81 裏通りの情報屋
「あぁん? 関係ない奴はすっこんでろよ!!」
「別にすっこんでてもいいんだが……いいのか? よく見ろよ、その子の格好」
いきなり現れた男は、慌てることもなくにやにやと俺たちを見ていた。
「この辺ではお目にかかれない上等な服だろ? たぶん……いいとこのお嬢さんだぜ」
「だったらなんだってんだよ」
「ここらの奴らみたいに……泣き寝入りはしないってことだよ」
男がそう告げた途端、俺の体をまさぐっていたごろつきたちの手が止まる。
「そりゃあ黙ってられねぇだろ。万が一大切なお嬢さんが傷物にされたなんてことがあったら……一族郎党晒し首はまぬがれないだろうねぇ。あーあ、あんたらの親父もお袋も弟も妹も仲良く地獄行きか。怖い怖い」
男は大げさに肩をすくめた。
次第に、俺の体を押さえつけていた手が離れていく。
「……今だったら、まだうっかり転んだだけだってことで手を打ってもらえるかもな。お嬢さん、あんただって大事にはしたくないだろ?」
ごろつきたちが恐れおののくように俺から離れ、何やら顔を見合わせ始める。
そして、口汚い言葉で男を罵ると足早にどこかへと立ち去って行った。
「……なーんて、全部適当なんだけどな」
情報屋と呼ばれた男はあざ笑うようにそう吐き捨てた。
その言葉で、やっと体が動くようになる。
「あの……ありがとう、ございます」
震える足を叱咤して立ち上がり、なんとか乱れた服を整える。
……大丈夫。何もなかった。
何も、なかったんだ……。
男は、そんな俺を憐れむような目で見ていた。
「まったく、馬鹿正直に突っかかってくから冷や冷やしたぜ。ねーちゃん、命知らずだな」
どこか馬鹿にしたような口調に、言い返すことができなかった。
さっきのは、完全に俺の不注意だ。
俺の判断ミスが、こんな事態を招いたんだ……。
恐怖と情けなさで、また涙が出そうになる。
男は小さくため息をつくと、ゆっくりと俺の方へと歩いてくる。
「送ってってやるから早く表通りに戻りな。もうここへは近づくなよ」
その言葉に頷きかけて、やっと本来の目的を思い出す。
俺が、なんでここに来たのかを。
「……まだ、帰れない」
「はあ? あんた自分がどういう状況だったかわかってんのか?」
「…………情報屋って、いったよな」
金と引き換えに、あらゆる情報を提供する――情報屋。
実際に会うのは初めてだけど、そういう職業の人が存在するってことは知っていた。
「一つ、知りたいことがあるんだ」
「なんだ、仕事の依頼か? いいぜ、言ってみな」
男はどこか興味深そうに俺の方を眺めている。
すぅ、と息を吸って、俺はここに来た目的を告げた。
「……ヴォルフリート・ヴァイセンベルクが今どこで何をやってるのか知りたい」
男は驚いたように目を丸くして、そして笑った。
「あぁ、あのお坊ちゃんね。なんだ、あんたあいつのファンなのか!」
よかった。どうやらこの情報屋はヴォルフの存在を知っていたようだ。
だったら話は早い。
「いいねぇ、情熱的で。嫌いじゃないぜ、そういう女」
「金なら払うから」
今まで働いた金は溜めてあるし、たぶん足りるだろう。
じっと男を見つめると、彼はゆっくりと俺の方へ近づき距離を詰めてきた。
「そうだな。金でもいいんだが……」
「っ……!?」
いきなり片手で顎を掴まれ、思わず息をのむ。
「あんただったらキス1つでいいぜ」
「はぁ!? ちょっと待――」
逃げようとしたが、思ったよりも強い力で掴まれていてうまく逃げられない。
そうこうしてるうちに、男の顔が近づいてくる。
殴り飛ばそうと振り上げた手も捕らえられ、いよいよ万事休すになったその時――
「うぉっ!?」
ひゅっと風を切る音がしたと思うと、俺に接近していた情報屋がいきなり後方に飛びのいた。
「あっぶねー!!」
見れば、一瞬前まで男がいた場所の横の壁にナイフが突き刺さっている。
見覚えのある、ナイフが――
「あーあ。俺に仕事の依頼しなくてもよくなったみたいだぜ、ねーちゃん」
信じられない思いでナイフが飛んできた方向へ振り返る。
そこにいたのは、怖いほどに無表情なヴォルフと、呆れたように額を抑えるヨエルの二人だった。
◇◇◇
「へぇ、ねーちゃんお坊ちゃんのメイドだったのか」
