52 膝枕はサービスです
その後も順調に馬車の旅は続き、再び尻が痛みで麻痺し始めた頃、ようやくヴァイセンベルクの地へと帰り着くことができた。
森を抜けて、草原を抜けて、やっと見覚えのある街が、城が目に入る。
「……やっとか。まったく、退屈すぎて干からびるかと思ったぜ」
「同感です。しばらく長旅は勘弁ですね」
慣れた場所へ帰ってきて安心するのはみんな同じなんだろう。
俺も、安堵で力が抜けるような気がした。
シュヴァンハイムの街を抜け、いよいよ懐かしい城は目の前だ。
先を走っていたユリエさんの馬車が止まると、待ち構えていた人の中から小さな人影が飛び出してくる。
「ママ、お帰りなさい!!」
待ちきれないといった様子でぴょんぴょん跳ねるステラお嬢様に、ユリエさんも普段の落ち着いた様子が嘘のように転がり落ちる勢いで馬車を駆け下りた。
そして、母娘がしっかりと抱き合う。
「……何泣いてんだお前」
その感動的な光景に思わず涙ぐんだ俺に、ヨエルは冷めた目を向けてきた。
ふん、冷血人間にはわからないんだよ!!
「……おかえり、色々あったみたいだけど無事でよかったよ」
二人が落ち着いた頃を見計らってか、ジークベルトさんがそう声をかけていた。
その途端、ユリエさんの表情が安心したように緩んだのがわかった。
……やっぱり、夫婦って特別な空気だ。
「ステラ、ちょっといいかい?」
「なあに、パパ?……ひゃあ」
ジークベルトさんは呼びかけに振り向いたお嬢様の小さな体を引き寄せ、片手で抱きしめるようにして視界を塞いだ。
そして、もう一つの腕で驚いたユリエさんを引き寄せ……熱い口づけを交わしていた。
「うひゃあ……!」
すごい、舞台の1シーンみたいだ……!
さすがジークベルトさん、そんな情熱的なしぐさも様になっている。
なんだか見てるこっちの方が照れてしまう。一瞬で頬が熱くなったのがわかった。
「うわ……お前の兄貴やべぇな」
「……出たくない」
ヨエルはドン引きしたようにそう呟き、ヴォルフはうつむいて額を押さえている。
集まっていた者たちからも、黄色い悲鳴やわざとらしい咳払いが聞こえた。
ここ北部の人間は基本的に慎ましやかを美徳とし、人前でいちゃついたりなんてけしからん!……という傾向があるらしいのだが、ジークベルトさんはそうでもないらしい。
我に返ったユリエさんに怒られても、彼は笑みを崩さなかった。……すごいなー。
ぶちぶちいうヴォルフを何とか引っ張り、俺たちも馬車から降りる。
「ヴォルフにいさま! クリス! おかえりなさい!!」
すぐに満面の笑みのお嬢様が駆け寄ってきた。
可愛い姪の歓迎にヴォルフもやっと気を取り直したのか、駆け寄ってきたお嬢様の頭を撫でている。
「ねぇ、フリジアはどうだったの? フリジアの民はみんな魔法使いって本当? エルフには会った? お料理はおいしかった?」
「こらこらステラ、そんなにいっぺんには答えられないよ」
「むぅ……わかったわ。クリス、次のお茶会でゆっくり聞かせてもらうからね!」
お嬢様は興奮したようにその場でぴょんぴょんと飛び跳ねている。
名家のお嬢様と言ってもやっぱりまだ幼い子供だ。その愛らしいしぐさにきゅんきゅんしてしまう。
「聞いたよ、大活躍だったんだってね」
にこにこと朗らかな笑みを浮かべたジークベルトさんが俺たちの方へと近づいてきた。
俺もヨエルも、慌ててしゃきっとたたずまいを直す。
「不死者退治の次は人食い花の退治……もう少し穏やかな仕事はないんですか?」
「でも実際にお前が行ってよかっただろ? ユリエ一人だったら危なかったかもしれない」
「……まぁ、それはそうですけど」
不満げなヴォルフに対しジークベルトさんは余裕そうな笑みを崩してはいなかった。
