66 精霊舞曲
精霊宮は観光地としては宣伝されていないのか、他の場所に比べると随分と人は少なかった。
石造りの内部は他の聖堂などとは違い華美な装飾はなく、むしろあまり人の手を加えないようにしているようだった。
精霊との交信のための施設ってことだし、自然の造形美を尊重してるのかな。
リネア嬢は慣れた足取りで静かな建物内を進んでいく。
やがて、向こうから歩いてきた壮年の女性が声をかけてきた。
「リネア様、よくぞいらっしゃいました」
「よろしくお願いいたします。エルマ先生」
先生と呼ばれたその女性はにこにこと優しげな笑みを浮かべていたが、ふと俺たちに気づいてか不思議そうな表情を浮かべた。
「あら、そちらの方々は……」
「こちらはヴァイセンベルク家のヴォルフリート様と、そのお付きの方々になります。このエンテブルクの街に初めていらっしゃったということで、私が案内役を務めさせていただいております」
女性は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに俺たちに向かって歓迎するような笑みを浮かべた。
「ようこそ、北の御方。わたくしはこの精霊宮を任されておりますエルマと申します」
その女性──エルマ先生は丁寧にいろいろなことを教えてくれた。
彼女は昔からこの地で修業を重ねた精霊使いであり、ブラウゼー家からこの精霊宮の長に任命されたということだった。
エンテブルクの湖には多くの精霊が棲んでおり、古来よりこの地の人々は精霊と共に暮らしてきたという。
この精霊宮も、人々が精霊を身近に感じられるように、とあえて街中に作られているということらしい。
「もっとも、最近はここを訪れる者も少なくなっておりまして……これも時代の流れでしょうか……」
精霊宮の存在自体を知らなかった俺はちょっとどきっとしてしまった。
うぅ、帰ったらちゃんと勉強しとこう……。
「リネア様、いつものように弾いていかれますか?」
「はい……あ、でも、皆様に……」
快く返事をしたリネア嬢だったが、何かに気づいたようにちらりと俺たちの方を振り返った。
彼女の懸念に気づいたのか、エルマ先生が俺たちに教えてくれた。
「リネア様は、いつもこちらで精霊へ詩曲を捧げられているのです。そうですわ、皆様にも聞いていただいて……」
「で、でもそんなの皆様にはつまらないわ……!」
「いいえ、是非ともお聞かせ願いたい」
はっきりとそう言ったのはヴォルフだった。なんだろう、音楽に興味があるんだろうか。
その途端エルマ先生は目を輝かせ、リネア嬢はひっと怯えたように息をのんだ。
「そ、そんな皆様に聞いていただくような高尚なものでは……」
「南の地での精霊との交信はどのように行われているのか興味をそそられます。ねぇ?」
ヴォルフが同意を求めてきたので、俺もはっきりと頷いた。
精霊との交信とかはよくわからないけど、リネア嬢が楽器を弾いてくれるのなら聞いてみたいな。
リネア嬢は渋っていたが、エルマ先生までヴォルフの言葉に同調していたのでこれ以上は無駄だと悟ったのだろう。
「……はい、粗末なものでお恥ずかしいのですが」
謙遜に謙遜を重ね、それでもリネア嬢は頷いてくれた。
精霊宮の奥へと進み、階段を上り、開けたバルコニーへと出る。
そこからは、蒼く光る巨大な湖が一望できた。
対岸の山々が湖に反射しており、まるで巨大な鏡のようにも見える。
「うわぁ、すごぉい……!」
澄んだ水面が、日の光を浴びて宝石のようにきらきらと輝いている。
その美しいな光景に、思わず感嘆の声が漏れてしまう。
「リネア様、どうぞ」
そう言ってエルマ先生がうやうやしく手渡したのは、金色の美しい竪琴だった。
リネア嬢は竪琴を受け取ると、バルコニーの一段高くなっている場所へと足を進めていた。
今までのどこか怯えたような様子とは違う、凛とした足取りだった。
「皆様は、こちらで」
言われたとおりに俺たちはその場で見守っていた。
リネア嬢は腰を下ろすと、ゆっくりと竪琴を奏で始めた。
美しい音色が、その場に響き渡る。
