47話 研鑽の成果
突如として学園に現れた、黒い壁と魔物の大群。
あまりに予兆なく、唐突に、理不尽なまでに降りかかった危機。学園の多くの生徒は──教師も含めて、瞬時にパニックへと陥った。
それでも、学園はどうにか対応した。多くの人間を校舎内に避難させ、戦える人間を表に出して魔物の攻勢に立ち向かい、辛うじての膠着状態を維持することに成功した。
その功労者となったのは、二人の少女。
まずは、カティア・フォン・トラーキア。間違いなく学園内でもトップクラスの性能を持つ魔法を操り、また当人の卓越した指揮能力で戦える人間を的確に配置し、異様な練度の連動を見せる魔物の大軍を着実に抑えている、前方の要。
そして二人目が──
「──負傷した生徒さんはすぐこちらに! それ以外の戦える人は、すみませんが結界付近の魔物の対処を! とにかく、少しでも時間を稼いでください!」
逃げ込む人間の安全圏を作るため、校舎全体を覆う結界を即座に展開。同時に負傷した人間を回復するための場を整えた。
類まれな二つの血統魔法を扱って戦線を保つ二重適性の少女。後方の要、サラ・フォン・ハルトマンだ。
学校での彼女しか知らない者は面食らっただろう。普段は非常に穏やかで心優しい、まさしくこのような場に最も似合わない少女が──誰よりも真っ先に魔物の大群に立ち向かい、遊びでも模擬戦でもない、掛け値無しの死地に臆することなく身を投じているのだから。
そんな彼女の元に、新たな負傷者がやってきた。
「……ぅ……あ……」
「! ……貴方は……」
覚えのある生徒に、サラが微かに目を見開く。
Aクラスの生徒だ。しかも、クライドを中心としたBクラスに対する偏見に積極的に手を貸していた、詰まるところつい先日までBクラスを敵視し続けていた人間。
──しかも、この戦いが始まった瞬間真っ先に魔物たちへと己の力を過信して突っ込んで、今まさに返り討ちにされてきた状態だ。
「……」
当然、そのような生徒に対する周りの人間──特にサラを守って戦っているBクラス生からの視線は厳しい。
けれど、それを理解した上で。サラは一切の躊躇なくその生徒にも『星の花冠』を発動する。
瞬時に効果は現れ、魔物に切り裂かれ、噛みつかれた傷が快癒する。呆然と完治した己の体を見つめる生徒に、サラは視線を合わせて問いかけた。
「見えるところは治しました。……他に何か痛むところは?」
「……い、いや、ない」
「良かったです。では……まだ、戦えますか?」
その問いを耳にした瞬間、Aクラス生の顔が歪んだ。
「──む、無理だ。な、何なんだあれは、あんなの知らない、魔物なんて、血統魔法を使えば簡単に倒せるものじゃないのか!? ……あ、あんな化け物と戦う経験なんてない、無理だ、ぼ、僕は──し、死にたくない!」
……この生徒もだ。
戦いではなく、狩りの訓練しかしてこなかった魔法使い。勝つことが当たり前になってしまったせいで、負けを、危機を現実のものとして見られない。
故にこその、あまりにも情けない宣言。
当然、それを聞いた今戦っているBクラス生たちは激昂する。ふざけるな、と。今まで散々偉そうにしてきたくせに、と。
しかし。
そう声を出そうとしたBクラス生を、サラは申し訳なさそうに手で押し留めると。
もう一度真っ向からその生徒を見据えて、彼女は静かに告げる。
「……分かりました。では、下がっていてください」
「……な」
そのAクラス生が驚いたのは、彼女の言葉の内容にではなかった。
それを言う、彼女の表情だ。
──痛ましそうだったのだ。それでいて、労るようだったのだ。
こちらを詰る気配など微塵もない。その美しい顔に浮かぶのは、ただただ目の前の負傷者を案じる心のみ。
「巻き込まれないよう、校舎の中に。……貴方の分は、わたしが頑張りますから。そこで待っていただけると助かります」
「な──なんでだ」
そう告げて戦場に戻ろうとするサラに、思わずそのAクラス生は声をかけた。
「何でだ、なんで──責めない! どうして罵らないんだ、こんな人間を!」
「……分かるからです」
それに対して、サラは労るような声色を変えないまま答える。
「身の丈に合わない暴虐を前に身が竦んでしまう気持ちも、自分を大事にしたいと思う心も。……わたしは偶然、以前にそれを経験したから慣れていられます。でも──それがなければ、わたしだって今の貴方のようにならなかったとは限らない」
