74 水の洞窟
黒衣の青年は、慌てることなく次の矢をつがえ、水魔を射抜いた。
俺はリネア嬢の傍に駆け寄り、じっとそいつの動きから目を離さないようにする。
そもそも誰だ……っていうのもあるけど、水魔を攻撃してるってことは、俺たちの敵じゃない……?
「おい、大丈夫か!?」
慌てたような声と共に、ヨエルが俺とリネア嬢を庇うように前を出た。
ちらりと振り返ると、ヨエルが相手をしていた水魔は一掃できたようだ。
「……援護は感謝する。だが、偶然駆け付けたってわけじゃねぇんだろ」
ヨエルは警戒をあらわにして、黒衣の青年にそう呼びかけた。
……確かにそうだ。ここは市街地からも、騒ぎがあった舞台からも離れた場所。
偶然、こんなところにやってくるなんて考えにくい。
「俺たちをつけてやがったのか、何が目的だ」
詰問するようなヨエルの言葉に、青年は黙り込み……そして、大きくため息をついた。
「……舞台会場で偶然君たちと妃殿下のやりとりを聞いた。万が一のことを考えその場で助太刀を申し出ようとしたが、すぐに君たちがその場を離れたためタイミングを失った。結果として、後をつけるような形になったのは申し訳ない」
青年はそう言って、素直に頭を下げた。
その表情からは、嘘をついているようには見えない。
……あれ、普通にいい人なのかな?
「……わかりました。あなたのそのお言葉、信用します」
真意を測りかねる俺とヨエルに先んじて一歩前に出たのは、リネア嬢だった。
「……レディ・ブラウゼー。奴の言っていることが正しいという保証はない」
「えぇ、わかっています。ですが、今は一刻を争う時です」
忠告したヨエルに対し、リネア嬢ははっきりとそう告げる。
その堂々とした態度に、俺は思わず息をのんだ。
「なぜ滅多に陸に現れない水魔が集まっていたのかはわかりません。……菫青洞の状況が分からない以上、一人でも多く一緒に来ていただけるのはありがたいのです。あの場で私たちを狙うこともできた、でもあなたはそうしなかった。だから、私はあなたを味方だと信じます」
リネア嬢は黒衣の青年をまっすぐに見つめ、落ち着いた様子でそう告げたのだ。
「……名を、お伺いしてもよろしいですか」
リネア嬢にそう問いかけられた青年は、小さく首を振った。
「今は、そんな時間はないのでは」
「はあ?」
自己紹介くらいしろよ!……と俺は憤ったが、リネア嬢は何かに納得したように頷いた。
まぁ、リネア嬢がいいなら俺は何も言えないな……。
「承知いたしました。ご助力、感謝いたします。黒衣の御方」
黒衣の青年に対して丁寧に礼をすると、リネア嬢は進行方向へと向き直る。
「では、参りましょう、皆様方」
「はいっ!」
ちょっとアクシデントはあったけど、ここからが本番だ!!
洞窟に近づくにつれ、水魔の数が増えていく。
ヨエルと黒衣の青年が道を塞ぐ水魔を蹴散らし、俺もリネア嬢の方へ近づいてきた水魔を蹴り飛ばす。
「これは、明らかに異常です……!」
リネア嬢の声は震えていた。
それも無理はない。彼女は今までほとんど城の中で過ごしていた深窓の令嬢なのだ。
こんな、魔物がうようよする場なんて慣れてはないんだろうな……。
「普段水魔は、湖の奥深くに生息していて陸に上がったり……ましてや人に襲い掛かることなんて滅多にありません……!」
「あの精霊の暴走といい、湖に何か異常が起こったのでは?」
「っ……!」
ヨエルの分析に、リネア嬢は細い眉を寄せた。
「そんな、どうすれば……」
「とにかく、今はあの竜をなんとかすることを最優先に考えましょう!」
色々異常事態が起きているのはわかる。
でも、やっぱりあの竜をなんとかしなきゃいけないだろう。俺たちがもたもたしていたらあそこの人たちは攻撃を再開し、竜を殺してしまうかもしれない。
そうならないために、急がないとな!
