50 人の恋路を邪魔する者は
「王女様!?」
「間に合ってよかったわ、レディ・ヴァイセンベルク。私の口からも一言詫びておきたかったから」
フィオナさんはつかつかとユリエさんに歩み寄り何事か話しかけている。
その光景を眺めていると、レーテとリルカがこっちへと歩いてきた。
「もう、帰っちゃうんだね……」
「いつか、またゆっくり遊びに来るよ」
「そうだよリルカ! リルカもいつでも来てくれよ!」
どこか寂しそうな顔をしたリルカの頭を撫でると、リルカはくすぐったそうに笑った。
久しぶりにリルカに会えてよかった。また離れるのは寂しいけど、大丈夫。
いつでも会いに行けるもんな!
「君たちはいいねぇ、気楽で。僕たちは原因調査にしばらくはここに足止めだよ」
レーテはやれやれといった様子で肩をすくめた。
……そういえば、あの人食い花はなんで暴れだしたりしたんだろう。
「あの地下にあった水晶みたいなの……あれって結局なんだったんだ?」
「さあね。そのあたりも含めてこれから調査予定ってとこだろ」
なんだ。結局何もわかってないのか。
気になると言えば気になるけど、ここからはフリジアの人たちの仕事だろう。
「君も大変だろ。こいつの面倒見るの」
「まったくだぜ」
レーテとヨエルはよくわからない所で意気投合している。
……ちょっと待て、いつだれがだれの面倒見てるって!?
「……あのな。今朝起こされるまでグーグー寝てたのはどこのどいつだ!?」
少なくとも、俺がヨエルの面倒を見てるといった方が正しいはずだ。
そう主張したが、レーテは鼻で笑いやがった。
くそっ……いちいちむかつくなこいつは!!
そんな風に和やかな雰囲気で談笑していると、フィオナさんが何かに気づいたように顔を上げた。
「……あまり引き留めるのも悪いわね。知と賢の女神の名において、あなた方の旅路に祝福を」
フィオナさんが小さく祈りの言葉を述べ、ユリエさんもそれに応えている。
……いよいよ、お別れの時間だ。
「くーちゃん、ヴォルフさん、ヨエルさん。色々ありがとうございました……!」
「また手紙書くよ。色々話したいこともあるしさ!」
ちょっと瞳を潤ませて近づいてきたリルカを強く抱きしめる。
……駄目だな。俺まで泣きそうだ。
「あぁ、クリス。ちょっといいか?」
しんみりした気分に浸っていると、レーテがいたずらっぽい笑みを浮かべて手招きしてきた。
そのまま近づくと、肩に手を置かれる。
次の瞬間、強い力で柱に押し付けられた。
「……いいものあげるよ」
そう囁いて、レーテの顔が近づいてくる。
数年前まで毎日鏡で見ていた顔が至近距離に近づいてきて、俺は固まってしまった。
そして、唇が触れる。
……ほっぺた、というには唇に近すぎる場所に。
「面白いものが見れるんじゃない?」
吐息がダイレクトに感じられる距離で、レーテは笑った。
その笑みに鼓動が高鳴る。……いやいやいや、相手はレーテだぞ!? 昔の自分だぞ!!?
やばい、意味が分からなすぎる。今の状況も、レーテの行動も……!
戸惑う俺が面白かったのか、レーテはまた笑いながら顔を近づいてくる。
次の瞬間、地を這うような低い声が聞こえた。
「……おい、何してる」
レーテの背後、そこには……射殺しそうな目でレーテを睨みつけるヴォルフがいたのだ。
「何って、別れの挨拶だけど」
「あんたはそんな柄じゃないだろ」
「君にもしてあげようか?」
「黙れ、殺すぞ」
ヴォルフの言葉に、レーテは馬鹿にしたように笑った。
……それが、引き金だったんだろう。
次の瞬間、ヴォルフがレーテを蹴り飛ばそうとした。だが、レーテもその動きを予測していたのかひらりと後退し嘲るように笑ったのだ。
「そんなに悔しいならさぁ、ちゃんと捕まえときなよ!」
逃げるレーテをヴォルフが追う。
レーテは器用に空いていた窓から外へと身を躍らせ、ヴォルフも舌打ちしながらレーテを追っていった。
……俺は、ただぽかんとその様子を眺めていることしかできなかった。
「……はぁ、まったく、やりかたってもんがあるでしょうに……」
「まだまだ子供ね……」
フィオナさんとユリエさんは痛む頭を押さえるように大きなため息をついていた。
「これが、修羅場っていうものなんだね……!」
リルカはなぜかキラキラした瞳で嬉しそうにそう呟いた。
いやいや、そうじゃないと思うぞ。
そうじゃない……よな?
「はぁ、ヴォルフリートが戻ってきたらちゃんとフォローしとけよ」
「え、やだヨエル助けてよ」
その時になって、俺はやっとヴォルフが何かさっきの行動を誤解してるんじゃないかということに思い当たった。
まったく、レーテが変な悪戯をするからだ! でも、さっきのヴォルフはマジギレしてたみたいだし……ちょっと帰ってきた時が怖い。
助けを求めたが、ヨエルは目を逸らしやがった。薄情な奴め……!
