85 闇夜に潜む者
旧市街の人々を襲う吸血鬼――一刻も早く、奴の蛮行を止めなくては。
「肉屋の主人、闇市の商人、猟師、乞食……怪しい奴らを挙げればキリがない状況です」
「その……お前はさ、相手が吸血鬼かどうかとかわかんないの?」
「相手が巧妙に隠していたらわかりませんよ。ミラージュさんに初めて会った時もそうだったじゃないですか」
なんとか犯人をあぶり出せないかな、と思ったけど、中々難しそうだ。
残念ながら、同じ魔族同士でも正体を隠されると中々そのことには気づけないようだ。
見ただけで相手が吸血鬼だってわかれば簡単なんだけどな。
「ほら、ニンニクとか嫌いだって言うし、ニンニクを突きつけて反応を見るのは」
「それは迷信というか、たまたまその話を広めた人が相対した吸血鬼がニンニク嫌いだっただけなんじゃないですか。僕は普通に食べれますし」
「そっかぁ……」
そういえばヴォルフは別にニンニクを嫌ってるとかそういうことはない。匂いがつくとかぶつぶつ言うことはあるけど、食べれないってことはないみたいだ。
「その、退魔の聖水とかあるじゃん。そういうのは……」
「いきなり水をかけるわけにもいきませんし、容疑者が多すぎて数が足りませんよ。それに、そんなに強い効果を持つ聖水なんてこの国では限られた場所でしか手に入らない」
「うーん……」
いい案だと思ったけど、それも難しそうだ。
そもそも、そんなやばい聖水を持ってたらヴォルフの方が先に危ないかもしれない。
特にいい案が思いつかなかったので、ヨエルと別れ、俺とヴォルフの二人で人気のなさそうな路地裏を見て回る。
犯人が吸血鬼だとは知らされていないものの、襲撃事件があったことは住民にも周知されているのだろう。
一人で歩いてる人は少ない。
いくつかの場所を見回ったが、特に吸血鬼も襲われた人の姿も見ることはなかった。
「……とりあえず、一度教会に戻りましょう」
「うん……」
教会に戻る道すがらも、ヴォルフはそれとなく周囲に警戒しているようだった。
「なぁ、イリーナは一人で大丈夫なのか?」
「一人で出歩かないように、とは言ってあります。今のところ、吸血鬼が人を襲うのは決まって野外で、屋内にまで入ってくることはありません。朽ちたといっても教会ですし、あそこにいる限りは他の人よりよほど安全だと思いますよ」
「そっか」
「ですが、彼女にも犯人が吸血鬼の可能性が高いということは伏せてあります。教会に通っているといっても、あなたのように神聖魔法を心得ていると言う訳でもないみたいですし」
ちょっと心配になったが、教会の扉を叩くと不安そうな顔のイリーナが出迎えてくれて、ほっと胸をなでおろす。
すぐにヨエルも戻ってきて、その日の捜査は打ち切りになった。
三人であたりを警戒しながら城に戻ったが、特に異常はない。
まぁ、誰も襲われなかっただけいいんだけど。
「今日も犯人は捕まえられず、か……」
「ヨエル、君が張っていたあたりはどうでしたか」
「特に動きはねぇな。容疑者も怪しい行動は見せていない」
「僕たちが見張ってるのに気づいているのか、それとも……」
ヴォルフはじっと何かを考え込んでいた。
そして、顔を上げると俺に視線を向ける。
「クリスさん、明日はヨエルと一緒に行動してください」
「いいけど、お前は?」
「少し、気になることがあるので」
ヴォルフはそれ以上何も言わなかった。
内容を聞きたかったけど、話さないってことはそれなりの意味があるんだろう。
大人しく、明日はヨエルと一緒にいよう。
翌日も、昨日と同じように朝から旧市街へと足を踏み入れる。
教会の戸を叩くと、昨日と同じようにイリーナが中へ招き入れてくれた。
今日も調査に出ると伝えると、イリーナはいそいそと小さな包みを手渡してくれた。
「すみません、私はこんなことでしかお役に立てませんが……」
中には、野菜や肉を挟んだバゲットが入っていた。
これ、もしかしてイリーナが作ってくれたのか……!?
「その、迷惑でしたら捨てていただいても……」
「とんでもない! ありがたくいただきます!!」
確かに、普段城で食べてるような豪勢な食事には及ばないけど、可愛い女の子がわざわざ作ってくれたものだと思うとそれだけで価値がある。
嬉しくなって礼を言うと、イリーナはほっとしたように微笑んでくれた。
イリーナのおかげで珍しく明るい気分で調査に乗り出す。
この調子で犯人もサクッと見つかるといいんだけどな!!
