36話 足掻きの先
「なぜだ……!」
昼休みが終わった後の、Aクラス。
例によって自習が続いている教室内、その隅の方で、クライド・フォン・ヘルムートの苦悶の声が響く。
忌々しげな彼の視線の先には──
「カティア様!」
「カティア嬢、先ほどエルメス殿から聞いたのだが、貴女がこれほど強くなったのも彼の指導によるものだとか。それはまことか!?」
「是非、私たちにもその要諦を!」
Aクラスの、対抗戦後に態度が変わった生徒たち。
『Bクラスが強かったから敗北した』などと世迷言を言い出した生徒たちが、カティア・フォン・トラーキアの周りに群がっている。
彼女は対抗戦最後の大立ち回りもあって、Aクラスの中で唯一評価を落としていない、どころか上昇している生徒だと言えるだろう。その影響もあって、Aクラスの新たな中心人物となりつつある。
「そんなに一気に来ないで、ちゃんと聞くから一人ずつお願い。……焦らなくても、ちゃんと学ぼうとする意思さえあるのならエルは分け隔てなく教えてくれるわ。ただ、節度は守ること。エルはその……私の、なんだから」
そんな彼女は、現在生徒たちに落ち着いた声で返答している。表面上は冷静に振る舞っているが──内心は、クラスの中心の座をまんまと自分から奪い取れて心底自分を嘲っているに違いない。
そう決めつけて、そんな決めつけに自ら苛立ちを覚えるクライド。
一方で自分は、そんなカティアに群がる生徒たちから軒並み白い目を向けられている。
曰く、『偉そうなことばかり言って何も出来なかった』『あっさりと向こうの挑発に乗った』『カティア様を我が身可愛さに引き留めて参戦を遅らせた』等々、まるで自分こそが戦犯のような扱いだ。
(ふざけないでもらおうか……! あの対抗戦はクラスでの戦いだ、敗北の責任はクラス全体の責任だろう、僕一人にそれをなすりつけようとするなんて、なんて意地汚い性根だろうね!)
実際それらのAクラス生はクライド一人に擦り付けようとはしていないし、もし対抗戦に勝利できたならばその功績を自分が掻っ攫う気満々だった彼だが──それは棚に上げて、あるいは本当に忘れたかのように怒りを燃え上がらせる。
だが、今はそれをぶつけることはできず。
「……どうしますか、クライド様」
そんな彼の元に、Aクラス残りの生徒たち。
負けを認めず、不満を騒ぎ立てる層。クライドからすれば『まだ正気を保っている』生徒たちが声をかける。
「どうやらあの無知蒙昧な生徒たちは、まだBクラスの勝利が正当なものであるかのように思い込んでいるようですが」
「愚かしいですわ。そんなこと、絶対にあるはずがないのにねぇ?」
「全くだ。……しかし、それを示す絶対的な証拠が出て来ないのも事実。教員たちは一体何をやっているのやら」
「ああ……本当に、君たちの言う通りだ」
クライドの思念を肯定する生徒たち。その言葉に共感し、クライドは再度怒りを燃え上がらせる。
「まさか、栄えあるこの学園の教員までここまで耄碌していただなんて……! やはり、僕がなんとかするしかないようだね!」
あの対抗戦が終わった後。
当然、クライドは結果を受け入れなかった。そしてBクラスが何か不当な手段を使ったに違いないと思い込み──真っ先に教員に直談判しに行ったのだ。これは由々しき問題だ、きっと貴方がたにも不利益が降りかかる。即座にBクラス生を、差し当たっては一番怪しいあのエルメスという男を問い詰めて吐かせるべきだ、と。
(だと、いうのに!)