聞いているだけで心が揺さぶられるような、不思議な旋律だった。
リネア嬢の繊細な手つきが竪琴を弾きならす。それだけで、どうしてこんなに心に響く音色が生み出せるのか、俺は心底不思議に思った。
「これは……」
ヴォルフとヨエルも驚いたように目を丸くしている。
だが、それ以上に驚くことが起こったのだ。
静かな湖面が揺らめいた。そして、そこからいくつもの蒼い光が立ち昇り始めた。
「えっ……?」
蒼い光はふわふわと中空を漂い、ゆっくりこちらの方へと近づいてくる。
そして、一心に竪琴を弾き鳴らすリネア嬢を取り巻くように舞い始める。
「あれって……」
「そう、この湖に棲まう精霊たちです」
エルマ先生の言葉を裏付けるように、精霊たちの姿が次第にはっきりと見えてくる。
妖精のような姿のもの、鳥のような姿のもの、魚のような姿のもの……
様々な姿の精霊が、リネア嬢の周りを踊るようにして舞っている。
それは、ひどく現実離れした幻想的な光景だった。
「精霊に捧げる曲……精霊舞曲。リネア様はその優れた弾き手であらせられます」
どこか誇らしげに、エルマ先生はそう告げた。
「奏楽技術が優れているのもありますが、リネア様の真っすぐなお心に精霊たちは惹かれ集まるのでしょう」
「……あれだけの感応力があれば、高位精霊との契約も容易なのでは?」
ヨエルが不審そうにぼそりと呟く。
それを聞いて、エルマ先生は少し悲しそうに表情を歪めた。
「えぇ、そうでしょう。まったく惜しいものです」
「惜しい……? 彼女は、自らの力不足だとおっしゃっていましたが」
エルマ先生は少しためらっていたようだが、やがて小声で話し始めた。
「そうですか、リネア様がそんなことを……。皆さま、できればこれから話すことはここだけの話にしていただきたいのです」
俺たちは顔を見合わせ、慎重に頷いた。
それを見て、エルマ先生はリネア嬢に聞こえないように声を潜めて口を開く。
「リネア様が高位の精霊との契約をなされていないのは……リネア様の力不足などではなく、その機会が与えられていないからなのです」
「機会が与えられていない……?」
「えぇ。……ブラウゼー家のお方の中には、リネア様よりも年長で未だ高位精霊との契約に成功していない方もおられます。そんな方を差し置いて、リネア様が高位精霊との契約の赴くことは許されないと……」
「彼女が、正妻の子ではないからですか」
ヴォルフがとんでもないことを言い出したので俺は仰天したが、エルマ先生は小さく頷いた。
え、正妻の子じゃないって……ヴォルフと、同じ……?
「……えぇ、その通りです」
エルマ先生は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。その歯がゆい思いが伝わってくるようだった。
「人の世とは、ままならないものですね。リネア様ならばどんな素晴らしい精霊と契約を成し遂げられることか……。そうなれば、ブラウゼー家にとっても強みとなるでしょうに。つまらない体裁などによって……」
そこまで言って、エルマ先生ははっとしたように顔を上げた。
「み、皆さま。ここで話したことはくれぐれも……」
「えぇ、ここだけの秘密にしましょう」
ヴォルフがそう言うと、エルマ先生は明らかにほっとしたような表情を浮かべた。
ブラウゼー家を批判するような言葉は、さすがに他の人の耳に入ったらまずいのだろう。
……貴族って、難しいな。
やがて、リネア嬢の奏でる曲も終わりを迎える。
集まった精霊たちはしばしの別れを告げるように彼女も周りをくるくると舞い、やがて湖の方へと帰っていった。
演奏を終えたリネア嬢が、大きく息を吐く。
ぱちぱちと手を叩くと、彼女はそこでやっと俺たちの俺たちの存在を思い出したようにはっと振り返った。
「はっ……すみません、お恥ずかしいものを……」
「いえ、とっても素晴らしかったです!!」
力強くそう言うと、リネア嬢は照れたようにぱっと頬を染めた。
うーん、その反応がかわいい!
この時点で、最初に感じたようなライバル心や警戒心はほとんど俺の中から消えていた。




