46話 味方
彼女の魔法を跳ね除けられたのには、大別して三つ理由がある。
まずは、エルメスの性質。彼は生来の特性と過去の経験により感情、心が他者と比べて希薄だ。
──つまり、精神に作用する類の魔法は彼には軒並み効果が薄い。
……にも関わらず、ここまで追い詰められたという事実が彼女の魔法の凄まじさを表してもいるのだが。
そして向こう側で、エルメスが発動した魔法。二人の間を隔てる『精霊の帳』で生成された壁に手を触れて、ニィナが呟く。
「これ、サラちゃんの……ああ、そういうこと」
完全に術中に落ちたと思っていたエルメスの予想外の抵抗。それによる放心状態から立ち直り、状況を理解したニィナはどこか納得したように呟く。
「力を隠してるのは間違いないと思ってたけど……まさかこんなことまでできるなんてね。これ、最初から仕込んでたの?」
「ええ、ここに来る前に。……使う事態には、なってほしくありませんでしたが」
それこそが、二つ目の理由。
……敢えて直接的な言い方をするが、エルメスは初めから彼女を疑っていたのだ。
「どこで気付いたの?」
「違和感を持ったのは、対抗戦の最終盤の件です」
あの時、ニィナはクライドの魔法を『直接攻撃系ではない』と断言した。
その時は何処かの伝手から情報を得たのかと深く詮索はしなかったが……クライドの魔法を知った今であれば、それは大きな違和感となる。
「──何故、貴女がそれを知っているのか。クライド様のあの魔法は何としてでも漏らしてはいけない類のもの。それを、仮に断片的な情報であっても何の関係もない人間が知れるとは思えない」
この時点で、クライドと直接──或いは、クライドと繋がっている、クライドを知っている人間と繋がりがあるのではという疑惑はあった。
加えて、クライドの魔法を突き止めた直後のタイミングでの呼び出し。
ここまで揃えば、流石に警戒をしない方が難しい。
「バレてたんだ、最初っから。……これ、解いてくれるわけにはいかないかなぁ」
「っ」
理解した上で、彼女は壁越しに上目遣いで問いかける。
……危機は脱したとはいえ、未だに魅了の魔法は彼を蝕んでいる。彼女の視線や仕草にどう足掻いても意識が吸い込まれ、何を置いても言うことを聞いてしまいそうな衝動に駆られる。
でも、それは分かっていた。こうなるリスクを承知の上で彼は近づいたのだ。
故に意思を燃やしてそれに抗い──突きつけるような口調で一言。
「……貴女は本当に、そうされることを望みますか?」
「!」
その言葉が、彼女の心を射抜いたことは反応で分かった。
それが、三つ目の理由だ。
彼女の魔法が、対象に近いほど効果を発揮するのは味わって分かった。
ならば極端な話、彼女が最初から距離を詰めるなり接触するなりすればエルメスに成す術はなかっただろう。
掛かりが浅い段階で不用意に近づくのは危険と判断し、ある程度回るまで距離を保っていた──と説明できなくもないが、それでもやはり、全体的に詰めが甘かった印象は拭えない。
つまるところ、彼女にどこか躊躇のようなものを感じたのだ。
それこそが、ここで彼女と話す判断をした理由の一つでもある。
その辺りでようやく、魅了の魔力を抜いてある程度の余裕ができた。
よってエルメスは、壁越しではあるが真っ向から彼女を見て告げる。
「……それで。貴女はクライド様──と言うよりは恐らく、クライド様を裏から動かした人物、或いは組織と繋がりがあって」
「……」
「そこから僕を監視、そしていざとなれば魔法で絡め取るように指示を受けた。……最初に声をかけてくれたのも、仲を深めたのもそれが目的で」
客観的な説明を受け、彼女はどこか自嘲気味に笑って。
「……そんなことはない。確かに最初は指示されたからだったけど……それがなくてもキミには興味があったし、感謝も気持ちも本物だ。決して魔法に必要だから作っただけのものじゃない──」
一息にそう述べてから、こちらを見返して問うてくる。
「──なぁんて都合の良い言い訳をしたらさ、キミは信じてくれるの?」
「はい。もちろん」
しかしそこで、彼女の目が見開かれる。
彼の言葉が肯定を意味するのは口調から明らかで、まさか信じる、と肯定が返ってくるとは思っていなかったのだろう。
