78 友達、だよね
「アロイス・シュヴァルツシルトか。ここ最近シュヴァルツシルト家の養子に入った奴だな」
優雅に紅茶を口に運びながら、マティアスさんは淡々とそう口にした。
あの水祭りで精霊の暴走事件の翌日。俺たちは滞在している屋敷に留まっていた。
ヴォルフがさっそくマティアスさんに件のシュヴァルツシルト家の青年のことを尋ねると、案外あっさりと答えは返ってきたのだ。
「2年ほど前か。……不幸な事故によりシュヴァルツシルト家の嫡子二人が同時に他界。跡継ぎを失ったシュヴァルツシルト家が養子として迎え入れたのが、件のアロイス・シュヴァルツシルトだ。元々は分家筋で、シュヴァルツシルトの血を引いているのは確かなようだな」
「そうなんですか……」
ヴォルフはどこか釈然としない様子で、何やら考え込んでいるようだった。
あの、俺たちに手を貸してくれた青年は、ヴァイセンベルク家と仲の悪いシュヴァルツシルト家の人間だった。
確かに、こうしてヴァイセンベルク家が水祭りに招待されていることを考えれば、他の貴族が同じように招待されていてもおかしくはない。
「でも、やっぱりそんなに悪い人じゃないと思うよ」
「……あなたは甘いんですよ。あなたとヨエルがヴァイセンベルク家の関係者だと知られていたら、逆に陥れられたかもしれない」
「そうかなぁ……」
そんな感じには見えなかったけど……そう思ってしまう俺は、やっぱり甘いんだろうか。
「まぁ、なんであれ我々は準備ができ次第エンテブルクを発つ。シュヴァルツシルトのことは放っておけ」
そう、もともと今日は滞在最終日。
トラブルが起きたとはいえ、マティアスさんはその予定を変更するつもりはないらしい。
……まだ行きたいとことかあったんだけどな。ちょっと残念だ。
「準備ならもうできているのでは?」
「……ヘルムート・ブラウゼーから言いたいことがあるから待っていろと伝達が来た。……しかし遅いな。あと半刻しても来なかったら帰るぞ」
「それはいいんですか……」
マティアスさんはどこかイライラしているようだった。
雷が落ちないように、俺はそっとたたずまいを直す。
……半刻して、やはりヘルムートさんは来なかった。
「……帰るぞ」
「え、いいんですか?」
「あいつのことだ。昨日の事後処理に追われて伝達を送ったこと事態が頭から抜けているのだろう。付き合ってられん」
マティアスさんが珍しく乱暴に立ち上がると、傍らの従者に指示を始める。
俺も、名残惜しくも渋々立ち上がる。
「……リネア様、大丈夫かな」
「湖の大精霊との契約となればブラウゼーにとっても一大事です。きっと今頃は色々やることがあるんでしょう。残念ですが、僕たちに割けるような時間はないかと」
「そっか……」
……最後に会いたかったな。
そんな俺の心情を察したのか、ヴォルフがそっと頭を撫でてくれる。
「落ち着いたら手紙を出しましょう。……大丈夫、二度と会えないわけじゃない」
顔を上げると、優しく微笑みかけるヴォルフと目が合う。
「来年の水祭りに……いや、もっと早くてもいい。また、ここに来ましょう」
「…………うん!」
そうだ、もう二度と会えないわけじゃない。
ブラウゼー家とヴァイセンベルク家は親交があるみたいだし、いつでも……とは言えないけどまた会えるはずだ。
マティアスさんが手配したのか、屋敷の前には既に馬車が到着していた。
その馬車に乗り込もうとした時、遠くから焦ったような声が聞こえた。
「おーーーい、待てって!!」
慌てて振り返ると、遠くから一頭の馬が物凄い速さで駆けてくるのが見えた。
乗り手は……ヘルムートさんだ!
そして、その後ろにしがみついているのは…………
「リネア様!?」
長い黒髪が風になびいている。
あれは……確かにリネア嬢だ!!
「どうどう! おい、止まれって!!」
よっぽどスピードを出していたのか、ヘルムートさんは馬を止めようとしたが馬は前足を振り上げるようにして暴れている。
その拍子に、俺たちの目の前でリネア嬢が馬から振り落とされたではないか!