彼女は見捨てない。
弱さを、愚かさを見限らない。……それがきっと、彼女の願いに即したものであるから。
「だから、今戦えないことを恥じる必要はありません。……きっと誰だって、強くなれる資格が、機会があるはずなんです。わたしはそうだと信じたい」
だから、今は生き残ってくださいと。そのために、今はわたしが守るからと。
そう伝えて、彼女は今度こそ身を翻す。
……従っているBクラス生も、そんな彼女に何も言わない。他でもない、以前彼らが彼女のその在り方に救われているから。
「……他の負傷者の皆さんも、遠慮しなくて構いません。戦える戦えないに関わらず、治せる限りは必ず治します。流石に継戦できる人を優先はしますが、見捨てることは絶対にしませんから!」
そうして彼女は宣言し、再度戦場へと舞い戻る。
……そんなサラの様子を、呆然と。未だ胸に残る治癒の魔力と共に、そのAクラス生は見送っていた。
とは言え、状況は予断を許さない。
校舎全体を覆う結界は、いくら彼女と言えど長期間保たせられるものではない。彼女の魔力が切れたその時が、魔物が避難した人間たちに殺到する瞬間だ。
だが、彼女は知っている。
この状況を一瞬でひっくり返し得る人間がいることを、この学年でただ二人。
そして、程なくして。校舎内から、凄まじい勢いで。
一人の少年が空を駆けて戦場に飛び込んでいくのを、確かに彼女は観測した。
ほぼ同刻、前線にて。
「嘘……でしょ……!」
魔法使いたちの指揮を取るカティアは、限りなく絶望に近い表情を浮かべていた。
アルバートを中心として、Bクラス生は凄まじい奮闘を見せた。
当初宣言した通り、最初に連携して校舎に襲い掛かろうとしていた魔物の軍。そのうち自分たちの周りにいた魔物は、彼らの活躍で軒並み倒し切れた。
──だが、誰が思おう。
あの、あれだけでも十分な脅威だった魔物の大軍がよもや──ただの露払いに過ぎなかっただなんて。
「な──!」
前線の、魔物の集団を倒し切った後。
まさしくその倒し切られ空いた空間を蹂躙するように──次々と、後方から大型の魔物たちが現れたのだ。
流石に数は少ない。だがその身に纏う魔力から、これまでの魔物とはまさしく一線を画した能力を持っていることを視認した全員が予感して。
そして。その予感は間違っていないどころか──悪い方向に裏切られることになる。
「……うそだ」
呟いたのは、最初に魔物の一匹に魔法を直撃させた生徒だった。
「こいつ──血統魔法が効かない!?」
それは、有り得べからざる事態だった。
これまでの魔物というものは、貴族に──血統魔法使いにとっては楽に倒せる存在でしかなかった。
単独での狩りならば余裕、注意すべきは大氾濫等の数に任せた蹂躙のみ。
事実今回における前線の軍も、あくまで連携していたから脅威だっただけで──単体だけで見れば多少強い血統魔法を当てさえすれば倒せた。
魔物は血統魔法で倒せる。それがこれまでの貴族の常識で、例外はあるがあくまで強力な迷宮のボスや突然変異種と言ったごく一部の例外に限るものだったのだ。
だが、これは。
そのごく一部の例外が──少なくとも数十体。
『単体で血統魔法使いよりも強い』という、そうそう有り得てはならない異端の魔物が群れを成して襲いかかってきたのだ。
これこそが、クライドが用意した魔物の集団、その本隊。
前方の露払いを小型の魔物の連携に任せた後の──学園を壊滅させるに足る、血統魔法使いを蹂躙するための主力部隊だ。
「馬鹿げてる──っ!」
そして、カティアは確信する。
これほどの規模、確実に単独の血統魔法使いにできることではない。
恐らくは何かしらの魔道具か、特殊な術式か。明らかにクライド一人では有り得ない何かしらの援護を彼は受けている。
しかし、それに気づいたところで状況が変わるわけではなく──むしろ何か手を打たねばどんどん悪化する。
「くそ──ッ、全員落ち着け! 一人で一体を相手にするな、複数人で協力して確実に一体ずつ削る! 今度はこちらが連携を使うときだ!」
響くアルバートの指示。彼らは自分たちの手に負えない事態でも決して焦らない。負け続けた経験が、鍛えられた能力が柔軟な対応を可能にする。
それ自体は非常に頼もしい。が……複数人で一体の魔物を相手にするということは、つまりそれ以外の多くの魔物を後方に通してしまうということであり。
(まずい──!)
