48 思わぬ助け
「お前っ、奥方や他の招待客は!?」
「あらかた避難は終えています。元凶をどうにかしないと安心できないでしょう」
慌てて駆け寄ってきたヨエルにそう説明すると、ヴォルフは俺の方へと向き直った。
「……怪我は?」
「ううん、大丈夫……」
なんとか咳き込みながらも立ち上がる。
全身が痛いけど、まだ体は動いてくれそうだった。
……ヴォルフが来てくれた。
それだけで、さっきまでの恐怖とか不安とかが消えて、何でもできるような気になってくるから不思議だ。
駆け寄ってきたヨエルは俺たちの姿を見て一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに人食い花の方を睨みつけている。
「あの水晶を破壊したい。だが魔法は変な壁に弾かれる。クリスの神聖魔法ならなんとか通る状態だ」
「直接叩き割るのは」
「試してないよ。やってみたらどうだ?」
レーテがそう言うやいなや、ヴォルフは走り出した。
鞭のようにしなる蔓の間を走り抜け、水晶へと切りかかっていく。
……だが、その直前でヴォルフの振りかぶった剣までも薄紫の壁に弾かれていた。
「ちぃっ!」
蔓が異物を排除しようと暴れまわる。
ヴォルフは苦い表情で後退した。
「やっぱり、クリスさんに頼るしか……」
「大丈夫、やってみせる」
そう宣言すると、三人は頷いてくれた。
意識を集中させ、呪文を唱えようと大きく息を吸う。
その時だった。
「お待ちください」
聞きなれない、よくとおる涼やかな声がその場に響いた。
俺たちはいっせいに振り返る。そして、思わず息をのんだ。
俺たちが通ってきたこの空間の入り口。そこに、いつの間にか三人の見慣れない人物がいた。
いや……一人には見覚えがある。
つややかな長い黒髪。あでやかな紫紺のドレス。
一瞬で視線を引き付ける、妖艶な笑み。
「レディ・イェーリス……」
ヴォルフが呆然と呟く。
そこにいたのは、先日偶然見かけた……ユグランスの皇太子の寵姫の一人だったのだ。
「危ないっ!」
彼女の存在に気づいたのは俺たちだけではなかった。
新たな乱入者を排除しようと、蔓が彼女に向かって襲い掛かる。
俺たちはいっせいに止めに入ろうとした。だが、その心配はなかったようだ。
彼女の背後に控えていたお付きの一人が低い声で呪文を唱える。その途端小さな炎が蔓を襲い、怯んだすきにもう一人が切りかかり蔓を切り落としていた。
その様子を見届け、寵姫テレーゼはコツコツとヒールの音を立てながら優雅にこちらへと歩いてくる。
その優雅な足取りに、まるで古い石造りの空間がダンスフロアにでもなったかのような錯覚を起こされる。
「こちらを、お使いください」
俺の前で立ち止まったテレーゼは、すっと上等な杖を差し出してきた。
戸惑う俺の手を取り、彼女は杖を握らせる。
「儀式用の物ですが、何もないよりはましでしょう」
そして、彼女はあでやかな笑みを浮かべた。
「……何故、あなたがここに」
「おそらくは、貴方がたと同じかと。この事態、元凶を放置すれば更に被害が拡大する恐れがありますので」
訝しむようなヴォルフに、テレーゼは当然だとでも言いたげにそう答えた。
……皇太子の寵姫って言うと、きっとそれなりの地位の人なんだろう。それなのに、彼女は危険を承知でここまでやってきた。これから起こりうる悲劇を止めるために。
彼女は他国の人間で、招待客で、本来なら守られるべき人のはずなのに……!
俺はちょっと感動していた。
彼女は、俺たちと同じ志を持っているんだ……!
