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逃げ出した聖女、北の地で吸血鬼のメイドになる  作者: 柚子れもん
第2章 勇者と寵姫とひきこもり
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46 綺麗な花にはご用心

 着飾った人の中を進み、扉が開け放された大広間の前へとたどり着く。

 中をのぞくと、煌々と輝くシャンデリアの下で多くの人が談笑していた。


「お姫様は……あそこだな」


 レーテの視線の先を追うと、確かにそこにはフィオナさんがいた。

 多くの人に囲まれ、朗らかな笑顔を浮かべている。さすがはお姫様。こんな場でもまったく物怖じしていない。


「ヴォルフたちは……あそこか」

「えっ、どこどこ?」


 レーテが指差した先を探し、やっとその姿を見つけることができた。

 ヴォルフとユリエさんは……フィオナさんと同じく、多くの人に囲まれていた。


「今日はフリジアの貴族もたくさん来てるからね。なんとしてもヴァイセンベルク家とパイプを繋いでおきたいんだろ」


 訳知り顔でレーテがそう呟く。

 視線の先で、周囲の人が何かを言い、ヴォルフとユリエさんが笑う。……本当に、楽しそうに。

 ヴォルフの隣に立っていた綺麗な女の子が、何事かヴォルフに話しかけた。

 ……淡い色合いのドレスがよく似合う、清楚で可愛らしい女の子だ。

 ヴォルフが微笑んで女の子に何事か答えている。


 すごく、お似合いだった。

 ……まるで、一枚の絵画のように。


 俺は、ただその光景を突っ立って見ていることしかできなかった。

 着飾った人々、洒落た会話、何もかもが煌びやかな世界。


 その光景を見ていると、どうしようもなく胸が痛む。


 ……これは、俺には入り込めない領域だ。

 でも、それが……ヴォルフの生きる世界なんだ。


「僕たちは一応会場内の見回りをするけど……君たちはどうする?」

「……外、みてる」


 なんとかそう口にすると、レーテはじっと俺のことを見ていた。

 だが、何も言わずそのまま背を向ける。


「行くぞ、リルカ」

「は、はいっ!」


 リルカは何度か心配そうにこちらを振り返りながら、レーテの背中を追っていった。

 やがて、二人の姿は人ごみに紛れ見えなくなってしまう。


「……俺たちは外の見回りでもするか」

「…………うん」


 ヨエルに促され、その場を後にする。

 背後から聞こえてきた楽しそうな笑い声に、どうしようもなく心がざわめいた。


 それなりに大広間の外を見回ったが、特に怪しいものは見つからなかった。

 廊下に置かれているソファに座って一息つくと、すっとグラスが差し出される。

 顔を上げると、ヨエルがじっと俺を見下ろしていた。


「ほら、飲め」

「あ、ありがとう……」


 珍しく優しい。何かあったんだろうか。

 ちょっと気になるが、ありがたくいただいて口に運ぶ。

 甘めの果実酒は、いつの間にか乾いていた喉を潤してくれるようだった。


「特に何事もなく終わりそうだな」

「うん……」

「帰りはまた何日も馬車に揺られるのか、嫌になるぜ」

「うん……」

「…………」


 ヨエルの話に相槌を打ちつつも、俺の心によぎるのは先ほど見たヴォルフの姿だった。

 一緒にいた女の子、可愛かったな。身なりからして、やっぱりあの子も貴族なんだろうか。

 ユリエさんは俺とヴォルフをお似合いだなんて言ってくれたけど、俺なんかよりもよっぽど……


「……怖気づいたか」

「えっ?」


 思わぬ言葉に顔を上げると、ヨエルはしてやったり、とにやりと笑った。


「まあ無理もない。お前みたいなアホメイドには踏み込めない世界だろうからな」

「……そうだね」


 もう怒る気にもなれない。

 ヴォルフの傍で、メイドとして頑張ろうと俺は思っていた。

 ……でも、何もかも無駄だったような気がしてしょうがないんだ。


「なんていうかさ、遠いな……って思って」


 距離としてはそう離れていたわけでもないけど、さっきは随分とヴォルフが遠くに感じた。

 同じ世界にいるはずなのに、まるで別々に隔てられた空間にいるようだった。