教員たちは、大々的な人数をかけてエルメスを詰問したにも関わらず何一つ聞き出すことができず。
Bクラスの方も一致団結して教員に歯向かい、結果何も証言を得られなかったと言うではないか。
加えてあろうことか──エルメスに対する強引な詰問の様子を証拠に残され、逆手に取られて父兄の突き上げを燃え上がらせる材料としてまで使われる始末。どれほどに無能なのだ、とその時はクライドも正面から悪態を吐いた。
そして、紛れもなく。
この流れの中心となっているのは──Bクラスの、あの男。
「エルメス……!」
その名を呼んで、クライドは更に眉根を寄せる。
陰口を吐かれ続けるクライドと違って、エルメスに対する評価は上昇する一方だ。
Bクラスを勝利に導いた最大の功労者、トラーキア家の秘蔵っ子、カティアを欠陥令嬢から世代最高の魔法使いにまで導いた名師、等。
どれだけ見る目がないのだ、と思う。
あんな男など、対抗戦においても後方から小賢しく指示を出していただけ。実際の戦いにおいては血統魔法を使っても尚カティアに一切抵抗できなかった程度の実力しかない分際で。
どうしてそんな男が自分を差し置いて、学園中の称賛を受け、多くの人間の尊敬を集めている。
……彼を称賛する人間は言う。
彼は、これまでに無い新しい価値観を持った人間。かつての神童は伊達ではなかった。この学園に新しい風を吹き込む存在だ。
彼を中心として、『この学園が変わっていくかもしれない』と──
(──ふざけるなッ!!)
クライドが、一番許せないのはそこだった。
学園が変わるのは良い。元々アスターの没落でその兆候はあったし、クライド自身この学園は変わるべきだと思っていたから。
だが──
(──こうじゃない。こんな変わり方は絶対に間違っている。何より、それを主導するのが──どうして僕じゃないんだッ!)
その中心にいるのは、絶対に自分であるはずだったとクライドは疑うことなく信じていたのだ。
(僕は見てきたんだぞ、あのアスター殿下を誰よりも近くで! 当然殿下の間違っていた点もきちんと把握している。だから一人の力に頼るんじゃない、みんなで協力する大切さをずっと説いてきたじゃないか!)
それなのに、あの男が全て台無しにした。
この国の根幹すら揺るがすような、身の程知らずな理念をBクラスを中心に吹き込んでいる。彼に従えば早晩この国は秩序を失う。そんなことがどうして誰も分からないのだ。
それは、自分とは全く相反する考え。つまり間違った考えだ。なのに、多くの人間がそちらの方に賛同していて。
(どうしてみんな分かってくれないんだ。そこに立っているのは、間違いを知っている僕であるはずなのに。──僕に任せておけば、全て上手く行くのに!)
──なんとかしなければならない。そう、強く思う。
でも、あの男は想像以上に狡猾だ。悪党の例に漏れず自分の罪を隠すのが上手く、中々尻尾を掴ませない。
「……どうする」
心中ではあるが、一旦自身の怒りを整理したことで多少は冷静になったか。
クライドが、心持ち落ち着いた顔で真剣に思索を巡らせる。
皆があの男に騙されている。
それを自覚してもらう最も有効な方法はやはり、あの対抗戦。Bクラスが不当な方法で勝利した証拠を突き止めることだ。
しかし、それは教員が無能なせいで上手くいっていない。ならば──
(何か、別の方法で代替することはできないか?)
