80 無謀な勇気
くっ、さっそく見失った……。
なんとか着替えて街までを追いかけてきたが、二人の姿は既にそこにはなかった。
まぁでもだいたいの行き先はわかる。
目的地は裏通りの娼館街。
……何をしに行ってるかなんて、考えたくはないけど。
普段買い出しに行くような明るい表通りではなく、薄暗い裏通りへと歩みを進める。
……この辺りは、治安が悪いから近づくなって言われてたっけ。
まぁ、通り過ぎるだけなら大丈夫だろう。
ごくりと唾を飲み込んで、俺は裏通りへと足を踏み入れた。
華やかで整然とした表通りに比べて、裏通りはどこか薄暗くごちゃごちゃしており、朽ちかけたような古い建物も多かった。
心なしか、通りを歩く人の人相も悪く見えてくる。
だいたいの方向に検討をつけ、俺は一人娼館が立ち並ぶ区画を目指していた。
その途中、いっそう薄暗く細い路地裏に足を踏み入れた時だった。
「おいおい姉ちゃん。そんなに急いでどこ行くんだ?」
その辺でたむろしていたガラの悪い男たちが、にやにや笑いながら声をかけてきた。
……こういう時は無視だ無視!
聞こえないふりをして通り過ぎようとしたが、行く手を塞ぐように立ちはだかられてしまう。
「つれねーなぁ、話くらい聞いてくれよ」
男たちはにやにや下品な笑みを浮かべて、俺を見下ろしている。
これは厄介なことになったな……。
できるだけ刺激しないように、俺は努めて冷静な声を出した。
「……すみません、急いでいるので」
そのまま脇をすり抜けようとしたが、軽く肩を押され押し戻されてしまう。
まったく、ほんとに急いでるのになんなんだよ!
「……あんた、見ねぇ顔だな」
男の一人が俺の顔を覗き込んでいる。
顔をしかめそうになるのを我慢し、俺はなんとか表情を動かさないように気を付けた。
ここで変に反応すればこいつらは喜ぶだけだろう。
「悪いけどここらは俺らのシマでな。通行料払ってもらおうか」
「通行料……?」
……なんだそれ。
街へ入るときならともかく、街の中で通行料を取ってるなんて聞いたことがない。
「それ、ヴァイセンベルク家の許可は得てるのか?」
思わずそう聞くと、男はぽかんと間抜けな表情を浮かべた。
そして、次の瞬間周りの男たちが馬鹿にしたように笑いだす。
「ぎゃははっ、おもしれぇ姉ちゃんだな!」
「ヴァイセンベルク家の許可だぁ? んなんとってるわけねーだろ!!」
ぎゃははという下品な笑い声が耳につく。
「俺らがお貴族様の顔色なんてうかがう訳ねーだろが!!」
馬鹿にしたような口調で、通行料を徴収しようとした男がそう言った。
……なるほど、勝手に取ってる訳か。
もちろん、俺にはそんな金を払う気はない。
しかし。こいつらもただで通してはくれないだろう。
ここを通るのをあきらめて踵を返そうとした時だった。
『私……頑張ってみようと思います。私にできることを、精一杯やってみます』
強い決意を秘めた声が蘇る。
リネアは変わった。
勇気を出して、皇太子妃を説得し、宝玉を浄化し、精霊を救ってみせたんだ。
そして、今もきっとあの蒼の都で頑張っているんだろう。
それなのに、俺は逃げるのか?
リネアは精霊を救い、契約を交わした。
それなのに、俺はたかがチンピラ数人に恐れをなして逃げ出すのか?
そんなことをして、次に胸を張ってリネアに会えるだろうか。
ぐっと拳を握り締める。
ここで逃げれば、こいつらは次にここを通る人にも同じようにいちゃもんをつけて金をむしり取ろうとするだろう。
そんな行いを、許していいわけがない。
たかがメイドとはいえ、俺もヴァイセンベルク家に仕える身だ。
こんな勝手な行為を放置しておくわけにはいかない……!
