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89 家畜とごしゅじんさま

「イリーナは元々ここの住民だったわけではなく、一年ほど前にここに流れ着いた者だったようです……表向きは。そこで、当時あの教会を管理していた修道女オリガが彼女の面倒をみていたようですが……」

「もしかして……そのオリガさんもイリーナに……」

「その可能性はありますね。今となっては証明もできませんが」


 その日は一日ゆっくり休んで、夜になるとヴォルフが外から帰ってきた。

 そして、事件についてぽつぽつと話してくれた。


「……イリーナは何かを知っている。それは感づいていたんです。だから、その動きをアンテロに見張らせていました。だから、あなたを教会に残していても大丈夫だと思ったんです。…………危険な目に合わせてしまい、申し訳ありませんでした」

「そんなのなんでもないって! もともと、一緒に行きたいって言ったのは俺の方なんだし。危険な目に合うのくらい覚悟していたよ」

「ですが……僕の判断ミスであなたに怪我を負わせてしまった」


 ヴォルフがそっと俺の首筋を撫でる。昨夜、イリーナに激しく吸血された痕を。

 その甘美な刺激に、体がぞくりと震えた。


「ち、ちょっとだるいけど全然大丈夫だって! なんならお前も吸っていいぞ」

「はあ? 昨日の今日でそんなことできるわけないじゃないですか!」


 ただの冗談だったのに、ヴォルフは結構本気で怒っているようだった。

 これはいかんと慌てて口をつぐむ。


「……アンテロが僕と同じく吸血鬼だってことは知っていました。あいつは正体を隠そうとしなかったから」

「え、そうなの!?」

「すみません、あなたは顔に出やすいから言わない方がいいかと思ってたんですが……先に言っておいた方がよかったかもしれませんね」

「一つの街に何人も吸血鬼がいるって、普通にあること?」

「いや……滅多にないと思います。イリーナは知りませんが、アンテロは僕の母に会いに来たようですし。……それも遅かったようですが」


 ヴォルフはそう言うと力なく笑った。


「あいつは……強いの?」

「少なくとも、今の僕ではどうあがいてもまともに挑めば勝ち目はない。試そうとも思いませんね」

「そうなんだ……」


 あのへらへらした態度からは、とてもそんな風には見えないんだけどな。

 人は見かけによらないってやつなのか、正確には人じゃないけど。


「だから、あなたも不用意にあいつに近寄らないようにしてください。向こうから余計な揉め事を起こそうとする気はなさそうですが、いつあいつの気が変わらないとも限らない」

「うん……。その、お前はさ、俺が別の吸血鬼に血を吸われるのって……やっぱり嫌?」


 気がついたらそんなことを聞いてしまっていた。

「人の獲物に手を出すのはルール違反」みたいなことを言ってたし、やっぱりヴォルフからすると気持ちがいいものではないんだろうか。


「……逆に、僕が不快にならないとでも思ってたんですか」

「え、いや……どうなのかと、思って……」


 ヴォルフは不満そうな顔をしてじりじりとにじり寄ってくる。思わずソファの端まで逃げた途端、手を伸ばされ強く引き寄せられる。


「ひゃっ!?」

「こうやって、他の奴に……」

「うぁっ……!」


 首筋に顔を埋めたかと思うと軽く舐められ、体がびくりと跳ねてしまう。

 体の奥底から、ぞくぞくとした痺れが湧き上がってくる。


「こんな風にされて、僕がなんとも思わないとでも?」

「ひっ、わかった! わかったからぁ……!」


 甘噛みされて軽くちゅう、と吸われると、ヴォルフはそれ以上何もせずに離れていった。

 なんとか手をついて身を起こす。心臓がどくどくと高鳴っている。イリーナに吸血された時とは違う、魂ごと包み込まれるような甘い感覚。

 これは……やっぱり相手がヴォルフだからなのかな。


「あの、イリーナに襲われ亡くなった女性の遺体を見た時」


 思わず振り返ると、ヴォルフは先ほどまでの態度が嘘のように真剣な顔をしていた。


「急に、怖くなったんです。僕もいつか、あなたをあんなふうにしてしまうんじゃないかって」


 全身の血を吸われ、干からびた無残な姿が蘇る。

 俺もいつか、あんなふうになるとしても……


「そのさ、できれば嫌だけど……」


 ヴォルフに殺されるのが嫌だっていうより、干からびてしわしわになった姿を見られる方が嫌だ。

 そんな風に思うなんて、どうかしているのかもしれない。


「お前がそうしたいなら、いいよ」


 そう告げると、ヴォルフは驚いたように目を見開いた。

 そして数秒後……ぐしゃりと前髪をかき上げると大きくため息をつく。


「……しませんよ。死体に興奮するような趣味はないので」

「ふ、ふぅん……」

「少なくとも、今のところは」


 ヴォルフは俺の方を振り向くと、そっと手に手を重ねてきた。


「こうやって一緒にいられることが、僕にとっては何よりも大事ですから。それを壊したくはない」

「うん……」

「朝起きて、あなたの顔を見ると安心する。ここに帰ってきてあなたが出迎えてくれると、それだけで満たされるんです」


 そう思うのは、俺も同じだ。

 先のことはまだわからないけど、今はただ……この時間を大切にしたい。

 なんて、思うのは悪くないよな。



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