裏通りの薄暗い酒場。その中の一室。
俺がヴォルフの専属メイドだということを話すと、情報屋は意外そうに頷いた。
「あぁ、言い忘れてたな。俺はアンテロ。この街を根城にする情報屋だ、よろしくな!」
「クリスさん、今後こいつには関わらないように」
「ひっでー!」
情報屋――アンテロは憤慨したが、ヴォルフは面倒くさそうにため息をついただけだった。
「……知り合い?」
「あぁ、お坊ちゃんは上客だぜ。お貴族様ってのは金を惜しまないからな」
「そうなんだ……」
全然知らなかった。
ヴォルフって、こういう人とも関わったりするんだ……。
「……で、お前はこんなとこで何してたんだよ」
「うっ、えっとぉ……」
ヨエルに詰問されて、俺は言葉に詰まってしまった。
だって、正直に話すことなんてできな――
「あぁ、お坊ちゃんが今どこで何してるか知りたいっつってたぜ」
「ちょっ、ばらすなよ!!」
アンテロがいきなりそんなことを暴露したので、俺は慌てた。
あぁ、ヨエルの冷たい視線が突き刺さる……。
「……僕は、裏通りには足を踏み入れるなと言っておいたはずですが」
その時ヴォルフの冷たい声が聞こえ、思わず身が竦んだ。
おそるおそる視線を上げると、ヴォルフは冷たい目で俺の方を見ていた。
その視線に体が、心が、凍り付きそうになる。
「残念、躾が足りなかったみたいだな」
アンテロの茶化すような言葉も、少しも空気を和ませることには役に立たなかった。
そうだ。俺は、言いつけを破って裏通りに足を踏み入れた。
ヴォルフが怒るのも、当然かもしれない。
「だって……二人で、どこに行くとか言わなかったし……娼館とか、行ってるのかと……」
小さな声でそう呟くと、返ってきたのは大きなため息だった。
「……馬鹿馬鹿しい」
俺の不安は、行動は、そんな一言で一蹴されてしまったのだ。
「あなたは、僕が仕事と偽って娼館で遊ぶような奴だと思っていたんですか」
その軽蔑したような言葉に、手足の指先がすっと冷たくなるような気がした。
そんな風に、思っていたわけじゃない。
でも……どうしても、怖くなったんだ。
そんなの、ヴォルフからしたらただの言い訳に過ぎないだろうけど。
「へぇ……真面目だねぇ、お坊ちゃんは。俺は仕事っつって遊びに行くことなんて日常茶飯事だけどね」
「……あんたは黙ってろよ」
アンテロとヨエルの会話もどこか遠くに聞こえるようだった。
ただ、ヴォルフの視線が恐ろしくて、俺は俯くことしかできなかった。
「…………こいつにも、話しといた方がいいんじゃねぇの」
不意に、その場の空気を変えようとするかのようなヨエルの声が聞こえた。
「はあ? 何言って……」
「こいつは頑固だぞ。黙ってれば、またとんでもない行動を起こしかねない」
ヴォルフの苛立ったような言葉にも、ヨエルは動じなかった。
「ここまで来といて隠し通すわけにもいかねぇだろ。隠せば余計不審がられるだけだ」
何のことかわからないけど、俺は黙って成り行きを見守った。
ヴォルフはしばし逡巡していたようだが、やがて大きくため息をつく。
「そうですね。あなたは……そういう人でした」
そして、ヴォルフは話し始めた。
「ここ最近僕とヨエルが屋敷を離れていたのは……もちろん、遊びに行ってたんじゃないんです」
「うん……」
「僕たちがエンテブルクから戻る少し前から、ここシュヴァンハイムの……特に旧市街で、人が襲われる事件が起こり始めたんです」
「事件?」
ヴォルフは顔を上げると、まっすぐに俺に視線を合わせた。
「被害者は全員女性。そして先日、ついに死者が出ました」
「っ……!」
知らなかった。そんな話、聞いたことがない……!
「この事件についてはその特異性から箝口令が敷かれています」
「特異性って……」
「亡くなった女性は……全身の血が抜かれていた」
「え…………?」
そう聞いた時点で、俺は悟った。
何でこの事件が伏せられていたのかを。
……何で、ヴォルフがこの事件について調べているのかを。
「まだ確定ではありませんが、犯人は吸血鬼であると推測されています。今この街には、吸血鬼が潜んでいるんですよ……!」
どこか怒りを込めた表情で、俺のご主人様――吸血鬼は、そう告げたのだ。




