2話 疑心と試験
「……ええ、っと」
中々に衝撃的なファーストコンタクトをなさった王女様を前に、エルメスは流石に声を詰まらせた。
けれど黙っているわけにもいかないので、まずは意思疎通を試みる。
「その……リリアーナ王女殿下?」
「リリィとお呼びなさい。その方が可愛いですわ」
小さな体で腕を組み、つんと唇を尖らせてそう告げる王女様。
……最初に指摘することがそれなのか。
「ではリリィ様。既にお聞きとは思いますが、僕が──」
「知っていますわ。新しい家庭教師のお方」
とりあえず名乗りを上げる──前に、リリアーナが機先を制するように被せてくる。そのまま続けて、
「ユルゲンから、あなたのことはよく聞いていましたもの。曰く、先日魔法学園を襲った災害を撃退した英雄だとか」
「僕一人の力ではありませんでしたが……貢献をしたことは否定しません」
頷くエルメスに、リリアーナは少し眦を吊り上げる。
「それで? 更に聞くところによるとあなたは、『魔法をコピーする』なんていうとんでもない魔法を持っていて」
「ええ」
「それを用いてどんな血統魔法もいくらでも扱うことができて」
「理論上はそうですね」
「あろうことか複数の血統魔法を組み合わせて、更に強力な魔法に昇華させることすらできるとか」
「……」
「…………言わせていただきますわね」
そこまで言い切ると、彼女は指をエルメスとユルゲンの方に突きつけ、息を吸い込んで。
「──いくら! なんでも! 話を盛りすぎですわッ!!」
……ですよねぇ、と。
レイラの苦笑気味の小さな呟きが聞こえてきた。……そりゃ初めて聞いたらそうなるわ、と。
リリアーナが続ける。
「ユルゲン! わたくしに期待を持たせようとする姿勢は評価しますが、それにしたって限度というものがあるでしょう! わたくしが子供だからってそんな与太話に騙されるとでも!?」
「いやぁ、全て本当なのですがね……」
「またそんなことを言って!」
子供扱いされたことが不服なのか、リリアーナは肩を怒らせ頬を膨らませる。
そんな彼女に対して、改めてエルメスが声をかけた。
「リリィ様」
「なんですの!? あなたもまた意味不明なことを──」
「いえ。それに関してはどう考えても公爵様の伝え方が悪いのでさておきますが」
エルメスも、自分の魔法が王国の常識的に簡単に信じられないものであることは理解している。
今なら分かるが……彼が王都に戻った初日、公爵家で話した彼の魔法──それを一発で理解し信じたユルゲンの方が異常なのだ。
恐らく、ローズとの関連で思考がある意味柔軟になっていたのだろう。……それを他人にも期待した結果がこれだと思われる。そりゃこうもなる。
なので一旦それは傍において、エルメスは問いかける。……先ほど聞いた、重要なことを。
「殿下は先ほど、『王になる気はない』と仰りましたね。僕の聞いていた話と違うのですが……どういうことでしょう」
「……なんだ、そのことですの」
一旦は話せる話題に戻ったことに落ち着いてか、リリアーナが比較的冷静な声で答える。
「あなたがユルゲンから何を聞いたかは知りませんが……わたくしは名前を貸すことに同意しただけですわ」
「名前を……貸す?」
「ええ。どうやらユルゲンは、この争いに乗じて為したいことがある様子。そのために、仮にも王族であるわたくしの名前を権威の後押しとして使いたいらしいですの。……わたくしの名前に、そこまで期待できるとは思えませんが」
……なるほど。
ユルゲンの目的は、極論すると王国の価値観自体を変えることだ。
そのためには……必ずしも、自分の支持する人間を王位につける必要はない。それが最も早いのは確かだが、それしかないわけではないのだ。
なら具体的に何をどうするのか、そして言った通りリリアーナの名前にどれほど効果があるのか等疑問は残るが……それは後々ユルゲンに問うべき話だ。