「いい加減にしろ。お前らに払う金なんてあるわけないだろ」
侮蔑の視線を向けそう告げる。
まさか俺にそんなことを言われると思っていなかったのか、男たちはぴたりと笑うのをやめた。
「……あぁん? 今なんつった」
口答えをされたのが気に入らなかったのか、男たちの纏う雰囲気が変わる。
思わずしり込みしそうになるのをこらえ、俺はぐっと睨み返した。
「正式な許可を得てない奴に払う金なんてない。お前らもこんなことはやめろ、犯罪だぞ」
「てめぇ、女だからって調子に乗ってんじゃねぇぞ……!」
男たちがぼきぼきと拳を鳴らし始める。
俺もぐっと足をひいた。
……距離を取って、神聖魔法で攻撃。多少痛い目に合えば、こいつらも考えを改めるだろう。
まぁ、このくらいの人数なら大丈夫だろう。
そうあたりをつけ、俺はじりじりと後退した。
「なんだぁ? 今更びびってんのか?」
男たちがにやにやと笑いながらゆっくりと近づいてくる。
いくらか距離を取ったところで、俺は呪文を唱えようと息を吸い込んだ。
次の瞬間――
「んんっ!?」
いきなり背後から口を塞がれたかと思うと、羽交い絞めにされてしまう。
とっさに暴れたが、拘束が緩むことはなかった。
「おいおい、こいつ叫んで人呼ぼうとしてたぜ」
「ばっかだな。こんなとこで誰かが助けに来るわけねーだろ!!」
……まさか、他にも仲間がいたのか?
さっと血の気が引いた。
ちらりと背後に視線をやると、どうやら俺を捕まえているのは目の前にいるのと同じようなごろつきの仲間のようだ。
呪文を唱えようとしたのを、どうやら俺が叫んで人を呼ぼうとしてたのと勘違いしたらしい。
「ってぇ!」
無我夢中で口を押える手に噛みつく。
驚いて拘束が緩んだ拍子に必死に逃げようとしたが、すぐに背後から延びてきた手に肩を掴まれその場に引き倒されてしまう。
「おいおいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだよ!」
そのまま足を引きずるようにして薄暗い細道に引きずり込まれる。
顔を上げると、先ほどの男たちがひどく嗜虐的な笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。
……あ、やばい、かも。
「救いようのねぇバカ女だな」
つまさきで軽く肩を蹴られ、痛みに小さな悲鳴が漏れる。
暴力の気配に、体が勝手に震えだす。
……何でこうなるんだろう。俺は、間違ったことはしてないはずなのに。
「そうだな……どうしても払えないって言うんなら」
リーダー格の男が下卑た顔で俺を見下ろし、そして告げた。
「体で払ってもらおうか」
その途端、周囲の男たちが口笛を吹く。
俺は、信じられない思いでその言葉を聞くことしかできなかった。
体で払う。その意味は……さすがに、わかってしまう。
「や、やめっ……」
「いきなりびびってんのか? つまんねーな、もっと抵抗しろよ!!」
震える体を引きずって逃げようとしたが、すぐに抑え込まれてしまう。
すぐに何人もの手が群がってくる。
嫌だ。
やめて。
気持ち悪い。
触らないで……。
必死に助けを呼ぼうとしたが、口を塞がれて声も出せない。
……なんで、こうなるんだろう。
今頃、ヴォルフは娼館で綺麗な女の人と楽しんでるのかな。
それなのに、俺は……
怖くて、惨めで、情けなくて、涙が溢れそうになる。
そんな時だった。
「おいおい、女一人に寄ってたかって……だっせぇな!!」
嘲笑するような声が、薄暗い細道に響き渡った。
「あぁん!?」
俺の服を剥ぎ取ろうとしていた男が怒気をあらわにして振り返る。
その拍子に、俺にもその先の様子を見ることができた。
「口で言い返せないからって力づくとはねぇ……かっこ悪すぎて見てて悲しくなってくるぜ」
そこには、二十代くらいの一人の男が立っていた。
俺の前に立ちふさがったごろつきとは違う、洒落た格好をしている。
彼はやれやれと肩をすくめると、馬鹿にしたような笑みを浮かべてこちらへと近づいてきた。
「てめぇ……情報屋!!」
ごろつきがイラついたように叫ぶ。
その、情報屋と呼ばれた男はいまだに引き倒され押さえつけられたままの俺の方へ視線をやると、ぱちん、と片目を瞑ってみせたのだ。




