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55 水着の誘惑

「なーんかさ、夏なのに夏って感じしないんだよな……」


 季節は夏に入り、太陽が燦燦さんさんと輝いて暑くて仕方がない……ということはなかった。

 ここヴァイセンベルク地方は大陸の最北端に近く、かなり寒い地域だ。

 夏もそこまで気温が上がるわけではなく、どこかひんやりと涼しいくらいだ。なんだか俺の知ってる夏とは違う。

 涼しくて過ごしやすいのはいいんだけど……なーんか物足りないんだよな!


「夏って言ったらさぁ、あるじゃん! 海、スイカ割り、日光浴!」

「森番のガキと虫取りでも行って来いよ」

「あいつ年中虫取りしてんだもん。なんか季節感ない」

「じゃあ北の海で泳いで来いよ」

「ヴォルフに凍死するからやめろって言われた」

「ごちゃごちゃうっせーな。じゃあ腹にスイカの種でも溜めてろ」


 ヨエルは読んでいた本から顔を上げることすらせず面倒くさそうにそう言い放った。

 ちぇ、ちょっとは乗ってきてくれてもいいのに。まったく冷たい奴だ。


「はぁ……」


 ヴォルフは仕事の打ち合わせで不在。ヨエルは相手にしてくれない。

 仕方がないので前に街に出た時に買ってきた雑誌を読みふけることにした。


『この夏にお勧め! 選りすぐりの帝国名スポット100選!』


 雑誌ではそんな特集が組まれている。100って多いな……しかも帝国って結構広いのに。

 ぱらぱらとページをめくると、海や山や湖など様々な場所が過剰な宣伝文句と共に載せられていた。

 ここヴァイセンベルク地方の名所もいくつか載っている。

『避暑にぴったり! 暑い夏を涼しく過ごしちゃおう!』

 などと文字が躍っているのが見えて、思わずため息が出てしまった

 ……贅沢な悩みかもしれないけど、やっぱり夏になるとその暑さを感じてみたいんだよな。


 そのまま適当に流し見していると、ひときわ大きく紹介されている場所が目に入る。


『やっぱり堂々一位はここ、湖畔都市エンテブルク!!』


 エンテブルク……なんか聞いたことがある気がする。


「なぁヨエル。エンテブルクってどこだっけ」

「覚えてねぇのかよ。まったくお前は……エンテブルクは六貴族の一つ、ブラウゼー家の本拠地だ」


 ヨエルは面倒くさそうにそう教えてくれた。

 なるほど、そういえばヨエルとの勉強会で何度か聞いた地名だったような気もする。

 ブラウゼー地方は確か「泉の国」とか呼ばれていたはずだ。湖畔都市、泉の国……なんとなく涼し気なイメージの場所なのかな。

 蒼い湖、美しい街並み、優美な城……そんな絵と共にエンテブルクの街が紹介されている。

 やがてぼけっとそれらを眺めていた俺の目に、とんでもない語句が飛び込んできた。


『今の季節の一押しはなんといっても水祭り! 

 湖畔では麗しの水着美女たちがお出迎え!!

 思わぬ出会いが待ち受けているかも!!?』


 海、湖、水着美女、水着美女……


「水着美女!」

「うわぁ!?」


 衝動のまま叫んで立ち上がると、ヨエルが奇妙な声を上げてソファから転がり落ちた。


「いきなり奇声あげんなよ馬鹿メイド!」

「ヨエル、水着美女だって! ほら、ここ!!」


 興奮しながら雑誌を差し出すと、ヨエルも興味を惹かれたのかじっと俺の指した場所を見ていた。


「なるほど水着美女か」

「な、な? わかるだろ!?」


 いくら陰気な引きこもり野郎と言っても、この興奮はわかってくれるだろ?


「……で、てめぇは何でそんなに興奮してんだよ。そういう趣味でもあったのか」

「え、それはその……目の保養になるだろ!!」


 ヴォルフのことは大好きだし、浮気したいという気持ちはない。

 でも幸か不幸か、男だったときの名残で俺はどうしても好みの女性を見つけたり、女の子に優しくしたりされると、それだけで大興奮して有頂天になってしまう。

 そのせいで何度か痛い目にもあってるけど、やっぱり自分の心に嘘はつけないのだ!