「……はい!」
リネア嬢ははっとしたように頷くと、再び走り出す。
「……クリスさん、ありがとうございます。あなたがいてくれて、とても心強いです」
走りながら、リネア嬢がぽつりとそう零す。
応えるように、俺はぎゅっと彼女の手を握った。
「当然ですよ!……友達、ですから!!」
◇◇◇
群がる水魔を蹴散らしながら、ついに岩場に位置する洞窟の入り口に到着する。
見たところ天然の洞窟のようだ。当然だが中は真っ暗で見えない。
うーん、なかなか深そうだな……。
入り口の両脇に二本の杭が打たれ、その二つがひもで結ばれている。そして、そこにブラウゼー家の紋章をかたどった布がはためいていた。
「荒らされないように、普段は立ち入りができないようになっているのです」
ヨエルがその紐に触れ解こうとする。だが、紐は全く解ける気配を見せなかった。
「なるほどな、封呪か」
「はい、ブラウゼー家の者でなければ解けないようになっております」
リネア嬢がそっとその紐に触れる。その途端、彼女が嵌めていた指輪が強く光ったかと思うと、紐はひとりでにするりと解けたのだ。
「……では、参りましょう」
この中にはいったい何があるんだろう。
ちょっとどきどきしつつ、俺たちは洞窟の中へと足を踏み入れた。
魔法で光の玉を作り出し、暗い洞窟を進んでいく。
湖の傍の洞窟らしく、中は水浸しだ。リネア嬢の話によれば、季節や時間によって水位が変わり、天井近くまで浸水することもあるらしい。
今の時期はそこまででもないようで、水につかった中でも岩が点々と通路のように水面に顔を出している。
だが、ここにも招かれざる客がいた。
「ちっ、下がってろ」
外で見た水魔が、洞窟の中でも俺たちの進路をふさぐように目を光らせている。
「ブラウゼー家の者がいなければ入れないんじゃ?」
「入り口を通る場合はそうなのですが、この洞窟は湖と繋がっています。おそらく……そちらから入り込んだものかと」
先頭を進んでいたヨエルが魔法で水魔を打ち落とす。
その後にリネア嬢と俺が続き、最後尾を黒衣の男がついてくる。
後ろからぐさっとやられたらどうしよう……と不安にならないでもなかったが、黒衣の男は弓で水魔を打ち落とす以外は、これといっておかしな行動は取らなかった。
本当に、善意で来てくれた人なのかな。
「この奥には、何があるんですか?」
「古来より湖の精霊と交信を交わすための聖地……それに、そのための道具が仕舞ってあると聞いたことがあります」
なるほど、その道具であの竜に交信を呼び掛けるわけか。
……うん。きっとリネア嬢なら大丈夫だ!
洞窟を進んでいくうちに、奥の方に光が見えてきた。
「あそこです!」
俺たちは足を速め、その場所を目指す。
そして、一段と開けた場所に出た。
天井にいくつか小さな穴が開いており、そこから外の光が漏れている。
周囲を水に囲まれた中、一段と高くなった場所があり、その向こうに巨大な蒼い水晶があった。
きっと、とても綺麗な水晶だったんだろう。
だが……その水晶は何やら黒いヘドロのようなものに絡みつかれ、輝きは色あせ、どこか禍々しい雰囲気を放っている。
「なんでしょう。藻かな……?」
「一体何が……」
走り寄りリネア嬢がその水晶に触れようとした途端、俺の背後から激しい声が飛んだ!
「触るな!!」
リネア嬢がびくりと身を竦ませ、動きを止める。
そんな彼女の元に近寄り、黒衣の青年はどこか怖い顔で頭を振った。
「ただの藻や泥ではない。……闇の力を感じる」
「ぇ…………?」
うわっ、何言ってんだろうこの人……と黒衣の青年を凝視した時だった。
ごぽり、と近くの水面が大きく波打った。
「……気をつけろ、来るぞ」
ヨエルが俺とリネア嬢を庇うように前に出る。黒衣の青年も、黙って弓を構えた。
……何かが、近づいてきている。
それは俺にも感じ取れた。
せめてリネア嬢の盾になろうと、ぐっと拳を握り締めて前を見据える。
そして、俺たちの目の前で、大きく水飛沫が上がったかと思うと、ずるりとその生き物は姿を現した。
「……タコ?」
真っ黒な、まるで巨大なタコのようなその生き物は、ぬらりと触手を揺らめかせながら、俺たちに襲い掛かってきたのだ。




