49 遠くて近い人
疲労困憊の体を引きずりながら城を出ると、外にいた人たちが一斉に詰め寄ってきた。
「あの人食い花は!?」
「大丈夫だ。もう動いてない」
レーテがそう答えると、集まっていた人々の間から歓声が上がる。
その時、人ごみをかき分けるようにしてフィオナさんとリルカがやってくるのが見えた。
「まったく、いきなり飛び降りるなんて! どんだけ心配したと思ってんのよ!」
「はは、危険手当の上乗せ頼むよ、姫様」
レーテは欠片も反省していない口ぶりでそんなことをほざいていた。
……まぁ、こいつは変わらないな。
「くーちゃん、大丈夫……?」
「うん、もう安心していいぞ、リルカ!」
心配そうに眉を寄せたリルカにそう言って笑うと、リルカもやっと控えめな笑みを見せてくれた。
……随分心配かけてしまったみたいだ。ちょっと反省だな。
そう思った時、俺の方を振り向いたフィオナさんがいきなり眉を吊り上げた。
「ちょっと! あんたすごい格好になってるじゃない!」
「あの……これは色々ありまして……」
「……来なさい。髪だけでも直すわ」
フィオナさんは羽織っていた上等そうなショールを色々破れて悲惨な状態の俺の上半身に巻き付けると、そのまま俺を物陰に引きずっていき乱れた髪を梳き始める。
「フィオナさん! 俺汗とかかいてますし……こんな高そうなの汚れます!!」
「……人食い花の討伐報酬よ。そういうことにしておきなさい。あんたにあげるわ」
おそるおそる肩にかけられたショールに触れると、今まで感じたことのないほど滑らかな生地の感触が伝わってきた。
おぉ……いいんだろうかこんなものを貰っても。でも、せっかく頂いたのなら突き返すのも逆に失礼な気がする。ここは、ありがたく貰っておいてもいいのかな。
フィオナさんが慣れた手つきで髪をまとめてくれている。男とは違う繊細な手つきと、かすかに漂う甘い香りに思わずドキドキしてしまう。
……いかんいかん! 雑念を追い払おうとぎゅっと目を閉じると、その途端高い声が聞こえてきた。
「ヴォルフリート様、ご無事ですか!?」
思わず目を開けると、ヴォルフに駆け寄る年若い女の子の姿が目に入る。
あの子は……そうだ。祝賀会の会場でヴォルフと話してて、人食い花に襲われかけたところをヴォルフに助けられた子だ……!
綺麗なドレスを身に纏った少女は、目に涙を浮かべてヴォルフの前までやってきた。
「私、ヴォルフリート様に何かあったら、どうしようかと……」
「……大丈夫です。僕も、他の皆も無事に戻ることができましたので」
ヴォルフが微笑むと、少女は感極まったのかわっと泣き出した。
……まるで、劇か何かのシーンのようだった。
それだけ、見るものを納得させる何かがそこにはあったんだ。
あたりに暖かな空気が流れ、ユリエさんや他の招待客も近づいてきて何事かヴォルフに話しかけている。
多くの人に囲まれているヴォルフ。それが、とても自然な光景に思えた。
……また、遠くなる。
「うっざ。かっこつけすぎだろ」
人が集まってきたのが鬱陶しかったのかぶつぶつ言いながらレーテが俺たちの方へとやってきた。
その後ろにはリルカとヨエルもいる。
「ほら、できた!」
フィオナさんが形を整えるようにぎゅっと髪の毛を引っ張る。
いつの間にか、乱れた髪の毛はフィオナさんの手によってまとめられていた。
「あ、ありがとうございます……」
礼を言いつつも、俺の視線はヴォルフから離せなかった。
その様子を心配そうに見ていたリルカがぽそりと呟く。
「なんていうか……ヴォルフさんなのに知らない人みたい」
「……そうだな」
一緒にあちこちを旅して、色々なものを見て、色々なものと戦って、一緒に馬鹿なことだってたくさんした。
そんな俺たちの知ってるヴォルフと、今見ているヴォルフはどこか別人のように思えてならなかったんだ。
そんな違和感を覚えているのは、俺だけではなくリルカもそうなんだろう。その声は、どこか寂しそうだった。
「……貴族や王族には、表向きの顔と裏の顔があるものよ」
フィオナさんが言い聞かせるようにそう口に出した。
表の顔と裏の顔。ヴォルフにとっては、どっちが表でどっちが裏なんだろう……。
「あのさ……」
レーテがぼそりと口を開いたが、すぐにまた閉じてしまった。
続きを促したが、レーテは首を横に振った。
「今はいいや」
「……そっか」
何を言おうとしたか気になったが、それ以上の追及はやめておいた。