だが、これは彼の中では迷う必要のないものだ。
「貴女の事情は知りません。だから僕は、僕が見てきたものを信じます。濁りなく真っ直ぐに鍛え上げられた貴女の剣を、級友への親愛を大事にする貴女の心を、感謝を告げてくれた貴女の想いを……僕が本物だと信じたいものを信じます」
「……お人好しが過ぎないかな。サラちゃんのことを笑えないよ?」
「あの方を笑うつもりは毛頭ありませんが……そうですね。公爵様からも『甘い』と言われました」
思い出すのは、王都に戻ってきてすぐのこと。何も事情を把握しないまま、カティアの味方をするとの判断をユルゲンに咎められた。
今やっていることは、その時と全く同じだ。
……だが、そこを変えるつもりはない。
盲信はいけない。時には今回のように疑うことも必要だろう。
でも、根本は。心が擦り切れた自分だからこそ、その中に生まれた確かなものを守るという行動原理は。
──自分の想いだけは疑わない。それだけは魔法を創る彼の目的のために譲れない、変えられないものであるのだから。
故にそれを踏まえて彼女に聞くことも、言うことも決まっている。
「貴女に与えられた指示によるならば──貴女に従った場合、今学園で行われている暴虐は見過ごさなければいけませんね」
「……そうだね」
「こちらの味方をすることはできないんですか?」
「……できないよ」
「その事情を話していただくことは」
「……ごめん。それも、今は言えない」
「──では、今ここで手を取り合うことは難しいですね」
案の定の答え、そして当然の彼の結論だ。
何も話せないまま、この学園を──ようやく変わり始めた、彼の大切な人たちがいる場所が蹂躙されるのを見過ごすことは到底できない。
よって、ここで一度二人の道は分かたれる。それは不可避の現実だ。
だが、それは。
決して、今後一生共に歩めないことを意味するわけではない。
何よりそれは……彼にとっても、ひどく寂しい。
よって、彼は告げる。
「だから──次に味方をして欲しい時には言ってください」
「……え」
呆けた表情をする彼女に、エルメスは続ける。
「事情は……その時は話してくれると助かります。内容も余程の無茶でなければ対応しましょう。目的もはっきりしているとありがたい」
「……」
「その上で──貴女の願いが、心からのものであるのならば。貴女の想いが、誰に憚ることのない美しく思えるものであるのならば」
彼は信じる。
彼女だって、この学舎を巻き込まなければならないのは不本意だったのだと。あの悲しげな顔を、縋るような表情を──信じたいと思う。
きっと、今はそれを覆せるだけの手立ても時間もないのだろう。でも彼女なら次は必ず、同じ轍を踏まないだけの用意をしてくれるはずだと。
「そうであるならば、頼ってください」
よって、彼は真っ直ぐに迷いなく言葉を発す。
「その時は──必ずや、僕の力の及ぶ限りで味方になると約束します」
「……どうして、そんな」
信じられない顔で、ニィナがそう問うてくる。
……さて。自分がこう考える理由は先ほど述べたもので全てで、他に言うべきことはない。
なので、彼は少し考えてから──あたかも彼女を真似たかのように、少しだけ悪戯げに微笑んで。
「……ひょっとすると気づかないうちに、『貴女の魔法』にかかってしまったのかもしれませんね」
そう、告げる。
その返答にニィナは虚を突かれたような顔をしてから──
──合わせるように、苦笑した。
「……こーさん。ボクの負けだ、もう止められないよこれは」
合わせて、辺りを覆う魔力が霧散したのを感じる。彼女が魔法を解除したのだ。
それをエルメスが把握したのを確認してから、ニィナは真剣な顔で言ってくる。
「行っていいよ、止めないから。……というか、お願い。あいつの魔法は正直想像以上にやばい。カティア様を、サラちゃんたちを……学園のみんなを、守ってほしい。……勝手なお願いでごめんね」
その言葉で、エルメスは自分の見立てが間違っていなかったことを悟った。
「分かりました。……ああ、ではお礼がてら最後に一つ」
「へ?」
「貴女に与えられた指示は、『ここで僕を足止めしろ』でしたね?」
