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97 女騎士の苦悩

 まさか噂の張本人がそこにいるとは思っていなかったんだろう。

 三人の兵士は、口をあんぐりと開けて俺の方を凝視している。


「……すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですけど」


 なんとか怒りを押し殺してそう口にする。

 本当は今すぐ殴り掛かりたいくらいにむかついてたけど、ここには仕事としてきてるんだ。

 俺が暴れて、ヴォルフに迷惑はかけたくはない。

 ……ますます、ヴォルフの立場を悪くするような真似はしたくないんだ。

 ここでこいつらに文句を言っても仕方ないだろう。

 とりあえずはっきりと事実だけを述べて、すぐにここを立ち去るべきだ。


「誤解が生じているようなので申し上げますが、私は娼婦ではありません」


 兵士たちは何も言わない。

 ……まぁ、これ以上は言っても無駄かな。


「では、失礼いたします」


 早くヴォルフの所に戻ろう。

 ……このことを、告げ口するつもりはないけど。

 くるりと体の向きを変え、その場から立ち去ろうと足を踏み出す。

 その途端、背後から侮蔑したような声が飛んできた。


「……媚びるしか能のない女が、偉そうに」


 思わず振り返ると、兵士たちはにやにや笑いながら俺の方を見ている。

 そして、その中の一人が一歩こちらに近づいてきた。


「いいよなぁ、あんたは。お貴族様に媚び売れば、簡単に楽な生活させてもらえるんだからよぉ」


 ……言い返そうと思ったけど、うまい言葉が出てこなかった。

 俺は娼婦じゃない。ヴォルフに媚びを売ってるつもりもない。

 でも……簡単に楽な生活をさせてもっらてるっていう点では、ある意味その通りでもあるからだ。


 その場に縫い留められたように立ちすくむ俺の方へ、兵士たちはゆっくりと近づいてくる。


「俺たちは汗水たらして毎日苦労して働いてるんだぜ?」

「あんたは楽でいいよな。男に取り入ればそれでいいんだから」

「せめて俺たちとも遊んでくれよ」


 一人の兵士の手が伸びてくる。

 俺はただ、呆然としたままその様子を見ていることしかできなかった。

 そして、手が俺の肩のあたりに触れる寸前で、その場に凛とした声が響いた。


「そのあたりにしておきなさい。彼女はヴァイセンベルク家の侍女。あなた方の行いはヘンゼルト家とヴァイセンベルク家の不和へと発展しかねないと理解なさい」


 そこにいたのは俺もよく知る人物……ヴァイセンベルク家の女騎士――アストリッドだった。

 アストリッドの姿を認めた途端、兵士たちは舌打ちして俺から手を引いた。


「……行きましょう、クリス。ヴォルフリート様はまだ食事の席にいらっしゃいますので」

「アストリッド……」


 アストリッドの姿を見た途端、急に安心して胸がじぃんと熱くなる。

 彼女に背を押されるようにして、俺はその場から動くことができた。


「気を付けろよ、侍女様よぉ。そいつ、あんたの主人を寝取る気だぜ!」


 背後からの下劣な囃し立てにも、アストリッドは反応しなかった。

 そのまま角を曲がり、やがては兵士たちの野次も遠くなる。

 そして、誰もいない廊下の片隅で、アストリッドはそっと立ち止まった。


「……あまり、一人歩きは感心しませんね」

「ご、ごめん。その……トイレ、行きたくて……」


 小さくそう呟くと、アストリッドはきょとんとしたように目を丸くした後、くすくすと笑いだした。


「わ、笑うなよっ……!」

「すみません、つい……。でも、わかりますよ、その気持ち」


 あんなことを言われた後なのに、アストリッドはまったく気にしていないように爽やかな笑顔を浮かべている。


「私も、そういったことには何かと気を使いますから」

「アストリッドも?」

「えぇ、騎士団は男性ばかり。女だからと舐められたくはないですが、何もかも男性と同じようにとはいきません」


 そう言ったアストリッドの声はしっかりしていたけど、どこか悲しそうに見えたのは気のせいかな。


「…………ああいうこと、よく言われてるの……?」


 小さくそう聞くと、アストリッドは黙って俺の方を見て微笑んだ。

 それは、無言の肯定に他ならなかったんだ。


「そんなのっ……ヴァイセンベルク家の誰かに話せばすぐにやめて……!」

「それでは、真の解決になりません」


 熱くなる俺とは対照的に、アストリッドはどこまでも冷静だった。


「形だけ抑えつけても、彼らの不満はくすぶり続けるでしょう。私自身が実力を示し、あのような噂話を吹き飛ばさなければならないのです。……残念ながら、現状では力不足ですが」

