82 役に立ちたいから
「まったく、信じたくないよなぁ? 吸血鬼なんて化け物がこの辺に潜んでるなんてさ」
アンテロがやれやれといった様子で肩をすくめる。
その言葉で、俺は思い出した。
吸血鬼は、化け物なんて呼ばれる存在なんだと。
ヴォルフは吸血鬼だ。でも無差別に人を襲ったりはしないし、俺の血を吸う時だって……よっぽど暴走したとき以外は手加減をしてくれる。
血を吸われすぎて一日くらい起き上がれなくなることはあるけど、全身の血を抜かれて殺されるなんて……ありえない。
以前会ったヴォルフの祖父母だって吸血鬼だけど親切な人たちだったし、俺は吸血鬼が化け物と呼ばれる存在だということをほとんど忘れかけていた。
でも、すべての吸血鬼がそうじゃないんだ。
「は、犯人の目星は……」
「それを今調べてるんですよ。吸血鬼が現れたなんて話が広まったら間違いなく大パニックが起こります。堂々と騎士団を駆り出すこともできないので、こうして僕たちが秘密裏に捜査してたんですが……」
ヴォルフの苦渋に満ちた表情からは、あまり捜査が進んでいないことが読み取れた。
俺も吸血鬼は怖いけど、きっとヴォルフはそれだけじゃない。同族が近くに潜んで次々と人に襲い掛かっているなんて、きっと複雑な思いがあるんだろう。
「ちなみに、被害者の一人は娼婦です。ここ最近歓楽街に通っていたのは、彼女から事情を聞くためだったんですが……」
「うぅ……」
それを俺は浮気だなんて勘違いして、ここまで乗り込んできてしまった。
もう恥ずかしくて情けなくて消えたい……。
縮こまる俺にヴォルフは小さくため息をつくと、気怠そうに口を開いた。
「このままだと、また次の犠牲者が出ます。僕はまだ調査を続けるので、ヨエル。クリスさんを城まで送って行ってもらえますか?」
「えっ?」
思わず聞き返すと、こちらを振り返ったヴォルフと目が合う。
「俺も手伝うよ!」
「……結構です。あなたは城でおとなしくしていてください。あそこにいれば吸血鬼の毒牙に掛かることはありませんから」
ヴォルフは淡々とそう告げた。
でも……そんなの納得できない。
「ここまで知って、俺だけおとなしくしてるなんてできるわけないだろ!」
「おいおいねーちゃん。あんたあんな目に合ってまだ懲りないのかよ」
アンテロがどこか馬鹿にしたような口調でそう告げる。
その瞬間、ヴォルフは眉をひそめた。
「……あんな目?」
「そ、俺が通りかかった時、このねーちゃんこの辺のチンピラどもに襲われかけたんだぜ」
ヴォルフが鋭い目つきで俺の方を睨む。
俺は、ただ黙って俯くことしかできなかった。
「俺が助けに入らなかったらあのまま滅茶苦茶されて……運が良ければ身ぐるみはがされてその辺にポイ。悪ければその場で殺されてたかどっかに売られてたかもな」
アンテロが付きつけた可能性に、今更ながら体が震えてくる。
ヴォルフは大きくため息をつくと、額を抑えて怒りを無理やり抑え込んだような声を絞り出した。
「……ヨエル。今すぐクリスさんを連れて城に戻り、見張っていてください。絶対どこにも行かせないように」
「ヴォルフ!」
「……あぁ、わかった」
ヨエルに腕を掴まれ、無理矢理立ち上がらされる。
「……今は、言うとおりにしてろ」
小声でそう囁かれて、体から力が抜けてしまう。
俺は……また足を引っ張ってしまったんだ。
「じゃあな、ねーちゃん! 仕事の話ならいつでも大歓迎だからな!」
アンテロが場違いに軽い口調でそんなことを言い、軽く手を振る。
その姿を横目で見ながら、俺はヨエルに腕を引かれるまま酒場を後にする。
ヴォルフは……俺の方を振り返ることはなかった。
薄暗い裏通りを足早に通り抜け、華やかな表通りを通って、俺たちは城まで戻ってきた。
色々なことが頭をよぎり、ただ茫然とソファに座っていると、ヨエルが紅茶を淹れてくれた。
……駄目だな、俺は。メイド失格だ。
「……さっきの話、本当なのか」
ヨエルが静かにそう問いかけてくる。
小さく頷くと、ヨエルは呆れたように大きくため息をついた。
「筋金入りの馬鹿だな、お前」
「…………そうだね」
もう返す言葉もない。
