84 旧市街の教会
ヴォルフとヨエルに挟まれるようにして旧市街を歩く。
やってきたのは、寂れ朽ちかけた小さな教会だった。
旧市街にもこんな場所があったのか。街の主要部の大きく豪華な教会しか知らなかったので、少しだけ驚いた。
ヴォルフが何回か戸を叩くと、中から緊張気味の女性の声が聞こえてくる。
「……どなたでしょうか」
「僕です、イリーナ」
ヴォルフがそう答えると、ゆっくりと扉が開く。
すると、俺と同じくらいの年の少女が顔をのぞかせた。
少女は不安そうな表情をしていたが、ヴォルフの姿を認めた途端その表情がほっとしたように緩んだ。
「ヴォルフリート様、何か進展が……」
「……いえ、ナディアの姿をもう一度確認したくて」
「…………そう、ですか。わかりました」
少女はどこか沈痛な面持ちで頷くと、そっと戸を開けてくれた。
外見から想像するほど、中は荒廃しているわけじゃないようだ。意外と綺麗にされている。
きちんと手入れをする人がいたんだろう。
俺たちが中へ入ると、彼女は警戒するように扉の鍵を閉めていた。
「イリーナ、何か変化はありましたか?」
「いいえ、まだあれ以来誰かが襲われたという話はありません」
「それはよかった」
ヴォルフはどこかほっとしたように息を吐くと、俺の方を振り返る。
「クリス、彼女はイリーナといって、この教会を管理する修道女です」
「し、修道女なんて大げさですよ! 管理って言っても、もうこんなぼろぼろの教会を訪れる人もいませんし、私はオリガ先生の大切にされていた場所に少しでも長くいたいだけなんです」
さっぱり事情が呑み込めない俺に、イリーナと呼ばれた少女はにこりと笑いかけてくれた。
「初めまして。私はイリーナと申します。別に修道女なんて大それたものではなく、ただの旧市街に住む住人の一人です」
「この教会は旧市街唯一の教会で、かつてオリガという名の修道女が管理しており、人々に教えを説いていました。しかし、少し前にオリガは亡くなったんです」
「私……前からオリガ先生の所に通っていて、先生が亡くなられても先生の存在を残したかったんです。だから勝手に教会に入り込んで掃除したりしているときにヴォルフリート様にお会いして……」
……よかった、ヴォルフがナンパしたわけじゃないのか。
そんな風にほっとした俺のところに近づいてくると、ヴォルフは耳元で小さく囁いた。
「ここの地下に、吸血鬼に襲われ亡くなった被害者の遺体が安置されています」
「っ……!」
「イリーナ、鍵を貸していただけますか」
「は、はい……!」
イリーナはどこか怯えた様子でヴォルフに古ぼけた鍵を手渡した。
きっと、これが地下への鍵なんだろう。
「あの、ヴォルフリート様……彼女もいっしょに行かれるのですか? 若い女性には少々厳しいものかと……」
「……クリス、どうしますか」
地下には、吸血鬼に襲われ亡くなった人の遺体が置かれている。
見て気持ちがいいものではないだろう。
イリーナが止めるくらいだし、酷い状態なのかもしれない。
……でも、こんなところで逃げたくはない。
「大丈夫です、行きます」
「……わかりました。イリーナ、僕たちは地下にいるので、何かあったらすぐに大声を出して知らせてください」
「はい……」
そうして不安そうな表情のイリーナに見送られ、俺たちは地下へと踏み出した。
周りを壁に囲まれた狭い階段を下がるにつれて、どんどんと温度が下がっていく気がする。
そして突き当りに大きな扉が見え、ヴォルフはそこにイリーナから受け取った鍵を差し込んだ。
がちゃりと重い音が響き、ヴォルフが押すとゆっくりと扉がきしんだ音を立てながら開いていく。
……そこは、ひどく寒い空間だった。
ヨエルがランプを掲げ、やっと部屋の輪郭が露わになる。
石造りの武骨な空間に、いくつかの棺が置かれている。
「こんな寂れた教会の地下にしては立派な造りだと思わねぇか?」
「建設当初は何か別の用途に使われていたのかもしれませんね。まぁどうでもいいんですけど」
ヨエルとヴォルフが部屋の奥へと足を進める。俺も慌ててその後に続いた。
「……クリスさん、だいたい想像はつくと思いますが、少しショックを受けるかもしれません。それでも見ますか」
「うん、大丈夫」
ヴォルフとヨエルは、きっとその遺体を目にしたこともあるんだろう。
調査を手伝うと決めた以上、俺だけ何も知らないなんてことは嫌だった。
俺が頷いたのを確認して、ヴォルフがそっと棺の蓋をずらす。
その中に眠っている姿を見て、俺は思わず息をのんだ。
それは、干からびたような女性の遺体だった。
元は若く美しい女性だったのかもしれない。
だが、体中の血を吸われたのか清められた服の先から見える四肢は骨と皮だけになり、顔も酷くやつれていた。
目と口は、吸血鬼に襲われた恐怖の表情のまま、凍り付いている。
皮をかぶった骸骨……何故だか、そんな風に思ってしまった。
この人は……吸血鬼に血を吸われて、亡くなったんだ。
「……吸血鬼に襲われ死んだ人間はこうなる」
どこか淡々とした声で、ヴォルフがぽつりと呟く。
「もう一人として、犠牲者は出したくないんです」
「……うん」
小さく頷くと、ヴォルフはどこか精気のない表情でこちらを振り返る。
「城にいれば安全です。あなたは今からでも――」
「ここまで知って、俺だけ安全なところで大人しくしてるなんてできないだろ。絶対に、俺たちで吸血鬼を捕まえよう」
覚悟を決めてそう告げると、ヴォルフは小さく笑った。
その後、ヴォルフとヨエルは今まで調べた情報をぽつぽつと話してくれた。
先ほど会った少女、イリーナはただ教会に通うこのあたりの住人らしいのだが、先代のオリガという修道女は中々立派な人物だったらしい。
放棄され朽ちかけていた教会で神の教えを説き、旧市街の人々のために尽くしていた。
「オリガ女史が生きていれば、こんな蛮行は起こらなかったのかもしれない」
「そうだな……」
神に仕える人間は退魔術を心得ている場合もある。修道女オリガが亡くなったからこそ、吸血鬼も脅威がなくなった途端に凶行に及び始めたのかもしれない。
「正直言うと、捜査は手詰まり状態だ。今までは被害者に話を聞いて怪しい人物をリストアップしていたが、有益な情報がないうえに怪しい奴を疑いだしたらキリがないからな」
「いっそ犯行現場を抑えられれば話が早いかもしれませんが……」
ヴォルフとヨエルは頭を悩ませているようだ。
犯行現場を抑えるって言うと……
「じゃあ俺が囮になるって言うのは……」
「「却下」」
いい案だと思ったのに、即座に二人に否定されてしまった。
「次そんなことを言ったら城に閉じ込めますよ」
「でも、このままだとまた次の犠牲者が出るんだろ!? だったら、一刻も早く犯人を捕まえないと!
「ですが、そのためにあなたを危険に晒すことはできない」
「っ……!」
その気持ちもわかるけど、でも……
「ここは退いとけ。……わかるだろ」
ヨエルにそう促され、しぶしぶ頷く。
「とりあえず今のところは、怪しい人物を見張りつつ付近を巡回する予定です」
「わかった、俺も行く」
ヴォルフは渋い顔をしていたが、それでも俺の動向を許してくれた。