……なんていうか、疲れてしまったんだ。
「さて、そろそろ事態の収拾をつけるべきね」
フィオナさんは立ち上がり、集まった人々に、もう脅威は去ったので今夜のところは皆宿に戻るべきだと説明している。
さすがは王女様。その言葉には妙な説得力があった。
「……俺たちも戻るぞ。まったく、早く寝たいぜ」
「…………うん」
ヨエルがせかすように俺の背を押す。
ヴォルフと少女の方を見られなくて、俯きながらその場を後にした。
◇◇◇
「……何か、おもしろいことでもありましたか? テレーゼ様」
人目を忍ぶようにして進む馬車の中、傍らの従者に問いかけられテレーゼ・イェーリスは唇に弧を描いた。
「えぇ、殿下への良い土産話ができたの」
「あの若者たち……ですか」
地下で相まみえた人食い花を倒した若者たち……彼らに会ってから、テレーゼは妙に機嫌がよかった。
「あの警備兵に扮していた青年……彼は……」
「……そうね。でも、彼の背後にはフリジアの王族がついているわ。妙な詮索はよした方がいいでしょう。……少なくとも、今のところは」
「残りの三人。ヴァイセンベルク公の令息に従者が二人。魔術師の方はヴァイセンベルク公の側近の縁者でしょう。魔力の質がよく似ている」
「そして、もう一人の娘……」
テレーゼは静かに傍らの杖を撫でた。
あのヴォルフリート・ヴァイセンベルクの従者の少女に貸していたものだ。
「……あの娘、かすかに南部の訛りがありました。おそらくは、ミルターナから来た者ではないかと」
「ミルターナ聖王国……花女神の国……」
かつて邪神の降臨によって大きな被害を受けた国。
かの国は、今も姿を消した勇者と聖女を探し求めているという。
突如表舞台に現れた、ヴァイセンベルク家の三人目の息子。
そして、聖王国よりやってきた神聖術に優れた娘……。
「おもしろいことに、なりそうね」
◇◇◇
翌朝、珍しく起こされる前に自然と目が覚めた。
軽く身だしなみを整え、ぐーすか寝ていたヨエルを起こし食堂へと向かう。ヴォルフは、すでに起きているのか部屋にはいなかった。
食堂へ入ると、ユリエさんとヴォルフと品のよさそうな紳士が話し込んでいるのが見えた。
「あの人……」
そう言えば、あの人は見たことがある。
昨夜、一番最初に人食い花に食べられそうになった人だ。
「たぶん、あの人なんだろ。今回の祝賀会の主役は」
「あぁ、そういうことかぁ……」
彼は済まさなそうに何度も頭を下げ、ユリエさんが慌てたように紳士を宥めていた。
彼のせいではないと思うけど、自分が主役の会であんな事件が起きたとなると責任も感じるのだろう。
「顔を上げてください、先生。皆無事だったのです。それでよいではありませんか」
「あぁ、ありがとうユリエ……。まったく、あんなに本の虫だった君が今や次代のヴァイセンベルク夫人とはわからないものだね」
「もう、からかわないでください!」
憤慨するユリエさんに紳士が笑う。和やかな雰囲気が取り戻され、見ていた俺もほっとした。
紳士はヴォルフにも何事か声をかけ、ユリエさんとヴォルフ、二人と固い握手を交わしていた。
それが済むと、何度も頭を下げつつ従者を引き連れ忙しそうに宿を出て行った。
……もしかして、まだこの街に残ってる招待客のところを回ってるのかもしれない。
「おはようございます。気分はどうですか?」
俺とヨエルに気づいたのかヴォルフが近づいてくる。
いつもと変わらないその態度に、自分でも驚くほど安心した。
「大丈夫。一晩寝たらすっきりしたよ」
「俺はまだねみぃ」
ヨエルは何度も欠伸を繰り返しているがこいつは放っておこう。
ヴォルフも、いつもと変わりがない。……本当に、みんな無事でよかった。
「先ほど事情を聞きましたが、昨夜の事件の詳しい捜査などはこれからフリジアの魔術師たちが行うようですね。義姉さんとも話したんですが、これ以上僕らがここにいてもできることは少なそうなので今日中に帰路に着くとのことでした」
「そうだな、それがいい」
ヨエルは欠伸を噛み殺しながら同意した。
俺も、帰ると聞いて少しほっとした。先にお土産買っといてよかったぁ……。
そうして、俺たちヴァイセンベルク家の一行は午前中にはこの街を後にすることになった。
皆が揃ったのを確認していざ出発……という時になって、あわただしく宿の扉が開く。
「よかった、まだいたわね……!」
そこにいたのは、珍しく息を乱したフィオナさんと、その後ろに控えたレーテとリルカだったのだ。