「危ないっ!!」
とっさにヴォルフが駆けだし落馬したリネア嬢を抱きとめる。
俺も慌てて近づいて、二人とも大きな怪我がないようでほっと安心する。
「なんだ、騒がしいな」
「おいマティアス! 俺は行くから待ってろって伝えただろ! なに普通に帰ろうとしてんだよ!!」
「いつ帰ろうが俺の自由だ。引き留めたいならせめて時間の指定くらいしておけ」
「まったく、このクソ忙しい中わざわざ来たっつーのに……」
文句を垂れるヘルムートさんに、相変わらずマティアスさんは冷笑を浮かべていた。
「ひゃああ! すみません!!」
「い、いえ……お怪我は?」
一方、リネア嬢はヴォルフに庇われたことに気づくと弾かれたように立ち上がった。
「す、すみません、私……大丈夫です」
「それはよかった!」
リネア嬢は少し恥ずかしそうに乱れた服を整えると、俺たちに向かって深々と頭を下げた。
「まずは……この度の不祥事で皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」
「別に、あなたのせいではないでしょう」
「それでも……水祭りに集まった皆様の安全を守るのはブラウゼー家の役目です。私も……ブラウゼーの一員ですので」
そう言って顔を上げたリネア嬢は、どこかすっきりとしたような顔をしていた。
なんていうか……初めて会った時に比べると、ちょっと変わった気がするな。
「皆様がお帰りになる前にお会いできてよかった……」
「すみません、こちらこそ挨拶もせず。てっきり昨日の今日で色々立て込んでるものかと」
「……えぇ、その通りです。ただ、どうしても皆様に会っておきたかったので、ヘルムート兄さまに頼んでこっそり連れてきてもらったんです」
リネア嬢はそう言ってにっこり笑った。
おぉ……随分大胆なことをするようになったものだ。
「サラーキアと契約を交わしたことで、私も正式にブラウゼー家の一員とみなされることになったようです。……これも、すべて皆様方のおかげです。ヴォルフリート様、クリスさん、ヨエルさん、本当に、ありがとうございました」
そう言って頭を下げたリネア嬢の声は少し震えていた。
……駄目だ、俺も泣きそう。
「私も、色々考えました。はっきりとした答えはでませんでしたけど……サラーキアが私を選んだ意味、私がブラウゼー家の一員と認められたこと、無駄にはしたくない」
そう言って、リネア嬢は顔を上げた。
少し目が潤んでいたけど、とても強いまなざしをしていた。
「いきなり皆様のように強くなることはできないけど、私……頑張ってみようと思います。私にできることを、精一杯やってみます」
「頑張りすぎて潰れないようにしてくださいね」
「き、気を付けます……!」
ヴォルフとリネア嬢はにこやかに言葉を交わしている。
初めて会った時のギスギスした雰囲気が嘘のようだ。
「名残惜しいですが……ここでお別れですね。また皆様に会える日を楽しみにしております」
「はい! リネア様もお元気で!!」
「あ、あの……その……」
リネア嬢はどこか照れたように俯くと、少し頬を染めてまっすぐに俺の方へと視線を向けてきた。
……なんかこっちまで照れてしまう。
「わ、私のことは『リネア』と呼んでいただけないでしょうか」
「え?」
「お兄様に……お友達はそうやって気安く呼び合うものだと伺いましたので……」
リネア嬢は少し上ずった声で、確かにそう告げた。
……なるほど、そういうことか。
「……わかりました、リネア」
メイドの分際で失礼かな、とも思ったけど、本人がいいって言ってるんだしいっか。
そう呼びかけると、リネアはほっとしたように笑う。
ヴォルフもヨエルも、ヘルムートさんも咎めるようなことは言わなかった。
……これで、いいいんだよな。
「だったら、お……私のこともクリスと呼んでください」
「で、でも失礼では……」
「そんなの俺の方がよっぽど不敬ですよ! ね?」
リネアはしばし逡巡していたようだが、やがて照れたようにそっと口を開く。
「はい、よろしくお願いします……クリス」
そう言って笑った彼女に、少しドキッとしてしまう。
友情って、案外難しいな……。
ゆっくりと動き始める馬車から身を乗り出し、何度もリネアに手を振る。
最初はヴォルフを巡るライバルになるかと思ったけど、彼女とは思わぬ形で友達になれた。
お別れは寂しいけど、二度と会えないわけじゃない。
リネアもヴァイセンベルクに来てくれるって言ってたし、俺もまた……ここに来たいな。
こうして、俺たちのエンテブルクの滞在は幕を閉じた。
思ったよりも色々あってスリリングだったけど……やっぱり楽しかったな!!
あけましておめでとうございます!
ここで3章終了で、次回から4章に入ります!
4章はヴォルフの生い立ちにちょっと触れる感じの話になる予定です。
ちょっと暗い展開にはなりますが、見守ってやってください!




