閑話3 霍乱
「……うそ、でしょ……」
公爵家のある日。
カティアは愕然としていた。──信じられないものを見たからだ。
「そんな……エルが……」
体を戦慄かせて、震え声で。
カティアは最も信頼する従者の今の姿を、到底予想できなかった彼の様子を見て。
驚きと共に──そのありえない結論を告げるのだった。
「エルが……風邪を引いたですって……!?」
──原因は、色々とあった。
まずエルメスが編入し、初めて学園に通って以降あまりにも色々とありすぎて気の休まる暇がほとんどなかった事。
加えて、学園を襲った騒動の後。エルメスはカティア、サラと共に王国の様々なところでひっきりなしに事情聴取を受けた。
……その中には、公爵家の立場や秘密を守るためにある程度望まない回答を強要してしまったこともあった。
彼の性格からすると、それも精神的にかなりの負担だったのだろう。
カティアやサラは仮にも貴族子弟、そういうことにも慣れていたが──エルメスは貴族界から離れて久しかったことも負担に拍車をかけていたと思われる。
まとめると──慣れない環境で、常人のキャパシティを遥かに超えて色々ありすぎたのだ。その結果の疲労が、一気に吹き出した形となったのである。
(……いや、だとしても)
そう、カティアは思う。
だとしても、まさかあのエルメスが。最近益々魔法にもそれ以外にも磨きをかけていよいよ人間かどうか疑わしくなってきた彼が。
──『過労で倒れる』など、流石に思いもよらなかった。
……まあ、ある意味で。彼も人間であると確認でき、公爵家全体が彼のその人間離れした性能に頼りすぎてしまっていたところがあったと。
当主ユルゲンも反省し、彼には十分な休暇と手厚い看護を与える運びとなったのである。
ともあれ、そうなった以上。
「というわけで、エル」
エルメスの自室にて。
ベッドに横たわる彼の前に腰掛け、カティアは心配げな顔で自身の従者に話しかける。
「お父様から十分お休みは頂いたから、ゆっくり休みなさい。……ごめんなさいね、流石に無理をさせすぎたみたい」
「いえ……こちらこそ、自己管理が甘くて申し訳ない……」
流石にサラの魔法でも、風邪を治すことはできない。
なので一日ベッドの上で過ごすことになったエルメスが、心持ち重い声で答える。
彼の様子は、いつも通りのようではあるが……やはり軽く眉は下がり、頬はうっすらと朱が入り、吐息は熱っぽい。
「……っ」
それを見て、カティアも胸が高鳴る。
普段はとてつも無く頼りになる彼の、弱った姿も見てみたい。
……そんな極めて個人的な欲求のため彼女は『感染るから』と必死に止めようとするレイラと全力の格闘を繰り広げ──あとは同様にやってきたサラの微妙に押しが強い要請も突っぱね、どうにか見舞いの権利を勝ち取ったのだ。
かくして、レイラから指示された時間制限付きではあるが二人だけの空間で、カティアはエルメスの珍しい様子を堪能する。
……いやまあ、堪能する、と言うには少々直視に耐えうる威力ではないのだが。普段の彼は冷静で穏やかな分、尚更熱っぽい表情の破壊力がすごい。
不謹慎かもしれないが、風邪を引いた人間特有の色っぽさというものは果たしてどこから出てくるものなのか。
そんな益体もないことを考える。……逆に言えばそういうことを考えてなければ冷静さを保てない。ある意味今の自分、彼よりも熱が出ているのではないだろうか。
とは言っても、ここから離れる気は微塵も湧かず。
頬を染めたまま、カティアは彼への気遣いと若干の欲望を乗せてこう告げる。
「そ、それで、エル。……その、何か私にして欲しいことはないかしら?」
「……して欲しいこと?」
「な、何でもいいのよ? 今のあなたは病人なんだから、従者とか考えず素直にその、私に甘えてくれたって。……何でもしてあげるから、遠慮せずに言ってくれても」
「……ええ、っと」
実のところかなりの勇気を振り絞って言ったのだが、彼は困ったように首を傾げるだけだった。
具体的な内容を言ったほうが良いか……と彼女は恥じらいながらもその内容を口にする。
「た、例えばその……お腹は空いてない? な、何なら私が直接──」
「大丈夫ですよ? 流石に手を動かすのも億劫なほどではないですし……一応先ほど軽く食事は摂りましたので。お気遣いありがとうございます」
