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61 暴走する者受け止める者

 ヴォルフはすごい勢いで俺を抱き上げベッドに戻すと、床に頭をこすりつける勢いで謝ってきた。


「その……なんて言葉を尽くしても許されないとはわかってますが……本当にすみませんでした」


 前髪の向こうに見える顔は、今にも死にそうだった。

 ……おい、大丈夫か!


「いや、その……びっくりしたし、結構きつかったけど……大丈夫、だから」


 必死にそう主張したけど、ヴォルフは小さく首を振っただけだった。床についた手は爪が食い込みそうなほど握りしめらている。

 なんだかその様子がかわいそうに思えて、そっと手を伸ばして頭を撫でる。

 俺の手が触れた途端、ヴォルフの体は大げさなほどびくりと震えた。


「……昨日のこと、話してくれる?」


 できるかぎり優しくそう問いかけると、ヴォルフはおずおずと顔を上げた。その必死に何かに耐えるような表情に、ぎゅっと胸が詰まるような気がした。

 普段は余裕ぶった態度で俺のことを翻弄する癖に、こうしてみるとやっぱ年下だなって思う。

 ベッドの上から手を伸ばして頭を抱き寄せると、ヴォルフは素直に俺の胸に頭を預けていた。

 ……これはかなり弱ってるな。

 そのまま急かさないようにそっと髪の毛を梳いていると、ヴォルフはぽつぽつと話してくれた。


 昨夜、硝子城の夜会に行ったこと。

 そこで貴族の女の子に合ったこと。

 おそらく、その子に貰った果実酒に薬が盛られていたこと……。


「そっか、大変だったんだな……」


 色々言いたいことがないわけじゃないけど、他の人に何かする前にここに……俺のところに戻ってきてくれてよかった。

 それにしても、そんな堂々と媚薬を盛られるなんて貴族の夜会っていうのはなんて恐ろしい場所なんだ……!

 暴走したヴォルフがやってきたのが俺のところだったからよかったものの、一歩間違えれば大惨事になっていたかもしれない。

 昨夜は噛みつくようにして何度も吸血された。きっとヴォルフが正気に戻るのが遅ければ俺は今頃生きてはいなかったはずだ。


 ……魔族の暴走。

 ヴォルフが吸血鬼だってことは十分知っていたつもりだけど、その本当の恐ろしさを、俺は知らなかったのかもしれない。


「……僕が言えたことじゃないですけど、今日は……ゆっくりと休んでください」

「うん、そうする」

「何か、食べられそうですか」

「……うん、ちょっとお腹すいた」

「……食事を持ってきます」


 ヴォルフはどこか沈んだ様子で部屋を出て行った。

 あいつはまじめな性格だから、俺が何回「気にするな」って言ってもたぶん気にするんだろうな。


「…………はぁ」


 全身だるいし、いろんなところが痛いし、楽しみにしてた観光には行けないし散々だ。

 でも……今はそんなことよりも、落ち込んでるヴォルフのほうが気になる。

 ……俺は、あいつの支えになってやれてるのかな。



 ◇◇◇


 どこかくすぐったいような、濡れた感触に目を覚ます。

 なんとか重いまぶたを開けると、目の前に小さなもふもふがいた。


「……スコル、ハティ?」


 呼びかけると、必死に俺の鎖骨のあたりを舐めていた二匹はきゅんきゅん言いながらすり寄ってきた。


『クリス、だいじょうぶ?』

『痛そうだよぉ』


 その悲痛な声に、やっと二匹が何を心配しているのかがわかった。

 二匹が舐めていた場所……それは、昨夜ヴォルフに散々噛みつかれた場所だった。


「ん、大丈夫だよ」


 全部確認したわけじゃないけど、昨夜の蛮行の後ははっきりと傷跡として残っている箇所もあるはずだ。

 スコルとハティはそれを心配して、俺を癒そうとしてくれたんだろう。

 袖をめくって、手首に目をやる。噛みついた痕、強く掴まれた跡、、爪が食い込んだ跡……ひどい有様だった。

 ……これはしばらくは薄着になれなさそうだな。昨日水着で遊んどいてよかった。


 昨晩気絶した後にヴォルフがやってくれたのか、清潔な寝衣に着替えさせられているし体もそれなりに綺麗にされていた。

 それでも、傷跡だけは消せないだろう。


「……生命の息吹よ、どうか我に力を与えん。“癒しの風(ヒールウィンド)”」


 小さく呪文を唱えると、癒しの力がじんわりと体に染み込んでいく。

 これで、少しは治るのが早くなるといいんだけどな。


『……クリス、ヴォルフリートと喧嘩したの?』

「えっ?」

『だってぇ、昨日痛そうな声出してたし……』


 スコルとハティは心配そうにそんなことを言い出した。

 まさか、聞いてたのか……!?

