51 吸血鬼と魔術師
その後は、ヴォルフの機嫌も直ったようで順調に馬車の旅は進んだ。
ヨエルが時折何か言いたげな顔で俺の方を見てきたが、どうせ文句を言うだけだろうから無視した。
悪いとは思ってるけど、文句なら俺じゃなくてヴォルフの方に言ってくれ!
そして、フリジアからユグランスに入りもうすぐ帰れるというある夜。
ヴォルフとユリエさんが話し込んでいる隙をついて、俺はヨエルに宿の裏手に連れていかれてしまった。
「……何が言いたいかわかるか」
「わかりません」
とりあえずすっとぼけておいた。
だってなんとなく想像はつくけど、自分から言い出すには恥ずかしすぎるんだよ……!
ヨエルよ、お前も頼むからそっとしといてくれよ。それが大人の対応ってもんだろ……!
ヨエルが真剣な顔で近づいてくる。
おいおい、真夜中にちょっとうるさくしたのがそんなに気に障ったのか!?
不覚にもビビってとっさに身を引こうとしたが、その前に強く肩を掴まれる。
そして、ヨエルは俺の首元のチョーカーの紐を引いた。
「えっ?」
「……やっぱりな」
とっさに手で隠したがもう遅い。ヨエルにはばっちり見られてしまったはずだ。
……繰り返された吸血の、証が。
「な、なんで……」
「……お前の元に駆け付けた時、あいつの目が金色になっていた。それに、いくら恋人の危機とはいえ普通の人間があんなに速く走れるはずがない」
ヨエルは淡々と事実を突きつけていく。
「お前、よく貧血になってんだろ。……あいつに飼われてたんだな」
ヨエルは見たことのない冷たい笑みを浮かべていた。
それがまるで知らない人のように思えて一歩後ずさる。
だが、すぐに腕を掴まれて引き戻されてしまう。
「……なぁ、お前は──」
……その続きは聞けなかった。
月明かりを反射し、刃がきらりときらめく。
ヨエルの首筋に、ぴたりと押し当てられた刃が。
「……レーテさんの次はあなたですか。まったく、油断の隙も無い」
いつの間に現れたのか、ヴォルフが背後からヨエルの首筋にナイフを押し当てていた。
少しでも動けば、ヨエルの命はないだろう。
「さっすが。暗闇はお手の持って訳か、吸血鬼」
ヨエルは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに冷笑を浮かべた。
……ばれた。ヨエルにヴォルフが吸血鬼ということがばれてしまった。
…………俺のせいで!!
「やっぱりあなたも、クリスさんを……」
「変な被害妄想してんじゃねぇよ。別にこいつに変な興味があるわけじゃねぇ」
ヴォルフとヨエルは何か言い合っていたが、もう俺の耳には入らなかった。
ばれた。ばれてしまった。
どうしよう、このまま話が広まったら、ヴォルフが殺されるかもしれない……!
「……ます、お願いします!!」
その場に膝をつき、必死に頭を下げる。
俺にできたのは、そんなことだけだった。
「ヴォルフは悪い吸血鬼じゃないんだ。俺以外の血は吸わない。安全なんだよ! だから、だから……!」
ちゃんと説明して、わかってもらわないといけない。
でも、涙があふれてきてうまく言葉にできなかった。
「お願いだからっ、このことは……」
「おいっ、馬鹿頭上げろ!!」
反射的に顔を上げる。すると、いつになく焦った表情のヨエルと目が合った。
「別に俺はこいつの正体を告発しようとか思ってるわけじゃねぇよ! ただ確かめときたかっただけだ!」
「え?」
ヨエルはそのまま俺の腕を引っ張った。ヴォルフも体を支えてくれて、なんとか立ち上がる。
「じゃあ、黙ってて……くれるの?」
「別に俺に害がなければヴォルフリートが吸血鬼だろうが人狼だろうがどうでもいい」
ヨエルはきっぱりとそう答えた。その表情は嘘をついているようには見えなかった。
「お前もなぁ、いきなり派手に頭下げんなよ。ビビっただろ」
「だって……」
ヴォルフが吸血鬼だと知られてしまったら、きっと今のままじゃいられない。
そのことを考えると頭がパニックになってどうしていいかわからなかったんだ。
「それで、さっきはクリスさんに何しようとしてたんですか」
「しつけーな。俺はただ……お前が無理やりこいつを隷属させてんじゃないかと思って、破魔の術を試そうとしたんだが……」
その言葉にヴォルフはむっとしたような顔をした。
ヨエルは呆れたようにため息をつく。
「お前は、自分の意思でこいつに従ってんのか」
俺の方を向いたヨエルは、真剣な顔でそう問いかけてきた。
それならば、ちゃんと答えられる。
「従うとか、そういうんじゃないけど……俺は、自分の意思でヴォルフと一緒にいて、血も吸わせてる。何の問題もない。全部合意の上だ」
「……そういうことです」
俺とヴォルフの言葉に、ヨエルも納得してくれたのだろう。
やれやれと言いたげに肩をすくめた。
「はぁ……お熱いことで」
ヨエルは嫌そうな顔をしたが、すぐに真剣な表情に戻って口を開いた。
「……俺だから別にいいが、気をつけろよ。普通の奴は『はいそうですか』なんて納得してはくれないからな」
「うん……」
それはわかってる。
これは、絶対に知られてはいけない秘密だ。
俺が頷いたのを確認してヨエルは大きく息を吐いた。
……知られたのがヨエルでよかった。やっぱり、なんだかんだでいい奴なんだよな。
しかしそんな俺の評価を裏切るように、ヨエルはにやりと意地の悪い笑みを浮かべたのだ。
「そうだな……黙っててやるから今後は壁の薄い部屋で盛るのはやめろ」
「っ……!!!」
前言撤回。やっぱりこいつは一言多い嫌な奴だ!!
