4話 家族
翌日、同じく王宮の廊下にて。
軽やかな足音と共に、歩く人影が一人。
「……流石に、緊張するわね」
カティアである。
諸事情により彼女も一日遅れて、トラーキア家が擁立する候補者である第三王女との顔合わせに向かっていた。
父ユルゲンから、大まかな噂は聞いている。
透明の王族。曰くつきの王女様。流れてきたものは軒並み良い噂ではなかったが……それでも、父が擁立すると決めたからには相応の理由があるのだろう。
「一応、エルは昨日既に会ってるのよね。……ちゃんと仲良くできてるかしら」
目下一番の心配事はそれだ。
何せ、王族とは血統魔法至上主義であるこの国の構造の頂点に位置する方々だ。ある意味で非常に王族らしかったアスターとあれだけ折り合いが悪かったのだから、同じ王族である王女様とも諍いを起こす可能性は十分にある。
いざとなれば、自分が調停しなければ。
そんな決意を抱きつつ、カティアは王女の居室の前で一つ深呼吸してから、大きな扉を開き──
「師匠! 頂いたルーン言語の問題、全て終わりましたわ!」
「おや、もうですか。ざっと確認させていただきますね」
「どうぞ! ……どうです、どうですの?」
「──驚いた、ほとんど正解です。素晴らしい理解力ですね」
「! ふ、ふふん、当然ですの! ……もっと褒めても構いませんことよ?」
「ええ。お会いした時から魔法的な能力はお高いと思っていましたが、構造把握の能力も非常に優れていらっしゃる。僕もこっち方面はかなり得意だと思っていたのですが、僕の初見時とほぼ同じ速度とは。少し自信を無くすほどです」
「~~! そ、そこまでストレートに言われるとは、恥ずかしいですわ……! でもご安心を、わたくしはそこまで自惚れておりません。わたくしにとっては師匠が、世界で一番素晴らしい魔法使いですもの!」
「………………」
……うん。大丈夫。自分は冷静だ。
なんだか以前学園でも似たようなことがあった気がするから、その時の経験を踏まえて取り乱したりなどしない。
件の王女様と思しき少女がカティアの知る誰かに似たとんでもなく可愛らしい女の子でも、それがほとんどエルメスと肩の触れ合う距離で指導をしてもらっていても、女の子がその距離感をとても嬉しそうに受け入れていてエルメスも一切拒否していなくても、一日でどうしてそこまで仲良くなれるんだいや仲良くなりすぎでしょうと全力で突っ込みたくなっても、自分は冷静だ。
だから彼女は一つ息を吸って、いつも通りの声色で問いかける。
「…………エル?」
エルメスが肩を硬直させ、恐る恐るこちらに振り向いた。
うん? どうしたのだろう、そんな恐ろしい声を聞いたような反応をして。自分は極めていつも通りの声で、表情も一切激情がなくむしろ穏やかな微笑みすら浮かべてそっと問いかけているだけなのに。
大丈夫、自分は冷静だ。
そして彼女は、凪いだ声のまま。
あくまで穏やかに、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ強めた語調で言うのだった。
「──とりあえず、話を、聞かせてもらえるかしら?」
◆
かくして、エルメスの口から昨日あったことの一部始終が語られ。
「…………なる、ほど」
カティアはなんとか、その声だけを絞り出した。
色々と、予想を大幅に超えた話だった。
──だが、この上なく納得できてしまう話だった。
というかなんだそれは。ローズをそのまま小さくしたような瓜二つの外見で、性格も何処か片鱗があって、魔法の天才で、極め付けはエルメスと同じ無適性だと?
どれだけエルメスに刺さる要素を盛り込んでいるのだこの王女様は。
おまけに昨日そんな劇的なイベントがあっただなんて、それは懐く。例え一日であろうと今日見たレベルで信頼するのも納得できる。
エルメス側としても、それは受け入れるだろう。そこまでの要素があれば態度を使い分ける彼の身内判定だって秒で突破するに決まっている。
それを踏まえた上で、カティアは思う。
……ずるい、と。
いや、本当に、なんだそれは。
エルメスに師事し、エルメスの隣に立つのにこの上なく相応しいと、自分でも思ってしまうような女の子。そんな子が実際今も彼の隣にぴったりとくっついて座っているという事実に……少し、もやっとしたものが湧き上がる。
加えて当の彼女もエルメスに寄り添ったまま……というかもう完全に彼の片腕に抱きつくような体勢で、自分に警戒の目線を向けてくる。
……そっちがそうくるなら、という感情と共にカティアが口を開く──前に、向こうが口火を切った。
「それで……師匠。この美人さんは一体どこのどなたなのでしょう。見る限り随分とお親しいようですが……」
愛らしい瞳を半眼にして、エルメスに問いかける。彼はおや、と首を傾げつつ、素直にこう答えた。
「? カティア様です。トラーキア家の……公爵様の娘さんで、あとは──昔からの幼馴染でして。今はこの方の従者となっています」
それを聞いた瞬間。王女様の目が見開かれた。
考えてみれば当然なのだが、突如現れた師匠と親しげな女性、ということに思考が行っていて気が付かなかったのだろう。
そして同時に……聡明な彼女は、聞かされた情報から様々なことを察して。
「カティア……アスターお兄様の、元婚約者の」
「!」
「言われてみれば……見覚えがありますわ」
呟いた後、目を伏せて続ける。
「アスターお兄様に、一番迷惑をかけられたお方ですものね。そして幼馴染ということは……ひょっとして、師匠がアスターお兄様に追放された時、引き剥がされた形になったのでは?」
「っ、それは──」
「……当たり、ですのね」