「だから王位につく気はない、と」
「そうですわ。……というより、王位継承争いをする気がない、と言った方がよろしいでしょうか」
「それは、何故?」
純粋な問いに、リリアーナは少しだけ目を伏せると、抑えた声で。
「だって…………家族で争うなんて、馬鹿馬鹿しいではないですの」
「──」
それは。
まさしくあまりにも子供らしい、けれど純粋かつ理解できる動機。
「それに……お兄様とお姉様が本気で争うつもりなら、わたくしは割って入れませんもの」
続けて、静かに呟く。
けれど重要なのはその前の言葉。ある意味で納得するエルメスに対し、雰囲気の変化を感じ取ったかリリアーナが誤魔化すような大声で。
「そ、そもそも! わたくしは平和が好きですわ。今まで通りのんびりとお城の中で、時々お菓子を食べて過ごせればそれでいいんですのっ!」
「それはそれで王族としてはどうかと思いますが……」
「う、うるさいですわね! とにかく、そういうことですから! わたくしは王様になる気はないし、だから魔法の教育だって無駄ですわ! 以上、何か文句がおありで!?」
強引に話を切り上げようとするリリアーナに、エルメスは考える。
……色々と理解はした。そして本人がそう言っている以上、エルメスとしては「そうですか、それでは」と立ち去っても良い。実際、少し前まではそうしてもおかしくなかったかもしれない。
……けれど。
彼は感情を知った。踏み込むことを学んだ。
そして何より……やっぱり、彼女が色々な面で彼のよく知る人に似ているからだろうか。
有り体に言うと……興味がある。今言っただけではない、何かが彼女にはあると感じた。
故に、彼は告げる。
「……とは言っても、こちらも公爵様に頼まれた身でして。立ち去るわけにもいかないし、個人的にもそうしたくはない」
「む」
「なのでご再考を願いたいのですが……どうしたら、認めていただけますか?」
「あくまで、引かないつもりですのね。……後悔しますわよ」
リリアーナはエルメスを見て、その視線を強める。
それでも彼が引かないと理解した彼女は──薄く笑って。
「……いいでしょう。では、あなたを試します」
「試す?」
「有り体に言うとテストですわ。これからわたくしの言う条件をクリアできたのならば、もう一度考え直しても構いませんことよ」
「……ふむ」
納得する。いずれどこかで自分を見せる必要はあると思ったし妥当だろう。
「して、そのテストとやらの内容は?」
「ふふん。聞いて驚かないでくださいまし」
問いかけにリリアーナは得意げに笑って、なぜか部屋の向こう側に歩き──窓を開けたかと思うと再度振り向いて。
「──『鬼ごっこ』ですわ。これからあなたには、わたくしを捕まえてもらいます」
「…………はい?」
思わず目が点になるエルメスに、リリアーナは更に笑みを深めると。
「あ、今わたくしを甘く見ましたわね? 『そんなの余裕だろう』と。そう思うのは──これを見てからにしてください、ましっ!」
窓枠に手をかけ──そのまま、勢いよく窓の外に身を乗り出した。
「!?」
驚愕する。というか焦る。なぜならここはお姫様の居室、つまり──城のほぼ最上階だ。
慌ててエルメスも後を追って上半身を乗り出すが……
「……いない?」
「──ここですわ」
リリアーナの姿が無い、とあたりを見回すエルメス。その斜め上の方から声が聞こえて……
「…………な」
更に、驚愕した。
リリアーナは居た。近くの部屋のベランダに。
ただし……『ゆうに部屋二つぶんほど離れた、二階上の部屋』である。
まさか──あの距離を、『跳んで』移動したとでも言うのか。
端的に言うと……どう考えても子供が、否、通常の大人であっても──いや、魔力で膂力を底上げできる通常の魔法使いであってもありえないレベルの身体能力だ。
