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71 式典開幕

 翌日、俺たちも式典を見に行くことになった。というか招待されていたようだ。


「でも式典ってなにやんの?」

「湖の精霊を称える儀式……って言っても形だけでしょうね。奉納だとかなんとか言って歌ったり踊ったりするみたいですよ」

「へぇー」


 それはどっちかっていうと湖の精霊より周りで見ている人の方が楽しめそうだ。

 ヴォルフは昨晩の夜会で疲れているのか、朝食を食べながら欠伸を噛み殺していた。同じように連日夜会に出ているマティアスさんは疲れすら見せず優雅にコーヒーを口にしている。

 うーん、これが経験値の差なんだろうか……。


「その式典ってさ、リネア様も出るの?」

「出席はするでしょうが……何か大役を務めたりすることはないでしょう」

「そうなんだ、ちょっともったいないよな」


 彼女の奏でる精霊舞曲はすごかった。ああいうのなら、精霊も喜びそうなんだけどな。

 そう口にすると、ヨエルは呆れたように笑った。


「あのお嬢様だったら、街中の人の前で演奏しろなんて言われたらその場で気絶しそうだぜ」

「まぁ、人には向き不向きがありますからね……」


 そのままだべっていると、マティアスさんに早く支度をしろと怒られてしまった。

 いかんいかん、早くしないと出遅れてしまう!



 ◇◇◇



「おぉー!!」


 湖畔にはもうたくさんの人が集まっていた。

 湖に突き出した大きな舞台を囲むように、扇状に広大な客席が設けられている。

 場所取りは大丈夫かな……と不安になったが、そんな心配は無用だった。俺たちはヴァイセンベルク家の一行。当然のように特別席が用意されていたのだ!


「貴族ってこういう時は便利だよねー」

「便利って言うんでしょうか、こういうの……」


 一段と高いところに位置する特別席からは、舞台やその背後の湖がよく見えた。きょろきょろと見回していると、あちこちに同じように特別席が作られているのが見えた。

 その中でも舞台の真正面、やけに荘厳な席がある。


「あれって……」

「王家の、でしょうね」


 どこか固い声で、ヴォルフが教えてくれた。

 なるほど、王家の席なのか、昨日見た皇太子とその妃はまだ来ていないようで、二つ並んだ豪華な椅子は空座だ。だが何か準備があるのか、何人かの人がせわしなくその周りを行き交っていた。

