58 魅惑の水着大会
翌朝目覚めると、ヴォルフはちゃんと戻ってきていた。
ちょっと心配してたので安心だ。だが朝食の最中眠そうに欠伸を噛み殺しているのに気が付いて、俺はなんとも言えない気分になった。
「昨日、遅かったの?」
「おいおい、あんま詮索するもんじゃねぇぞ」
ヨエルが笑いながらそう言う。ヴォルフはそんなヨエルを軽く睨みつけて、小さくため息をついた。
「そんな言えないようなことはなかったので安心してください。ただ、やっぱり疲れますね……」
ヴォルフは珍しくわかりやすいほど疲れているようだった。
……ちょっと心配だな、大丈夫か。
今日は休んでいた方がいいんじゃないか、と提案したが、ヴォルフは首を横に振った。
「大丈夫ですよ。行きましょう」
ヴォルフはそう言って立ち上がった。
ちょっと心配だったけど、せっかくそう言ってくれるのなら無下に断るのも失礼な気がする。
メイドとして、主人の体調には気を配っておこう、と頭に刻みつつ、俺も立ち上がった。
◇◇◇
「うおおぉぉぉぉ!!!」
そして俺たちが真っ先に向かったのが湖岸のビーチ……そう、水着美女にお会いするためだ!
ビーチに近づくにつれ薄着の人が増えてくる。そしてたどり着いたそこには……確かに水着の美女軍団が姿を現したのだ!
十数人の美しい女性たちが水着姿で観衆に手を振っている。
太陽が、水しぶきが、露わになった肌が何もかもが眩しい。なんかそこだけ熱気がすごい気もする。
群がる人に遮られてよく見えないけど、とにかくここに来てよかった!!
「み、水のかけあいっこもできるんだって……!!」
「お前興奮しすぎだろ。ちょっと引くわ」
「はぁん? そういうお前は潮干狩りでもしてればいいだろ!」
この期に及んでかっこつけるヨエルは置いておいて、俺は欲望に忠実に動くことにした。
水着美女との水の掛け合いっこ……この機を逃したら次はいつそんな楽園が待っているかはわからないからな!!
……が、現実はそううまくはいかなかった。
「……は? 千人待ち?」
「いやーごめんね~。思ったより人が集まっちゃってさぁ、時間かかってるんだよね~」
いざ征かん、と水の掛け合いっこに並ぶ列の最後尾を探して、俺は仰天した。
長い、列めっちゃ長い。しかも最後尾の札を持っていた係員のお兄さんによると、すでに千人超が並んでおりこのペースだと日暮れまでかかってもさばききれないだろうということだった。
「なんか有名な雑誌に紹介されたみたいでさ、みんなここ来るんだよね~。水着の女の子の数も足りないし……あっ、君もやってみない?」
「すみません、そういうのは間に合ってるんで」
何故か俺に水着美女役をやってみないかと誘ってきた係員に、ヴォルフはぴしゃりと言い放つと俺を引きずるようにしてその場から離れた。俺はショックでなされるがままになっていた。
そんな……ずっと楽しみにしてたのに、水着美女との戯れ……。
「ううぅぅ……」
「泣くなよ、めんどくせぇ」
「ほら、クリスさん。他にも見所はたくさんあるじゃないですか」
「でもぉ……水の掛け合いっこしたかった……」
俺だって、太陽の輝く空の下で水にまみれて遊びたかった。
ただそれだけなのに……。
さめざめと泣いていると、突如頭に水をぶっかけられた。
「冷た!?」
「ほら、お望みの水掛けだぞ。楽しめよ」
振り返ると、俺に水をぶっかけたらしいヨエルがにやにやと笑っている。
くそっ、こいつやりやがったな……!
「うぎぎ、許さん! そこに直れ!!」
「クリスさん、そのままじゃ服まで濡れますよ。着替えないと」
「あ、そっか……着替え?」
ヴォルフがとある店を指差す。
そこは、ビーチで遊ぶための道具を売っている店のようだった。
店先にはカラフルな水着が展示してある。
「……水着!」
◇◇◇
水着を探している、と告げると店員が色めき立って色々世話を焼いてくれた。
そして勧められたのが、青を基調としたフリルビキニだ。
ひらひらとした胸元がうまく俺の貧乳っぷりを隠してくれている。
さすがは店員さん。慣れてやがる……!
「……へへ、どうかな?」
早速着替えて姿を現すと、先に着替えて外で待っていた二人を目を丸くした。
「なるほど、自分の体形をカバーする術を身に着けた訳か」
ヨエルはまたしてもそんな失礼なことをほざいていた。
くそっ、あとで思いっきりそのすかした面に水ぶっかけてやる……!
「……よく、似合ってますよ。一瞬、湖の精霊が現れたのかと思いました」
ヴォルフはそんな卒倒しそうなくらい恥ずかしい台詞を口にしだした。
ななな、なにを言い出すんだこいつは!!
一瞬で耳まで熱くなる。
「っ……そんなこっぱずかしいことよく言えるな!!」
ばかばか!……恥ずかしいだろ!!
頬を押さえて照れていると、げんなりした表情のヨエルが目に入った。
「一生やってろ、バカップル」
水着に着替えた。つまり、どれだけ濡れてもいいわけだ!
