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37話 サラ

 ──おとぎ話が、好きだった。


 きらきらしていて、少しだけ暗くて、でも最後は優しい世界のことが。

 どこかコミカルだけれど、それでも一生懸命生きている人たちのことが。

 その雰囲気が、美しさが、どうしようもなく好きだった。


 この世界で生きられたら、どんなに素敵なことだろう。そう子供心に思ったものだ。


『大丈夫よ、サラ』


 そんな幼少期の彼女に、母親は告げる。

 そして指差す。絵本の中の、自分が好きだったキャラクターを。

 国の真ん中にある大きなお城、そのバルコニーで星空を見上げる、綺麗なドレスを身に纏った女の子。


『よく見ておきなさい、これが貴女の目指すべきもの。全ての女の子の夢』


 そうして、それこそ夢見るような口調で、母親はいつもの口癖を言うのだ。



『──貴女は、お姫様になるんだから』



 その言葉が。

 どうしようもない呪いだと気付くまで、そう時間は掛からなかった。




 ◆




 ハルトマン男爵家。

 サラの実家であるその家は、一応貴族本家の邸宅ではあるものの貴族の中では最低位。多少立派な平民の屋敷とさしたる違いはない。


 故に、屋敷を歩いている最中にばったり家族と出くわすことも、そう珍しいことではないのだ。


「……お母様?」


 休日の朝。

 朝食を終えて身だしなみを整えたサラは、居間に座って資料を眺めている人物を認めるとそう声をかける。

 声に気付いたその女性は──今日は機嫌が良い様子で返答する。


「ああ、サラ! 丁度良かったわ、こっちにいらっしゃい」


 促されるままに対面に座り、改めて眼前の人物、自分の母親を見やる。


 イルミナ・フォン・ハルトマン。


 サラと同じ遺伝子を持つブロンドの髪に、暗い青紫色の瞳。顔立ちは十分美人と呼べる程に整っているが、少し化粧が濃いせいか見る者によっては吊った目元も相まって厳しい印象を受けるだろう。

 そして特徴的なのは──耳元に、胸元に、両手の指に、腕に、髪飾りに、あらゆる場所につけられた大量のアクセサリー。その色とりどりの宝石が放つ光は、あまりにも乱雑で美しさよりもうるささが先に立つ。


 総じて、如何にも放蕩な貴族夫人と言った風体の女性だ。

 そんな母親の……いつもの様子を見やってから、サラは机の上に並べられた資料を見て──絶句した。


「……お、お母様。これ──」

「ええ、気付いたでしょう? これは全部──貴女宛ての(・・・・・)縁談の(・・・)申し込み(・・・・)よ!」


 サラの反応とは対照的にイルミナは喜色満面、まるで宝物をひけらかすように机の上の書類に向かって両手を広げる。


「素晴らしいわサラ。こんなにも多くの殿方の心を射止めるだなんて、私が育ててあげた甲斐があったというものよ! ……ああでも、これだけあったら目移りしてしまうわよね。……大丈夫、ちゃんと私が『選別』してあげるから」


 続けてそう告げると、イルミナは書類を取って読み込み始め。


「ええと、これは……クーセア子爵家の次男……ふざけているのかしら、子爵家『如き』が私のサラと釣り合うとでも思っているの? 除外ね。それで次が……ラハトマー伯爵家長男。家格も今ひとつだし、優秀な魔法使いが輩出された噂も聞かないわね。落ち目じゃない、これも除外。次は──」


 あまりにも躊躇無く、その相手をこき下ろす台詞とともに申し込みの手紙を次々と捨てていく。

 しかも──サラ宛てのはずである手紙を、一切サラの許可を取らずに、だ。

 当然、サラはそうするよう頼んだ覚えもなければそもそもこんな申し込みが来ていたこと自体知らされていない。


「……あのっ、お母様──」

「大丈夫よサラ、母に任せなさい」


 流石に見かねてサラが声を上げようとするが、その言葉は一方的にイルミナが遮り、逆に自分の言葉を語り始める。


「いいこと。貴族令嬢に生まれたからには、少しでも身分の高い殿方のところに嫁ぐべきなの。それこそが最大の幸せなのよ」


 優しげに、愛おしげに、けれど根底にある黒い執着を覗かせて。


「それを理解していなかったり、周りの理解を得られなかったりするとね。私のように望まない場所に嫁がされてしまうのよ。サラ、貴女にはそういう失敗をして欲しくないの。これは貴女のためなのよ」


