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92 父と息子

 やたらと広くて豪勢な応接間に、俺とヴァイセンベルク家の当主様は向かい合うようにしてふかふかのソファに座っている。

 ……やばい、どうしよう!!


「いや、まさか……奇遇というかなんというか……」


 当主様も対応に困っているようだ。

 そりゃあそうだよな。街で偶然首を突っ込んできた女が息子のメイドだなんて誰が思うだろうか。

 でも、「ご苦労だった」で解放じゃなくてここまで連れてこられたってことは、何か俺に言いたい事でもあるんだろうか。

 ジークベルトさんは当主様にも俺のことを伝えていたらしいけど、いったいどこまで話してるんだろう……?


 俺がヴォルフに仕えるメイドだってこと、それはたぶん伝えてるんだろう。

 じゃあ、俺がティエラ協会の探し求める「光の聖女」の正体だってことは?

 いや、それより……一応ヴォルフと恋人関係にあるってことはこの人は知ってるのか……!?

 だったら何て言えばいい?

「息子さんにいつもお世話になっています?」いやいやいや……!!


「君は……ヴォルフリートの所の侍女だという話だったね」

「は、はいっ!」


 急にそう問いかけられ声が裏返ってしまった。

 やっぱりここはご主人様に仕えるメイドとして対応するべきだよな!


「どうかね? あの子は」


 ど、どうってなんだろう……。

 こういう時はなんて答えればいいんだ……!?


「……ヴォルフリート、様は、とても立派な御方です。お仕えすることができて光栄です」


 とりあえず模範解答のように答えておいた。

 当主様はじっと銀色の瞳で俺の方を見ている。

 うわっ、なんかまずかったか……!?


「……そうか、君は――――」


 当主様が何か言いかけたところで、廊下から慌てたような足音が聞こえてくる。

 思わず扉の方へ顔を向ける。すると何か言い争うような声が聞こえたかと思うと、勢いよく扉が開く。

 その向こうに立っていたのは、どこか険しい顔をしたヴォルフだった。


「いけません! 誰も通すなと……」

「良い、通せ」


 ヴォルフを引き留めようとした従僕を、当主様は下がらせた。

 ゆっくりと扉が閉まり、部屋の中に静寂が戻ってくる。

 その静けさを破ったのは、乱入してきたご主人様だった。


「……話は聞きました。僕の従者が迷惑をかけたようで申し訳ありませんでした」

「いや、ヴォルフリート。私はむしろ彼女に助けられた側だ」

「……なら、勝手に一人でふらふら出歩くのも、僕の従者を巻き込むのもやめてください」


 ヴォルフは冷たい瞳で父親を睨んでいる。

 その緊迫した雰囲気に、俺は何も言えずに固まってしまった。


「それは済まなかった。気をつけよう」

「……話が済んだなら、失礼します。……クリス」


 ヴォルフに促され、俺も慌てて頭を下げた。


「済まなかったね、お嬢さん。もし何かあれば私に――」


 当主様がそう言った途端、ヴォルフはぐっと強く俺の腕を掴んだ。


「……クリスは僕の従者です。何か言いたいことがあれば僕を通してください」

「…………なるほどな」

「それでは失礼します」


 ヴォルフは感情を押し殺したような声でそう告げると、俺を引っ張るようにして部屋の外へと連れ出した。

 そのまま、すれ違う人がびくつくような剣呑な雰囲気を纏ったまま城の中を進んでいく。

 ヴォルフは城の外まで出ると一瞬立ち止まり、普段は通らないような細い通路を通って別館の方へ足を進めていく。

 俺は何も言わずに、黙って従っていた。


 誰ともすれ違わずに、見慣れた別館の前までたどり着く。

 そこで初めて、ヴォルフは足を止めた。


「……大丈夫、でしたか」

「え? あ、うん……」


 さっきの剣呑な雰囲気とは違う、どこか弱ったような聞き方だった。

 ……何か、あったのかな。


「ごめんね、心配かけて。俺なら大丈夫だよ」


 そう言うと、ヴォルフはほっとしたように笑った。



 ◇◇◇



「……先ほどあなたが助けたのが、僕の父……クラウス・ヴァイセンベルク。このヴァイセンベルク家の現当主になります」


 暖かいお茶を飲んで落ち着いた頃、ヴォルフはぼそりとそう切り出した。

 やっぱりあの人はヴォルフのお父さん。そういえば、どことなく目元とかが似てるような気がしないでもない。


「助けたって程でもないけど……でも一人で歩いてたからびっくりした」

「そういう人なんですよ。他人の迷惑なんて考えもしない」


 ヴォルフは冷たくそう言い放つ。

 ……やっぱり、ヴォルフはお父さんに対しても複雑な感情があるみたいだ。

 家族なんだから仲よくしろよ!……なんて無責任なことは言えないよな。


「それで、なんでクラウス閣下と奥方はここに戻ってきてるんだ。そんな話出てなかっただろ」


 一緒に茶を飲んでいたヨエルがそう聞くと、ヴォルフは難しい顔をしていた。


「兄さんに聞きましたが、凶兆がなんとか……みたいなこと言ってましたね。そんなの信じる方がどうかしてると思うんですけど」

「占いかよ……。どうせそろそろ戻ってくる時期だったしな、まぁ戻って来たからには何かの理由があったんだろ」


 ヴォルフもヨエルも、当主が戻ってきたことをあまり歓迎していないようだ。

 ヴァイセンベルク家の当主と奥方は、本来ならまだ王都にいるはずだった。それが、占いで吉兆が出たことにより帰還を早めた……ということだろうか。

 そんなことあるのか?


「……クリスさん、これからしばらく、本館の方に行くときは必ずラウラかヨエルと一緒に行ってもらえますか」

「いいけど、なんで?」

「父や……奥方、エルフリーデ様の従者には僕のことをよく思っていない人もいます。その人が、あなたになにかしないとも限らない」

「…………うん」


 ヴォルフの複雑な立場は理解してたつもりだけど、やっぱり大変なんだな……。

 ヴォルフの顔も、いつもより疲れているように見える。

 あんまり無理だけはしないで欲しいんだけど。


「はぁ、めんどくせぇ……」

「ヨエルの父親も戻ってきてるんじゃないですか。いいんですか行かなくても」

「できれば会いたくない」

「……そうですか」


 ヴォルフとヨエルは親が戻ってきたことでどこかぴりぴりしている気がする。

 貴族とか、偉い人って大変なんだな。今更ながらにそう思う。


「……クリスさん、あなたはいつも通りにしていてください。誰かに何かを言われても気にしなくていい。変わったことがあったらすぐに僕に報告を」

「うん、わかった」


 ただでさえヴォルフは大変なのに、俺のことで余計な心労はかけたくない。

 ここはヴォルフのいうとおりにしとこう。

 俺が了承の返事をすると、ヴォルフはほっとしたような顔をしていた。


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