35話 波及
翌日から、変化は劇的に現れた。
まず、自習の時間が増えた。
その旨を言いにきた教員は生徒の自主性を育む云々とそれっぽいことを言っていたが、本音がそこにないことは教員の落ち着かない振る舞いや冷や汗に満ちた表情を見れば明らかだった。
例の対抗戦に関する突き上げが本格化してきたのだろう。Bクラスが何かしらの卑怯な手を使って勝ったという確たる証拠を掴めなかった以上、父兄の怒りは向く先は二つ。Aクラス生たちの油断か、或いは指導していた教員の怠慢。
そして、多くの貴族たちは我が子が可愛い。必然大半がどちらに向くのかは明らかで、加えてユルゲンによって明確な指向性を持った糾弾へと変化している。こうなれば個別に話し合って穏便に済ませることもできず──必然、彼らの末路は決まったようなものだ。
正直その辺りに関しては、もう関わり合いになりたいとも思わない。先日の愚かしい詰問でもう十分だ。
従って彼の注意が向くのは、教師ではない生徒たちに関して。例えば──
「──教えてくれ! どうすれば、君たちのように強くなれるのだ!?」
現在エルメスに面と向かって懇願してくる別学年、別クラスの生徒など。
あの対抗戦が学園に与えた影響は、やはりとてつもなく大きかった。
高位貴族の子弟、つまり優れた血統魔法を受け継いだものが当たり前のように優れており、当然の如く勝利する。その前提を真っ向から覆されて、多くの貴族子弟が驚愕し、狼狽した。
だが──それ以上に、多くの生徒が希望を持った。
これまで虐げられてきた、別学年のBクラス生。そしてそれだけに留まらず、別学年Aクラス生の中でも現状に不満を持っていた生徒。
それらが休み時間の度に……いや、それどころか自習中にもひっきりなしに押しかけてきてクラスメイトたちに、そして何より現状の立役者であるエルメスにその秘訣を聞きにきているのだ。
そしてエルメスは学ぼうとする人間、魔法の真奥を知ろうとする人間には真摯に接する。
矢継ぎ早にやってくる生徒たちに丁寧な回答を返し、生徒はそれに納得し、また新しい意識を持つ魔法使いがその芽を出す。
学園全体が、Bクラスを中心として、確実に変わり始めていた。
……まあ、とは言え。
いくらエルメスと言えど、こうまでひっきりなしに質問攻めにされては色々と疲労も蓄積するわけで。
そのため、昼休みだけはそう言った生徒の訪問を断っている──と言うか、断るように命じられている。
「や、エル君。今日も大人気だったねぇ」
そういうわけで、昼休み。恒例となった中庭の一角に足を運ぶと、いつもの軽い調子で労りの声をかけるニィナにまず出迎えられる。
彼女に苦笑とともに会釈を返すと、定位置となった椅子に腰を下ろす。
「お疲れ。言った通りだったでしょう、強引にでも休む時間を作らないとしんどいわよって」
「……はい。ありがとうございます」
すると続いて声をかけて──あと少し自分の方へと椅子を寄せてきたのはカティア。
そう、彼女こそが昼休みの訪問を断るようにエルメスに命じた張本人だ。
曰く、
『あなたが断るだけだと立場的に弱いかもしれないから、公爵令嬢に断るよう言われたってしっかり名前を使いなさい。それなら余程愚かでない限り無理には来ないはずよ。……ええ、決してその、これ以上あなたとの時間を邪魔されてたまるものですかって私情では……なくもないけどあなたの身を案じているのは本当よ、ええ』
とのこと。
後半はともかく、彼女の配慮に救われたのは事実。素直に謝意を述べて椅子に腰掛ける。
「お、お疲れ様です……あ、給仕はしなくて大丈夫です。エルメスさんは今大変でしょうから……」
そして、恒例の昼食会のもう一人の参加者であるサラが、彼の身を案じてか本来彼が行っていた紅茶の用意を済ませてくれる。
本当はそれも自分でやりたかったらしくカティアが若干不満そうにするが、彼女はこういったことを基本従者に任せてきたためあまり得意ではない。サラも彼女の心情を分かってか苦笑と共に席につく。
ともあれ。
対抗戦まではできなかったこの四人での昼食会が、こうして今は日課となっているのだった。
しばらくは食事を楽しんでから、会話に花を咲かせる。
そして話題に上がるのは──やはり、この四人に共通で今一番大事な事柄。
「それで、カティア様。……Aクラスの様子はどうでしょうか」
「両極端よ。前も言った通りで変わってないわね」
「まぁそうなるよねぇ。むしろ一方に偏らなかった方が意外かな」
エルメスが問い、カティアが答え、ニィナが同意する。
そう、Aクラス生の行動。
あの対抗戦で敗北し、学園の中心となったBクラス生に対して──一方で、学園中から非難と嘲弄の対象となってしまったAクラスの生徒たち。
