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83 吸血鬼事件

 夜遅くになって、やっとヴォルフは帰ってきた。

 ……ちゃんと、話さないといけない。

 ヴォルフの私室をノックし声を掛けると、案外あっさり扉は開いた。

 ドアの向こうのヴォルフは、感情の読めない瞳で俺を見下ろしている。


「……今日のこと、話したい」

「…………どうぞ」


 部屋の中へ招き入れられ、震える足を叱咤して歩みを進める。

 ソファに座るように促されて、緊張を解きほぐすように息を吸ってそっと腰を下ろす。

 ヴォルフはいつものように寄り添うのではなく、少し離れたところに腰を下ろした。


「…………ごめん」

「ただ謝ればいいってものではないですよ」

「わかってる。迷惑かけた」


 俺は勝手な思い込みで暴走して、ヴォルフたちを心配させたし、足を引っ張ってしまった。

 それに、恋人を信じきれていなかった。

 浮気してるんじゃないかって、疑ったのは確かだ。


「……順を追って、話してください」

「うん…………」


 頭を整理しつつ、時折つっかえながらも、ぽつぽつと話していく。

 最初はヴォルフとヨエルが屋敷を空けることが増えて、不安に思っていたこと。

 そんな時ニルスにヴォルフたちが花街へ行っているのではないかという話を聞いて、一気に不信感が芽生えたこと。

 確かめてやろうとヴォルフたちを探して裏通りに踏み込んで、チンピラに絡まれたこと。

 ちょっとこらしめてやろうとしたら反撃されて、危ないところをアンテロに助けてもらったこと。

 アンテロにヴォルフの居場所を聞いた時、ちょうど本人がやってきたこと。


 ……あらためて思い返すと、短慮だったとしかいいようがない。

 自分でも情けなくて、消えてしまいたくなる。

 ヴォルフはしばらくの間黙っていたが、やがて大きくため息をついた。


「ばらしたのはニルスか……」

「あいつは悪くないよ。俺が吐かせたんだ」

「そうでしょうね……」


 ヴォルフは小さく息をつくと、俺の方へ視線を向けた。

 その瞳はどこか悲しそうで、思わずぎゅっと胸が痛くなる。


「……アンテロに話を聞いた時、僕がどんな気持ちだったかわかりますか」

「ごめん、ほんとに……ごめん……!」


 俺だって、自分が守らなければならないと思ってる相手……例えば、リルカやリネアやお嬢様が俺の知らない所でそんな目にあったなんて話を後から聞いたら、きっと耐えられない。