「しかし、我々の力ではあまりお役には立てないようですね……。なので、せめてそちらのレディへと」
今一度テレーゼが手渡してくれた杖を見下ろす。
精巧な装飾が施された、美しい杖だ。
「……はい!」
彼女の思いを無駄にはしない。
杖を受け取ると、暴れる人食い花を見据える。
「さあ、我々も彼女の援護を!!」
テレーゼは自らも襲い来る蔓に対して応戦し始めた。
ヴォルフたち三人、テレーゼとお付きの二人。
みんな、俺が呪文を唱える時間を作ってくれている……!」
「……罪には罰を」
呪文を唱え、魔法を作り出すには意識を、精神を集中させなければならない。
当然、その間は無防備になってしまう。
他のことに気を取られていれば、その分完成した魔法の威力は落ちるだろう。
「大地を穢すものに報いを」
蔓の攻撃は気にしない。だって、みんなが防いでくれているから。
そう信じているから、一切の回避行動はとらなかった。
ただひたすらに、祈り、念じ、詠唱を続ける。
テレーゼが手渡してくれた杖に、どんどんと力が集まってくる。
彼女の思いを、決意を無駄にはしない……!
「…………撃ち砕け!“裁きの雷よ!!”」
万感の思いを込めて、裁きの雷を放つ。
予想通り水晶を守るように薄紫の壁が現れる。だが、雷はその壁を突き破った。
轟音、そして何かが砕け散る音が響き渡る。
雷が消え去り、あの怪しげな水晶は……細かく砕け散っていた。
これなら、もうあの変な壁に邪魔されないはずだ!
「今です! 畳みかけましょう!!」
テレーゼがそう呼びかけ呪文を唱え始める。すぐさま蔓が彼女を排除しようと襲い掛かってきたが、お付きの二人に阻まれていた。
「…………出でよ、“炎獄嵐!”」
テレーゼの放った炎が怒れる人食い花へと襲い掛かる。
巨大な百合のような花びらが炎上し、人食い花は苦しげに暴れだした。
「はっ、負けてらんないね!!」
テレーゼに対抗心を燃やしたのかレーテが別の花へと走り出す。そしてその巨大な花弁を切り落とすと同時に雷撃を浴びせていた。
人食い花も劣勢を悟ったのか、最後の悪あがきとばかりに激しく暴れだした。
そして、その矛先が先ほど水晶を壊した俺へと向けられる。
いくつもの蔓が、花びらが、俺をめがけて襲い掛かってくる。
……でも、心配はいらない。
即座に作り出した光の壁が蔓を弾き、怯んだところにヨエルが魔法を打ち込み、ヴォルフが切り裂いていく。
暴れる人食い花の動きがだんだんと鈍くなっていく。
「……終わりだ」
最後の一押しとばかりにひときわ大きな薔薇のような花弁へと、ヴォルフが懐からナイフを放つ。
ナイフが刺さった次の瞬間、人食い花は花弁から順番にぴしぴしと凍り付いていく。
そして数秒後には、見事な氷の花の彫刻が完成していた。
……俺たちの勝ちだ!
「こういうのなんていうんだっけ。プリザーブドフラワー?」
「……いや、違うんじゃねぇか」
適当なことを抜かすレーテに、ヨエルが呆れたようにため息をついてその場に座り込んだ。
俺も一気に緊張が解けてその場にへたり込んでしまう。
「……大丈夫ですか?」
隣に座ったヴォルフが心配そうに問いかけてくる。
本当はいろいろしんどかったけど、俺はなんとか笑顔を返した。
「うん、お前が来てくれたし……ああぁぁっ!!」
突如大事なことに気が付いて立ち上がると、ヴォルフは驚いたように肩を跳ねさせた。
「な、なんですか!?」
「ま、待って……こっち見んな!」
「は?」
「だって……服とか、髪とかぐちゃぐちゃだし、化粧も落ちてるだろうし……」
あの人食い花と戦ったり、蔓につかまったりしている間に、服は破けるし髪の毛はほどけるし、たぶん化粧も落ちているだろう。
ここに鏡はないから確認できないけど、ひどい姿になってるのは間違いない!
