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62 ブラウゼー家の事情

 今夜も夜会に出ると告げると、クリスは不安そうな顔をしていたが、それでも小さく頷いてくれた。


「でも……大丈夫なのか? また昨日みたいになったら……」

「もう誰も信用しません。知らない相手の差し出したものは口にしないようにします」

「…………うん」


 そっとクリスの頭を撫でて、名残惜しさを振り払うように部屋を後にする。

 これから向かうことになるのだ。ヴォルフにとっては、戦場にも等しい場所へ。



 ◇◇◇



「いやーそれにしてもカルラ嬢も懲りないな! 昨日の今日でまた来るとは。お前よっぽど気に入られたんじゃね?」


 けらけらと笑うヘルムートの声は不快でしかない。

 ヴォルフはげんなりしつつ大きくため息をついた。


 彼の言う通り、昨日のことがあったのでもうカルラが自分のところに寄ってくることはないと思っていたが、普通にやってきたのでヴォルフは面食らった。

 いくらなんでもタフすぎる。このあたりの女性はみんなこうなのだろうか……。


「南部の女は押しが強いからなー。まぁ例外もいないわけじゃないが……」


 なんとかカルラをあしらおうとしていると、助けに入ろうとしたのか単におもしろがっているのかヘルムートが寄ってきた。

 ヴォルフはここに来たばっかりなので城を案内する、という彼の助け舟に従って、今はこうして男二人でぶらぶら歩いているというわけだ。


「まぁ気が向いたら遊んでみたらどうだ? お前だったら選びたい放題だろ~」

「……そういうのは、好きじゃないんです」

「へぇ、そこまであのメイドちゃんに一途なのか」


 その言葉に、思わず足が止まる。

 その反応見て、ヘルムートはしてやったりという笑みを浮かべた。


「な、んで……」

「ははっ! お前の態度見たら丸わかりだって! 最初に会った時、俺がメイドちゃんの手取ったらお前俺のこと殺しそうな目で見てたしな!!」


 ……自覚がなかった、わけじゃない。

 クリスに近づく男に対しては、どうしても自分と同じくやましい思いを抱いているのではないかと疑ってしまう。それが行動に出ていたとしてもおかしくはない。

 だが、たったそれだけで見破られるとは思ってもみなかった。


「今日もうちの使用人からお前のお付きのメイドちゃんが臥せってるって聞いてさ。やっぱりなって」


 ヘルムートはいつもの軽さで片目を瞑ってみせた。


「てっきりお遊びかと思ったら案外本気なんだな。相手は使用人だぜ?」

「……別に、僕が誰を好きになろうが僕の勝手です」


 ヘルムートがこのことを言いふらせば少なからずヴァイセンベルク家の名に傷がつくかもしれない。

 だが……だからなんだ、とヴォルフは半ば開き直っていた。

 勘当されたらされたでクリスと一緒に出ていけばいい。クリスの家族のことが気にかかるが、一度彼らの保護を約束した以上ジークベルトもひどい扱いはしないだろう。

 ヘルムートは一瞬ぽかん、とした顔をしたが、すぐにおかしそうに笑いだした。


「ははっ! その頑固そうなところはヴァイセンベルクの奴らにそっくりだな!!」


 ヘルムートは何がおかしいのかげらげら笑っている。

 いつのまにか、二人は人気のない外庭の一角にたどり着いていた。


「……それで、どうするんですか。このことを言いふらしてヴァイセンベルク家の信用失墜を狙いますか」

「いやいやいや、そんなことしたらお前の兄貴に殺されるわ!……それに、別にいいと思うけどさ。うちもそうだしな」


 何がそうなのだろう、と振り返ると、ヘルムートは珍しく物思いにふけるように真面目な顔で庭園を眺めていた。


「……お前も聞いたことあるだろ。うちの親父様の好色っぷりをさ」


 もちろん、その件についてはヴォルフも聞き及んでいた。