 この世界の何もかもを憎んでしまうだろう。

 そっとすり寄るようにヴォルフに近づき、その体に触れる。すると、力強く抱き寄せられた。


 そのまましばらくの間、俺たちは何も言わずにただ強く抱き合っていた。


「アンテロは、あなたが深く傷つけられる前に助けられたと言ってましたが……」

「うん、ちょっと転ばされただけだから大丈夫だよ」


 ぎゅっと抱きしめられる力の強さから、本当に心配をかけてしまったんだと思い知る。


「……もう、こんなことはやめてください。そのうちショック死しそうだ」

「…………ごめんね」


 俯く顔に手を添え、温度を確かめるようにそっと口づける。

 すぐに体ごと引き寄せられ、ただひたすらに互いのぬくもりを求めあう。


「今夜は、ずっとここにいてください」

「…………うん」


 大好きな人が傍にいて、手を伸ばせばすぐにその存在を確かめられること。

 当たり前だと思っていたけど、そうじゃなかったんだ。数日間、ヴォルフとヨエルがいなかった時、確かに俺は不安だった。だから、あんな馬鹿な真似をしてしまったんだ。

 こうして抱き合ってる間は満たされる。でも、離れるとまた不安になってしまう。


 お前が俺を心配してくれるように、俺だってお前が心配なんだよ。



 ◇◇◇



「だから俺も一緒に行きたい」

「はい、却下」


 翌朝、朝食の場にて俺も調査に混ぜてくれと頼んだが、ヴォルフはあっさり俺の頼みを一蹴した。


「なんでだよ!」

「なんでって……昨日の今日でわからないんですか!」

「俺だってお前が心配だし!」

「僕のためを思うならここでおとなしくしててください」


 取り付く島もない。

 さてどうするか……と頭を悩ませていると、意外な援軍が現れた。


「別に、連れてってやってもいいんじゃねぇの」

「えっ?」

「はあ?」


 珍しく朝早く起きだしてやってきたヨエルは、あくびを噛み殺しながら面倒くさそうに吐き捨てた。


「こいつのことだ、そのうち痛い目にあったことも忘れてまたうろうろしかねないだろ」

「っ……!」

「どうせふらふらされるなら、俺たちの知らない所でよりも目の届く所でふらふらさせといた方が安全だ」


 あからさまに俺のことを馬鹿にした言い方だが、いまはそれがありがたい。

 ヴォルフは悔し気に唇を噛んだ後、じとりとした視線を俺の方へ向けてきた。


「……いつの間にヨエルを懐柔したんですか」

「俺は、俺のやりたいようにやるだけだから」


 勝手な思い込みで暴走して、ヴォルフに迷惑をかけてしまったことは申し訳ないと思ってる。

 でも、俺だってヴォルフを心配するその気持ちまでは否定されたくない。

 ヴォルフは軽く舌打ちすると冷たい視線を俺に向けてきた。でも、俺の方も負けじと睨み返す。


 そして、先に折れたのは……ヴォルフの方だった。


「……まず最初に、必ず僕の指示に従ってください。どんな場合でも例外なく」

「…………うん!」

「絶対に単独行動は避けて、僕かヨエルと離れないように」

「わかった」

「万が一吸血鬼に遭遇したときは……何よりも自分の身を守ることを最優先に」


 大きく頷いて見せると、ヴォルフは困ったように笑った。


「本当に、あなたは僕の思う通りには動いてくれないんですね」

「当たり前だろ。俺を操ろうなんて百年早いんだよ」



 ◇◇◇



 調査に加わることになった俺に、ヴォルフは事件の概要を詳しく教えてくれた。


 俺たちがエンテブルクから帰る少し前、初めて事件は発生したらしい。

 旧市街で夕方を一人で歩いていた少女が、人気のない通りに入った途端急に背後から何者かに襲われ意識を失った。すぐに通りがった人に発見され大事には至らなかったが、よく調べたところ彼女の体には吸血痕と思わしき痕が残っていたということだった。


「発見者が彼女を見つけた時には、周囲に人の気配はなかったようです。乱暴された形跡はありませんでしたが、その後の症状から見て一時的な貧血状態に陥ったと考えられてします。もし発見が遅ければ、死ぬまで血を啜られていたかもしれない」


 ヴォルフは淡々とそう告げる。でも、その口調はどこか感情を押し殺しているようだった。

 犯人はおそらく吸血鬼――ヴォルフの同族だ。

 きっと心の底ではひどく憤っているんだろう。


 その後も同じような被害は続き、そこで連続襲撃事件だと考えられるようになったようだ。

 被害者は決まって女性。年齢は皆若めだが、まだ幼い少女、パン屋の娘、娼婦、掃除屋など特にターゲットが絞られているようには見えないそうだ。

 彼女たちは皆人目のないところに入った短時間で襲われ、犯人の姿は目撃されていない。


「犯人は誰かが近づいてくると姿を消し逃走を図るようですね。発見されるまでの時間が長ければ長いほど症状はひどく、そしてつい先日……初めて死者が出ました」


 その被害者は、運悪くあまり人が来ないような狭い路地裏で吸血鬼に襲われたらしい。

 そして発見された時には……全身の血が抜かれ、変わり果てた姿になっていたという。


「犯人は人を殺めることを何とも思わない残虐な化け物です。あなたがターゲットになる可能性も十分にある。それを念頭に置いてください」

「うん……」


 昨日一人でヴォルフ達を探しに裏通りに足を踏み入れた時、俺はごろつきに襲われた。

 でも……ごろつきだけじゃなく、いつ吸血鬼に襲われてもおかしくない状況だったんだ。

 今更ながらにそれを思い知ってぞっとしてしまう。


「犯人が吸血鬼の可能性があるということは伏せられています。事件の詳しい内容も箝口令が敷かれ、住民にはただ何件か襲撃事件があり危ないので不要な外出は避けるように、と周知されています。どこまで守られているかはわかりませんが……」


 近くに吸血鬼が潜んでいる、なんて大々的に知られれば大パニックになってしまうだろう。


「犯人が旧市街ばかりで行動を起こすのは、大事にならないことを見越してなのかもしれねぇな。たぶん、捕まるまで『狩り』を続ける気だろうぜ」


 ヨエルが忌々し気に吐き捨てた。

 俺も、ぐっと拳を握り締める。


 こんなことを許しては置けない。一刻も早く犯人を捕まえて、蛮行を止めなければならない。


「相手は吸血鬼。油断だけはしないようにしてください」

「うん……!」


 気合を入れなおし、俺たちは調査を再開することにした。

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