12話 鳥籠
(……さて)
周囲の様子を確認しながら、エルメスは心中で呟く。
状況は把握している。
問題は『どちらか』ということなのだが──
(多分、第一王子の方だろうな)
何故なら、そうであればラプラスがあの場に現れたことに全て説明がつくからだ。
恐らくは奴の手引きで、第一王子が継承戦開始前に王位を簒奪。その勢いのまま残る候補を潰そうとしてきた。
王宮での騒ぎや魔力の流れ、加えて状況からエルメスはそう事態を正しく推測する。
ともあれ、だ。
この状況を起こした人間に言いたいことは多々あるが、今ではない。
まずは第三王女であり弟子、リリアーナを連れてこの場を脱出する──と方針を決定した時。
「──は、はは。なるほど……君ですか、学園騒動の英雄君」
向こうから、声が響く。
見て──驚いた。
理由は、今しがた神速の魔法で蹴り飛ばした筈の兵士長が、血を流しながらも立ち上がってこちらに歩いてきたからだ。
当然倒す気で蹴ったのだが……かなりの耐久力だ、とエルメスが分析する前で、兵士長は不敵に笑って口を開く。
「ラプラス卿から聞いていますよ。曰く、とんでもない魔法をいくつも扱うだとか? いいですねぇ、羨ましいですねぇ──でも」
同時に、周囲の兵士たちが敵意を向け、臨戦態勢に入る。
「そんなもの、我々の前では何の意味もないんですよ」
「……やる気ですか。こちらとしては逃していただければそれで良いのですが」
「はは、聞くわけないでしょうそんなこと! それに、君こそこちらの話を聞いていましたか? 既に知っているんですよ、ラプラス卿から君のことは。戦い方も、癖も──弱点もねぇ!」
そして、周りの兵士たちに号令を下す瞬間。兵士長は、嗜虐心に満ちた顔で笑って。
「ねぇ。──君は、『本当に訓練された魔法使いの集団』と、戦ったことはあるのですか?」
瞬間。
兵士たちの一角十数人が──一斉に、炎の汎用魔法を放った。
「!」
集束詠唱、と呼ばれる技術がある。
例え汎用魔法と言えど、方向を一致させ干渉、相殺しないよう放てば相当の威力と化すという理念だ。それこそ、血統魔法にも劣らないほどに。
理屈は知っていたが、それには相応の魔力操作能力がしかも、『関わった術者全員』に必要となる。加えて、そこまでの手間をかけてもできるのは高々血統魔法程度。
故にこの国では無駄なもの、机上の空論と目されていたものが──今、エルメスの目の前に襲いかかってきた。
「……」
それでも、彼は冷静に捌く。強化汎用魔法で結界を生成、魔法を防ぎ、返す刀で反撃の血統魔法を起動──
──する前に。
次の一団が、今度は雷の集束詠唱を放ってきた。
それも難なく防ぐが、今度も隙を与えず次の一団が攻撃。次々と遠距離からの魔法射撃を繰り返し、エルメスに防戦一方であることを強いる。
「──なるほど」
「弱点、その一。君は複数の血統魔法を扱えるが──魔法を切り替えるにはその度詠唱が必要になる。多重適性とはまた違うようですねぇ」
得意げにふんぞり返りつつ、兵士長が告げる。
その周囲では、一糸乱れぬ動きで兵士たちが攻撃を繰り返している。
なら、あの兵士長は何をしているのか……との疑問は、魔力感知で解決した。
恐らく、奴は司令官だ。
奴を中心に、特殊な魔力が逐一発せられているのが分かる。恐らくはそういう特殊な魔道具だろう。それで的確に指示を出し、兵士たちの行動をコントロールしているのだ。
ならば、奴を倒せばこの連携は瓦解する。
『血統魔法の使用に詠唱が必要』との点も、対策をしていない訳がない。彼には強化汎用魔法がある。それで隙を作って、もう一度兵士長に突貫を──
と思ったが、その瞬間嫌な予感。確信と言い換えても良い。
従うまま行動を変更するエルメスに、兵士長の声が響く。
「弱点、その二。君は──誰かを庇っての戦いに慣れていない!」
瞬間、予想通り。
兵士たちの魔法が──リリアーナの方を向いた。
「え──」
間髪入れず放たれるが、その一瞬前にエルメスが立ちはだかって。
「いくらなんでも、同じ轍は踏みませんよ」
リリアーナへの魔法を防ぐ。
以前クライドとの戦いで不覚を取った点だ。庇って自分がダメージを負う、なんて無様はもう晒さない。
──しかし。攻撃はそこでは終わらない。
「はは、流石にやられはしないか。でも、いつまでその余裕が続きますかねぇ!」
執拗に、執拗に。
戦う意思のないリリアーナを、迂闊に動けないリリアーナを魔法が責め立てる。それを庇うエルメスに、先以上に防御以外の行動を抑制する。
完全にその場に留まり、魔法を防ぐ以外を出来なかったエルメスに、兵士長の高らかな哄笑が響いた。
「分かりましたか、ぽっと出で調子に乗った英雄君! 所詮一人の人間は、この程度で成す術無くなってしまうんですよッ!!」
その様子を、呆然と。
リリアーナは、喪心の様子で眺めていた。
「せ、師匠……」
「ご安心を、リリィ様」