カティアの反応で自分の推測を裏付けた王女様が、声を沈ませる。
「それは……わたくしを警戒するのも当然ですわ。一度師匠と引き剥がした人間の妹が、今度は師匠を横取りするのかと。そう思われても、仕方ない、ですわ……っ」
「いや、そこまでは──」
思ってない、と言おうとしたが……確かにそういう思考が働かなかったといえば嘘になる。言葉を止めるカティアに、王女様は顔を上げる。
「お兄様の件は、申し開きのしようもございませんわ。謝っても許されないだろうことは分かっています。でも……でも……!」
声を震わせ、幼い瞳に涙を浮かべ、エルメスに躊躇いがちに縋りついて。
「師匠なのです! わたくしにとってはこれ以上望むべくもない、やっと見つけた、師匠なのです……! 離れたくないのです、だから……っ!」
「……」
……その、一連の懺悔を聞いて。カティアも理解してしまった。
このお姫様は、非常に聡明で──そして、ものすごくいい子だと。
「……カティア様」
「分かっているわ、エル」
色々と思うところはある。
けれど、仮にも王族である人間が、公爵とは言え一介の令嬢にここまで誠実に頭を下げる。しかも、こんなに幼い子が。
その意味を理解しないほど、カティアは愚鈍ではない。
よって、カティアは席を立って彼女の元へと近寄ると。肩を震わせる彼女の前に屈み込んで──
──ぽん、と頭に手を置いた。
「……失礼しました、殿下」
「あ──」
「ご安心を。私は殿下を害する意思はございません。当然、エルと貴女様を引き剥がすつもりも。……エルは、私の自慢の従者ですから。殿下がそこまで評価するのも当然です。それに、アスター様の件だって殿下の責ではございませんもの」
怯えながらもこちらを向く碧眼に、カティアも紫水晶の瞳を合わせて。
「そして、私も殿下の味方になりたいと思います。……今、しっかりと思えました。──仕えることを、お許しいただけますか? リリアーナ殿下」
初めてしっかりと名前を呼んで、そう問いかける。
言葉を受けた王女様──リリアーナはしばし呆然としてから、頬を染めつつ目を伏せて。
「……リリィと、お呼びくださいまし」
ぽつりと、肯定の意思を込めて呟いた。
「そう呼んでくださる人が……わたくしは、たくさん欲しいのです」
「了解いたしました。リリィ様」
軽く微笑んで、カティアも立ち上がる。
とりあえず、これでお互いのことは多少わかっただろう。きっとカティアも、この王女様を推すことができる。
……だが、まあ。
「それは、それとして」
口調から今までの柔らかさを取ると、カティアはエルメスとリリアーナを真っ向から見据えて。
「そうやって必要以上にくっつくのはよろしくありません。まずは離れていただけますか?」
「な……っ! や、やっぱり取られるのが嫌なんですのね!」
「いいえ、これは真っ当な分別の問題です。……というか、やっぱりエルだけでは教育面で不安が残るので」
「え」
続いて疑問の声を上げたのは、これまでやりとりを見守っていたエルメスである。
「その……カティア様、僕の指導に不備が? ご指摘いただければ改善を……」
「いいえ、魔法を教えることにおいてはあなたの手腕は疑ってないわ。私だって多少なりともそれを受けた身だもの。……でもね」
問いかけるエルメスに、カティアはぴっと指を立てて。
「それ以外のところ……もう単刀直入に聞くけれど。エル──あなた、この子をきちんと真っ向から『叱る』ことってできる?」
「…………ええ、と」
「目を逸らさないでもらえるかしら」
まあ無理だろう。反応で大体分かったし、だろうなと思っていた。
いや、いざとなれば彼もやるのだろうが、多分些細なところでは『身内に極端に甘い』という彼の特性が出る。加えて相手がこんな小さな女の子となれば心理的抵抗も極めて高いだろう。
「別に責めるつもりはないわよ。多分殿下にはそういうのも必要だろうし。だから──」
それを踏まえた上で、カティアは笑ってリリアーナに目を向けて。
「魔法以外の躾が必要な部分は、きちんと私がさせていただきますので。よろしいですね、リリィ様?」
「よろしくありませんわっ!!」
先ほどとは別の涙目でリリアーナがエルメスに縋りついた。
「わたくしにものを教えていいのは師匠だけですっ! なんで勝手に決めてるんですの! それにあなたからは若干私怨めいたものも感じますわ!」
「…………そんなことはございません。ねぇエル?」
「助けてくださいまし、師匠!」
「……リリィ様。僕は全能ではないのです」
「師匠!?」
──そんな三人の様子を、外から眺めていた公爵とメイド。
大変微笑ましげに苦笑いをしつつ、レイラが口を開き、こう言った。
「……旦那様。思ったことがあるのですが」
「言わないほうがいいと思うよ」
「これ、側から聞くと完全に家族……父母と娘の会話ですわね。娘に甘い父としっかりものの母みたいな感じで」
「だから言わないほうがいいと言っただろう……特にカティアが聞いたら多分収拾がつかなくなるよ」
ならむしろ言ってみたい、と高揚するメイドを嗜めつつ、ユルゲンも苦笑を返す。──言われている内容自体は、ユルゲンも完全に同意だからだ。
ともあれ、これで顔合わせは済んだだろう。
まだ残ってこそいるものの、彼女らの性格的に今回ほど荒れることはないだろうし。
二人はお姫様を知った。彼女が成長する土台も整った。故に──
「──じゃあ、これからの。王位継承戦の話を、しようか」
主従と王女の会話が終わったのを見計らい。
ユルゲンは、穏やかにそう宣誓したのだった。
すみません、例によってカティア様回が長引いてしまったので次回から王位継承周りのお話です……!