 ヘルムートの父親、ブラウゼー家の現当主は相当な好色家であり、多くの女性と関係を持ち庶子は数えきれないほど……などという噂は有名だ。


「嫡子は俺を含めて数人、庶子は確実に親父の子だってわかってる奴は引き取ってるが、疑惑も含めると数えきれないほどっていうのも嘘じゃないんだぜ?」


 ヘルムートは軽く笑いながらそう口にした。

 ……南部の人間はおおらかで情熱的だと聞くが、さすがに度が過ぎているんじゃないかとヴォルフは頭が痛くなった。

 ヴォルフ自身も妾の子だが、自分と同じ立場の人間が同じ場所に何人もいるなどと想像もしたくない。


「中にはさぁ、使用人との子だっているんだぜ?」

「えっ……?」

「不思議なことに、使用人の子って娼婦の子より周囲のあたりがきついんだよな。やっかみとかもあんのかね」


 ヘルムートはどこか遠くを見ながらぽつぽつと言葉を紡いでいる。

 ……いったい、この男は何が言いたいのか。


「それで、なんですか。使用人と関係を持つなんてとんでもないって説教ですか」

「いやいや、お前の事情には口出ししねぇよ! お前はうちの親父様みたいにふらふらしなさそうだしな。……それよりも、頼みがある」

「頼み?」

「あぁ…………リライア!!」


 ヘルムートが中空に向かって呼びかける。その途端、ふわりと小さな精霊が姿を現した。

 掌に乗るほどの、小さな女性の姿をした精霊だ。


「お姫様がこの辺にいると思うんだよな。探してくんね?」


 ヘルムートの呼びかけに精霊は小さく頷くと、すっと暗い庭園の中へと消えていった。

 そして十数秒後、少し離れた木の陰から悲鳴が上がる。


「ひゃっ、つめた……! もぉ!!」


 まさか誰かがそこにいたとは思わずに、ヴォルフは驚愕した。

 木の陰から現れた人影が近づいてくる。

 硝子城から漏れる明かりに照らされて、その人影が浮かび上がる。


 そこにいたのは、ヴォルフと同じくらいの年頃の少女だった。


 美しいドレスを身に纏っている。使用人ではない、身分の高い女性なのだろう。

 だが、ドレスや化粧は先日夜会で見たカルラ嬢や他の令嬢たちに比べれば随分と控えめだ。

 それでも……彼女の身に着けているものはどれも並大抵の人間では手に入らないほどの高級品なのが見て取れた。

 硝子城のぼんやりとした明かりに照らされて、ゆったりとまとめられた黒髪が艶めいている。


「い、いきなり水かけることないじゃないですかぁ。こんなびしょびしょじゃ、誰かに顔を合わせるなんて……!!!」


 先ほどの精霊に水をかけられたのか、彼女の手や顔が水滴で濡れている。

 ぶつぶつ文句を言いながら歩いてきた少女は、そこで初めてヴォルフの存在に気が付いたのだろう。

 湖のように青い瞳が驚いたように見開かれ、次の瞬間さっと彼女の顔色が青くなった。


「な、いった……どな、た…………」


 少女が怯えたように後ずさる。その体は小刻みに震えていた。

 ……ヴォルフは心配になって自分の姿を確認してみたが、初対面の女性に怯えられるほどひどい身なりはしていないはずだ。

 さっきの夜会でも、こんな反応をされることはなかった。

 では、何故? というよりも、彼女は何者だ?


「おいおい、そんな怖がるなよ。大丈夫だって」


 ヘルムートが優しく声を掛けると、彼女はぱっと彼の背後に逃げ込んだ。そこから怯えたようにこちらの様子をうかがっている。

 まるで化け物に出会ったかのような反応に、ヴォルフは少し傷ついた。


「……そちらの女性は?」

「悪いね、あんまり他人に慣れてなくってさ。こいつはリネア。俺の妹の一人で……さっき話しただろ? 使用人の子だ」


 ヘルムートがそう言った途端、少女──リネアの瞳が大きく揺れたのを、ヴォルフは見逃さなかった。

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