彼らが取った行動は、カティアの言う通り主に二つに分かれた。
一つは……まぁ案の定と言うべきか、現実を理解せず騒ぎ立てる層。教員の怠慢を糾弾し、現状への不満を口にし、どうにかこうにかBクラスが勝った不当な理由、自分たちの名誉をできる限り貶めない言い訳を必死になって探す、或いは不満ばかりで何も行動しない生徒たちだ。
そしてもう一つは──これはエルメスにとっても驚くべきことに、Bクラスに教えを請いにきた生徒たち。
数はなんと、Aクラス生の半分弱。この予想以上の数の多さも、ニィナが意外と言った理由である。
……きっと彼らも、手酷い負けを経てようやく理解したのだろう。薄々勘付いていた、けれど自分たちにとってはメリットがあったから見て見ぬ振りをしていたこの国の歪みに。
彼らは教員と違ってまだ国の風潮に触れていた期間が短く、思想が固まりきっていない。認識の変化に比較的抵抗がなかったのも幸いした。
それに最初は驚いたが、意外なこととは不思議とエルメスも思わなかった。
魔法を重視する彼らにとって、『負け』は良くも悪くもそれほどに重い。それに──完膚なき敗北を経ての劇的な変化をした人間を、エルメスだって身近に一人知っている。
だから、たとえAクラス生であっても彼は、教えを請われたのならば素直に対応するつもりだ。だが──
「……Bクラス生の他の皆さんは、そう簡単には受け入れられませんよね。僕と違って虐げられていた時間も長そうですし」
「そだねー。まぁでも、割と諍いは起こっていない方だと思うよ。これに関してはカティア様とサラちゃんに感謝だね」
エルメスの示した通り、Bクラス生は心情的にも受け入れがたかったのだろう。
『これまで散々自分たちをいたぶってきたのにどの面を下げて』と言いたくなる気持ちは流石にエルメスでも理解できた。
だが、それを上手く抑えたのもカティアとサラだ。
まずはカティア。彼女は教わりに行こうとするAクラス生に、一つの厳命を出した。
『──教えを願う前に、まずは誠心誠意Bクラス生に謝りなさい。それが出来ない人間に資格はないわ』と。
その時点で、プライドを捨てきれず『教わってやる』気持ちでいたAクラス生は脱落し、もう一方の派閥に入った。そのため、不純な心のまま教わりにきたAクラス生はおらず、その点での諍いは回避することができたのだ。
そして、サラ。
彼女は、それでも噴出するBクラス生たちの不満を体を張って抑えた。Bクラス生たちと築いてきた信頼を武器に、一人一人ときちんと話をして、時には当事者と話し合わせることできちんとできる限り後腐れない形で不満を解消しようと奔走した。
そんな二人の努力の甲斐あってか、対抗戦で戦った両クラス間の軋轢は──少なくとも教わりにきたAクラス生徒との間には起こっていない。
どころか、カティアはBクラスとの橋渡しを上手く行ったことによりAクラス内でも更にその発言力を高めている。
そして、サラもその献身的な態度が特に教わりに来た外部の生徒たちの心に響いたのだろう。或いはカティア以上に彼女の名声も広がり、そして──
「──大人気と言えば、サラちゃんもだよね。……それで、今日は何件食事のお誘いがきたのかな?」
「え、あ、その……」
ニィナが何処か悪戯げに問いかけ、サラが心なしか顔を赤くして縮こまる。
……彼女の言う通り、サラにはなんと言うかその……恋愛的な意味でのアプローチも非常に多いと聞いている。
その件に関して、エルメスは首を傾げつつ疑問を呈した。
「僕としては、カティア様にはほとんどそういったお誘いが来ていないのが意外なのですが……どうしてでしょう」
「エル、あなたにそれを言われると複雑ね……でも、理屈は分かるわ」
「まぁね。カティア様はなんと言うか──ざっくり言うと高嶺の花すぎるのさ」
ニィナが語るには、カティアは学年唯一の公爵家令嬢。外見も気品も教養も、加えて魔法の実力も他と比べるとあまりに隔絶している。
対抗戦での大立ち回りや、加えて彼女の性格も相まって──何処か近付き辛い印象を与えるらしい。
「……可愛げがない、と影口を叩かれていることも知っているもの」
「それは見る目がないですね」
「んな」
「おっと天然発言頂きました。うん、でもボクも同意かなぁ。ちゃんと付き合えばこーんなに可愛い人なのに、ほんと皆表面しか見てないんだから。……でもまぁ、カティア様はそういうの来ても迷惑なだけだからいいでしょ?」
「……否定はしないけど、その意味深な目つきだけはやめてくれるかしら」
エルメスの率直な感想にカティアが赤面し、ニィナが呆れつつも心からの同意の言葉を述べ、ついでに彼女を軽くからかって反応を楽しむ。
