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67 夕焼けセンチメンタル

 精霊宮を出ると、いつの間にか日が傾き始めていた。

 もうすぐ夕方かぁ……と考えた時、俺はあることを思い出した。


 エンテブルクの名物の一つ、「硝子城を照らす夕焼け」だ!


 上部が蒼いガラスでできた硝子城が赤い夕陽に照らされると、これはまた素晴らしい光景が見られるという。

 紹介されてた絶景ポイントってどこだっけ……。いかんいかん、リネア嬢の登場で慌ててあの雑誌を忘れてしまった!


「どうかされましたか?」

「その……」


 素直に夕焼けが見たいけど絶景ポイントを忘れました、と言うと、リネア嬢はくすりと笑った。


「それならば、兄さまに良い場所を聞いております。あまり知られていない穴場だそうですよ」

「ほんとですか!?」


 穴場ポイントとは恐れ入った。

 聞いてよかった。これで綺麗な夕焼けが見れそうだな!!


 リネア嬢が案内してくれたのは、街の中の小さな教会だった。

 みんな大きな聖堂に行くからなのか、人の姿はほとんどない。


「ここの鐘楼からちょうど硝子城が綺麗に見えるそうです。あの、よろしければ……」

「はい、ありがとうございます!」


 嬉しさのあまりリネア嬢の手を掴んでぶんぶん振ると、彼女はぽかんと口を開けて俺の方を見ていた。

 ……はっ、やってしまった!


「す、すみませんいつもの癖でついっ!」


 俺は必死に謝った。

 彼女は名門貴族のお嬢様なのだ。こんな、たかがメイドになれなれしくされたら不愉快に決まってる!!

 リネア嬢は驚いたように目を丸くしていたが、やがて慌てたように首を横に振った。


「い、いえ……謝らないでください! あの、あまりこういうことは慣れていないので……私のほうこそ、申し訳ありません……!」


 リネア嬢は申し訳なさそうに何度も頭を下げている。

 なんだか二人して謝って変な雰囲気になってしまった。

 ていうか、リネア嬢は貴族のお嬢様の割に腰が低いんだな……。


「あの、そろそろ行かないと日が暮れてしまうのでは?」

「あ」


 ヴォルフに言われてやっと気づいた。

 そうだ、夕焼けは待ってくれない。さっさと鐘楼に登るべきだろう。


 何もないとは思うが何かが潜んでいたらまずいから、ということでヴォルフとヨエルが前を歩き、俺とリネア嬢がその後に続き、らせん階段を上っていく。


「あの……先ほどのこと、気を悪くされましたか……?」


 横を歩くリネア嬢が小さな声でそう問いかけてきて、俺は驚いた。


「気を悪くなんてとんでもない! お……私が失礼なことをしたばっかりに……」

「いえっ、あなたは何も悪くないんです。ただ、その……お友達のようなやりとりに、慣れてなくて、びっくりして……って何を言ってるんでしょう私……」


 リネア嬢は恥ずかしそうに俯いた。だが、その拍子に足元がおろそかになったのか階段に躓いてしまう。


「きゃっ!」

「あぶない!!」


 慌てて体を支えたのでなんとか事なきを得た。

 少し上の方から大丈夫かと声をかけてきたヴォルフに問題ないと伝え、俺はほっと息をついた。


「す、すみませんすみません!」

「いえいえ、怪我がなくて何よりですよ!!」


 リネア嬢は恐縮したように何度も頭を下げた。

 俺からすれば、転びかけた女の子を支えるなんて役得以外の何物でもないんだけどな。


「よろしければ、お手をどうぞ」


 調子に乗って手を差し出すと、リネア嬢は少し躊躇したが案外素直に俺の手を取ってくれた。

 すべすべの手の感触にちょっと体が熱くなる……って何考えてんだ俺は!