 子犬……じゃなくて精霊の純粋な瞳に見つめられると、羞恥心で爆発しそうになる。


『フェンリル様が交尾中だから近づくなっていってたけど……』


 ……おい、何言ってるんだ神獣。

 俺は恥ずかしさのあまりベッドに崩れ落ちた。


『……ヴォルフリートに、いじめられてない?』

『いくら主さまでもダメなことはダメって言った方がいいよぉ』


 二匹はぷるぷる震えながらくっついてきた。

 ……こいつらにも、心配、かけちゃったかな。


「ううん、大丈夫だよ」


 二匹をぎゅっと抱きしめる。

 もふもふの柔らかな感触に、じぃんと心が癒されていくような気がした。


『でも……』

「ヴォルフはちょっと疲れてたんだよ。さっきは優しくしてくれたし。全然喧嘩なんてしてない」


 そう、ヴォルフは薬でちょっとおかしくなってただけなんだ。

 むしろ被害がこれだけで済んだことを喜ぶべきだろう。


「明日は起きれると思うからさ、街も見に行けるよ。そうだ、確かおいしいお菓子の店が……」


 お菓子の話をした途端、スコルとハティはあれが食べたいこれが食べたいとやかましくきゃんきゃんわめきだした。

 やっぱりまだまだ子供だ。こいつらもいつかはフェンリルみたいな立派な精霊に成長するんだろうか。

 ……うーん、想像できないな。



 ◇◇◇



「駄目だ、夜会には顔を出せ。ヴァイセンベルクの人間が女一人にしてやられて敵前逃亡など恥ずかしくないのか」


 兄のマティアスに事の顛末を(いろいろと伏せて)報告し、今夜の夜会には出ないと告げたが、取りつく島はなかった。


「でも、媚薬なんて盛られたんですよ!?」

「毒薬じゃなかったのを喜ぶべきだな。……というよりもお前、出されたものを素直に飲むとは馬鹿か」


 マティアスは馬鹿にするように鼻で笑った。

 反論したかったが、自分がうかつだったのは確かだ。ヴォルフはぐっと黙り込む。


「いやぁ、でも傑作だったぜ? お前に逃げられた後の昨日のカルラ嬢の顔。お前にも見せてやりたかったわー」


 目の前で優雅にワインに口をつけていた男が笑う。

 ヴォルフは内心でため息をついた。


「……南部では、飲み物に媚薬を盛るのは問題にはならないんですか」

「ご名答! こっちでは恋のかけひきの一種だな。素直に飲んだ時点で共犯だぜ」

「…………」


 そう言って、目の前の男はいたずらっぽく片目をつぶって見せた。

 ──ヘルムート・ブラウゼー

 この地の主、ブラウゼー家の青年は、にやにやとした笑みを浮かべながらヴォルフの神経を逆なでした。


「……それで、お前は何をしに来たんだ」

「ヴォルフ君どうしてるのかなーって思ってさ。それで、昨晩はあの後どうしたんだ? あ、聞かない方がいい?」


 マティアスの氷の視線にも動じずに、ヘルムートはへらへらと笑っている。

 思わず殴りたくなる気分を押さえ、ヴォルフはため息をついた。


「まぁでも勘弁してやってくれよ。カルラ嬢だって悪気があったわけじゃないんだぜ? お前とお近づきになりたかったんだよ」

「まったく、南部の尻軽女の考えることはわからんな」


 マティアスのあけすけない言葉にもヘルムートは笑っている。

 こんな真昼間から酔っぱらっているのかもしれない。


「しっかしジークベルトみたいに遊びまくるタイプかと思ったら意外とマティアスみたいにお堅いタイプだったんだなぁ、弟くん」

「ジークベルトが異常なんだ。我々は元来正義と秩序と規律を重んじる一族だ。お前のところみたいに年中馬鹿騒ぎをしているわけではない」

「言うねぇ。まぁ、でも今夜の夜会には来てくれるんだろ?」


 ヴォルフはしぶしぶ頷いた。

 行きたくはなかったが、マティアスが行けという以上逃げるわけにもいかない。

 ……クリスのことが気にかかったが、むしろ今の状態では自分が傍にいない方がいいのかもしれない。

 ヨエルもいることだし、なんとかなるだろう。


「お前がそうなら会わせたい奴がいるんだ。楽しみにしててくれよ?」


 ヘルムートはそう言って、またばちりとウィンクして見せた。


 ……ヴォルフには、嫌な予感しかしなかった。


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