38話 説得
やや区切りが悪かったので連日更新です!
休日、突如としてハルトマン家に現れたクライド。
慌ててイルミナが歓迎の意思を示し、使用人に対して高圧的に命令して即座に紅茶を用意させる。
そうしてイルミナが一通りのおべっかを捲し立てて、クライドがそれを受け入れつつ運ばれてきた紅茶で一息つき、ようやく本題に入る。
彼の用件は──概ね、サラが予想していた通りだった。
「……と言うことだ。こちらのサラ嬢の素晴らしい活躍が、不正ありきとは言えBクラス勝利に大きく貢献したのだよ。つまりそれは、サラ嬢がBクラスなんかに居るには勿体ない魔法の力を持っている証左に他ならない!」
「その通りですわ、クライド様!」
……予想外だったのは、丁度母親とその話をしていたある意味最悪のタイミングで彼がやってきて。
そのせいで母があまりにも舞い上がり、完全にクライドと意気投合してしまっていることだ。
「だから僕は提案しにきたのさ。──サラ嬢、Aクラスに移籍しないかい?」
そして、本命の提案の一つを彼が告げる。
「大丈夫、教員陣は僕が説得する。そもそもあの無能たちはBクラスの悪事を暴けず困っているだろうからね、その辺りを説得材料に含めれば簡単に折れてくれるだろうさ。そもそも僕は、君ほどの人がBクラスなどおかしいとずっと思っていたのだから」
「流石はクライド様! サラ、勿論受けるわよね!」
自身の正しさを確信し、優雅な表情を見せるクライド。そして、そんな彼の気品ある佇まいに頬を染めて全てを肯定するイルミナ。
「クライド様ほどのお人が、こうまで言ってくださっているのよ! ええ、当然前向きに進めさせていただきます。それでクライド様、その……サラは、多くの貴族子息に声をかけられているのですが……」
「ああ、それは由々しき事態だね。勿論僕も、立場として早めに生涯を共にする女性を決めるに越した事はない。サラ嬢であれば申し分ないだろうさ、こちらも前向きに考えさせていただくよ」
「まあ!」
イルミナの迂遠な物言いをしっかりと理解し、イルミナにとっては完璧な回答を返す。彼女は更に頬を染めつつ喜びを顔に出し、高らかに告げる。
「ああ、今日はなんという良い日でしょう! 私のサラが、ようやく正しく認められる日が来たんだわ! さぁサラ喜びなさい、貴女にとっての幸せが、栄光がすぐそこにやってきたのよ!」
そんな、心からの喜びと共にサラを見据えるイルミナ。
──否。ずっと前からきっと、彼女の目に映っているのは自分ではない。
……それが、悲しかった。
きっと真っ当な思い出はなかったけれど、厳しく有無を言わさず自分を改造する母の姿しか見ていなかったけれど。
それでも、家族なのだから。
だから、今こそ。
『自分の想い』を告げるべく、彼女は息を吸う。
『貴女はきっと、自分の心を軽んじられています』
あの日、下町に出ていた路地裏で偶然出会った少年、エルメス。
カティアの幼馴染であり、他とは何処か違う雰囲気を纏った少年。そんな彼が告げた一言は、サラを十分に驚愕せしめるものだった。
『──自分は自分のものではなく、自分如きどうなっても良い、と』
どうして、そこまで。
自分の心の内を正確に言い当てられるのか、と思ったのだ。
それで興味を持った。そう言う彼がどんな心の形を持っているのか気になった。見てみたくなった。
──そして、憧れた。
冷静に、されど苛烈に。迷い、悩みつつも芯の部分は決して揺らぐことはなく。
己の目標に向かって邁進し、言葉ではなく在り方で次々と周りを変えていく姿に、強烈な憧憬を抱いた。
それは、学園に入っても変わることはなく。それを期待して、ひどく強引な引き留めもしてしまった。
……ああ在りたい、と思った。
どうしようもない自分でも、流されるままだった自分でも。
自らを定義できる確固たる何かを持って、前に進めたのならば、どれほど良いことだろうかと。
なりたい。
彼のようになりたい。
周りに影響するほどに、確かなものを持った人になりたい。
──誰かを変えられる自分に、なりたい。
そんな想いで、彼女は口を開く。
「……クライドさん。もう、やめましょう」
まず、サラはクライドに告げる。
瞳は逸らさず、言葉は濁さず、ただただ真っ向から。
「仮にわたしをAクラスに引き抜いたとしても、勝てるとは限りませんよ」
「!? な、何故それが」
「流石に分かります。……むしろ、逆効果だと思います。その場合きっと、今度こそエルメスさんは形振り構わず勝ちにくる。Bクラスの皆さんも、あの時より更に強くなる。──『わたしが居なくてもBクラスは強い』、と逆に証明してしまうでしょう」
まずは持ち前の洞察力で、クライドがここに来た狙いを正確に看破する。
その上で、貴方の目論見は外れると冷静に諭す。