それが意味するところは、単純明快。
この少女が、通常の枠を遥かに超える桁外れに高い魔法能力を持っていることの証左に他ならない。
「箱入りのお姫様、と馬鹿にしていましたか? ごめんあそばせ、これでもわたくし『王族』ですのよ」
遠くから、リリアーナの声が響く。
彼女は笑う。どこか嗜虐的に、挑発するように。
「そういうことで、ルールを説明しますわ。と言っても単純、わたくしはこれからお城の庭を逃げ回りますから、一度でも捕まえられればあなたの勝ちですわ。授業を逃げ出した生徒を捕まえもできない先生なんて、教える資格はありませんものねぇ?」
魔法至上主義の王国、魔法で身分が決まる国の頂点たる王族。
その能力を遺憾なく発揮しつつ、彼女は尚も傲慢に。
「ご安心を、血統魔法は使いません。通常の魔法能力だけでわたくしは逃げ回ってみせます」
「な──」
「ああ、もちろんあなたは血統魔法を使って構いませんことよ? その噂に聞くどんな魔法でも扱えるとの力を遺憾無く発揮して、わたくしを追い詰めて見せると良いですわ。できるものならですけれど、ね」
あまりにも、こちらを馬鹿にしきった宣言だ。
けれどその思考を読んだかのように、リリアーナは高圧的に告げる。
「ちなみに。わたくしはあなたのことを『新しい家庭教師』と言いましたね?」
「え──」
「つまり、『古い家庭教師』もいたということですわ。ええ、それはもうたくさん」
そこで言葉を区切って、彼女はこちらを見下しながら。
「そして──古い家庭教師の彼らは全員負けましたわ。わたくしに、この条件で」
「!」
「向こうは血統魔法まで使って全力で追い回したのに、わたくしの影すら踏めませんでした。……ええ、それはとてもとても、無様でしたわねぇ」
くすくすと、可憐かつ冷徹に笑うお姫様。
彼女の年齢にはあまりに似合わない、ある意味での豹変に若干戸惑うエルメスを他所に、リリアーナはこちらに向き直ると。
「これも最初に言ったでしょう? 『あなたに教わることはない』と」
「……なるほど」
「というわけで、善意の忠告はこれまで。最初から全力でかかってくることをお勧め致しますわ。あなたがユルゲンに言われた通りの勇者であるならば、わたくしを捕まえるなんて余裕ですわよねぇ?」
どうせ無理でしょうが、との言葉は声にするまでもなく態度が語っていた。
その態度のまま、彼女はまた口を開く。
「どうぞ追いかけて下さいな。きっとあなたもここまで多くの称賛を受けてきたのでしょう? その自尊心を、こんな小さな女の子に負けることで粉々にして差し上げます。今までの全てを壊されて、無様に這いまわって……」
最後に、一息。
今までの笑みを消し、冷たい表情と暗い声で。
「──そうして、知るといいですわ。この世には、どうしようもないものが確かにあるのだと」
しかしそれも一瞬、すぐに今までの愛らしい表情を取り戻し。
「以上。あなたの運命をかけた鬼ごっこ──スタートですわ!」
号令を上げると、凄まじい速度かつ軽やかな動作でベランダを飛び越え、あっという間にその場から姿を消したのだった。
「……いやはや」
エルメスは呟く。
……なんとなく、朧げだが。
あのお姫様の、輪郭のようなものが見えてきた気がする。
きっと彼女は、何かを抱えている。
流石に今はそこまでを推測はできないけれど……
「──鬼ごっこ、か。懐かしいなぁ」
それは多分、この遊びを通して理解できることなのだろう。
そう直感した瞬間、迷いも混乱も消え失せて。
リリアーナを追いかけるべく、まさしく童心に帰って、彼もベランダを蹴ったのだった。
反抗的な生徒を分からせられるか。
顔合わせのお話も次回クライマックス、お楽しみに!