 母は──侯爵家から(・・・・・)男爵家に(・・・・)嫁いで(・・・)きた(・・)女性(・・)は、語る。


「大丈夫、母が全部やってあげる。殿方の心を惹きつけるための手法も全部教えてあげるし、優れた家へ……最低でも侯爵家ね、そこに嫁ぐ手段だって。心配ないわ、貴女は素晴らしい素質を持った女の子だもの。貴女のためなら、なんだってやってあげる。そう──」


 そうして、自分を見ているようで、自分に投影している誰かを見ている母親は。

 酔いしれるように、いつもの口癖を言うのだ。


「──貴女は(・・・)お姫様に(・・・・)なるんだから(・・・・・・)!」




 ……そういうことだ。


 母イルミナは元々、さる名門侯爵家の長女だった。

 その実家で、娘たちの嫁ぎ先に関する争いがあったらしい。何があったか詳しくはサラも知らない。イルミナ曰く、「あの妹が全て悪いのよ。誇りの欠片もない、卑しく汚らしい手段で私の居場所を奪い去ったの」とのことらしいが、多分にバイアスがかかっていることは想像に難くない。


 ともあれ、そうしてイルミナは争いの余波を受け、適齢期を過ぎても嫁ぎ先が見つからなかった結果──ハルトマン男爵家に嫁入りした。

 彼女は激しい嫉妬心と復讐心に囚われた。嫁ぎ先であるハルトマン男爵家で、当主である夫を無視し、嫁ぐ前の身分を盾にやりたい放題振舞ってもその渇きだけは癒されなかった。

 満たされないまま、尚更横暴は加速し。それこそ自分こそが当主であるかのように振舞っていた、そんな中──


 サラが、生まれた。

 幼少期から類まれな容姿を持ち、加えて『二重適性』という魔法の才にもこの上なく恵まれた少女が。


 そしてイルミナは──サラを、自らの渇きを癒すために使うようになった。


『お姫様になるのよ』


 その言葉を、口癖に。

 男爵家の生まれでありながら、高位貴族の子息に見初められてその元に嫁ぐ。おとぎ話のような成り上がりを現実のものとすべく。

 最低でも侯爵家。それを目標として、イルミナはサラにありとあらゆる教育を施した。


 復讐の道具として。自らが成せなかったことを代わりに成就させるための存在として。

 ──愛する娘としてではなく、自己を憑依させる投影対象(アバター)として。


 サラの容姿が持つ魅力を最大限活かすための身だしなみ、着飾り方を教えた。

 相手を守り、癒し、自らに依存させるための魔法の扱い方を教えた。

 男性の心をくすぐり、自尊心を満足させるための振る舞いと性格を教えた。


 凄まじいまでの暗い情熱で、娘への愛情に見せかけた自己愛で、一切の容赦なく男性の心を射止めるための考え得る全てを叩き込んだ。


 そこにサラ本人の性格も性質も目的も、一切考慮されることはなく。

 ただ、この国の貴族令息が望むままの理想像を。そのために不要だった『サラ自身』の余計な部分は削り取って型に嵌め。

 そうして出来上がったのが、今のサラ・フォン・ハルトマン。イルミナ・フォン・ハルトマンの最高傑作だ。


 ……サラは思う。

 自分に言い寄る男性は、須く自分を褒める。自分の容姿を、自分の性格を、自分の態度を絶賛する。

 それはきっと、光栄なことなのかもしれないけれど。同時に思ってしまうのだ。

 当然だ、と。だってそうあるように、そうあることだけを目的に育てられたのが自分なのだから。

 そこに『サラ』が介在する余地はない。彼らが見ているのは、『イルミナの作り上げた何か』だ。


 ──そのままの君でいいよ。


 自らに言い寄る男性から、幾度となく聞いた言葉。

 聞きようによっては嬉しいかもしれないその言葉が、彼女にとっては最大の皮肉だった。


 ……だからこそ。

 自らが変わるきっかけをくれた、変わっても良いと態度で示してくれた少年の存在が、とても嬉しかったのだ。




「……あら、これで終わりなの」


 思い返しているうちに縁談申し込みの『選別』が済んだらしく、イルミナが嘆息した。

 けれど、その瞳には喜悦が灯っている。

『自分が育てたサラ』が目論見通り多くの男性の好意を集め、それを自分自身が選別する立場に居る。

 それが楽しく、喜ばしく、優越感を感じられて仕方が無い。そう言いたげな上機嫌で、イルミナはサラに話しかけた。


「上出来よ。……でも、今日貰ったものの中にぱっとする殿方は居なかったわね。──学園の方ではどうなの? 私の目に叶うような方はいるのかしら」


 ……最早、サラではなく自分が選ぶことが前提となっており誤魔化すこともしない。

 それを認識しつつ、サラは回答する。……真実とは、異なることを。


「……いいえ。やはり、一時とは言えアスター殿下の婚約者であったことが響いているようです」

「そう。──全く忌々しい、どうして没落なんかしたのよあの王子は。サラを選ぶ目だけは確かだったのに、実力自体はどうやら張りぼてだったようね!」


 かつてサラがアスターに見初められたと聞いた時は狂喜乱舞していたのに、随分な貶しようだ。一応は既に継承権を失っている身とは言え、かつての王子をこうまで悪し様に罵るのも異常である。