 ……なんてことをヨエルには説明できない。

 適当に誤魔化すと、ヨエルは大きくため息をついた。


「なるほど、自分にはないものへの憧憬か」

「……人のおっぱい見ながら変なこと言わないでくれない?」


 どいつもこいつも胸でしか人を判断できないのだろうか。

 まったく嘆かわしいことだ。

 ……まぁいい。今は楽しいことだけを考えよう。


「いいなぁ、水祭り……」

「ヴォルフリートに頼んだらどうだ」

「うーん、難しいんじゃないかな……」


 ただでさえあいつはいつも忙しそうにしてるのに、そんな無茶なお願いはできないだろう。

 ブラウゼー地方は帝国の南端。とっても遠い場所にある。

 気軽に遊びに行ける距離じゃないだろう。


「ここでもやらないかなぁ、水祭り……」

「雪まつりならあるぜ、冬まで待てよ」

「水着美女いない……」


 俺は水着美女たちと太陽の下で水かけあったりしてきゃっきゃしたいのだ。

 雪まつりで雪玉をぶつけ合うのも楽しいかもしれないけど……やっぱり水着だ!


「水着、水着……」

「一人で着て水浴びでもしてろよ。誰も文句は言わねぇぞ」

「それだとつまんない」


 こういう時は南の地がいいよなーとソファに転がった時だった。

 がちゃりと扉が開き、ヴォルフが帰ってきたのだ。


「おかえりー、お菓子食べる?」

「ただいま戻りました……ってあなたが食べたいんですよね」

「えへへ、ばれたか」


 ちょうどおやつの時間。今日のおやつはなんと奮発して有名店のティラミスだ!

 実は買った時から早く食べたくてたまらなかった。

 視線だけでおねだりするとヴォルフは苦笑しながら頷いてくれたので、ダッシュで氷室へ向かう。

 あぁ、今から涎がたれそうだ……。




「いっただっきまーす!」


 ぱくりと一口。じんわりとした甘みが舌に広がっていき、誇張でなくほっぺがとろけそうになってしまう。

 一人で身もだえる俺の横で、ヴォルフとヨエルはとりとめのない会話を交わしていた。


「この前のヴィルエールの件……フリジア側は調査の結果『事故』と断定したようです。過去にあの城の地下で何らかの実験が行われており、その残滓が花々に影響を与えたと」

「……まぁ、表向きはそうするしかないだろうな。犯人が分からない以上、無駄に不安をあおるべきではないと判断したわけか」

「騒ぎにはなったが死者は出ていない。それで押し通せると踏んだんでしょう。……僕らでもそうしますから、文句は言いませんけどね」


 ……なんか難しい話してんな。気にならないわけじゃないけど、今はティラミスだ!

 俺はおとなしくティラミスを味わっておこうと息を吸った途端、喉を細かい粉が襲い思いっきりむせてしまった。


「げほっごほっ……!」

「ほら、飲んで!」


 体を折り曲げて咳き込んでいると、慌てて近づいてきたヴォルフが流し込むようにして紅茶を飲ませてくれた。


「はひぃ……死ぬかと思った」

「まったく、気を付けてくださいよ」

「ティラミスに殺されるか……案外お前にはお似合いかもしれねぇな」


 咳き込みすぎて涙目なりつつ睨むと、ヨエルは馬鹿にするように笑った。

 くそ、覚えてろよ……!


 じとりとヨエルを睨んでいると、ヴォルフが何かに気を取られたように視線を下に向けた。


「エンテブルクの水祭り……?」


 その視線の先には、開けっぱなしだった先ほどの雑誌がある。

 ちょうど、水祭りのページだ。


「あ、うん。たまたま載ってて……」

「行きたいんですか?」

「えっ!?」


 ヴォルフはごく普通にそう問いかけてきた。


「べ、別にそういうんじゃないからっ……!」


 本当は行きたくてたまらないけど、あんまりわがままを言いすぎるのもよくないだろう。

 こんな立派なお屋敷で働かせてもらってて、おやつには至高のティラミスだって味わえるんだ。これ以上望んでたら駄目だよな。


「そうなんですか、じゃあ断っておきますね」

「え、何が?」

「エンテブルクの水祭り、うちにも招待が来てて、僕も行かないかと誘われたんですが……公的な式典でもないので別に行かなくてもいいんですよ」


 ヴォルフはそう言って首を振った。

 え、待って。招待が来てる? 行かなくてもいいってことは、逆に行ってもいいんだよな……?


「嘘です行きたいですすごく行きたいです連れてってくださいぃ!!」


 足に張り付きながらそう懇願する俺を見て、ヴォルフは若干引き気味だったが、それでもしっかりと頷いてくれた。

 よっしゃああ!! これで行ける!!

 待っててくれ、水着美女たちよ!!



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