「じゃ、じゃあ。汗はかいてないかしら。着替えとか──」
「ご安心を。既に手元に十分な予備があります。必要以上のご迷惑はかけられませんからね」
「……暑くはないかしら。濡れ布巾の替えくらいは……」
「その辺りは魔法でできます。風邪を引いても簡単な汎用魔法は問題なく使えますし」
「…………」
──あまりにも隙が無かった。
風邪を引いても、やはり彼は彼だった。珍しく弱ったエルメスに何かをしてあげたい、との欲求は敢えなく叶わぬ運びとなったのである。
……いや、まあ。彼はこんな時でも自分たちを気遣い、自分でできることはきちんとやってくれているだけだ。手がかからない、と言えばそうなのだけれど……でも。
(こんな時くらい……頼ってくれたって)
軽く頬を膨らませつつ、けれど流石にそれを言うのは八つ当たりだと分かっているので。
彼女は一つ息を吐き、微妙に機嫌を損ねてしまったかと心配する彼に何でもないと断ってから、改めて腰掛ける。
そのまま、せめて退屈だけは紛らわそうと世間話を始めることにした。
「……にしても、正直驚いたわ。まさかあのエルが風邪で倒れるなんて。失礼かもだけど……全然、そんなイメージなかったから」
「……はは。ええ、僕も驚きました。……これでも、師匠のところにいたときは一度も風邪なんてひきませんでしたし」
「え、そうなの!?」
流石にそれは更に驚いた。
「ローズ様のところにいたときって……5年間、一度も? それはすごいわね……」
「ええ、まあ……『引くわけにはいかなかった』というのもありますが」
「?」
「あー、っとですね。何故なら……」
その言い回しに、どういうことかと首を傾げるカティア。
そんな彼女を見て、エルメスは若干迷ったものの苦笑気味に。
「僕が動けなくなると……師匠が死ぬんですよ。物理的に」
「………………ああ」
ものすごく納得してしまった。
彼の師、ローズが魔法以外は凄まじい駄目人間であることはカティアもよく把握している。修行時代、生活面では彼に頼りきりだったということも。
なので、説得力がすごい。ある意味で生殺与奪すら握られるほどに依存していたとは、本当に何をしているんだあの堕落美女は。
呆れ気味にしばらく会っていない赤髪の魔女に思いを馳せていたカティアだったが──そこで、ふと気づく。
「だから……そうですね。風邪を引いたのなんて、本当に……それこそ、フレンブリード家で、独房で過ごしていたとき、以来で」
「……エル?」
彼の様子が変わっている。
先ほど以上に頬を上気させ、言葉も舌足らずで曖昧に。目の焦点もどことなく合っていないように思われる。
「そう言えば……あの日も。ただでさえ寒かった独房が……すごく、寒くて」
「エル、大丈夫!? これは……」
熱が、上がっているのか。
ある意味で快方に向かっているサインではあるが、明らかに辛そうだ。
「でも体は熱くて……それが、すごく苦しくて。寂しくて、辛かった、なぁ」
「ちょ、ちょっと待ってて! すぐレイラに冷たいものを──」
慌てて立ち上がり、熱を冷ますものを用意しようと踵を返したカティアだったが。
──そこで、ぱしりと。
自らの手が、熱を持ったものに掴まれる感触がした。
「え、エル?」
その正体は、一つしか思い浮かばない。
振り向くと案の定、ベッドから伸ばされたエルメスの手が自分の手を掴んでいた。
「ど、どうしたの? 何かあるなら──」
「……いやだ」
そうして、彼女は見る。
──ぎこちなくも寂しそうに、泣きそうに歪められた彼の顔を。
「いかないで、カティ。……おかしいな。普段は平気なんだけど……ごめん。今日はどうしてか、すごく、寂しくて」
「……エル」
同時に気付く。
普段の彼ではない。態度と口調から察するに──これは、熱で若干記憶が混濁して、幼い頃に戻っているのだろうか。
「っ!」
それを察したらもう、後の行動に迷いはなかった。
もう一度腰を落ち着け、伸ばされた彼の手を両手で握り、胸元に抱き寄せる。寂しげな彼に、少しでも自分の体温を伝えるべく。
「……大丈夫よ、エル」
そうして、伝える。
「私は、見捨てないから。大切なあなたを、いつだって見捨てない。ずっとここにいるわ。……だから、安心して」
それを聞き届けたかは分からないが、彼女の声を聞き──彼は、ふと微笑んで。
そうして目を閉じる。……程なくして聞こえてくる、規則正しい寝息。熱が上がって体力を使い、回復のため眠りについたのだろう。