◇◇◇
帰りの馬車の中、空気は最悪だった。
俺の隣、ヴォルフは明らかに不機嫌です、と言いたげなオーラを放っている。
結局レーテに逃げられたみたいだし、イライラが溜まってるんだろう。
正面に座るヨエルは寝たふりをしてる。おい、起きてんのはバレバレだぞ。
俺は何かヴォルフに話しかけようとして……結局なんて話しかけていいのかわからなくて口を閉じる、を繰り返していた。
まったく、レーテの奴……なにが「いいものあげる」だ! お前のせいで滅茶苦茶気まずい空気になってんだろ!!
結局、気まずい雰囲気のままその夜泊る予定の宿に着いてしまった。
そして、その夜。
「……僕が、なんで怒ってるのかわかりますか」
……俺は、ご主人様に夜這いを掛けられていた。
隣の部屋誰だっけ、確かヨエルだったっけ。まぁ、あいつなら最悪なんとかなるか……。
「聞いてますか、クリスさん」
「うぁっ……!」
抑え込まれて逃げるに逃げられない。抵抗を封じるその力の強さに、束縛に、ぞくぞくと体が震えてしまう。
「……答えろ」
「ま、まって……!」
やばい、怖い。
普段温厚な分、ヴォルフがキレた時は俺でも結構びびってしまう。
恐怖に混乱しそうになる頭で、なんとか答えを考える。
「レーテ、が……変なこと、したからっ……!」
「……キス、してましたよね」
「してなっ……はぁっ……!」
答えろ、とか偉そうに言ったわりにはまったく答えさせてくれる気がない。
それでも、なんとか誤解を解こうと必死に頭を働かせた。
「あいつの……冗談で、口じゃ、なかったし……」
「……冗談じゃない。あの人、僕からあなたを奪おうとしてる」
……そんなわけない。少なくともレーテが俺に対してそんな感情を抱くはずがない。
「つぅっ……!」
物凄い力で手首を掴まれ、痛みに小さく悲鳴が漏れる。
ヴォルフは俺の答えを聞く気がないのか、聞きたくないのか、まともに答えさせてはくれないようだった。
……なんか理不尽だ。そう思った途端、前に見た光景が蘇る。
ヴォルフに話しかけるかわいらしい女の子。ヴォルフも、人食い花の襲撃から必死に彼女を庇っていた。
あの子がヴォルフに駆け寄って、みんなに祝福されて……!
「……まえ、だってっ……! 俺よりも、あの子が……いいくせにっ……!」
「はぁ?」
「い、いつか……俺のこと、なんて……すてる、んだろ……!」
一度口に出すと、もう止まらなかった。
いつか来るかもしれない未来。それが、確かな光景となって目の前に現れたから。
必死に抑え込んでいた。ヴォルフを信じようと思っていた。
……でも、駄目だった。あの光景を思い出すだけで嫉妬で狂いそうになる。
怖い、ヴォルフが離れていくのが怖い。俺じゃない誰かを選ぶことが怖い。
見たくない、考えたくない、知りたくない、怖い、怖い……!
「……泣かないでくださいよ」
いつの間にか、俺はみっともなく泣いていた。
ヴォルフがあやすように溢れた涙を舐めとる。その優しい態度に、少しだけ気分が落ち着いた。
「……別に、彼女とはなんでもないんです。目の前で傷つきそうな人がいたら、あなただって助けるでしょう」
「んっ……、でも……みんな、みんなおにあいだって、思ってる……!」
「……クリスさん」
頬を手のひらが滑ったかと思うと、呼吸ごと封じるかのように深く口づけられた。
互いの体温を分け合い、一つになる。
……考えてることとか、隠してるものとか、全部伝われば簡単なのに。
「……周りなんてどうでもいい。僕には、あなたがいてくれればいい」
ヴォルフがぽつりとそうこぼした。
……その言葉だけで、俺がどれだけ舞い上がるかなんて、こいつは知ってるんだろうか。
「……俺も」
全身でぎゅっと抱き着く。
絡まって、離れないように。
「…………すき。すき、だよ」
もっと、かっこいい言葉とか、じーんと来るようなセリフとかが言えればいいのに。
今の俺には……これが精一杯だ。
せめて思いが伝わるようにと、ぎゅっと手を握って、指を絡ませ合う。
触れ合って、繋がって、交じり合う。
この瞬間だけは、間違いなく俺のことを見て、感じてくれている。
……それだけで、ひどく安心した。
結局は、何も解決してないような気もするんだけど。
「……ゆうべはお楽しみでしたね」
翌朝、開口一番ヨエルはそう言って中指を立ててきた。
「お前ら状況わかってんのか!? ったく、何度壁殴ってやろうと思ったことか……」
「それはすみませんでした。あっ、クリスさん。口の端にジャムついてますよ」
「え、どこどこ?……ひゃあ!」
「……ごちそうさまでした」
「もぅ、ばかぁ……」
次の瞬間、ヨエルは俺たちに向かって盛大に水をぶっかけてきた。
50話到達です!
しかしまだ序盤という恐怖……。