弱々しい呟きを、エルメスは受け止めた上で告げる。
その声は、とてもとても力強くて。
否応無しに、安心してしまうような声。それを受けた上で、リリアーナは自分の今の状況に、そして今までの人生に思いを馳せる。
……どうして、と。
◆
──鳥籠に囚われているような人生だった。
生まれた時から、ずっと。自分の周りにはどうしようもないものが絡み付いて自分を縛っていた。
王族としての立場。無適性という才能。末子という不利。
加えて、『空の魔女に似ている』という風評。
その全てが、リリアーナを閉じ込めた。
無能であることを強いた。無気力であることを勧めた。
更にはいっそのこと『居なかったこと』にすれば良いのではという意見も出て。
そして、その度に、誰かに守られてきた。
王家の恥晒しだ、という声から守るために、王宮の豪奢な一室を与えられた。
血統魔法を持たない塵、との声からは、王族であるという理由で守られた。
「何故だ。こいつが王族であること自体王家に対する侮辱だろう」
更には去年、そう言われた。言ったのは兄アスターだった。
そう言った時の彼の瞳は、激情に支配されていた。
自分の思い通りにならないことへの怒り、そして──腹立たしい誰かを思い出すから早くいなくなって欲しい、という嫌悪を内に隠して。
「どうして早く廃嫡しないのだ、この『出来損ない』を!」
そこからは、同じ王族である兄姉が守ってくれた。
「居る意味が無い、ということは絶対ない。僕も──そしてお前も。だから安心しろ。例え将来の廃嫡が決まっていたとしても……決して僕が、悪いようにはさせないから」
「アスターはきっと、あなたのことが嫌いでしょう。でも……何もかも、あの子の思い通りにさせるのは良くないわ。だから……私が」
……分かっていた。
ヘルクも、ライラも、アスターに嫉妬していた。
だからその炎の捌け口として、同じ王族で自分よりも恵まれていない存在としてリリアーナを求めたことは、薄々勘付いていた。
それでも、家族だったから。大好きだったから。
何より、どんな思惑があっても、二人は自分を大事にしてくれたから。
だから──彼女は、この立場を甘受することに決めた。
自分から、鳥籠の中に囚われることに決めたのだ。それが自分の役割だと、自分を納得させて。
アスターが没落した。
信じられなかった一方で、どこかこうなるのではないかという思いもあった。だってここ最近のアスターは、どう考えてもやりすぎだったから。
同時に、ヘルクとライラがおかしくなった。
今まで自分を守ってくれた二人が、今度は自分を遠ざけるようになって。
不安で、辛くて、何もかもが嫌になって。
周りにあたりながら、それでも誰かが助けてくれるのではないかと淡い期待を持っていた、そんな時──
師匠が、来てくれた。
物語のように自分を救い、導いてくれる人が、助けに来てくれたのだ。
頼った。甘えた。求めた。
同時に安心した。きっとこの人に任せれば大丈夫だと。
師匠なら、自分を導いてくれる。師匠に任せておけば、きっと。
今までのような家族の時間を、きっと取り戻せる。そう信じて、師匠に言われるがままに魔法を勉強して、かつての甘美な時間を夢見て──
◆
──その結果が、これだ。
何もかもが手遅れだった。兄ヘルクはどうしようもなく追い詰められていた。
王国に向けられる悪意は、抗いようの無いほどに王国を蝕んでいた。
王都のいくつかの建物が燃えている様が見える。
王都のあちこちで、争い合う怒声が聞こえる。
自分の夢見た光景が、平和な王都が、家族の時間が。どんどん遠ざかっていく音が、聞こえる。
「──どう、して」
呆然と呟く。
どうして、許されないのかと。自分は、家族と一緒にいたかっただけなのに。どうして世界は、運命は、ここまで自分をがんじがらめにするのかと。
恨んで、呪って、そして──
「……大丈夫です、リリィ様」
そんな中でも、今まで通り。
自分を守ってくれる人は、いるのだ。
声を発したエルメスは、心強い声で続ける。
「魔法起動も、護衛に向いていないことも、共に自覚していた点です。両方を効率よく突かれたため少々手こずるでしょうが……必ず、活路は見つけますので」
その宣言通り、彼は防戦一方ながらも淡々と攻撃を捌く。
リリアーナの元には、微塵も脅威を通さない。その上で攻撃を観察し、冷静に活路を見出そうとする。
……きっと、言葉通り彼はなんとかするのだろう。
今は不利でも、きっとどうにかしてこの状況をひっくり返し。そうして王都を奪還する算段をきちんと立てて、自分を導いてくれるのだろう。
だって師匠は、そういう人だから。
英雄だから。どんな不可能も可能にする類の人だから。
故に、自分は守られるべきなのだ。
彼を見出し、彼に任せて、彼の道行を見守れば、それで──
──また、大事なものが壊れるのを、見ているだけの自分で、いいのか。
(……良く、ありませんわ……!)