そして一方で、と今度はサラの方に向き直ると。
「サラちゃんはね、性格もすごく控えめで優しくて、ちゃんとこっちのことを立ててくれる。魔法の才能もすごい上に、補助系統だからそこまで気後れするような印象も持たない。家格も女の子ならそこまで問題にならないどころか人によってはプラス要素にすらなるし、顔も可愛くてスタイル抜群。正直そこだけはすーっごく羨ましい」
「え、その……あ、ありがとうございます」
「それで何が言いたいかと言うとね……刺さるんだよ。サラちゃんのこう言った要素は全部、この国の貴族子息には特にね」
貴族子息は、国の成り立ちも相まって非常にプライドが高い傾向にある。
そのため、パートナーとなる女性には……言葉を飾らずに言えば、自分より劣る要素を求めるのだ。決して不適格ではなく、けれど自分には確実に優越感を抱かせる存在を求める傾向にある。
そう言った意味で……優れた容姿と能力を持ってかつ謙虚なサラは、彼らにとっては理想的な存在なのだとニィナは語る。
「……何というか、身も蓋もないですね」
「うん、正直ボクも言っててあんまり良い気分はしなかったね。それに、あの王子様を筆頭に変なのも引き寄せちゃうから一概に良いとは言えないんだけどねー、ってあ、ごめん、変なこと聞かせちゃったかな」
色々と語っていたニィナだったが、サラが心なしか俯き気味になったことを気にして気遣うように問いかける。
「いえ、お気になさらず。……それに、全部、事実ですから」
「……サラ様は、素晴らしいお方ですよ」
「ええ、自分を卑下するのはあなたの悪い癖よ」
「えっ」
対するサラの返答が、何処か強がるようなものだったので。エルメスは励ましを込めて本心を語り、今回ばかりはカティアもそれに間髪入れず同意する。
サラは一瞬呆けた表情と共に軽く頬を染め、咄嗟に否定の言葉を放とうとするが──それに被せるようにニィナが続ける。
「うんうん。それに勿論悪いことだけじゃないんだ、エル君やカティア様みたいにちゃんといい人にも好かれるしね」
優しい声色で告げて、ニィナは自分の胸に手を当てると。
「それに、僭越ながらボクもサラちゃんのことは大好きだ。……むしろあれだよ、ボクがそういった変なのからサラちゃんを守るナイトになっても良いくらい。ね、どう? ボクだってどうせなら綺麗なお姫様を守りたいし、腕は申し分ないと思うんだけど」
「ええ!? いや、その、悪いです……いえ、ニィナさんが不満というわけではなくむしろすっごく嬉しいんですけど、あの、なんと言うか……」
突然の売り込みに、サラが目を白黒させつつも恐縮そうな表情を見せる。
けれど言葉通り決して悪く思っている様子はなく、むしろ心なしか嬉しそうに頬を染める様子はこの上なく愛らしく──
「あーもー好き。ねぇ、ぎゅってしていい? いやもうするね」
「え──ひゃっ!? あ、その、ニィナさ──!?」
感極まった様子でニィナがサラに抱きつく。サラは再度困惑の声を上げつつ、どうやら抱きつかれた際に変なところが当たったらしくどことなく妙な声を出してしまう。
……なんだか見てはいけないものを見てしまった気がするエルメスはさりげなく二人から視線を逸らす。すると──
「……カティア様?」
同時に、この場の雰囲気には似つかず真剣な表情で考え込んでいる彼の主人が視界に入った。
何か、重要な思索をしているらしいと悟ったエルメスはしばしそれ以上の声をかけずに待つ。
すると案の定、カティアは数秒後顔を上げるとエルメスの方を見つめて。
「……エル。今週の休日だけれど──」
「? はい、カティア様のお買い物に同行させていただく話ですね」
例の、対抗戦まで主人を放っておいた罰兼機嫌を直して頂くためのお出かけだ。それがどうしましたか──と問うより早く。
「ごめんなさい、その予定はまた今度にして」
「……え?」
まさかの、カティアの方から予定のキャンセルを申し出てきた。
どういうことだろう、と視線で問いかけるエルメスに、
「……あのね。今の話を聞いて思いついてしまったと言うか、思いついて良かったと言うか。とにかく──」
何とも言えない表情で、カティアはこう語ってきたのである。
「──往生際の悪い人がね、また変な行動を起こす気がするのよ。せっかくだからいい加減もう、ここで止めをさしておくべきだと思うの。今週の休みはそれに充てるわ、付き合ってもらえるかしら」
そう言って、彼女はエルメスとは逆側の校舎の方──
──Aクラスがある方角を見つめて、そう要請するのであった。
すみません、仲良し組を書くのに筆が乗りすぎてしまいました……!
次回こそ、Aクラス周りと往生際の悪い人のお話です。お楽しみに!