 その中で、見覚えのある姿が目に入る。


「あの人……」


 風になびく黒髪、姿勢や歩き方までもが洗練されており、ぱっと目を引く美女……。


「テレーゼ・イェーリス……?」

「……まじかよ」


 そこにいたのは、以前フリジアで出会った皇子の寵姫──テレーゼ・イェーリスだったのだ。


「妃の故郷に愛人同伴とは……イカれてんな」

「ブラウゼーはよく怒りませんね」


 ヨエルは呆れたような声を出し、ヴォルフはどこか憤ったように目を細めている。


「ブラウゼーの当主も同類だ。とやかく言えることではないのだろう」


 マティアスさんはどうでもよさそうにそう吐き捨てた。

 ヴォルフは何か思うところがあったのか、口を閉じて黙り込んでしまう。そっと周りに見えないようにその手に触れると、ぎゅっと握り返される。

 ……また、なんか落ち込んでんな。

 何か声を掛けようとした時、俺たちの元にやたらと明るい声が聞こえた。


「やあやあ皆さん、お揃いで」


 やってきたのは、ブラウゼー家のヘルムートさんだった。

 その背後にはリネア嬢の姿も見える。


「うちは昨日から大忙しだぜ。あんたらは気楽でいいよなぁ」


 ヘルムートさんの零した愚痴を、マティアスさんは鼻で笑っていた。この人は容赦ないよな……


「おはようございます、皆さま。本日は楽しんでいってくださいね」


 俺たちの元へやってきたリネア嬢はそう言ってにっこり笑った。だが、その表情はどこか疲れているようにも見える。


「少し顔色がすぐれないようですが……大丈夫ですか?」

「はっ、すみません!」


 そう聞くと、リネア嬢ははっとしたように両頬に手を当てていた。


「昨日から殿下一行の歓待でてんやわんやなんだよ。リネアも疲れたよなぁ」

「い、いえ! 私なんて隅の方でじっとしていただけですから!!」


 ぽん、とヘルムートさんに肩を叩かれたリネア嬢は、慌てたようにぶんぶんと両手を振っていた。

 ……なるほど、皇太子とその妃が来てるんならいろいろ気を遣うよな。


「まぁ今日の式典は大したもんじゃないからな。俺たちは座ってだらだらしてようぜ」

「に、兄さま……これは湖の精霊に捧げる大事な儀式で……」

「そんなん形だけだろー。お前は真面目だなぁ」


 ヘルムートさんに頬をつつかれ、リネア嬢はむっとした表情で頬を膨らませている。

 性格は正反対の兄妹だけど、結構仲はいいみたいだ。

 微笑ましい気分でその光景を眺めていると、どこからかブラウゼー家の従僕と思われる人が走り寄ってきた。


「ヘルムート様、失礼いたしします!」

「ん? どした?」


 ヘルムートさんが耳を傾けると、従僕は彼の耳元に小声で何かを伝えている。

 話の内容は聞こえてこないが、ヘルムートさんの表情を見る限りはあまり楽しい話じゃなさそうだ。

 何かトラブルでも起こった、って感じかな。


「わかった、すぐ行く。リネアは……」

「あ、あの……」

「……マティアス、ヴォルフリート、悪いがリネアを頼めるか。ちょっと顔合わせ辛い奴もいてなぁ、一人にしとくのも心配なんだよ」

「……わかった」


 意外にも、マティアスさんはすぐにそう返していた。

 その途端、リネア嬢の表情がほっと緩む。


「それじゃあな! ヴォルフリート、リネアを頼むぜ!!」


 軽く手を振って、ヘルムートさんは従僕と一緒に早足で消えていった。


「その……すみません……」

「いえいえ、俺たちもリネア様と一緒にいられて嬉しいですよ!!」


 そう伝えると、リネア嬢は控えめな笑顔を見せてくれた。

 そのまま彼女は俺の隣に腰を下ろし、ほっと息をついている。


「はぁ、やっぱり駄目ですね……。私はまだ、強くなれそうにはありません」

「あまり一度に無理はしない方がいい。立場上、顔を合わせづらい相手がいるのも仕方がないことでしょう」

「そうだな、ヴォルフリート。お前がカルラ・バーテン嬢から逃げ回っているようなものだろう」


 マティアスさんはどこかからかうようにそう言った。その途端、ヴォルフの顔が引きつる。

 ……ちょっと待て、カルラ・バーテン嬢。聞いたことない。

 一体どこの誰なんだよ……!!


「ク、クリスさん……手が傷ついてしまいますっ……!」

「はっ、すみません!!」


 無意識のうちに拳を握り締めすぎていたようだ。

 リネア嬢の綺麗な手でそっと触れられ、やっと我に返った。


「あっ、もうすぐ始まるみたいですよ!!」


 リネア嬢はわざと明るい調子でそう言って舞台の方を指差す。

 いかんいかん、気を遣わせちゃったかな。

 カルラ・バーテン嬢とやらのことは今は置いておこう。……今は。


 皆が見つめる中……舞台上に一人の恰幅の良い男性が姿を現す。

 彼の身に着けている青を基調とした衣装は、遠くからでも一級品だということが見て取れた。

 きっと、身分の高い人なのだろう。

 俺の疑問を察したかのように、リネア嬢がそっと教えてくれた。


「あれが……私たちの、お父様です」

「あの人が……」


 六貴族の一つ、ブラウゼー家の当主。

 彼の登場に、会場に緊張が走る…………ことはなく、あちこちから歓声が上がっていた。

 彼も人の好い笑みを浮かべて軽く手を振り返している。

 ……なんか、あんま威厳ないな。


「……人気、あるんですね」

「お父様自身、六家の中で最も『親しみやすい領主』を自称してますから……」


 リネア嬢はどこか呆れたような笑みを浮かべている。

 観客の見守る中、ブラウゼー家の当主はおほん、と咳ばらいをすると、朗々とした声で話し始めた。

 会場の構造のおかげか、何か魔法道具でも使っているのか、離れたところにいる俺たちの元へもはっきりと声が届いている。

 ……まぁ、内容はたいしたものじゃなかった。

 本日はお日柄もよく……みたいな祝辞だ。


 気のせいか観客からも「早く終われ……」みたいな空気が漂ってきている気がする。

 彼もそんな気配を察知したのか、早めに話を切り上げていた。

 彼が一礼し舞台から引くと、入れ替わりにぞろぞろと踊り子のような衣装に身を包んだ一団が現れた。

 その途端、観客から大きな歓声が上がる。


 いよいよ、本番の始まりだな!



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