彼女の瞳に光が宿る。
そうして、もう一度思い返す。己のこれまでを。
──鳥籠に囚われているような人生だった。
生まれた時から、どうしようもないものが自分に絡みついて。それを疎んだ人たちの悪意に晒され続けて。
そして──そこから守ってくれる人の善意の鳥籠に、囚われる人生だった。
しょうがないと言い訳をして、どうしようもないと諦めて。
籠の外の悲劇を嘆いて、慰めてもらうだけの立場だった。
認めよう──それが、とても心地良かったのだ。
きっとこの光景は、それのツケだ。
涙を流すだけで自分からは何もしなかった、何かをする振りだけをして結局誰かに任せていただけの自分に対する罰だった。
だからこそ、今、ここで。
変わらなければきっと……弟子を名乗る資格すらない。
『王様になるつもりはない』?
──寝ぼけたことを言うな。
『何もできなかった』?
──ふざけろ。何もしたくなかったの間違いだろう。
『自分たちの代で、王家は詰んでいる』?
──うるさい。なら、自分でひっくり返せ。
「……リリィ様?」
雰囲気の変化を察知してか、エルメスが問いかけてくる。
……師匠を、悪く言うつもりはないが。
きっと彼こそが、この鳥籠の最たるものだったのだろう。
彼は求めれば守ってくれる。救ってくれる。甘やかしてくれる。
だからこそ、彼女は自らを戒めなければならなかったのだ。
──甘ったれるな、と。
さあもう一度問う、リリアーナ・ヨーゼフ・フォン・ユースティア。
『守られるだけのお姫様』で、いいのか。
「──良く、ありませんわ」
もう一度、彼女は答える。今度ははっきりと、自分の口で。
悲劇を傍観するな。救いを最初から当てにするな。
──自分がなんとかするのだという意思を、持て。
まだ幼いから、魔法を持たないから、始めたばかりだから、女の子だから仕方ない。
そんな言い訳を、運命は聞いてはくれない。
何より──そうして誰かの力だけでことを為したとして。
自分は、きっとその時誇れない。
自分がそうである限り……自分の夢見た家族の時間は、戻って来ない。
理屈はない。けれど彼女はそう確信した。
故に、その一歩として。彼女は告げる。
「……手が足りないのですよね、師匠」
戦況を分析し、自らの師が追い詰められていることを悟る。
ならば、どうする?
決まっている。自分がその最後の一手となるのだ。
出来るかは分からない。やる勇気も今までは持てなかった。何より使いこなすには圧倒的に時間が足りていない。
でも、だからと言って、やらない理由にはならないのだ。
師に任せているだけの自分は、もう捨てろ。
「お任せください。──わたくしが、なんとかしますわ」
それに……本当は、思っていた。
怖くて言えなかったけど、辛くて封じ込めていたけれど。
本当は──運命を前に泣くだけの自分に、うんざりしていたのだ。
さあ、時間だ、リリアーナ。
甘美な鳥籠を捨てて、飛び立つ時が来たのだ。
大丈夫、恐れることはない。だって──
──翼はもう、大好きな師匠から貰っている。
そうして、少女は立ち上がる。
自らの意思で、立ち向かうことを決め、息を吸い。
受け継いだものを、共に歩む意思を持って、唄う。
「──【斯くて世界は創造された 無謬の真理を此処に記す
天上天下に区別無く 其は唯一の奇跡の為に】!」
三章プロローグは、彼女が王様を目指すまでのお話です。
次回、覚醒回。お楽しみに!