 でも当然かもしれない。彼女の頭の中にはもう、『サラを優れた立場の人間に嫁がせる』ことしか頭に無いのだ。王子でなくなった時点で、イルミナの中でのアスターは無価値に成り下がっている。


「でも、それが理由なら時間が経てば落ち着くでしょう。私のサラはこれだけの魅力を持っているんだもの、きっとすぐに学園でも声をかけられるようになるわ!」

「……」

「誰が望ましいかしら。そうねぇ……ああ、あの方はどうかしら──クライド・フォン・ヘルムート侯爵令息!」


 まさしく現在学園で一番気がかりな名前が出てきて、思わずサラの肩が跳ねる。


「アスター殿下が居ない今、側近だったあの方がAクラスの中心でしょう? 実家も名門侯爵家で、誰もが振り向く美しいお方と聞くじゃない。私のサラとも釣り合いが取れているわ。どう、あのお方に声をかけられては居ないのかしら?」

「あ、あの……っ」


 あまりにクリティカルな話題を出され、少したじろぎつつもどうにか言葉を絞り出す。


「クライド様は……まず、以前の対抗戦でBクラスが勝利したためAクラス自体が揺れていまして……」

「ああ、あれ? あんなのBクラスが何か卑怯な手を使ったに決まっているわ。サラ、貴女はもちろんそんなものに関与していないわよね?」

「っ!」


 イルミナは、対抗戦を見ていない。

『魔法で戦うなんて野蛮なことは淑女の仕事ではない』と毛嫌いして見ようとすらしなかった。


 にも関わらず、この物言い。

 サラとて、あの戦いにかける想いは特別重かったのだ。流石に声を上げるべく、息を吸ったが──


 ──その瞬間、呼び鈴が鳴った。


「あら。どなたかしら?」


 喉元で声の行き場を失うサラを他所に、イルミナが玄関まで対応しに向かう。

 そして直後、玄関からイルミナの喜色に満ちた声が響く。嫌な予感を抱く間も無く、すぐに扉が開いて。

 そうしてイルミナに案内され、居間に現れたのは──


「やぁ、サラ嬢。──ああ、休日の家庭的な君も美しいね」


 噂をすれば影、と言うが。

 にしてもあまりに悪すぎるタイミングで現れた青髪の少年、クライド・フォン・ヘルムートその人が、爽やかさの裏に執着を匂わせる顔でサラに声を掛けた。


 この場、この話の流れ、そしてこの母とクライドが共に現れたという事実。

 どう考えても、真っ当な用事ではない。そんな確信に近い予感と共に、サラは己の体を抱く。



 ──だが、同時に。これはチャンスだとも彼女は思う。

 これまで流されるままだった母と、何も認めようとしないクライドと、真っ向から話し合うある意味この上ない機会。


 ……自分だって、このままでは駄目だと思ってはいた。でも、思うだけで何もできなかった。

 そんな自分を他所に、周りを変えてくれた人がいたのだ。

 その功績を、その成果を、無に帰そうとする人間が居るのならば。


 ──今度は、わたしが変わる番。わたしが頑張る番だ。


 変わるきっかけとなった、一人の少年の顔を思い出して勇気を貰い。

 決意を胸に、サラは眼前の二人を見据えるのだった。

久々のキャラネーム回でした。

彼女の頑張りを、見守って頂けると嬉しいです。次回もお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[一言] サラのお父様がよっぽどな人格者だったんだろうなぁ。今のサラの人格がこの母親の教育によって構成されているとは到底思えないですね〜。 クラ...クラウドファンディング君の処遇がどうなってしまう…
[一言] 昔のドラマやアニメでこんな教育ママいましたね。 階級が明確な貴族社会ではなお苛烈なことでしょう。
[気になる点]  サラちゃんは丸め込まれそうです。  何とかしてください。 [一言]  血の繋がりが本当にあるのかしら?  そう疑わざるを得ない母娘でしたね。
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