「でも……ひどいよ。あんなの……」


 女性の騎士は珍しい。だから、やっかみを受けるのもわかる。

 でも、そうわかってるからといって……傷つかないわけがないのに。

 なんか、俺の方が泣きそうになってくる。


「……クリス。そう悲しい顔をしないでください」


 アストリッドが優しく俺の肩に手を置いた。

 顔を上げると、彼女は優しい表情で微笑んでいる。


「これでも、私は今の境遇に満足しているんです。私の努力次第で認められる。彼らを見返すこともできるのですから」

「でも……」

「可能性がある。それだけで、いいんです」


 どこか重みを込めて、アストリッドはそう口にした。


「……クリスも御存じの通り。この辺りでは女の戦士は非常に少ない」

「うん……」

「昔は……その可能性すらなかったんです」

「可能性?」


 アストリッドは小さく笑うと、そっと俺の方に顔を近づけてきた。


「つまらない昔話ですが、聞いていただけますか?」


 ……そういえば、俺はアストリッドが何で騎士になったのかとか、全然知らないんだ。

 頷くと、彼女はどこか昔を懐かしむような目で、話はじめた。


「私は、ヴァイセンベルク地方の小さな村で育ちました。父は、そこの領主様に仕える兵士でした。幼い頃から剣を手に戦う父に憧れて……私は剣士を志し鍛錬を重ねていました」


 その様子が、目に浮かぶようだった。

 きっとアストリッドは、小さい頃から努力家だったんだろう。


「ある日、私の村で小さな武術大会が開かれました。そこで良い成績を修めた者は領主様の近衛に抜擢されるとも言われる大会です」

「アストリッドも、出たの?」

「えぇ、女の参加者は私一人で周囲には反対されましたが、必死に頼み込んだら根負けして」

「それで、結果は?」

「私は、優勝しました」

「すごいじゃん!」


 やっぱり、昔からアストリッドは強かったんだ。

 故郷の村でごろごろしてた俺とは違うな……。


「それでも……私は、選ばれなかったんです」

「え……?」

「領主の目に留まったのは、私が決勝や準決勝で打ち倒した者たちです」

「それって……」


 アストリッドは優勝した。その人たちよりも強かったはずなのに。

 それなのに、選ばれなかったのは……。


「アストリッドが、女性だから」

「……えぇ、そうです」


 苦々しく頷いたアストリッドは、ふぅ、と小さく息を吐く。


「いくら強くても、それだけ努力しても、女の身では可能性すらなかったんです」


 そんなの……ひどいじゃないか。

 アストリッドはきっとたくさん努力して強くなったんだ。

 それなのに……あれ?

 でも、じゃあ何で今のアストリッドは騎士になれたんだ?

 俺の疑問を察したのか、アストリッドは再び優しい表情で笑った。


「その時、失意の底にいた私に声をかけてくださったのが……たまたま大会をご覧になっていた、ジークベルト様だったんです」


 そう言ったアストリッドの声には、確かな喜色が滲んでいた。


「『君、強いんだね。うちに来ない?』……と。私は一も二もなく頷きました。そして……ヴァイセンベルク家は、私に騎士への道を開いてくれたんです」


 ……そうか。そんなことがあったんだ。

 確かに、ジークベルトさんならそんなことも言いそうな気がしてくる。


「女だからと侮られることがまったくない……とは言いませんが、ヴァイセンベルク家は私の力を評価してくださいます。こうして、あなたやヴォルフリート様と共に戦うこともできる」

「……うん」

「だから、ただの誹謗中傷などに負けたくはないんです。私は私の剣で道を切り開く。私に希望をくれたヴァイセンベルク家の為に」


 アストリッドの瞳に迷いはなかった。

 ……強いな、この人は。

 俺も、いつかはアストリッドみたいに強くなりたい。

 力だけじゃなく、心の面でも。


「ふふ、しかし同僚からは女ゴリラなどとからかわれることもありまして」

「えぇっ!?」

「もちろん、ボコボコにしてやりますけどね。ですから、あなたのように可愛らしい女の子を見ると、少し羨望のようなものが生まれることもあります」

「か、かわいい!?」

「うふふ、そういうところですよ」


 やばい、綺麗なお姉さんに可愛いなんて言われたら照れちゃうだろ……!

 真っ赤になっているであろう俺に、アストリッドはくすくすと笑っていた。

 そんな時、廊下をこちらに向かって進んでくる足音がした。

 まさか、さっきの兵士たちか!?……と身構えたが、やってきたのは見覚えのある姿だった。


「おーい、麗しのレディをたぶらかすなよ、女ゴリラ」


 にやにや笑いながら現れたのは、アストリッドと同じくヴァイセンベルク家の騎士であるラルスだった。

 ……女ゴリラってほんとに言われてんだ。


「あらあら、子猿がやかましいですこと」

「ヴォルフリート様がクリス嬢を探してる。戻るぞ」

「あっ!」


 そういえば、長々と話し込んでたな……。

 早く戻らないと、ヴォルフに怒られるかもしれない。


「それでは戻りましょうか、クリス」

「クリス嬢。このゴリラに困ったらすぐに俺に言ってくださいね!……痛っ!」


 そう軽口をたたいたラルスは、アストリッドに小突かれていた。

 ……なんだ。けっこう仲がいいんだな。

 ちょっと安心した。


 二人と一緒に大広間に戻る道すがら、俺は安堵のため息をついたのだった。




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