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91 紳士と貴婦人

「それで、あの教会はどうすんだ?」

「近々取り壊します。また化け物に棲みつかれたら面倒ですし」

「教会に棲む吸血鬼か……意味わかんねぇな」

「教会と言っても形だけで、もう何の力も残っていなかったんでしょう。イリーナもそれを逆手にとって怪しまれないように教会を住処にしていたのかもしれない」


 一連の吸血鬼事件はヴォルフがイリーナを討ち取ったことで終息を迎えたが、ヴォルフの仕事はそれで終わりではない。

 事件の詳細な報告と記録、被害者への救済、今後の対策等まだまだ事後処理でやるべきことはたくさんあるのだ。


 小さくため息をつきながら、ヨエルと共に城の書庫へ向かおうと中庭を進んでいたその時だった。


 前方に、着飾った貴婦人の一団が見えた。ジークベルトやユリエが呼んだ賓客だろうか、と目を凝らして……その瞬間ヴォルフは凍り付いた。


「……おい、どうした?」


 立ち止まったヴォルフにヨエルが怪訝そうな声をかける。

 だがヴォルフは、縫い留められたようにその場から足を動かすことができなかった。

 そうこうしているうちに、前方の貴婦人たちが近づいてくる。そして、その中の一人がヴォルフたちに気づいて大きく息をのんだ。


「あんたはっ……!」


 ぶしつけな言葉にヨエルは顔を上げてその集団を眺めた。そして、すぐに気がつく。

 まさか、この女性たちは……


 警戒をあらわにした女性たちの中で、ひときわ上等な衣装に身を包んだ貴婦人が一歩前へと歩み出た。

 その姿を見て、ヨエルははっきりと確信した。


「……戻ってきていた、というのは本当だったようですね」


 その女性は怒るでも喜ぶでもなく、じっとヴォルフに視線を注いでいる。

 ヴォルフはその視線を受けて、普段のふてぶてしい態度が嘘のように硬直していた。


「何年ぶりでしょうか、貴方の姿を目にするのは」


 その言葉に、ヴォルフの肩がびくりと跳ねる。

 ヴォルフはおそるおそるといった様子で顔を上げ、目の前の貴婦人を認めると小さく声を絞り出した。


「エル、フリーデ、様……」


 そうだ、この女性は……エルフリーデ・ヴァイセンベルク。

 ヴァイセンベルク公の正妻、ジークベルトやマティアスの母親だ。


 そう気づいて、ヨエルは内心で舌打ちした。

 彼女は、今も王都に滞在していると聞いている。

 戻ってくるという話は聞いていなかったが、何か急を要する用事でもあったのだろうか……。


 エルフリーデからすれば、ヴォルフは夫の愛人の子供。二人の仲が良好でないのは、この空気を感じればどれだけ鈍い人間でも気がつくだろう。

 さてどう切り抜けるか……と頭を悩ませた途端、ヴォルフが一歩足を引いた。


「……申し訳ありません、失礼いたします」

「おいっ!?」


 それだけ言うと、ヴォルフはまるで逃げるように走り去ってしまう。……いや、実際に逃げ出したのだろう。

 ヨエルも女性たちに形だけ非礼を詫びると、慌ててその遠ざかる背中を追いかける。

 ちらりと振り返ると、エルフリーデは感情の読めない瞳でヴォルフが走り去った方を眺めているようだった。



 ◇◇◇



 見惚れる程の銀髪、なんか強い、しかも「私の街」って……


 この人、ヴァイセンベルク家の人なのか……!?


「さぁ、どうするかね? 私はいつでも受けてたとう」


 仕込み杖を構えた男性の威圧感に、チンピラたちは完全にビビっているようだった。

 そうこうしているうちに、何人もの集団が慌ててこちらへ駆けてくる音がした。


「おい、いったい何が…………閣下!?」


 やってきたのはこの街を守る衛兵の一団だった。

 彼らは仕込み杖を構えた男性の姿を目にすると、素っ頓狂な声を上げていた。


「なんでもない、ただの諍いだ。それよりも、城へ帰るので馬車を呼んでくれないかね? この勇敢なレディに礼をせねば」

「えっ……? いえいえおかまいなく!!」


 やばい、閣下とか呼ばれてるしかなり偉い人かもしれない……!

 何か失礼があってはまずい! 俺は慌てて退散しようと立ち上がったが、何故か集まった衛兵にその場を包囲されてしまった。


「心配ないよ、お嬢さん。用が済んだら必ず家へ送り届けよう」

「いえいえいえほんとに大丈夫なんで!!」

「閣下、こちらをお使いください!」


 もう馬車来ちゃったー! この衛兵たちはチンピラが暴れてる時は全然来なかったのに、なんでこういう時だけ行動が早いんだよ!!


「済まないがこの場は任せる。さぁお嬢さん、こちらへ」

「え、あの……」


 あれやこれやという間に馬車に乗せられてしまい、無情にも馬車は城の方へと走り出した。

 やばい、どうしよう……!

 男性が何か話しかけてくるが、緊張しすぎててまともに受け答えができた気がしない。

 そうこうしてるうちに、馬車は城へとついてしまった。

 そっと窓から外を覗いて、俺は驚いた。そこにはジークベルトさんやユリエさんをはじめとして、何人もの人が出迎えるように待っていたからだ。


 ……これはやばい。

 なんとか誰にもばれずに馬車から脱出する方法を考えたが、そんなの思い付くわけがなかった。

 従者が扉を開け、男性が俺の方に手を差し伸べる。


「着きましたよ、お嬢さん。少々人が集まっているが、そう気にすることはないさ」


 いやいやめっちゃ気にします! お願いだから俺をこっそり逃がしてください!!


「父上? どなたかと御一緒だったんですか?」


 近づいてきたジークベルトさんが不思議そうに男性に声をかけていた。

 …………ちょっと待って、父上?


「あぁ、街で私を助けてくれた勇敢なお嬢さんに礼をせねばとご招待したのだが……」

「え、女性? まさか父上また……」


 ジークベルトさんが訝しげに馬車の中を覗き込む。

 そして、俺とばっちり目が合ってしまった。


「…………クリスちゃん?」

「はい……」


 もう観念するしかない。俺はすごすごと馬車を降りた。


「なんだ、彼女を知っているのか?」

「知っているかって父上、この子は……」


 ジークベルトさんはユリエさんと困ったように顔を見合わせ、珍しく小さくため息をついた。


「……前に伝えた、ヴォルフの侍女ですよ」


 ジークベルトさんがそう告げた途端、男性は驚いたように目を見開いた。

 俺もその反応に固まってしまう。


 ……そうか、ジークベルトさんの父親ってことは、



 この人は、ヴォルフの父親でもあるヴァイセンベルク家の当主様なんだ……!



 やっとそう気づいて、俺は石のようにその場に固まってしまったのだった……。

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