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88 事件の終着

「まさか、あんたも吸血鬼……?」

「誤解すんなよ、俺はイリーナみたいに派手に食い散らかすようなことはしてないからな」


 アンテロはぴちゃぴちゃと血だまりの中を歩いて、俺たちの元へとやってくる。


「俺は一夜の快楽と引き換えにちょっと血を頂くだけ。今まで文句言われたことはないし、相手を殺すようなこともない。安全な吸血鬼だからな!」

「安全な吸血鬼……」


 ヴォルフと同じような感じなんだろうか。

 だが、ヴォルフは警戒するようにアンテロを睨みつけている。


「その『安全な吸血鬼』は、なんでクリスさんを助けなかったんですか。僕は、お前にその対価も払っていたはずですが」

「いやー、ちゃんと仕事しようと思ってたんだけどなぁ、このままなら、俺の目的も達成できるかと思って」

「目的?」


 アンテロは懐から硬貨袋を取り出すと、ヴォルフの足元へ投げてよこした。


「それは返す。満足な仕事ができたとは思ってないからな」

「……アンテロ。僕は、あなたを信頼してクリスさんを任せたつもりだったんですが」

「悪い悪い。でもどうしても見たくなってな」


 アンテロは金の瞳を輝かせて、高らかに笑った。


「そのねーちゃんが死んだらお坊ちゃんぶちぎれるだろ。それが見たかったんだ」

「っ!」

「おっと!」


 ヴォルフが投げつけたナイフをアンテロが華麗に躱す。

 それを見てヴォルフは舌打ちした。


「……僕がぶちぎれるところなんて見ても、別におもしろくないと思いますよ」

「いんや、キレてキレてどうしようもないところが見たかったんだよな~。ヴァンパイアロードの孫に恥じない暴れ方を見せてくれるかと思ってね」

「……それが目的ですか」

「そうそう! 鮮血公キリルの娘がこの辺にいるって聞いてきてみたら、もう死んでるってことで残念だったんだよ。でも、その息子が戻って来たって聞いて楽しみにしてたんだぜ?」


 ……挑発するような言葉にも、ヴォルフは動じなかった。


「それでなんですか、イリーナのように首を刎ねられたいと」

「冗談はよせよ。今のお前が俺と戦っても首が落ちるのはお前の方だぜ?」


 ヴォルフはぐっとアンテロを睨みつけている。

 アンテロははぁ、とため息をつくと、やれやれとでも言いたげに肩をすくめた。


「期待してたほどじゃなかったな。だが、成長の余地はある。今のあんたを殺してもつまんねぇし、しばらくは仲良くやろうぜ、お坊ちゃん」

「イリーナのように、事件を起こしたら即刻殺しますよ」

「心配すんなって! 俺はそんなへまはしねぇからさ!!」


 アンテロはいつものように明るく笑うと、俺たちに背を向けた。


「じゃあな、ねーちゃんもそこの兄ちゃんもなんか頼みたいことがあったら俺んとこ来いよ! お坊ちゃんもいろいろ教えてやるぜ? 金は貰うけどな!」


 次の瞬間、アンテロの体は黒い霧と化し、割れた窓から外に出て行った。

 俺はただ、その様子を見ていることしかできなかったんだ。


「……行かせて良かったのか?」

「アンテロが事件に関わっていないのは確実です。このまま泳がせておいた方が役に立つ。それに……」


 ヴォルフはぐしゃりと前髪をかき上げると、悔しげに唇を噛んだ。


「今の僕では逆立ちしてもあいつには勝てない。たとえ三人がかりでも」

「そ、そうなんだ……」

「下手に挑発しても返り討ちに合うだけだ。あいつに俺たちと事を構える意思がない以上、放置しておいた方がいい」


 ヨエルまでそんなことを言ったので、俺は黙るしかなかった。

 ……なんか、難しいな。

 でも、ヴォルフが悪い吸血鬼じゃないように、アンテロもそうなのかもしれない。


「そうだね。吸血鬼だけど、悪いことはしてないみたいだし……」

「……あなたに手を出そうとしてましたけどね」

「えっ!? あれはただの冗談じゃ……」

「クリスさん、絶対に僕のいない所であいつに接触するのはやめてください」

「うん……」


 アンテロは吸血鬼だった。

 でも、今のところ暴れたり人間を傷つけるような意思はない。……ヴォルフと同じように。

 だったら、大丈夫なのかな。


「ね、帰ろうよ」



 俺たちの場所に、早く帰りたい。



 ◇◇◇



 屋敷に帰ってすぐに、俺はヴォルフの異変に気がついた。

 ……必要以上に、手を庇っている。イリーナとの戦いで、怪我でも負ったんだろうか。


「ねぇ、手……見せて」

「別に、たいしたことは……」

「いいから!」


 無理矢理手袋を剥ぎ取ると、ヴォルフが痛みに顔をしかめる。

 その下から覗いた手は、ひどく焼けただれていた。


「なに、これ……」


 その酷い有様に思わず呆然としてしまう。

 ヴォルフは小さくため息をつくと、ぽつぽつと話してくれた。


「吸血鬼と戦うために、対魔族用の武器を用意してたんです」

「あの、銀色の剣?」

「はい。ただ……その効果は使用者の僕にも及ぶ。僕は半分人間なので致命傷を負うようなことはなかったんですが……やっぱり。無傷とはいきませんね」


 魔族を傷つける武器。それはヴォルフにとっても諸刃の剣となる。

 わかっていても、やるせなかった。


「傷、治癒してみる」

「はい……」


 ヴォルフが素直に手を差し出してきたので、精神を統一して治癒魔法を唱える。

 その様子を見ていたヴォルフは、ぽつりと呟いた。


「不思議ですね。僕は魔族なのに、神の力を借りる神聖魔法が効果を発揮するなんて」

「……神様は、ちゃんと見てるんだよ。お前が頑張ってるとこ」


 治癒魔法をかけ終わったところで俺も力尽きて、その日は二人で血に濡れた服を着替えもせずに寄り添って眠りについた。

 冷えた体を温めるように、ぎゅっと抱き寄せる。

 ヴォルフは珍しく文句を言うこともなくおとなしく、俺の胸元に顔をうずめていた。




 翌日から、ヴォルフは事件の事後処理で屋敷を空けていた。

 俺も行きたかったが、今は休めとヴォルフにもヨエルにも言われてしまい、実際にイリーナに痛めつけられたダメージは残っていたので、その言葉に従うことにした。


「家畜、かぁ……」


 イリーナは俺のことをそう言っていた。吸血鬼をはじめとする魔族は、人間よりも強い力を持っており、きっと人間なんて簡単に支配できるんだろう。

 ショックを受けたってわけじゃないけど、時間が経つにつれて段々とイリーナの言葉の意味を考える余裕が出てきたのかもしれない。


 俺たちを優しく迎えてくれたイリーナ。

 わざわざ食事を作ってくれたイリーナ。

 あれは、全部演技だったんだろうか……。


 だとしたら、ちょっと悲しいな。


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