そうだ。結局のところ、『Bクラスが優れていたから勝ったわけではない』ということを証明出来れば良いのだ。
ならば、Bクラスの不正を暴くことに拘らなくても良い。自分たちの名誉を守り、かつBクラス生全員が優れているわけではないことを示す方法。そう、例えば何かBクラス生の実力ではない特別な要因が……
「──はは」
すぐに、思いついた。
何だ、あるじゃないか。『Bクラス生』が優れているわけではない証拠。対抗戦を見ていれば誰もが思い至るイレギュラー。
明らかにBクラス生の実力とはかけ離れていた存在が、あの場には居た。
「く、クライド様?」
クライドの様子の変化を感じ取ったか、Aクラス生の一人が問いかけてくる。
それに対し、上機嫌にクライドは答えた。
「そうだよ、誰が見ても明らかだったじゃないか。Bクラスでいるには相応しくない存在、彼女が居なければ不正をしていてもAクラスに勝つことなど絶対に不可能だった。それをひっくり返した人が居る」
そこまで言われれば、彼の周りのAクラス生も全員が思い至る。
驚きの視線を心地よく受けて、クライドは満を持してその名を告げる。
「──サラ・フォン・ハルトマン。二重適性という類まれな才能を持っているにも関わらず、家格に縛られてBクラス所属となってしまっていた可哀想な魔法使い。彼女が全ての原因だったんだよ」
こういうことだ。
彼女は、非常に稀有な才能とそれに相応しい支援能力を持つ魔法使い。彼女による献身的なサポートがなければBクラス生が勝つことは不可能だった。
よって、彼女のBクラス離れした魔法の能力こそが対抗戦の勝利を決定付けた要因の一つである。
つまり──Bクラスが勝ったのはサラ一人が優れていたからであり、他のBクラス生が優れていたわけでは断じてない。
それこそが真実だ。
そう理解させることができれば、あのエルメスの特訓とやらが全くの無意味だったと皆分かってくれるだろう。
そして、それを証明する方法は簡単だ。
「サラ嬢を、Aクラスに引き抜けば良い。いや、引き抜くという言い方は失礼だね。相応しい場所へと所属していただくんだよ」
その上で、もう一度Bクラスへと勝負を挑む。
代わりにそうだな──適当なAクラス生の魔法能力が一番低い人間でもBクラスへ送ってやれば良い。そうして今度こそ完膚なきまでに叩きのめせば、この学園を覆っているふざけた幻想も晴れるだろう。そうすればBクラス生どもも心が折れ、不正の証拠も出てくるに違いない。
「はは、そうだよ。元々僕は言っていたじゃないか。彼女はBクラスに居るには相応しくない、家柄に縛られるなんて愚かなことだと!」
思いついた手段の素晴らしさを自ら称賛するように、クライドは笑う。
それに、これは彼女のためにもなる。
何せ、彼女は優しすぎる。あの落ちこぼれのBクラス生相手でも丁寧に接している──優しさを、無駄遣いしている。
それ故に、エルメスにも騙されている。その心に付け込まれ、甘言を弄されて操られているのだろう。そうでなければあの誰にでも分け隔てない彼女がエルメス相手には特別な敬意を払うわけがない。
ああ、それは良くない。
彼女の優しさは、もっと優れた人間にこそ向けられるべきなのだ。そう、例えば──
「そうだね。そのような不当な評価を受けている人を助けてあげるのも、Aクラス長たる僕の役目だよねぇ!」
自分こそが、可哀想なお姫様を助ける役目を負っているのだと信じて疑わず。
自らの正義に酔った表情で、クライドは言葉を紡ぐ。
「そうと決まれば、早速動き出すとしよう。そうだね──今週末あたりが良いかな。何、彼女も最初は優しさ故に遠慮するかもしれないが、辛抱強く説得すればきっと分かってくれるとも! 見ているが良いエルメス、聖女様を抱き込んで見逃されていたようだが、君の悪行もここまでさ!」
自らの執着と、エルメスに対する憎悪と、建前とが融合して。
こうして、彼の足掻きが次に向かう場所が決定したのだった。
──そして、クライドは気付かなかった。
どうせ自分なんてもはや眼中にないのだろうと決めつけていた少女カティアが、彼が声を上げ始めたあたりからクライドを観察しており。
具体的な言葉は喧騒に紛れて聞こえなかったようだが、大体何を言っているのかは把握した様子で。
「……やっぱり、そう来るわよね」
嘆息と共にそう告げ、同時に週末の行動を決定したこと。
……そしてついでに、予想通りとは言え楽しみにしていた予定を一つ潰され、クライドに対する怒りがまた一つ溜まったことに。
フラグを全力で立てつつ、次回からサラ、クライドの掘り下げエピソード。
主従も活躍します。お楽しみに!




