72 奉納演武
音楽に合わせて、華麗な衣装に身を包んだ人が踊っている。
水祭りのメインの行事だというだけあって、見事なものだった。思わず感嘆のため息が漏れてしまう。
観客たちも目の前で行われている華麗な舞踊に酔っているようだ。
ちらりと王家の席の方を伺うと、既にそこには皇太子と妃が座しており、楽しそうに舞台の方を見ている。
「奉納演舞というもので、水の精霊に舞いを捧げているのです」
リネア嬢が穏やかな顔で教えてくれる。
なるほど、精霊もこういうのを見るのはやっぱ楽しいのかな。
次々に入れ代わり立ち代わり、舞台の上で歌が、曲が、舞いが披露される。
音楽が次第に激しくなり、いよいよ盛り上がりも最高潮と言ったところだろうか。
その場の熱気に呼応するように、舞台の背後の湖の水面がゆらりと大きく波打ち始めた。
「うわぁ……!」
すごい演出だ。観客の方からも拍手が上がっている。
だが、俺の隣に座っているリネア嬢はどこか慌てたように息をのんだ。
「あんなの、予定には……」
「え?」
次第に激しく波が立ち、ついにはゆらりと水面が持ち上がった。
不自然に湖面が盛り上がり、やがては水の壁のように、高く高く湖水が揺らめいている。
そして、唐突に弾けた。
「なっ……!」
人々の間から悲鳴が上がる。俺も、その姿を見て絶句した。
水がはじけた場所には、巨大な水竜──とでも呼ぶべき獣がいたのだ。
水竜はおびえる人々を睨みつけると、大きく尾を翻した。
その途端激しい水飛沫が上がったかと思うと……なんと、その水飛沫が矢のように集まった人々の方に飛んできたではないか!
「っ、伏せて!」
ヴォルフがそう叫んだかと思うと、俺の体を座席から引きずり下ろし身を屈めさせた。
俺も慌てて固まるリネア嬢の手を引き、震える体を抱き込む。
身を低くした態勢では外がどうなっているのかはわからないが、あちこちから絶えず悲鳴が聞こえてくる。
俺もどうしていいのかわからずに、ただリネア嬢と身を寄せ合うようにして震えることしかできなかった。
悲鳴、怒号、足音……人々はパニック状態に陥っている。
どうしよう、なんでこんなことになってるんだろう……。
訳が分からずに混乱することしかできない。だがそんな時、頼もしい声が響いた。
「皆、落ち着いて行動を。湖から離れれば危険はない。弱きを護り、迅速に避難を開始せよ!!」
舞台の真正面、一段と高い場所にある席からその声は聞こえた。
そこでは、一人の男性が堂々と立ち上がって繰り返し避難を呼び掛けている。
その声は、きっとここにいる全員に届いたことだろう。
あれは、昨日見た……
「アウレール殿下……」
皇太子は少しも怯むことはなく声を上げている。
そんな彼を狙うようにして一段と大きな水球が飛んできたが、その攻撃を予期したかのように張られた魔法障壁に阻まれた。
見れば、アウレール皇子の後方、目立たないようにテレーゼ・イェーリスが杖を構えていた。
あの障壁も彼女が張ったものだろう。
「ちっ、仕方ない」
マティアスさんが大きなため息をついたかと思うと、彼は立ち上がりまっすぐに片手を掲げた。
「……白の護りを」
次の瞬間、水の攻撃からあたりの人々を護るように厚い氷の壁が現れたのだ。
そのまま、彼は近くの席でうずくまり震える人たちに声をかけた。
「殿下の声が聞こえなかったのか? 早く避難を。……ヴォルフリート、誘導しろ」
「はいっ!」
ヴォルフも立ち上がり、そしてちらりとこちらを振り返った。
「ヨエル、クリスとリネアを頼みます」
「あぁ、任せろ」
ヨエルが頷くと、ヴォルフはまだ恐怖で動けない人たちの所へ走り寄り、避難を促し始めた。
まだまだ水竜が水飛沫を飛ばしてくるが、俺たちのいる場所はマティアスさんの氷の壁に阻まれて安全に逃げられそうだ。
ヨエルに腕を引っ張られ、リネア嬢を支えながら立ち上がる。
「行きましょう、リネア様!」
「は、はい……!」
ちらりと振り返ると、ヴォルフはマティアスさんの従者と手分けしてあたりの観客を誘導しているようだ。
……大丈夫、あいつは強いから。すぐにまた会える。
パニック状態の人々でごった返す中、リネア嬢を庇うようにして俺たちも出口へと向かう。
「総員、怯むな! 邪竜を打ち倒せ!!」
出口へ殺到する人とは逆に、騎士や兵士も集まり始めている。
彼らは魔法や弓矢で水竜へ攻撃を始めている。
水竜も大きくダメージを受けた様子はないが、襲い来る攻撃が不快だったのか。つんざくような咆哮を上げた。
逃げまどう人々の間から怯えたような悲鳴が上がる。
「俺たちも早く……リネア様?」
なんか危なそうだし早く逃げた方がいい、とリネア嬢を促そうとしたが、何故か彼女は呆然としたように水竜を見上げていた。
「この声……」
「早く逃げましょうリネア様! あの竜が襲ってきたら……」
「ち、違うんです!!」
リネア嬢はなぜか焦った様子で俺の腕を掴んだ。
「違うんです、クリスさん!」
「え、違うって何が……」
「あれは……竜ではありません!」
「えぇっ!?」
違うって……どういうことだ?
ぽかんとする俺に、リネア嬢は必死に説明してくれた。
「あの声……いつも精霊宮で聞こえる声と同じなんです」
「それって……」
「おそらく……あれは本物の竜ではなく、湖の精霊が竜としての形をとっているんです!」
俺は信じられない思いで湖の方を振り返った。
水竜は今も水球を飛ばして騎士たちを威嚇している。
あれが、精霊……?
「万が一あの精霊を殺したりなんていたら、エンテブルクは大変なことになります! なんとかしないと……」
リネア嬢は焦ったようにあたりを見回し、近くで何やら指示を出していた騎士の方へと駆け寄った。
「お願いします、攻撃を中止してください!」
「はぁ? なんだ貴様は」
「あれは湖の精霊なんです! 傷つけてはなりません!!」
リネア嬢は必死に言い縋ったが、騎士の方は胡散臭そうな視線を向けただけだった。
おそらく、リネア嬢がブラウゼー家の人間だということにも気づいていないんだろう。
「なに馬鹿なことを言っている、邪魔するな!」
「でも……」
「これ以上邪魔するなら牢にぶち込むぞ!!」
騎士が苛立ったようにリネア嬢の腕を掴む。
これはいかんと俺とヨエルは同時にリネア嬢を助けようとした。
だが、その時涼やかな声がその場に響いた。
「その手を放しなさい」
その声が聞こえた途端、騎士が青くなりリネア嬢の腕を放す。
俺たちも信じられない思いで声の主を振り返った。
「……リネア、詳しく話して頂戴」
「ソフィア姉さま!!」
護衛に囲まれながらこちらへと歩みを進めてきたのは、リネア嬢の姉……
皇太子妃その人だったのだ。




