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57 船乗り貴公子

「いやー、遠路からわざわざ来てもらって悪いね~。今回はジークベルトはいねぇの? 俺あいつ苦手なんだよねー。この前冗談でお嬢さんをうちの嫁に、つったらマジギレしてきてさぁ……あやうく氷河に沈められるところだったぜ!」


 正体を明かした青年は、まるで高位の貴族とは思えない砕けた口調でぺらぺらと話し始めた。

 小麦色の髪、整った顔立ち、そこから繰り出される残念トーク……。

 俺は、あっけにとられてその様子を見ていることしかできなかった。


「……相変わらずのやかましさだな、お前は」

「お褒めに預かり光栄です」


 マティアスさんが呆れたようにため息をつく。

 そんな彼の様子など気にも留めていないように、青年はこちらへと歩いてくる。


「まったく北部人はお堅くて困るぜ。よーし、初めましてだな、弟くん」


 揺れる小舟の上を器用に歩いてきた彼──ヘルムートさんは、ヴォルフの目の前で帽子をとっておどけたように礼をした。


「俺はヘルムート・ブラウゼー。わからないことがあったら何でも聞いてくれ。かわいい女の子のいる店の情報なら誰にも負けないからな?」

「……ヴォルフリート・ヴァイセンベルクです」

「へぇ、顔はジークベルトに似てんな。いや、ジークベルトっていうよりクラウス公か? うちの女どもがほっとかないだろうな~、まぁ頑張れよ!」


 ヴォルフがどこか固い声で名乗ると、ヘルムートさんはにっこりと人好きのする笑みを浮かべてヴォルフに向かって手を差し出していた。

 ヴォルフがその手を握ると、嬉しそうにぶんぶん振り回している。

 ……なんか、今まで見てきた貴族ってイメージからかけ離れた人だ。


「……そして、こちらの美しいレディは一体どなたかな? よろしければお名前をお聞かせ願えますか?」


 青年は揺れる船上なのにも関わらず俺の前に跪いて見せた。

 ……え、なんだろうこの人。

 どうしていいかわからずにおろおろしていると、咎めるようなマティアスさんの声が飛んでくる。


「ヘルムート、彼女はヴァイセンベルク家の侍女だ。……わかるか?『ヴァイセンベルク家の』侍女だぞ」

「……手ぇ出したら承知しねぇぞってことね…………はいはい。残念、高嶺の花でしたか」


 ヘルムートさんは名残惜しそうに俺の手を取ると、そのまま手の甲に口付けて見せた。


「っ……!」


 濡れた感触に思わず悲鳴が漏れそうになるのをなんとかこらえる。

 ……ほんとになんなんだよ!!

 うぅ、前にヴァイセンベルク家の騎士のラルスにそうされた時も思ったけど、なんかこういう扱いされるとどうしていいかわかんないんだよ!!