そうなれば、後方で支えているサラ達の負担が倍増する。どころか──現時点でも向こうはぎりぎりの状況だ、結界の完全破壊も十分あり得てしまう。
何か手を打たなければならない。けれど自分は戦場全体のサポートで精一杯。
どう考えても詰みかけている状況で、何とか──と頭を巡らせたその瞬間。
魔物達が──一斉に上空を向いた。
それはあたかも、意識を吸い寄せられたかのように。
そのあまりの脅威に、無視することを許さないかのように。
目の前を動き回る敵手よりも注意を払うべき──『天敵』を、見つけた時のように。
異様な光景に釣られ、他の生徒達も一斉に上空に目を向ける。
カティアも例外なくそれに倣い──そして。
「……おっ、そいわよ……!」
今この瞬間、誰よりも彼女が焦がれていた銀髪の少年の姿をそこに見つけ。
微かに涙声になりつつも、笑いながらそう告げるのだった。
◆
魔物達が、上空から襲い掛かろうとしていたエルメスに気がついて一斉に視線を向けてくる。
──できれば不意打ちで仕掛けたかったが、流石にそうは甘くないか。
確認するとエルメスは思考を切り替えつつ、眼下の光景に視線を巡らせる。
……期待通り、持ち堪えてはくれたようだ。ただ魔物達の強さが生徒達の、そしてエルメスの想定すら遥かに超えていた。戦線は崩壊間際だ。
特に、今アルバートたちが相手をしているあの魔物の一団がまずい。一体一体が強力な迷宮の主クラスの力を持っている、通常の血統魔法ではびくともしないレベルだろう。
それを認識して……エルメスは最後に、己の主人へと目を向ける。
見上げるカティアと目が合う。彼女は若干涙目になり、参戦が遅れたエルメスを視線で少し責めつつも、彼の言わんとするところを理解して頷いた。
つまり──『全力でやっていい』との、主人の許可として。
「了解しました」
助かる。あの魔物達相手に出し惜しみをしている余裕はない。
彼女の許可が出たのならば遠慮なく、『今の自分』の本気を見せるとしよう。
再度眼下の戦場を認識する。余裕があれば一体一体確実に片付けていくのだが……恐らく崩壊寸前の今ではそんな余裕はない。
なら、全部まとめて吹き飛ばす。
一瞬で行動を決定し、『無縫の大鷲』を解除。自然落下が開始される中、彼は詠唱を唱えて右手を掲げ。
「術式再演──『魔弾の射手』」
まず、彼が最も慣れ親しんだ血統魔法を起動する。
更に。
「……術式複合──『火天審判』」
同時に、左手で。
詠唱しておいた二つ目の魔法を起動……というよりは宣言通り『混ぜ合わせる』感覚で、血統魔法の術式に血統魔法の術式を組み込んでいく。不都合なものは取り去って、必要な要素だけを組み合わせ、結果生じる不具合には新たな要素を入れ込んでいくことで魔法の形を整える。
結果。彼の背後に展開された魔弾が──燃え上がった。
単純に火炎属性を付与しただけではない。それとは比べ物にならない程苛烈に、強烈に、凄まじい熱量を宿して一つ一つが太陽の如く灼熱に光り輝く。
そして、エルメスは右手を振り下ろし。
炎獄の魔弾が、一斉に魔物に向けて殺到した。
「────!!」
結果は激甚だった。
僅かに残っていた小型の魔物は一切の抵抗すら許されず焼滅し、アルバートたちを苦しめていた大型の魔物ですら抵抗の弱いものは焼き尽くし、受け止めた魔物も爆発と共に吹き飛ばす。
その威力は到底、ただの血統魔法の枠に収まるものではない。
そして勿論、前線で戦う生徒達には当てないよう制御も完璧。
それができる。いや──そうできるように『訓練』してきた。
学園に編入してから、エルメスは多くの血統魔法を見て、学んできた。
より沢山の種類、性質、術式を視認し、解析し、己のものにしてきた。
ならば、当然。魔法を創ることを目的とする彼が──
──その魔法の単純な再現だけで、満足するはずもない。
故に今、その成果を。通常の学園内では発揮できなかった、編入後も決して欠かすことなく積み重ねてきたその研鑽の集大成を見せるとき。
さあ、油断はまだしない。未だ強力な魔物が大量に奥に控えている。
それに……当然、研鑽の成果はこれだけではない。
一先ずの危機を解決した彼は、更なる闘志を燃やしつつ。
主人と、そして仲間達と合流すべく、地面に降り立つのであった。
次回、更に大暴れ。お楽しみに!