「そして何より──Bクラスは、やましいことなどしていません。正々堂々、あの力を身につけたんです。……わたしはそれを見てきました。そこに嘘はつけません」
加えて自分の中にある譲れない部分を、しっかりと突きつける。
「気持ちは分かりますが……認めるべきだと思います。学園は、エルメスさんを中心に変わりつつある。それはもうきっと、止められるものではありません。それを認めた上できちんと行動すれば、まだ間に合います」
「……」
「でも、そうしなかったらきっと──貴方は、今の居場所すら失うことになりかねない」
そして最後は厳しく、けれど誠実に、かつ道理に合った説得を。彼の望むところも理解した上で、過不足ない言葉を選んで示す。
「……お母様も。今述べた通り、学園は激動の時期にあります」
続けて、母親にも同様の視線を向けて。
「貴族令嬢として生まれ、これほどの魔法を持ってしまった以上、お母様の言うような問題は常について回るでしょう。その意味でお母様が真剣に考えてくださっていることは感謝します。……でも、だからこそ今は──そう言ったお話は控えていただけると」
「……」
「学園の、そしてこの国の変化が落ち着いてからの方が、きっと後悔しない選択ができると思うんです。それから、きちんとわたし自身も考えて決めた方が良い。……何よりわたし自身そうしたいと、今は思うんです。だから、どうか」
そう一息に告げると、澱みない意思を宿して頭を下げた。
サラの言葉は、説得という意味ではこの上なく素晴らしいものだっただろう。
自らの意思を示し、相手の意思も尊重し。きちんと筋道立てて考えに至った根拠を示しつつ、相手を立てて必要以上に挑発するような言葉も使わない。まさしくとても説得力のある言葉の数々だった。
……だが、彼女は知らなかった。意思を示した経験が乏しすぎて、実感しきれなかった。
彼女のある意味での不運は、自らの意思を持って最初に説得したのが──エルメスだったということ。
そして、その説得がこの上ない形で成功してしまったことだろう。
……そう。自らの意見を示し、相手を説得するにあたって。
その相手が、エルメスのようにきちんと真っ向から話を聞いて、理解と吟味をしてくれる理想的な存在とは限らない。むしろその方が少数派だ。
大半の相手は、そうではない。どころか──
──そもそも最初から話を聞く気が一切無い人間が、一定数存在することを彼女は実感できていなかったのだ。
「──なんて酷いことを言うのこの子はッ!!」
そして、眼前の二人はその最たるものだった。
クライドの前で繕っていた仮面はどこへやら、怒りと憎悪に顔を歪ませるままにイルミナが叫ぶ。
「せっかく私がこれほどまで貴女のために奔走して、クライド様までご足労頂いたと言うのに! その全てを踏み躙るような言動をするなんてどうして!? どこでこんなにも親不孝で恥知らずな娘に育ってしまったのよ!!」
「母君の仰る通りだよサラ嬢!!」
その言動をした理由を懇切丁寧に今説明したばかりなのに、その全てを無視しているのが一言で分かる台詞だ。
更に、イルミナのヒステリックな叫び声にクライドも悲痛な声で追従する。
「なんて嘆かわしい、アスター殿下といた時のお淑やかで素晴らしい君は何処に行ってしまったんだ! 訳の分からない言葉を弄して相手を貶めようとするなんて、真の君とは程遠い! 一体何があったと言うんだ!!」
「そうよ! ああ、どこで間違えたの、どうしてこんな親心の分からない子に!!」
悍ましいほどに息が合っていた。
互いが互いに共感し、自ら作り上げた悲劇に酔い、そうして増幅された莫大な敵意がサラにぶつけられる。
それに怯みつつも、目を逸らして蹲るような真似だけはしてはいけないと見返す。
されど、その程度でこの二人が止まるはずもなく。
「──そうか」
それどころか、ある瞬間にぴたりと叫ぶのをやめたクライドが、何かを思いついたようにこう呟いた。
「可哀想に、そこまでBクラスに毒されてしまったんだね。君は他人に共感しすぎるきらいがある、きっとそれが悪い方向に働いてしまったんだ。そうでなければこんな風になってしまうはずがない!」
「まあ、そうだったの! でもそれなら納得だわ、この子は優しすぎるもの。そう言うことなら──やることは一つね!」
「!」
その先の言葉は、誰だって予想がつくものだった。
「ああ。今すぐにでも彼女をAクラスに移籍させよう。僕はもうこれ以上、宝石が泥の中に埋もれることに耐えられない!」
「ありがとうございます! ええ、そうしてもらった方がこの子のためにもなりますわ」
「そうだね、そうしてゆっくりとAクラスで貴族の何たるかを教えれば彼女もきっと昔のように戻ってくれるさ!」
そこに、彼女の意思を介在させるつもりがないことは明確だ。
『Bクラスに毒されて判断力が鈍っているから』と強引に解釈されて、何一つ意見を差し挟む隙を与えてもらえないだろう。