俺は勝手な思い込みで暴走し、危険に突っ込んで、今もこうしてヴォルフの足を引っ張っている。
「裏通りが危ないとこだってことくらい知ってんだろ。なんで一人で行くんだよ」
「だって……大丈夫だと思って……」
俺は普通の女の子じゃない。
元々は男だったし、魔物やドラゴンや邪神と戦ったことだってある。
だから……大丈夫だと思ったんだ。
「……お前は危機感がなさすぎる。少しは自重しろよ」
「でもっ……ここに来てからもアンデッドとか、人食い花とか倒したし……」
「それで、ただのチンピラ数人くらい余裕だと」
「……次は、大丈夫だ」
そう答えた途端、ヨエルはまたため息をついた。
そして、次の瞬間強い力で手首を掴まれる。
「え、なに、……っ!?」
ふざけてるのかと思って振り払おうとすると、一気に体重を掛けられソファに押し倒された。
「ちょっと、なにふざけ……っ!」
殴ろうと振り上げた手はいとも簡単に掴まれ、両手首をひとまとめにするように押さえつけられる。
「ヨエル! なにやって……うぁっ!」
首筋に濡れた感触を感じて、俺はやっとただ事じゃないということに気が付く。
……首筋に、口付けられている。
「ゃっ……!」
わけのわからない状況に頭がパニックになる。
まるで優しく愛撫するように体を撫でられ、びくりと大げさに反応を返してしまう。
「ま、まって……まってよ……」
なんでヨエルがこんなことをするのかわからない。
俺は、何かこいつを怒らせるようなことをしてしまったんだろうか。
何でこんなことをされてるのかわけがわからなくて、頭がごちゃごちゃになって涙が出てくる。
すると、呆れたような声が降ってきた。
「……これで、わかっただろ」
「え……?」
ヨエルはため息をつきつつあっさりと俺の上から退いた。
涙を拭って起き上がると、少し気まずそうな顔をしたヨエルと目が合う。
「お前は、ろくに体鍛えてるわけでもない俺一人すら跳ねのけられない」
「ぁ…………」
「魔物と違って人間は知能が高い。どいつもこいつも馬鹿みたいに突っ込んでくるわけじゃねぇ。そのあたりは頭に入れとけ」
そう言ったのは、いつものヨエルだった。
こいつは、俺の警戒を促そうとしてあんなことをしたんだろう。
「……わかれよ。俺たちの知らない所でお前に何かあったりしたら……後悔してもしきれねぇだろ」
ヨエルはどこか苦しそうな声でそう絞り出す。
その言葉を聞いて、俺は思った以上にこいつにも心配をかけてしまったのかもしれない、と思い当たる。
「ヴォルフリートなんか間違いなくチンピラどもを殺しにかかるぞ。あんまり派手にやりすぎるとあいつの兄貴達でも隠し切れねぇだろ。そうなったら、危険な吸血鬼として処刑されるのはあいつだ」
「っ……!」
そんなこと、絶対にさせるわけにはいかない。
「安心しろ。犯人は必ず俺たちが見つけ出して、しかるべき処分を加える。お前はここでいつも通りにしてるだけでいいんだ」
「でも……」
どうしても、胸騒ぎが収まらない。
いつもとは違う。そんな予感が、じわじわと心を侵食していく。
なんでだろう。吸血鬼が関わっていると聞いたからだろうか。
……ヴォルフは、大丈夫なのかな。
「でも、俺だって心配なんだよ……相手が吸血鬼って、どんな手を使ってくるかわかんないじゃん」
既に何人もの人を襲い、死者まで出しているような奴だ。
ヴォルフは強いけど……どうしても心配になってしまう。
「絶対に無茶はしない。ヴォルフの言うことも聞くし、単独行動もしない。だから……俺も、一緒に行かせてよ……」
それに、俺だけ一人安全なところにいるなんて嫌だった。
ヴォルフやヨエルに比べれば俺は弱いのかもしれない。
でも、一人だけ置いていかれるなんて嫌だ。俺だって、もっと役に立ちたいのに。
ヨエルは小さくため息をつくと、ぽん、と俺の頭に手を置いた。
「……そういうのは、ヴォルフリートに直接頼め。どうしても断られてから俺のところに来い」
ヨエルは、反対はしなかった。
その言葉に少しだけ心があったかくなる。
ヴォルフが帰ってきたら今日のことを謝って、ちゃんと話して、頼んでみよう。
そう決意して、俺は緊張を解きほぐすように紅茶を流し込んだ。