まずはさっきのお返しにヨエルをずぶ濡れにしてやった。もちろんすぐに仕返しされた。
こうなったらヨエルを転ばせてやろうと近づいたら俺が砂に足を取られて転んだ。
助け起こしてくれたヴォルフももちろんずぶ濡れだ。
ある程度濡れてしまうと、もう気にならなくなってくるから不思議だ。
そのまま三人でひたすら水を掛けたり掛けられてりして遊びまくった。
輝く太陽、冷たい水しぶき……うん、これだこれ!
水着美女と戯れることができなかったのは残念だけど、これはこれで楽しいからいっか!
時折やってきた男性客から「僕にも水掛けてくださいフヒヒ!」みたいなことを言われたけど、そういう人はヴォルフとヨエルが沖合に放り投げていた。
……この暑さと開放的な空気がそうさせるんだろうか、まぁいいや。
暑いからか疲れたからか真っ先に音を上げたのはヨエルだった。
普段から部屋に引きこもっているだけあって、あまり体力はないのかもしれない。もっと鍛えてやらなければ。
ヴォルフが何か飲み物を買ってくると言い、ヨエルは砂浜でへばっている。
俺は暇になったのでその辺で貝殻を集めることにした。
「あっ、これ綺麗かも……」
湖岸の貝殻拾いも雑誌で紹介されていたポイントの一つだ。
一人で貝殻を集めているとやたらと声を掛けられたけど適当にあしらっておいた。
そうしてるうちに、波打ち際に一層綺麗な貝殻が埋まっているのが見える。
傷つけないように掘り出して、俺は驚いた。
「うわぁ……」
その貝殻は真珠のようにつややかで、淡い桃色に輝いている。
まるで、美しい宝石のようだった。
感動に打ち震えていると、背後から少し焦ったような声が聞こえる。
「クリスさん! こんなところにいたんですか!!」
振り返ると、ヴォルフが小走りでこちらへと近づいてくるところだった。
「勝手にいなくならないでくださいよ……何かあったんですか?」
「ううん、貝殻が綺麗だと思って」
「……ここでは一人での行動は避けてください。どこか行きたいところがあったら僕かヨエルに声掛けてくださいよ」
ヴォルフは存外真剣な顔でそう言った。
……心配、かけちゃったかな。ちょっと反省だ。ここは素直に謝っておく。
「……うん、ごめん」
「どこにあなたを狙ってる人がいるかわかったもんじゃないですから」
「狙うなら俺じゃなくてお前やマティアスさんじゃないの? 貴族だし」
「……そういう意味じゃなくて、はぁ。今度その認識をあらためさせる必要がありますね。……たっぷりと」
ヴォルフはため息をつきながら俺の手を取って立ち上がらせると、そのまま歩き出した。
元の場所まで戻ると、ヨエルがちゅーちゅーとココナッツジュースを啜っていた。もう元気になったようだ。
「……そろそろ戻りましょうか」
ヴォルフが静かにそう口にした。
名残惜しいけど、そろそろ時間だな。
ぐるりとあたりを見渡すと、まだ水着美女と戯れる列に大勢の人が並んでいるのが見えた。さすがの情熱だ。
……うん、水着美女とは遊べなかったけど、思いっきり水遊びを楽しむという目標は達成できた。
やっぱり来てよかったな!
◇◇◇
ヴォルフとマティアスさんは今夜も夜会に繰り出すらしい。ご苦労なことだ。
……言うべきかやめるべきか迷ったけど、出かける準備をしているヴォルフの背中を見ていたらつい声をかけていた。
「ヴォルフ、あのさ……」
「どうかしましたか?」
ヴォルフが近づいてくる。いつまでも黙っているわけにはいかなくて、俺はそっと布に包んだその欠片を差し出す。
「これ、湖でみつけて……」
俺が見せたのは、湖で見つけた綺麗な二枚貝の片割れだ。
ヴォルフはそっと手に取って、しみじみと眺めている。
「綺麗ですね……よく見つけましたね、こんなの」
「あの、片方は俺が持ってるから、その……」
自分の手に残った片割れを見せ、ドキドキしながらも告げる。
「もう片方……持っててくれる?」
ヴォルフはじっと手に取った貝殻に視線を向けたかと思うと、俺の手に残った方と合わせてきた。
「同じ模様……二枚貝ですか」
「うん……」
ヴォルフはもう一度その貝殻に視線を向けると、きゅっと掌に握っていた。
「……ありがとうございます。大切にします」
その言葉で、ぶわっと嬉しさが溢れてくる。
そのままマティアスさんが呼ぶまで、俺たちは何度も何度も軽い口づけを繰り返した。
硝子城に向かう二人を見送り、自室へと戻ってくる。
すぐに机の上に置いた先ほどの貝殻が目に入り、胸が高鳴る。
……雑誌に書いてあったおまじない、ヴォルフは気づいてないんだろうな。
──桃色の二枚貝は色あせない愛の象徴。
──対の貝殻をもっている二人は、固い運命で結ばれるという……
……なんて普段の俺なら馬鹿馬鹿しいと思ったかもしれないけど、渡してしまった。渡してしまったんだ!!
恥ずかしさにベッドでごろごろと悶絶しているとヨエルに奇異の目で見られたけど、そんなの気にならないほど俺は浮かれていた。




