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99 落下

 爆発音、悲鳴、怒号、土煙……


「なにっ!?」

「単純な罠だ! 近づくなよ!!」


 ヨエルが慌てたように俺の腕を掴んで叫んだ。

 人垣と土煙に遮られて肝心の爆発箇所は見えないが、聞こえてくる怒声や悲鳴からよくない状況だってことはわかる。

 そして、追い打ちをかけるように斜面を駆け下りやってきた黒装束の者たちが、慌てる兵士たちに襲い掛かり始めたのだ。


「怯むな! 卑劣な賊を打ち倒せ!!」


 前方からグスタヴの勇ましい声が聞こえる。

 だが、状況は悲惨だった。元々不意を突かれた上に、背後は崖。

 爆発で傷つき、土煙に呑まれた兵士たちは……いとも簡単に現れた黒装束に狩られ、崖下へと蹴り落とされている。

 更には、俺たちのすぐ横の斜面からも、何人もの黒装束がとびだしてきたのだ。


「ちっ! ヴォルフリート様、ここは退きましょう!!」

「わかった、撤退しろ!!」


 エルンストの声を受けて、ヴォルフが撤退を命じる。

 ほとんど最後尾にいたアストリッドとラルスが、群がる黒装束を斬り伏せ活路を開いてくれる。


「俺たちも行くぞ」

「うん、ヴォルフっ!!」


 元々、ヴァイセンベルク家の兵はヨエルの忠告でなんとなくこの事態を予期していたんだろう。

 思ったよりもスムーズに撤退し始めている。

 ヴォルフもその動きに続くのが見えてほっとした瞬間――


「逃げるのか、小僧! それでも北の……ヴァイセンベルクの者か!!」


 挑発するようなグスタヴの声に、ヴォルフの動きが止まった。


「我ら北の戦士は卑劣な賊如きに怯みはせんぞ! この腰抜けがっ!!」


 周囲の兵士たちの呼びかけにも応じずに、ヴォルフはひきつった顔で固まっている。

 俺はたまらずにヨエルの制止を振り切って走り出した。


「おい、待てっ!!」

「ヴォルフ!!」


 なんとかヴォルフの前にたどり着き、勢いよくその頬を張り飛ばす。

 周囲の兵士たちが息をのんだ音が聞こえたけど、気にする余裕はなかった。


「いいから、行くぞ!!」


 強く言い聞かせるようにそう告げる。

 ヴォルフは一瞬驚いたように目を見開いて……強く頷いた。


「はい!」


 そのまま二人でアストリッドたちの所へ戻ろうとしたが、逃すまいと何人かの黒装束が一斉に襲い掛かってきた。


「ちっ!」


 ヴォルフが俺を庇うように斬り倒していく。

 だが、その中の大柄な黒装束に力任せに斬りかかられ、吹き飛ばされるように後退した。

 俺も慌ててその体を支えようとして……足を踏み外した。

 がくり、と体が沈む感覚。


「えっ!?」

「クリス!!」


 いつのまにか、崖の淵ぎりぎりにまで追いつめられていたようだ。

 ヴォルフは慌てたように俺の腕を掴んで……そのまま二人で落下していく。


「っ――!!」


 ヴォルフは俺を強く抱き寄せるようにして、何か早口で呟いていた。

 そして恐怖を感じる時間もなく、意識が飲まれる。




 ◇◇◇




 吹きすさぶような風の冷たさで、目が覚める。

 目を開けると、土と草、それに切り立った高い斜面のようなものが見えた。

 身じろぐと、それだけで鋭い痛みが全身に走る。


「痛っ……」


 それでも、生きてる。

 ほっとしたのも束の間、すぐに俺は一人じゃなかったことを思い出す。


「ヴォルフ!?」


 重い体に鞭打ちなんとか身を起こし、一緒にいたはずのご主人様の姿を探す。

 するとすぐに、その姿を見つけることができた。


「ヴォルフ!」


 ヴォルフは、俺のすぐ近くに倒れていた。

 慌てて這うように近寄って、俺はぞっとした。

 ヴォルフは死んだように目を閉じていた。その体は、傷だらけであちこちから血が流れだし、地面に赤黒い染みを作っている。

 そっと触れた体は、ぞっとするほど冷たかった。


「……ヴォルフ?」


 呼びかけても、返事はない。

 その時点で頭が真っ白になって、俺は無我夢中になって目の前の体を揺さぶった。


「ヴォルフ! ねぇ、起きろよ!!」


 ヴォルフの反応はない。揺さぶられるままに、力の抜けた体がぐたりと投げ出されている。


「ねぇ、待ってよ……。ヴォルフ……」


 こんなの、嘘だよ……。

 だって、すぐに終わる盗賊退治のはずだったじゃん。

 またエンテブルクに、リネアに会いに行こうって約束したばっかりじゃん。


 いつもみたいに怒ってよ、叱ってよ。


「あなたはすぐ泣くんですね」とか、呆れたように笑ってよ……!