……しかしそんなにサクサク進むほど物事は甘くない。
ヨエルと共に怪しげな容疑者を見張りつつ巡回をしているが、いっこうに異変はおこらない。
「もしかして、吸血鬼はもうこの街から逃げちゃったんじゃないの?」
「その可能性もあるな……事実、死者が出て俺たちが本格的に調査を始めてから、一人の犠牲者も出ていない。だが……逃したとなればそれも問題だぜ。他の街で同じように暴れる可能性もある」
吸血鬼は他の街に逃げて、今度はそこで事件を起こすかもしれない。
ヴァイセンベルク領で事件が起これば、きっとまたヴォルフが駆り出される。そして吸血鬼は凶行をやめ、また新たな街へ……といういたちごっこが繰り返されるのかもしれない。
「だが……俺の勘だが、奴はまだこの街にいる」
「……信じてもいいの? それ」
「好きにしろよ」
吸血鬼がまだこの近くに潜んでるなんて怖いけど、どこか遠くに逃げられるよりはましなのかもしれない。
……絶対に、逃げられる前に捕まえないと。
夕方まで見回ったが、結局その日も異変は起こらなかった。
気落ちしつつ、俺たちは城への帰路へ着く。
……何日か経ったが、進捗はさっぱりだ。
本当に吸血鬼はもういなくなってしまったのかもしれない。
もう慣れたイリーナの教会への道すがら、俺は欠伸を噛み殺した。
「……お疲れ様です、皆さま」
イリーナは俺たちの様子でなんとなく成果がないのを察しているようだが、特に口出しするようなことはなかった。
「それでは、いつものようにお願いします。クリス、今日もヨエルに同行を」
「わかった」
いつものように、旧市街を見回っていく。
たまにチンピラに声を掛けられるくらいで、吸血鬼らしき姿は見えない。
そのチンピラも、ヨエルがちょっと魔術で脅すとすぐにどこかへと逃げていく。
結局その日も、乏しい成果は挙がらなかった。
夕方になり教会に戻ると、既にヴォルフもそこにいた。
「……考えたくはありませんが、もう取り逃したかもしれませんね」
ヴォルフの顔色はよくない。俺だって、こんなもやもやした終わり方は嫌だ。
三人でああだこうだと話し合っていると、ふいに教会の戸が叩かれた。
「僕が出ます」
戸を開けようとしたイリーナを制し、ヴォルフが警戒しながら戸を開けると、外には焦燥した様子の男性が立っていた。
「大変です! 向こうの路地で女性が一人倒れていて……!」
「なにっ!?」
まさか、また新しい被害者が出たのか!?
イリーナが怯えたように息をのんだのが聞こえた。
「すぐに向かいます! ヨエル、周辺を探って隠れた犯人を引きずり出してください!!」
「わかった!」
「俺もっ……!」
「あなたは、イリーナと共にここに残ってください」
「でもっ!」
「……イリーナを一人にはしておけない」
ヴォルフは静かにそう言った。
確かに、イリーナは怯えたように体を震わせている。こんな彼女を、一人にはしておけないよな。
「鍵をかけて、僕たち以外の誰が来ても開けないでください。何かあったら、大声を出してすぐに逃げてください」
「……わかった」
大きく頷くと、ヴォルフとヨエルはやって来た男性と共に外へと出ていく。
それを見届けて、厳重に鍵を閉める。
朽ちかけと言っても教会、扉の造りは頑丈だ。これでは並大抵の相手では破ることはできないだろう。
とりあえず武器になりそうなものを……とあたりを見回して、薄汚れた燭台を手に取る。
「……大丈夫、俺がついてる」
震えるイリーナを安心させるようにそう告げる。彼女は怯えたように涙目になっていたが、それでも小さく頷いてくれた。
だが、突如彼女は怯えたようにあたりを見回し始めた。
「どうかした?」
「今、地下で何か物音が……」
そう呟いたイリーナの顔が青くなる。
俺には何も聞こえないけど、まさか地下に誰かが……まさか吸血鬼が!?
「まさか、吸血鬼がナディアの体を狙ってっ……」
その途端、イリーナは慌てたように駆けだした。
「待って、危ないよ!!」
俺も慌ててその後を追った。