「迷惑、ばかりかけてますね……」


 そのまま歩みを再開すると、リネア嬢がどこか沈んだ声色でそんなことを言った。


「全然迷惑じゃないです! 色々案内していただきましたし、むしろお……私の方こそリネア様に色々してもらってばかりですよ!」


 各所を案内してもらって、素敵な曲まで聞かせてもらった。

 そう言うと、リネア嬢は驚いたように目を丸くした。


「あなたは、不思議な方ですね。少しヘルムート兄さまに似てらっしゃるかもしれません。……って何を言ってるんでしょう私は……!」


 リネア嬢はまた恥ずかしそうに顔を覆った。

 その愛らしい仕草に思わず頬が緩んでしまう。


「……早くしないと日が暮れますよ」

「あ、すぐ行く!!」


 リネア嬢の手を取って階段を駆け上る。

 なんかこういうのも悪くないな!!



 ◇◇◇



 俺たちが鐘楼のてっぺんに着いた頃には、ちょうど夕日が硝子城に差し掛かっていた。

 リネア嬢が穴場だといった通り、俺たちの他には誰もいなかった。しかも。硝子城がちょうど綺麗に見える位置じゃないか!


「うわああぁぁぁ……!!」


 城の下部の方は真っ白な壁が日の光に照らされ、黄金色に染まっている。

 そして上部の蒼いガラスに赤い夕陽が差し込み、不思議な色合いに揺らめいていた。

 蒼のようにも見えるし、赤のようにも見え、はたまた紫や黄色にも見える。まさに宝石箱って感じだ。

 ステラお嬢様が見たら喜ぶだろうな……。一緒にこれなかったのが残念だ。


「私も……こうして見るのは初めてかもしれません」


 初めてここにやってきた俺たちだけじゃなく、リネア嬢も魅入られるように夕焼けを見つめていた。


「そっか、中からじゃ見えないですもんね」

「えぇ、今までこうして外に出る機会もなかったものですから」


 驚いて振り返ると、リネア嬢ははっとしたような顔をした。


「す、すみません! 私、また変なことを……」

「い、いえお気になさらずに……! でも、外に出ることがなかったって……?」


 そう尋ねると、リネア嬢は目を伏せながらそっと口を開いた。


「私の父はブラウゼー家の当主で……母は、下級使用人でした」

「え…………?」


 正妻の子じゃないっていうのは聞いてたけど、まさか、使用人の子供だって……!?


「きっと私は、ブラウゼー家にとって恥ずかしい存在なのでしょう。今まで、ほとんど公的な場に出たことはありませんし、城の外にすらあまり出たことはないのです」


 リネア嬢はそう言って、自嘲するように笑った。

 俺は、そんなことを思いもしなかったので、頭が混乱してなんて言っていいのかわからなかった。


「この街の美しい風景を見るたびに、少し悲しくなります。私は、この美しい街の汚点なのではないかと……だから──」

「いつまで、そうしてるつもりなんですか」


 リネア嬢の言葉を遮るようにして、ひやりと冷たい言葉が投げかけられる。

 俺は、信じられない思いで振り返った。

 そこでは、ヴォルフがどこか冷たい目でリネア嬢を見ていたのだ。


「そうやって不幸ぶって満足ですか。案内役を務めるのならば、せめて客人に不快な思いをさせないように気を遣うべきでは?」

「お、おい……!」


 いきなりヴォルフがそんなことを言い出したので俺は慌てた。

 すぐに制止しようとしたけど、ヴォルフは俺の手を押しとどめて更にリネア嬢の心を抉っていく。


「自分が取るに足らない存在だとわかっているのならば、それを変えようとはしなかったんですか。いつまでもそうやって不幸ぶって、周囲のせいにして、さぞかし楽しいことでしょうね」


 ……目の前にいるのは、本当に俺の知ってるヴォルフなんだろうか。

 こんな、冷たい目で、馬鹿にするような口調で、女の子を傷つけるような奴が?


 リネア嬢は怯えたように息をのみ、俯いた。


「…………なたには」


 そして数秒後、彼女は顔を上げ叫んだ。


「あなたのような方には、わかるはずがないでしょうっ……!!」


 そのまま、リネア嬢は俺たちを押しのけるようにして階段を駆け下りていく。


「リネア様!!」


 俺は慌ててその背を追いかけた。

 ……彼女の目元に溜まった涙が、まぶたに焼き付いて離れない。

 いま彼女を一人にしちゃいけない。その思いに突き動かされるように、とにかく足を動かした。

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