 どんなに頑張っても、俺はヴォルフの傍に行くことはできない。

 そう思ってしまった。それに耐えられなくて……逃げ出したんだ。


「……お前にとっては、さっきのヴォルフリートと普段のヴォルフリート、どっちが本物だ?」

「えっ?」


 ヨエルは突然わけのわからないことを言い出した。

 聞き返してみても、ただ「答えろ」とだけ返されてしまう。


 ……さっき見た、どこか遠いところにいるようなヴォルフと、いつもの俺に構ってくれるヴォルフ。

 どちらが本物かなんて……


「そんなの、どっちも本物だろ……」


 普段の姿も、さっきの姿も、どっちもヴォルフには変わりない。

 そう答えると、ヨエルはなぜか満足そうに笑った。


「そうだ、当たり前だな。さっきの気取ったあいつも本物だが、普段の鬱陶しいくらいお前に甘いあいつも本物だ」

「……そんなに甘いかな」

「激甘だ。俺が何度殴り倒したくなったことか」


 呆れたように言われ、ちょっと恥ずかしくなってしまう。

 そんなに甘いのか……。


「……あー、つまり何が言いたいかって言うと、普段のあいつのお前への態度だって嘘じゃないんだ。お前は、もっと堂々と構えてればいいんじゃねぇの」

「……でも、怖い」

「…………はぁ、めんどくせぇ。俺から見りゃああいつはうざいくらいお前のことしか見えてないと思うけどな。ほら、よく言うだろ。蓼食う虫も好き好きって」

「……さりげなく馬鹿にすんなよ」

「ばれたか」


 ヨエルはそう言っていたずらっぽく笑った。

 ……なんだかんだ言って、こいつは俺を励まそうとしてくれてるんだろう。

 ヨエルの言葉が本心なのか俺を慰めようとして適当なことを言ってるのかはわからない。

 でも、今は信じてみたかった。

 ヴォルフだって、きっと戻ってきたらいつもの顔を見せてくれるはずだ。

 ……うん。沈んでたら思考がどんどん嫌な方へと流れて行ってしまう。今は楽しいことを考えよう!


「ありがと、ヨエルって結構優しいんだな!」

「はぁ? 気持ち悪いこと言うな馬鹿メイド」


 素直に礼を言うと、ヨエルはいつも通り辛辣な言葉を返してきた。

 まったく、この照れ屋さんめ!


「もう一回会場の様子も見とくか。まぁ、さっきの様子じゃ何もなさそうだけどな」

「そうだな」


 気を取り直して立ち上がる。

 今は悩んでいても仕方がない。俺にできることを精一杯やってみよう。

 とりあえずは、この祝賀会が無事に終わるようにしないとな!


 二人で再び会場へと戻ってくる。

 すると、中央に先ほどまではなかった不思議なものが見えた。


「あれは……花?」


 会場の中央に巨大な花瓶……のようなものが置かれており、その中からこれはまた巨大な植物が天井へと大きな花を咲かせていた。

 皆がその花に注目しており、人の好さそうな顔をした紳士が何事か解説しているようだった。


「……かなりの魔力を感じる。おそらく、誰かが作り上げた『作品』だな」

「へぇ……」


 まあ普通に考えてあんな大きな植物なんて、人為的にでも作らなければ難しいだろう。

 今回招待された魔術師の誰かが作り出したものなのかな。もしかしたら、今日の祝賀会の主役のユリエさんの恩師かもしれない。


 笑顔で解説を続けていた紳士が花に向かって呪文のようなものを呟いた。

 その途端、閉じていた蕾がぐぐっと開き、あたりに甘やかな香りが溢れ出した。


「すっごいフローラル……」

「まさかとは思うが、こんなんが評価されて受勲したんじゃねぇだろうな……」


 呆れたようなヨエルの呟きとは裏腹に、会場から盛大な拍手が沸き上がる。紳士が嬉しそうに何度もお辞儀をしていた。


 ……その後ろで、再び花が動き出した。


「…………え?」


 茎が曲がり、チューリップのような形の花が紳士の真上に近づく。紳士は気づいていないのか、まだ嬉しそうに手を振っている。



 そして次の瞬間、花びらがくわりと開き……紳士の上半身を飲み込んだのだ。



「なっ……!」


 人々の間から悲鳴が上がる。

 花びらの下から延びる足がじたばたともがいている。まるで、捕食される寸前の動物のようだった。

 そのまま、花が茎を持ち上げ、紳士の体も持ち上がる。

 ……え、これってやばくない!?