 ◇◇◇



 意外なことに、ヘルムートさんは船の操舵技術については問題ないようだった。

 小舟は安定した動きで水路を進んでいく。

 まるで本職の水夫のように小舟を操り、彼は通りがかる名所を簡単に説明してくれた。


「そう、そしてあの聖堂の奇跡を称えて歌われるようになった曲があるんだ。よければ……」

「歌わんでいい。やかましいんだお前は」

「ちぇ、案内しがいがないねぇ」


 マティアスさんはいつも通りだった。でも、彼は決して誰彼構わずこんな不愛想な調子になる人ではない。

 相手がそれなりの立場の人間であれば、(比較的)愛想よく話しているところだって見たことがある。

 ……ということは、ヘルムートさんは本性を見せても問題ないと判断できる相手なのだろう。

 ちょっとだけ安心した。少なくとも、ヴァイセンベルク家にとって友好的な人物ではあるようだから。

 美しい街並みを抜け、華麗な装飾が施された橋を潜り抜け……豪華な屋敷が立ち並ぶ区画に入る。そこで、ヘルムートさんは船を岸につけた。


「ここがヴァイセンベルク家ご一行に滞在してもらう屋敷だな」


 そう言って彼が指したのは、白く輝く立派な邸宅だった。

 こんなところに泊まれるなんてさすがは貴族だな……。


 待ち構えたように中から使用人が出てくる。俺よりも少しばかり年上の、綺麗なメイドさんだ。

 ヘルムートさんは一言二言彼女と親しげに言葉を交わすと、俺たちに向かって軽く手を上げて見せた。


「それじゃあよい滞在を! 夜会にもちゃんと来てくれよな。あとは存分に金を落としてってくれ!」

「もぉ、ヘルムート様!!」


 メイドさんが咎めるような声を出すと、ヘルムートさんは笑いながら小舟へと舞い戻っていった。

 ……なんて自由な人なんだ。


「……失礼いたしました、皆様方。それではご案内させていただきます」


 メイドさんは苦笑しながらそう言って、俺たちを中へと招き入れてくれた。

 ……なんていうか、この場の雰囲気じたいヴァイセンベルク家に比べるとかなりおおらかな気がする。

 ヘルムートさんが特別なのかはわからないけど、メイドさんもどこか仕方ないといった様子で、好意的な視線をヘルムートさんに向けていた。

 厳格なヴァイセンベルク家とは違い、使用人と主人の垣根も薄いような気がしてくる。


 結構広い屋敷なのに、ここに滞在するのは俺たちヴァイセンベルク家の一行だけらしい。

 それを聞いてちょっと安心した。

 さぁ、あとは水祭りを楽しむだけだ!

 ……と意気込んだけど、今日はもう日が暮れるので街に繰り出すのは明日以降にしろとヴォルフに止められた。

 ヴォルフとマティアスさんは、硝子城で催される夜会へと出席するらしい。

 なんでもこの時期は毎晩夜会が開かれていて、各地からやってきた貴族が飲めや歌えやの大騒ぎを繰り広げるんだとか。


「夜会かぁ……大変そうだな」

「はぁ、気が滅入りますよ」

「せいぜい頑張ってこい。飲みすぎて水路に落ちるなよ」


 今回は俺もヨエルも城まではついていかなくても大丈夫なようだ。

 安心したような、ちょっと残念なような……。


 正装に着替えて出発するヴォルフとマティアスさんを見送る。

 俺たちには俺たちで豪華なディナーが用意されているというので、そっちも楽しみだ!



 魚介類をふんだんに使った豪勢な夕食が終わって、俺は屋敷のバルコニーから街の方を眺めることにした。

 水祭りの最中は、夜になっても街のあちこちで色とりどりの明かりがともされ、その夜景も注目ポイントの一つだと雑誌に書いてあった。

 なるほど、店先に灯った明かりが、行き交う小舟の明かりが、道に灯された蝋燭が、まるで宝石箱のようにきらめいている。

 顔を上げると、すぐ近くにある硝子城が見える。その上部も中で大きな明かりが灯されているのか、城全体が幻想的な蒼い光を放っている。

 この光景を見られただけで、ここに来た価値はあったと思えるくらいだ。

 あの城のどこかにヴォルフもいるのかな、と思うと少し不思議な気分になってくる。


「……お前、心配にならねぇの」

「え?」


 となりで同じ光景を見ていたヨエルがぽつりと問いかけてきた。


「夜会っていうからには各地から貴族が集まってるはずだ。マティアス様もだが、ヴォルフリートは名門貴族の独身の御曹司……今頃何人の女が群がってることか」


 ……昼間、ヘルムートさんが言っていた言葉を思い出す。


『うちの女どもがほっとかないだろうな~、まぁ頑張れよ!』


 ……俺にだってわかってる。


「そりゃあ、心配じゃないっていえば嘘になるけどさ……」


 この前フリジアに行った時だって、同じようなことはあった。

 綺麗で、身分も高い女の子がヴォルフの傍に現れる。……何回経験しても慣れることはない。いつあいつの心が俺から離れるんじゃないかって、心の中がざわめきたっている。

 今こうして夜景を見に来たのも、そんな気分を紛らわしたかったからなのかもしれない。


「そういう奴は必死だからな。どんな手使うかわかったもんじゃねぇぞ」

「ヴォルフなら、大丈夫だよ」


 ヨエルに、何よりも自分に言い聞かせるようにそう口にする。

 そうだ。今までドラゴンや魔獣と戦ってきた。ヴォルフなら大丈夫なはずだ。

 ……ちょっと同列に扱うのは無理があるな。


「……多少の浮気は見逃してやれよ」

「…………大丈夫だもん」


 ヴォルフなら大丈夫。……たぶん。

 悶々とした思いを抱えたまま、じっと美しい景色をその向こうに広がる湖を眺めた。


「……冷えてきたな。風邪ひく前に戻るぞ」

「うん……」


 ヨエルに促され、バルコニーを後にする。

 最後にもう一度硝子城を振り返ると、相変わらず淡く蒼い光が目に入る。

 ヴォルフはどこにいるんだろう。残念ながら、俺には何も感じ取れなかった。


 ……暗いことばっかり考えるのはやめよう。

 明日からはいよいよ観光、水祭りだ!

 無理矢理そちらに意識を向けて、俺はもやもやする思考を振り払った。

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