◇◇◇
「……お前、俺が動くように仕向けただろ」
ぼそりとそう呟くと、ぼぉっと馬車の外の風景を眺めていたヴォルフが緩慢なしぐさでこちらへと視線をやった。
その肩には、すやすやと寝ているクリスがのん気な顔で頭を預けている。
詰問するようなヨエルの視線にも動じずに、真正面に座るヴォルフはふっと笑った。
「別に、俺はお前が吸血鬼だろうがなんだろうがいい。ただ……俺を試すようなやり方は気に入らねぇだけだ」
「試すだなんて人聞き悪い」
ヴォルフは素知らぬ顔でしらを切っている。
ヨエルは内心舌打ちした。
「夜中に声聞かせたのもわざとだろ」
「僕にそういう趣味があるという可能性は?」
「……お前の嫉妬深さからして考えづらい。お前はわざとクリスを支配しているように見せかけ、俺を動かそうとした」
馬鹿馬鹿しくなりつつそう言うと、ヴォルフは笑った。
クリスに見せる優しい恋人の顔とも違う、外交上の好青年の顔でもない。
……狡猾な魔族の顔で。
「仮にそうだとして、何か問題でも?」
「……別に、ただむかつくだけだ」
何もかも目の前の吸血鬼の手の上で転がされたなどと腹立たしい。
少しでもクリスを心配した自分が馬鹿みたいではないか。
「別に、俺なんて牽制しなくても何もしねぇぞ」
「それはありがたい。この人はすぐ変な奴を引き付けるので、安心して任せられる人も少ないんですよ」
ヴォルフはそう言うと、愛しげに眠ったままのクリスの髪を撫でた。
その手つきの丁寧さに寒気すら覚える。
……ヨエルには、ヴォルフが理解できなかった。
確かにクリスは愛らしい顔立ちをしている。単純でまっすぐな性格も好ましいと思う者はいるのだろう。
だが……それだけだ。
今のヴォルフの立場でクリスを傍に置くのは、どちらかと言えばリスクの方が高い。
ヴォルフならば、もっと美しく身分も高い令嬢をいくらでも相手にできるだろう。
わざわざクリス一人に執着する理由がわからなかった。
「それだけ好きなんですよ」とあの森番の少年は言っていた。
確かに普段の二人は仲睦まじい恋人同士のように見える。
だが……ヨエルは時折それだけではない、「なにか」を感じていた。
ヴォルフがクリスに向ける視線、態度。その中に潜む、人間の愛情ではない、もっと深く澱んだ「執着」のようなもの。
それが末恐ろしい。理解できない。ゆえに恐怖を感じる。
その片鱗を感じ取るたびに寒気がする。だが、きっと気づいている人間は少ないのだろう。
何故クリスはあんなものを向けられて平然としていられるのだろう。
……これが、人と魔族の違いなのだろうか。
目の前で、ヴォルフは笑っている。
それだけなのに、どこか威圧感を感じる。
「でも安心しました。君はなんだかんだ言いつつ心からクリスさんを心配してくれたようで」
「……よく言うぜ」
涼しい顔で笑うヴォルフにヨエルは深くため息をついた。
ヴォルフはヨエルを試していた。
今回のようにヴォルフの不在時にクリスを任せるに足る人物かどうか、見極めようとしたのだろう。
もし少しでもクリスに手を出そうとしたり、彼女を見捨てようとしていたら今頃ヨエルの命はなかったかもしれない。
吸血鬼に騙されているのではないかと純粋にクリスのことを心配し、ヨエルは行動を起こした。
今こうして生きているということは、その行動がヴォルフからすれば合格だったのだろう。
……まったく、腹立たしいことこの上ない。
「……なぁ、お前は知ってんのか。俺のこと」
「…………君が、王都にいた時のことなら聞いています。でも、僕にとってはどうでもいいんです。クリスさんに危害が及ばなければ」
「……なるほど、熱いのか冷めてるのかわかんねぇな。お前は」
後ろ暗いものを抱えているのはどちらも同じということか。
ヴォルフは何も知らないわけではなく、ヨエルの過去を知ったうえで自分やクリスの傍に置こうとしている。
クリスに向ける情熱的な愛情と、相反するようにどこか冷めた計算ずくの行動。
きっと、彼の中では整合性が取れているのだろう。
……やっぱり、吸血鬼は頭がおかしいとしか言いようがない。
「ん……」
馬車ががたりと揺れ、クリスが小さく声を発した。
だが、そのまま目覚めることなくおとなしく寝ているようだ。
「それで、クリスさんの声聞いてどうでしたか。興奮しましたか」
ヴォルフは世間話でもするような落ち着いた口調でそんなことを言い出した。ヨエルがうっかり口を滑らせるのを狙ったのか、それとも素なのだろうか。
……やっぱりこいつは狂ってる。
ヨエルは静かにドン引きした。
「……騒音でしかない」
慎重に言葉を選んで答えると、ヴォルフは笑った。
その瞳はわずかに金色に染まっている。
そう、ヨエルは別にクリスに特段何か思い入れがあるわけではない。
ない…………はずだ。




