95 ちょっとだけ不安です
ヴォルフはソファに背を預けたまま、すーすーと穏やかな寝息をたてている。
こいつが、こんな風にうたたねをするのは珍しい。
『僕は、生きてていいんでしょうか』
ついさっき、投げかけられた言葉が蘇る。
ヴァイセンベルク家の当主様と奥方様が戻ってきてから、ヴォルフはどこかおかしい。
……何か、あったのかな。
何かあると、ヴォルフはすぐに自分を犠牲にしようとする。
きっとそれは、育った環境のせいでもあるんだろう。
……俺は、ヴォルフの支えになれてるのかな。
「……俺にはお前が必要だよ」
聞こえてないと思うけど、もう一度そう口にする。
他人が何と言おうとも、お前が化け物だったとしても、俺はずっと一緒に生きていきたいと思ってる。
……思いを伝えるのって、難しいな。
◇◇◇
「北の街道で、盗賊が出没するようになったようです。そこで、ヴァイセンベルク家が援軍を出すことになり、僕も同行することになりました」
「……俺も行く」
「あなたは――」
「行くからな、お前が置いてっても勝手に追いかけるからな!!」
絶対に退かない!……という決意を込めてそう押すと、ヴォルフは小さくため息をついた。
「……今の時期は、こいつをここに置いてかない方がいいんじゃねーの。盗賊つっても大したことはないんだろ」
ヨエルの言葉に、ヴォルフは頭を悩ませているようだった。
だが、やがて決心したように真っすぐに俺に視線を合わせてきた。
「あなたには、僕の世話と後方支援を任せることになると思います。間違っても前線に出てくるようなことはやめてください」
「……わかった!」
あれ、意外と簡単に許可が出た!
なんかヴォルフは落ち込んでるみたいだし、一人で行かせるのは不安しかない。
俺にできることは少ないかもしれないけど、それでも傍にいたかった。
「ヨエルはどうしますか」
「……行く。お前が行って俺がさぼってたら親父にどやされかねないからな」
ヨエルも来るのか。
じゃああんまり心配はなさそうだ。
ちょっと安心した俺に、ヴォルフは簡単に概要を話してくれた。
ここからさらに北にあるミューレンとトレーマという町を結ぶ街道に、どうやら盗賊が住み着き、通りかかる人を襲っているらしい。
そこの領主からヴァイセンベルク家に援護要請が入り、兵士と騎士、それにヴァイセンベルク家の人間としてヴォルフが赴くようになったようだ。
「指揮官か、やるな」
「そんなんじゃありませんよ。恩を売っときたいから直接ヴァイセンベルク家の人間を送り込むんでしょう。盗賊くらい、騎士と兵士だけでも問題ありません」
「騎士って、誰が行くの?」
「確か……エルンストにラルス、それにアストリッドだったと思います」
おぉ、三人とも知ってる人だ。
エルンストとラルスは前のアンデッド退治でリッチに遭遇したときに一緒に戦ったことがあるし、アストリッドはユリエさんと一緒にフリジアに行ったときに護衛として一緒に来てくれた。
……もしかして、ヴォルフがあんまり気を遣わないように、俺たちがよく知ってて、ヴォルフに対しても普通に接してくれる人を選んだのかな。なんて思っちゃったり。
まぁなんでもいいや。俺も知ってる三人だし、ちょっと気が軽くなった気がする。
◇◇◇
「ミューレンとトレーマというと……ヘンゼルト家の領地ね」
久しぶりに呼ばれたお嬢様のプチお茶会で、例の盗賊退治の件を話すとユリエさんはそう教えてくれた。
「ここよりも更に北で……厳しい環境の中の小さな町だわ。だからこそ、街道が使えないというのは大打撃でしょうね。うちとしても放置はしておけないはずだわ。でも……」
ふと、ユリエさんは何かを思い出したように表情を曇らせる。
「あの、なにか……」
「いえ、たいしたことではないのだけれど……ヘンゼルト家の当主の弟君はとても勇猛な武人であらせられるの。きっと、今回の盗賊退治でも彼が出てくるはずだわ」
「それは頼りになりますね」