「まさか……丸呑みにする気か!」

「えぇっ……!?」


 情けないことに、俺はただ固まってその光景を見ていることしかできなかった。

 そして、哀れな男性の体が飲み込まれる寸前──


「“雷撃ライトニング!”」


 レーテの鋭い声が響いた途端、雷光が茎を撃ち抜き、ちぎれた花弁ごと紳士の体が落下する。

 すぐに、何人かの人が助けに向かったようだ。

 だが、事態はそれだけでは終わらなかった。


「きゃああぁぁぁぁ!!」


 人々の間から悲鳴がいくつも上がる。

 中央の花瓶をなぎ倒し、残った巨大な植物が暴れだしたのだ!


「早く外へ!!」


 フィオナさんが必死に呼びかけ、会場の人々が我先にと出口へ殺到する。

 その波に逆らうようにして、俺は中央へと走り出す。


 ヴォルフ、ユリエさん……!

 必死に二人の姿を探し、運よくすぐに見つけることができた。


「奥様、お下がりください!」


 ユリエさん達の傍にも巨大な花が蛇のようににじり寄っていたが、すぐに現れたアストリッドに茎ごと切り裂かれていた。

 だが、すぐにその向こうから悲鳴が聞こえる。


 見れば、ひとりの女の子が腰を抜かしたように座り込んでいた。その頭上に、あの不気味な花が迫っている。

 このままじゃ、喰われる……!

 俺は必死に走った。でも、この距離じゃ間に合わない……!


 そして女の子が花に飲み込まれる寸前……現れた影が女の子を抱き込むようにして転がり、間一髪助け出すことに成功したのが見えた。


「ヴォルフ!」


 少女を救ったヴォルフは素早く体勢を立て直そうとした。だが、鞭のようにしなる蔓が二人の上に振り下ろされる。

 とっさに少女の覆いかぶさったヴォルフの背中が、したたかに打たれる音が響いた。


「ヴォルフっ!!」

「ちっ、“氷槍アイスランス!”」


 ヨエルが蔓に向かって氷柱を放つ。

 すると、蔓はひるんだように動きを止めた。


「風よ……私の元へ集まって……“風精霊の一撃(エアリエルブロウ)!”」


 可愛らしい声が響いたかと思うと、会場内をいくつもの塵旋風が駆け抜ける。

 ……さすがはリルカ。見事に招待客を避けた旋風は、器用に植物の蔓や茎を切り落としていく。


「怯むな! 攻撃を続けろ!!」


 何人もの人が、果敢に巨大な植物に立ち向かい、剣で、魔法で、その体に傷をつけていく。

 人食い花も劣勢を悟ったのだろうか、じりじりと中央へと後退していった。


 そして次の瞬間、ものすごい音が響いたかと思うと一瞬で床に穴が開き、人食い花はその中へと逃げ込んだのだ。

 すぐさま、レーテが穴へと走り寄った。


「ちっ、逃がすかよ! リルカ、ここと姫様を頼む!!」


 それだけ言い捨てて、レーテは真っ暗な穴の中へと飛び降りたのだ。

 あまりに一瞬の出来事で、止める暇さえなかった。


「レーテ!!」


 呼びかけたが、返事は帰ってこなかった。

 とりあえず人食い花の危険が去ったからか、他の人たちは……集まった警備兵さえも穴の中へ入っていく様子はない。

 ……レーテは、どうなったんだろう。


 ちらりとヴォルフの方を振り返る。

 ヴォルフも庇われた女の子も、アストリッドやユリエさん……多くの人に囲まれており、何とか無事のようだ。

 ヴォルフはちゃんと自分の足で立っていた。……たぶん、怪我もそんなに酷くなさそうだ。

 ……うん、ここは大丈夫だろう。


「ごめんヨエル、ちょっと行ってくる!」

「は?……おい待てよ馬鹿メイド!!」


 レーテは強い。強いけど……

 あいつを放ってはおけない……!

 怖くないと言えば嘘になるけど、俺は衝動のままレーテを追うようにして穴の中へと飛び込んだ。


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