込む。ラプラスはそこも優れているが、流石にここではエルメスの方に軍配が上がる。
「魔法が解析できなくとも、分かることはある。手傷の種類、戦闘の想起、魔力の残滓。貴方と痛み分けて以降、ずっとそれを考え──そして分かった」
じわじわと相手を押し込みつつ──彼は、結論を告げる。
「恐らく貴方は、カウンタータイプの魔法使いだ」
「!」
「相手の魔法を利用、逆用して手傷を与える。全てかは知りませんが、主要な攻撃手段の一つがそれなのでしょう」
戦闘の最中では普段ほど誤魔化しは効き辛い。
微かに、されど確実に顔を強張らせるラプラスにエルメスは図星を悟る。
だからこそ、この回答だ。
相手の魔法を利用するのが主要な攻撃ならば、そもそも魔法を使わなければ良い。
「故に近接ならば、そこまでの攻撃力は発揮できない。貴方は僕を『防戦に向いていない』と分析したようですが──返しましょう。貴方は逆に、攻戦に向いていない」
唯一の脅威として、例の黒い壁で囲んで捕まえるというものがあるが──逆に言えばそれさえ見切れば、攻撃面での脅威は半減する。
あの壁の攻撃にある程度の溜めがいるのは既に分析済みだ。その意味でも、この距離での戦いが現状での最適解。
そして彼は、上段の攻撃を囮に足払いでラプラスを空中に跳ね上げ。
今までの苦戦の礼も込めて、意趣返しの言葉と蹴撃を放ったのだった。
「貴方と同じように──こっちだって、貴方のことは対策してるんですよ」
全体重を乗せた蹴りが、頭部に炸裂する。
ラプラスも流石で、咄嗟に腕を挟み込んで威力は軽減したようだが……いくら彼でもダメージは避けられず、吹き飛んで地面を派手に転がる。
「ッ、痛ってぇな……」
当然、これだけで決着になる程ラプラスは甘くない。即座に立ち上がり、未だ消えぬ戦意を宿してこちらを見据えてくる。
一撃いいのを入れたとは言え、戦いはまだこれから──と、向こうは思ったかもしれないが。
そうはならない。何故なら、
「──待たせたわね、エル」
美しくも頼もしい、彼の主人が。
冥府の手勢を引き連れて、この瞬間駆けつけてきたからだ。
彼女──カティアに引き続いて、後ろからサラ、アルバート、そしてユルゲン。
トラーキア家の魔法使いが、ここに集結する。駆けつけた四人は多少の手傷こそ負っているものの、全員が無事。
トラーキア家を襲ったあの大量の刺客も退けて、ここに集ってくれたのだ。
「……みな、さん」
驚きと泣きそうな表情で、リリアーナが呟く。加えてその後ろで、
「……嘘だろ。もう全員蹴散らしてきたのかよ。どんだけそっちに戦力割いたと思ってんだおい」
驚愕の表情で、ラプラスが呟く。
直接視認していないカティア、サラ、アルバートにも人相は伝えてある。状況的にも彼が元凶と即座に理解したこの場の全員が、一斉にラプラスに敵意を向ける。
形勢、逆転だ。
「……あー。時間切れか、くそったれ……!」
いくらなんでもこの人数差。分が悪いと理解したのだろう。
心底悔しそうなラプラスの声と共に、ようやく一つ危機を乗り越えたことをエルメスは悟ったのだった。
まずは一撃、やり返しました。
第三章プロローグ、多分次回で一区切りです。お楽しみに!