「…………」
……びっくりした。
彼でもこういうことがあるのかと思ったし……何より、あの表情。
常から感情が薄いと自他ともに認める彼の──意識が昔に戻ったとはいえ、ひどく切ない表情。それが意味するのは……
「……戻りつつ、あるのかしら」
彼が王都で失い、取り戻したいと望むものが。
心が……ここでの生活や学園での出来事を経て、徐々に戻ってきているのか。
だとしたら──すごく、嬉しい。
喜ばしい心のまま、カティアは穏やかな寝顔を見ながら肩の力を抜き。
──そこでようやく先ほど、そして今自分が何をしているかを自覚した。
「────!?」
彼の手を、自らがっちりと両手で握り、しっかりと胸元に抱き寄せた体勢に遅まきながら気が付いて。
一挙に頭の中まで熱を持つ。皮膚の内側から甘やかに引っ掻かれているかのようなどうしようもないこそばゆさが全身を襲う。
……でも、何故か。抱き寄せた手を離す気は微塵も起きなくて。
おまけに先程の彼の態度が、表情が、脳裏に焼き付いて離れない。
──五分だけですよと、レイラには言われた。
でも、しかし。ずっと、彼に甘えて欲しいと思っていて。
そんな矢先に、あんな彼の姿を見て。いてほしい、と言われて。
「……離れられるわけが、ないでしょう……!」
そう告げて、彼女は真っ赤な顔のまま、抱き寄せる手に尚更力を込めて。
結局その後もしばらく、ひどくこそばゆくてむず痒い時間を──それでも十分に、堪能してしまうのであった。
◆
「…………で」
翌日。
「私の言いつけを綺麗に破って長時間お見舞いをなさった結果、ものの見事に最も避けるべき事態が起こったわけですが──」
案の定──ベッドの持ち主が入れ替わるのであった。
「弁明はありますか、綺麗に風邪をうつされてしまったカティア様?」
「……全く、ない、です」
呆れと怒りが同居した様子で、ベッドの前に仁王立ちするレイラ。
そんな彼女に向かって……熱っぽい吐息を吐くカティアは、布団で顔を半分隠しながら申し訳なさそうに回答する。
「反省はしていますか?」
「もちろん。でも……」
レイラの詰問に素直に答えつつ、それでも判断力が低下したカティアは言ってはならないことを言ってしまう。
「……正直。後悔は、全然していないわね」
「カティア様?」
「だ、だって……!」
尚更笑顔の圧を強めるレイラに、更に顔を隠すカティア。そんな二人の後ろから声がかけられる。……対照的に全快したエルメス。
「あの、レイラさん。記憶が曖昧でよく覚えていないのですが……恐らく僕のせいでもあるので。だから僕が今度は看護を」
「やめてください、主従で無限ループが起こる未来が見えますわ! あと貴方が近づくとカティア様の体温が別要因で上昇するので!」
「いや、でも責任が僕にある以上……」
「ああもうこの仲良し主従は! 尊きことですが今回ばかりは私にお任せくださいっ!」
かくして、この家では極めて珍しく大人が子供を諌める真っ当な場面を見ることができ。
ある意味で年相応の様子を見せた二人に対する親しみが、更に上昇したとかなんとか。
そんな様子を眺めつつの、カティアのベッドの中でのむず痒そうな微笑みが、この件の締めくくりとなったのであった。
公爵家は今日も平和。
というわけで、これにて閑話は終了です!
作者はサラの掘り下げや主従成分を補給できて大満足です、読者の皆さんも楽しんで頂けたならとても嬉しいです!
そして明後日からは、遂に第三章が始まります!
章タイトルは「新星の玉座」。王都の歴史や因縁を巻き込んだ、大規模な章になりそうです。
途中でだれないよう、そして一章二章以上に面白く盛り上げられるよう、
最初からフルスロットルで突っ走っていく予定なので、是非読んでいただけると!
三章以降は予告通り週二回、毎週『水曜』と『土曜』更新を目安にしていきます。
頻度低下は重ね重ね申し訳ございません。その分一回一回のクオリティを全力で上げていきますので、これからも読んで下さると嬉しいです!
最後になりますが、応援して下さる皆さん、本当にありがとうございます!
これからも、「創成魔法の再現者」をよろしくお願いします!
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