みっともない姿を見せたくなくて必死に顔を背けると、背後から苦笑するような声が聞こえた。
そして、優しく肩に手が置かれたかと思うと、耳元で囁かれた。
「……少なくとも、僕の前ではそんなことを気にする必要はありませんよ。人々のため必死で戦うあなたは、どんなに着飾った人よりも美しい」
……やっぱり、たまにこいつは頭おかしいんじゃないかって思うことがある。
でも、一番おかしいのはそんな言葉に喜んでる俺自身なのかもしれない。
一人で照れていると、ぱちぱちと小さな拍手の音が聞こえた。
振り返ると、テレーゼがにっこりと笑いながら上品に手を叩いている。
「これで一件落着、ですわね」
彼女はぐるりと俺たちを見回すと、優雅に膝を曲げ、それ素の裾を持ち上げ礼をした。
……よく見ると、彼女は俺と違って服も髪もほとんど乱れていない。その美しい顔には一点の曇りもない。
さすがは皇太子の寵姫、というべきか。
「さすがは誇り高きヴァイセンベルク家のご子息ですわ。お父上も貴方を自慢に思ってらっしゃることでしょう」
……きっと、テレーゼに悪気はないんだろう。彼女はヴォルフを褒めようとしただけなんだ。
だが、その言葉を聞いた途端ヴォルフは顔を引きつらせた。
「いえ……ご無事で何よりです。レディ・イェーリス」
結局、ヴォルフは固い声でそう口にしただけだった。
だが、テレーゼは気にする様子もなく今度は興味深げな視線をレーテに向けている。
「それに、貴方様のご活躍も見事でした」
「……僕はあくまで兵士として任務を全うしただけです。それ以上でもそれ以下でもありません」
「ふふ、ご謙遜を。あなたほどの御方が一介の警備員とは……実に勿体ない」
「いや、これが性に合ってるもので」
……やっぱり、レーテは「勇者」として名乗り出るつもりはないみたいだ。
だったら、俺が口を挟めることじゃない。
テレーゼはもう一度俺たちに向かってお辞儀をすると、どこか困ったように笑った。
「ところで皆さま……ここに私がいたということは、どうか内密にしていただけないでしょうか」
「えっ、どうしてですか?」
この人食い花を押さえられたのは間違いなく彼女の助力あってのものだ。
外に出てフィオナさんあたりに話せば、間違いなく彼女だって称賛されるはずなのに。
「実は、殿下からこういった危険な行動は慎むようにとよく言いつけられていたのです。それを破ったなどと知られれば殿下に叱られてしまいますわ」
テレーゼはそう言って悪戯っぽく笑った。
その様子に、なんだか俺までも笑えて来てしまう。
最初に寵姫だって聞いた時はとんでもない人だと思ったけど、彼女は俺たちと同じく、人々のことを思って
いてもたってもいられなくて危険な場所へと来てしまうような人なんだ。
……ちょっと、彼女を誤解していたのかもしれない。
「はい、約束します!」
自分の行動を称賛されることよりも、もっと大事なことがある。
その気持ちはよく分かった。
だから、貸してもらった杖だけ返してここは彼女を見送ることにした、
「それでは皆様、御機嫌よう」
テレーゼはもう一度優雅に礼をすると、お供の二人を引き連れてさっそうとこの場を後にした。
俺は、どこか誇らしい気分でその背中を見送っていた。
「……なんだ、あの女」
「失礼だぞ、レーテ。あの人はユグランスの偉い貴族で、皇太子の寵姫なんだから!」
「寵姫……ね」
レーテはどこか腑に落ちないような顔をしながらも、テレーゼの背中を見送って大きく息を吐いた。
「それじゃあ、僕たちも戻ろうか。あんまり遅いとお姫様が乗り込んで来かねないからね」
それは大変だ。俺たちも早く帰らないと!
人食い花はもう動いてはいない。しばらくは放置しておいても大丈夫だろう。
事件の細かい究明は、きっとフリジアの魔術師たちの仕事になるだろう。
……今は、とにかくゆっくり休みたい。
最後にもう一度凍り付いた花を振り返り、俺もその場を後にした。