親の、そして目上の人間に従順だった昔のサラを、強制的に再現しようと画策する。
──当然、それを許すわけにはいけない。
「あのっ! 分かりにくかったのならば何度でも説明します、だから話を──」
「ッ、この後に及んでこの子は!」
声を上げたサラに、されど余計に怒りを刺激された様子のイルミナ。
「どこまで親不孝を積み重ねれば気が済むの! 反抗期にしても限度があるわ、私が居ないと何も出来ない分際で何様のつもり! どこまでも血迷って私の邪魔を──!!」
そして、遂に。
元よりさして大きくはないだろう堪忍袋の尾が切れたのか、憎悪に支配された形相でイルミナが手を振り上げ、躊躇なく振り下ろす。
身に迫った危機に、けれど逃げることは絶対にしないとの意思を込めて、サラはその場に留まったままぎゅっと目を瞑って──
──ぱしっ、と。
その掌を受け止めるような、軽い音が近くで響いた。
「……え」
予期していた衝撃がやって来ず、恐る恐る目を開けたサラの目の前には。
「──失礼」
見慣れた、銀髪の少年の姿があった。
「不躾とは承知していますが、流石に見ていられなかったもので」
「な──だ、誰よ貴方!」
驚愕と同時に嫌悪を滲ませて、イルミナがエルメスの手を強引に振り払う。
「……エルメス、さん」
「エルメス……!」
サラは呆然と、クライドは憤怒と共に彼の名を呼ぶ。
それを聞いて大まかな関係を把握したか、気を取り直したイルミナが叫び散らした。
「何、サラの知り合い? だとしてもあまりに非常識だわ、一切の予約も無しに貴族の家にやってくるなんて! そもそも貴方その格好、どこかの従者じゃない! 従者如きが貴族子弟の話し合いの場に介入するなんて、身の程を──」
「──じゃあ、主人が出れば満足かしら」
今度はそのイルミナの声を遮って、居間の入り口から凛とした声が響く。
あまりにも美麗な響きに、その場の全員が目を向けさせられ。
そして視線の先には、妖精と見紛うほどの少女が一人。
顔立ちも、その紫髪も、挙動もあまりに美しく。服装は比較的簡素でありながらもその程度では彼女の魅力に些かの影も落とさない。
あたかも、過剰な装飾で自らを高貴と偽るイルミナと対照を成すかのように。
『これが本物の気品だ』と、身をもって示すかのように。
「カティア、様」
「……ええ。悪いわね、まさかここまで行動が早いとは予想外だったわ。──でも、辛うじて致命的になる前に間に合ったのは不幸中の幸いかしら」
少女の名を呼ぶサラに、彼女は安心させるように微笑みを返すと。
「約束通り、遊びに来たわ。……でも変ね」
翻って、クライドとイルミナに視線を向ける。
「サラの話じゃこの日、私たち以外の訪問者は居ないと聞いていたのだけれど。どうして居るのかしら、『一切の予約も無しに貴族の家にやってきた』、非常識な侯爵令息さん?」
「貴様……!」
対照的に酷薄な微笑で先程のイルミナの言葉で揚げ足を取り、まず『この場における乱入者はお前の方だ』と示し。
忌々しげな視線を向けるクライドを軽く流すと、今度は打って変わって冷静に告げる。
「……なんて、ね。予想は付いていたわよ、サラに執着する貴方が強引にこういった行動に出ることは。だから来たんだもの」
そして、前置きは以上とばかりに軽く息を吐くと。
「──で」
その瞬間、空気が変わった。
そう錯覚するほどの恐ろしい何かが、カティアから発せられた。
「いざやってきたら、こんな現場に出くわした訳だけれど。それどころか、玄関にきたあたりから言い争う内容までばっちり聞こえてきたから、大体の状況はもう把握している訳だけれど」
言い逃れすら先んじて封じる宣言とともに、彼女は場を支配する。
「当然、サラの声も聞こえていたわ。……素晴らしい言葉だったわよ、サラ。そして感謝するわね、あなたの真摯な言葉に一切耳を傾けない様子で──ようやく、私も吹っ切れた」
誰もが呑まれるその感覚。エルメスとサラだけは、それに心当たりがあった。
──対抗戦の最終盤。絶対的な最後の関門として立ちはだかったカティアの様子と、今の雰囲気は酷似している。
唯一違う点は、彼女の表情。あの時と違ってきっちりと理性は残しつつ、されど宿す感情の強さはあの時と遜色なく。
「クライド・フォン・ヘルムート。イルミナ・フォン・ハルトマン。まずはあなたたち程度でも理解できるよう、私の用件を簡潔に、分かりやすく言ってあげるわね?」
有り体に言うと今の彼女は──極めて冷静にキレていた。
そしてカティアは遂に、絶対零度の声色で表明する。
「──私の大切な友達に、何してくれてんのよ」
絶対に許さない。
そんな副音声すら聞こえてくるほどの圧力と共に、彼女は冷や汗を浮かべる二人を睥睨するのだった。
次回、公爵令嬢の本気。お楽しみに!