「えぇ、でも……彼、少し頭が固いところがあって…………もしかしたら、あなたやヴォルフが不快な思いをするかもしれないわ」
ユリエさんは濁していたが、俺にはなんとなく想像がついた。
……また、ヴォルフの生まれのことで何か言われたりする可能性があるってことなんだろう。
「……大丈夫です。ヴォルフも、俺も、そんなことで傷ついたりなんてしません」
……半分は、強がりかな。
でも、きっとそのくらいの気概じゃないとやっていけないんだろう。
それは、ユリエさんもよくわかっているはずだ。
「そうね。あなたたちなら大丈夫よ」
「クリス、がんばってね!」
お嬢様とユリエさんの応援を受けて、心があったかくなる。
……うん、きっと大丈夫だ。
行くと決めたからには役に立たねば!……と俺はヨエルと共に下調べを開始した。
城の資料室へ行き、件の盗賊が出るあたりの場所についての資料をあさる。
しかし、中々有益な情報はない。
「なぁ、ヨエルはヘンゼルト家の当主の弟ってどんな人か知ってる?」
ふと先ほどのユリエさんとの会話が蘇ってそう聞いてみると、ヨエルは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。
「なに、その顔」
「そうか、ヘンゼルト家って……今、思い出した」
どうやら俺の聞いた人物に心当たりがあるみたいだ。
でも、その表情を見る限り好意的な印象はないのかな。
「どんな人なの?」
「なんていうか……このあたりの模範的な戦士って感じだな」
「全然わかんない」
「……ここが、大陸最北端付近ってことは知ってるよな」
「うん」
「じゃあ、大陸の他の場所より危険な敵に遭遇する確率が高いってことは?」
……それも、知ってる。
以前、もっと北の城でドラゴンと戦った時に、ヴォルフが教えてくれたんだった。
磁場かなんかの影響で、この辺りは大陸で最も、魔物をはじめとする異世界からの侵略者がやって来やすい地だとか。
…………よく考えるとめちゃくちゃやばいな。
「……知ってる。ヴァイセンベルク家は、それを止める役割を持ってるって」
「そうだ。でも、それはヴァイセンベルク家だけじゃない。ここ北方の人間は、遥か昔からその脅威に晒されていた」
なんか大きい話になってきた。ついてけるかな……。
「だからこそ、この辺りでは力こそ正義だ。強い戦士がもてはやされる。……少々行き過ぎなくらいにな」
ヨエルは小さくため息をついた。
まるで、何か嫌なことを思い出したかのように。
「力の強い奴が、性格までまともだとは限らない。むしろ、強さにおぼれ傲慢になることが多い……と俺は思っている。そういう奴は、弱いものや理解できないもの、傷つけやすいものをを見下し、貶めようとする。女、子供、魔法……落とし子もそうだろうな」
……つまり、俺たちは格好のサンドバックってことか。
「ヴァイセンベルク家の統治のおかげでシュヴァンハイム付近ではそういう傾向は減りつつあるが……田舎領主の所なんかじゃ今でもそういう傾向が色濃く残ってる。ある意味自然な流れではあるのかもしれねぇが」
「その、ヘンゼルト家も?」
「そうだ。さっきの話の領主の弟なんて、脳筋戦士の嫌なところを凝縮したような奴って話だぜ」
「うわぁ……」
ちょっと心配になってきた。
大丈夫かな……。
「ユリエ様も弱小貴族の出ってのと、フリジアに留学してたってことでかなりねちねち言われてたみたいだぜ。魔女とかなんとか。それで一回ジークベルト様がぶちぎれて、そいつの頭に水ぶっかけたことがあるらしいが……もしかしたらヴァイセンベルク家自体に禍根が残ってるかもな」
「やばいじゃんそれ……」
「まぁ……盗賊を討伐すれば終わるんだ。そんなに時間はかかんねぇだろ。お前も不用意な行動は取るなよ」
「わかってるよ」
盗賊退治については心配ない。
でも、そんな人と一緒に戦うなんてヴォルフは大丈夫かな……。
一抹の不安を覚えつつ、俺たちは資料庫を後にした。