そして、彼はそのままヴォルフの後ろに控えていた俺とヨエルの方へと視線を向けてきた。
「君たちもご苦労だったね。うまくヴォルフを補佐してくれたようで感謝するよ」
「いえ、勿体ないお言葉です。ヴォルフリート様にお仕えする者として当然のことです」
ヨエルはついさっき「お前の兄貴やべぇな」などとほざいたのと同じ口で、そんな似合わなすぎる台詞を吐いていた。……意外と演技のうまい奴だ。
俺も慌てて頭を下げる。
「さて、つもる話もあるだろうけど長旅で疲れてるだろう? 皆、ゆっくり休んでくれ」
ジークベルトさんの言葉に、ほっと緊張が解けたような気がした。
……色々あったけどみんな無事に帰ってこれた。
それが、一番だよな。
◇◇◇
「はぁん……」
やっぱり慣れた寝台は別格だ。
肌触りのいいシーツにふわふわの毛布、適度にやわらかな枕。
いつまでもこうしていたいがそうもいかない。
俺はヴォルフの専属メイドだから、ちゃんと専属メイドとしての役目を果たさないとな!
まずはご主人様を起こしに行こう!!
「おはよう! 朝だぞ、起きろ!!」
「……おはようございます。もう起きてます」
せっかく早起きしてご主人様のところに行ったのに、ヴォルフは普通にもう起きて茶を飲んでいた。
なんだよ、やりがいがないなぁ。
「ちぇっ、仕方ない。ヨエルの奴でもたたき起こしてくるか」
「今日くらいは好きなだけ寝坊してもいいんじゃないですか? ヨエルも疲れてるでしょうし」
「……お前、あいつに甘くない?」
……別に嫉妬なんてしてないけど。
ヴォルフはヨエルを甘やかしすぎな気がするんだけど!!
「あなたも今日は寝ててよかったのに」
「一日の計は朝にあり! 惰眠を貪るなんて一流メイドのすることじゃないからな!」
今の俺にできること。メイドとしてヴォルフを支えること。
その為には、もっとメイドとして精進しないといけないからな!
「まぁ、でも今日くらいはゆっくりしましょうよ」
ソファに腰かけたヴォルフが手招く。
近づくと、急に腕を引かれて倒れこんでしまう。
「ひゃあ!」
「今日くらいは……二人でゆっくり……」
バランスを崩した体はしっかりと受け止められた。
そのまま優しく抱きしめられて……なんか、こうやってゆっくりするのもいいかなーって気分になってくるから不思議だ。
「……うん」
ぎゅっと抱き着くと、優しく抱きしめ返される。
……こういう穏やかな時間は、嫌いじゃない。
「なぁ、そろそろ時間じゃないか?」
「……あと少し」
「怒られても知らないからなー」
あのまま二人でごろごろして……
俺の膝を枕に大人しく寝ているヴォルフは、お兄さんたちとの定例会議の時間だというのに起き上がろうとする気配を見せなかった。
さっきから何度もこうして声をかけているのだが、普段の冷静さがウソのように子供のように駄々をこねている。
えいっ、と髪をひっぱると痛かったのか不満げな声が漏れる。
なんだか、その様子に笑えて来てしまう。
早く起きろと声を掛けつつも、俺も実力行使には出なかった。
だって、こうして二人でごろごろしてたいと思ってるのは俺も同じだから。
……今この空間、この時間だけは、俺とヴォルフの二人っきりだ。
いつか俺を捨てて他の誰かのところに行くんじゃないか、そんな疑念はどうしても消えないけど、この時間だけは……そんなことを忘れられた。
この時間が、ずっと続けばいいのに。
ここで2章終了です。次回からは3章に入ります!
3章は六貴族のうちの一つ、ブラウゼー家の話になります。クリスにも強力なライバルが登場!?……というような感じになります!
引き続きお楽しみください!!
あと突発的に新作を始めてしまったので、よろしければ見てやってください(*^-^*)