「ねぇ、帰ろう。もういいから、帰ろうよ……」


 盗賊なんてどうでもいい。

 何でもいいから、早く帰ろうよ……。

 お前がこんな目に遭わなくちゃいけない理由なんて、どこにもないんだから。


「ヴォルフっ……!」


「おい、怪我人をそんなに動かすなよ」


 不意に聞こえてきた声に、心臓が止まりそうになる。

 おそるおそる振り返ると、いつのまには俺の背後には見知らぬ青年が立っていた。


 ぼろぼろの毛皮のフードからは、いろんな方向にぴんぴんと伸びた鳶色の髪がのぞいている。

 その下から覗く赤みがかった瞳が、じっと俺の方を捕らえていた。

 年のころは、たぶん俺より少し上くらいだろう。


「あんたら、上から落ちてきたんだろ。どっか打ってるかもしれないし、うかつに動かすと死ぬぞ」


 ――死ぬ

 その言葉に、背筋がぞくりと寒くなる。

 青年は俺の隣に屈みこんで、そっとヴォルフの口元に手を当てている。


「……息はある。こんなところに転がしとくよりもっと暖かいところに連れてった方がいい」


 ヴォルフが生きてたことにほっとする俺に、青年は至極冷静にそう告げた。

 ……そうだ。ヴォルフはまだ生きてる。

 だったら、俺がなんとか助けないと。


「暖かいところ、ある……?」

「あんたらからしたら微妙だろうが……俺の住処に来いよ。ここよりはましなはずだ」


 ぐい、と涙を拭って、俺は頷いた。

 この青年が誰なのかはわからないし、もしかしたら罠なのかもしれない。

 でも、ヴォルフを助けるには彼の提案を受けるほかなかったんだ。

 ……大丈夫。俺がヴォルフを守ってみせる。


 なんとか力の抜けた重い体を担ぎ上げようとすると、見かねた青年が軽々とヴォルフの体を持ち上げ背負ってくれた。


「……ありがとう」

「気にすんな。こういうのは持ちつ持たれつだ」


 青年はぶっきらぼうな調子で、それでもしっかりとそう言ってくれた。

 俺はぐすり、と鼻をすすって彼の後に続く。

 ……駄目だ。泣いてなんていられない。

 俺がしっかりしないと、ヴォルフを守れない。


 北の地の冷たい風に吹かれながら、俺たちは黙って歩き続けた。

 やがて小さな岩穴の前で、青年は足を止める。


「……ここだ」


 そこは、どうみても天然の洞窟だった。

 俺が驚いて言葉を失うと、青年は少しばつが悪そうに振り返る。


「いや、住んでみると意外と悪くないぞ? とにかく入れよ」

「うん……ありがとう」


 青年に促され、洞窟の中へと足を踏み入れる。

 洞窟の中は、そこまで広くはなかった。

 ランタン、ナイフ、毛皮……あちこちにこの青年のものと思われる道具が散乱しており、彼がここに住んでいるのは確かなようだ。

 青年は自分の寝床と思われる場所に丁重にヴォルフを寝かせると、ふぅ、と大きく息を吐いた。


「……ヴォルフ」


 相変わらず、ヴォルフの返事はない。

 そっと深呼吸をして、呪文を唱える。


「……生命の息吹よ、どうか彼の者に力を与えん。“癒しの風(ヒールウィンド)”」


 幸いなことに腰に差していた杖は、あの落下の衝撃でも壊れてはいなかった。

 癒しの術を唱えると、青年が驚いたように目を丸くする。


「驚いたな……あんた呪術師なのか」

「呪術師、とはちょっと違うけど……そんな感じ」


 癒しの力を纏った風がヴォルフを包み込む。

 それでも、ヴォルフはまだ目を覚まさなかった。


「……水汲んでくる。あんたはそいつについててやれよ」

「うん、ありがとう……」


 あの高い場所から落ちて、俺は体が痛むけど、自力で歩ける程度の怪我だ。

 でも、ヴォルフはまだ目を覚まさない。

 きっと……こいつは俺のことをかばってくれたんだろう。


「ティエラ様、アリア、イシュカ様、エルダ様……」


 この大地を見守ってくれている女神さまに、必死に祈る。


 ――どうか、どうかこいつを助けてくださいと


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