「え、うん、そうだけど」
ならば、と彼は笑い、ある種の敬意を込めてこう続ける。
「それ、『成功した』ことにして構いません」
「……え? いや、でも──」
「ご安心を。……実時間にすると5分強ですか。それだけしか止められなかったのかと責められるかもしれませんが……」
教室の外に歩き出し、窓を開け。眼下を埋め尽くすような魔物の群れと、それに立ち向かう見覚えのある生徒たちを視界に入れて告げる。
「これから、本気を出します。流石にもう知られるとまずいだのなんだの言っていられませんからね。そして、それを報告していただければ……余程蒙昧でない限りわかっていただけると思いますよ」
詠唱をしてから窓枠に足を掛けて、一気に身を乗り出して。
「『この僕を5分も足止めできた』、それがどれほどの価値を持つのかを。……では行ってきます。
術式再演──『無縫の大鷲』」
魔法を起動させると、窓枠を蹴り──そのまま空を駆けて、一気に魔物の集団へと飛び去っていった。
◆
「…………」
最後にエルメスが見せた光景の衝撃で、ニィナはまたしばし固まってから。
それが回復したのち、現状を受け入れ──ぽつりと呟く。
「……振られちゃったなぁ」
……自分で言っておきながら思ったよりも傷ついた。
いや、それにそう決めつけるのは早計だ。彼は、次があれば味方をしてくれると約束してくれた。自分の想いが高潔であれば、力を貸してくれると。
それは──すごく、すごく嬉しい。
「……っ」
嫌われることを覚悟でここに来た。
信頼を踏み躙る行為を疎まれて、好意を利用する魔法を蔑まれて、二度と口も聞けないほど忌み嫌われても仕方ない。
そう思って、そう覚悟して、それを必死に表に出さないようにして彼と相対したと言うのに。
彼は、誠実だった。
突っぱねるでもなく、流されるでもなく。今協力はできないときちんと線を引いた上で、それでも見捨てることなく次の協力を約束してくれた。
優しすぎるだろう。おまけに仕事を失敗した自分のことも考えて最後にフォローも欠かさない。彼はああいう強い言葉を積極的に吐く人間ではないから、間違いなく自分のためだろう。気配りがすぎる、完璧か。
「ああ。……すごいなぁ」
彼と、この学級で言葉を交わせたことを改めて誇りに思う。
そして同時に、自分が恥ずかしい。……これまで流されるままだった、仕方がないと諦念とともに漫然と過ごしていた己を今ほど恥じたことはなかった。
……彼には、そういう力があると思う。
己の心を偽らないものだけが持つ力。ただ強いだけの人間には絶対に持ち得ない、周りの人間を感化させる、この国では滅多に見られない何かが。
そして自分も例外なく思う。……ああ在りたい、彼に敬意を向けられるに相応しい人間になりたいと、確かに、強く。
「……あはは、情けないなぁ。逆にボクの方が魅了されちゃってるじゃん」
けれど、決して嫌な気分になるはずなどなかった。
……そうだ。仕方ないと諦めるのは全ての手立てを試してからでも遅くはない。
差し当たって、今自分にできることは──まず、見ることだ。彼の奮戦を、自信を持ってああ言えるだけの実力をしっかりと目に焼き付けること。
そして、その後。彼がこの事態を収束させるだろうことはもう疑うことができない。そうして自分がこれまでいた場所に戻ってから。
そこからが、彼女の孤独の戦いだ。
元より、考えてはいた。王国に仇なすだろう組織と繋がりを持たせられ、意に沿わないことをさせられる──この現状をいずれなんとかしたいと。
考えつつも、勇気が出せなかった事柄。でも──彼が味方をしてくれると、その約束があるのならば、それが埋められる。
何より、笑顔であの人たちの元に戻るために。そうしたいと、強く思える。
「ありがとうね、エル君。……ああもう、好きだなぁ」
最後に、心からの想いをもう一度告げてから。
彼女は戦いの結末を見届けるべく、祈りと共に窓の外へ目を向けるのだった。
彼女のメインエピソードは、三章前半に予定しています。
そして長らくお待たせしました、いよいよ次回からエルメス君無双ターンが始まります……! お楽しみに!




